週刊クンタキンヤ

2005年1月22日 (土)

週刊クンタキンヤ~1/12/2002・k271

 静電気でお困りの方の話が載ってましたけど、私も車に乗り降りするたびに、バチバチケッケ(古い!)で弱っています。自称「静電気男」です。

 その昔、アナログ・レコードを、クリーナーで拭くたびに、A面がきれいになると、B面にホコリが集まるので、たいへん困っていたのですが、1年ほど前、何かで、静電気を起こしやすい体質があると知り、納得が行きました。

 そこで、体質改善で被害を少なく出来るらしいのですが、詳しくは知りません。役に立たない情報でございました。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。二男が、特に静電気体質を受け継いでいるらしく、乾燥肌の頬っぺたに、私がETみたいに、人差し指を近づけると、5ミリ位のところで、青白い電流が走ったことがあった。かなり、可笑しかった。親子を実感した2000ボルト(かどうかは知らないが)でした。

2005年1月 4日 (火)

週刊クンタキンヤ~12/22/2001・k265

 結婚するとき、寒い晩は、ぼくが湯たんぽになってあげると約束したのだったが、年とともに、足が冷えるようになって使えなくなりました。 

 そこで妻は、ペットボトルにお風呂のお湯をつめて、ふとんに入れておくんですね。これが、丁度よい暖かさで、心地良いんですが、私には触れさせてくれません。

 自分で作れば、と言われれば、確かにそうなんだけど、忍び寄る老いを自覚したくないというか、やせがまんというか、ハエみたいに足をこすり合わせています。

Then and Now : 平成14年1月19日「すぱいす・ほっと」掲載。うまいね、自分で思う。伊丹十三さんみたい。そしてこれが、すぱいすに載った最後の投稿です。私のすぱいすdays、佳き日々でした。

2004年12月27日 (月)

週刊クンタキンヤ~11/30/2001・k261

 ジョージ・ハリスンが静かに息を引き取ったころ、私は車を走らせながら、丁度ビートルズの「ウィズイン・ユー・ウィザウト・ユー」を聞いていた。あとで、インターネットの速報でジョージの訃報を知り、ついにその日が来たことを実感した。

 どこからもれるのか知らないが、7日ほど前「あと1週間の命」というニュースが流れていたジョージ・ハリスン。新作が完成されなかったとしたら、心残りだっただろう。

 アメリカのある年代以上の人にとって、ケネディ兄弟がそれぞれ暗殺されたとき、どこで何をしていたかが、いつまでも話題になるように、ビートルズのメンバーの死は、いつまでも記憶に残るだろう。私たちの世代が誰もいなくなるまで。
 それでもサウンドは残る、多分。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。ケネディ兄弟暗殺時にどこで何をしていたかについては、ジーン・ハックマン主演の映画『ナイト・ムーブズ』に出てくるセリフ。しかし、その後明らかになった事実からは、ジョン・F・ケネディが、ベトナム戦争の泥沼化の原因を作ったことがわかり、リンドン・ジョンソンは、みーんなケネディが悪いと言ってたそうだ。
それはそうと、私はあまり良いビートルズ・ファンではないので、完成されていたジョージの遺作をまだ聞いたことがありません。

週刊クンタキンヤ~11/24/2001・k260

 映画にまつわる色んな話を聞く集まり「シネ・カレッジ」。11月の講師は、池﨑一郎さんで、フランス映画と料理がテーマでした。

 イブ・モンタン主演の『ギャルソン』では、パリのビストロの窓際の様子が、いかに映画によく描き出されているか、とか、細かい表現まで重要な意味を持っていることなど、ビデオをテキストに、こんなに楽しい勉強が出来るのも、映画の魅力のひとつなんだと実感しました。

 池﨑さんの喋りも、流暢というのではないんですが、予期せぬジョークがあったりして、エッセイとはまた違った味わいがありました。

Then and Now : これも「すぱいす・ほっと」不採用です。池﨑一郎さんは、すぱいすにエッセイを連載していたことがあり、後に美しい単行本になりました。前回の衆議院議員選挙に民主党公認で出馬されたけど、残念ながら落選。蘇陽町で元気に暮らしていらっしゃることと思います。

週刊クンタキンヤ~11/19/2001・k259

 長男ヨウヘイ(中1)が、ある日突然、正月にギターを買っていいかと聞いた。まさかと思ったら、いきなりエレキ・ギターだという。

 野球しか頭にないと思っていたのに、いったいどういう風の吹き回しだろう。ミュージシャンを目指しそこなった父は、内心小躍りして喜んだ。

「ギターは買わなくてよい。お父さんのフェンダー・テレキャスターを使いなさい。今、友だちの所に行ってるけど、確か中古で10万はした代物だ」

 妻は成績を下げないことを条件にバンドをやってよいと言ったらしい。ウーム、私の場合、英語だけは出来るようになったが、他は自信がない。

 GLAYみたいになれたら、成績なんて関係ないと思うが、おそらくインディアン・サマーのはかない夢になるだろう。

Then and Now : あれから3年、本当に儚い夢であった。今でも、友だちに借りっぱなしのギターを、たまに爪弾く高1の息子は、いる。だが、成績は、これ以上、下がないぐらいのところだし、ま、それはいいとして、携帯以外に何もないという感じ。最近、新しい彼女と付き合い始めたが、それが勉強に向う力とはなっていないようだし、息子といってもまったく、別の人格ですからー、と波田陽区みたいな口調になりがちな昨今です。

2004年12月26日 (日)

週刊クンタキンヤ~10/28/2001・k258

 椅子の話といえば、熊本市で開催された路面電車サミット。そのとき試乗させてもらったアメリカ製の車椅子。私はそのすわり心地の良さに、本当に感動しました。4つの車輪それぞれにサスペンションがついているので、吸い込まれるような感触でした。

 もともとバスケットボール用の車椅子メーカーだそうで、まあちょっと高価なのが難ですが。

 ところで、映画の話題で楽しく過ごす「シネカレッジ」。11月は、池﨑一郎さんを講師に迎えて、20日火曜日午後7時より、産文会館で行われます。
 会費1,000円です。お出かけ下さい。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。事を起すには、いろんな要素が必要で、たくさんの人たちの思いが、ひとつになることで、実現する。ひとつと言っても、完全に一体化するというわけではなく、そこそこに協力する人の方が多いのだろうけど。私も大抵の場合、そのそこそこ組なのだが、当時は、ほんとあちこち出入りしていたものだ。

2004年12月18日 (土)

週刊クンタキンヤ~10/8/2001・k252

 二男のリョウ(10歳になりました)は、よく本を読みますが、新聞も読みます。主にスポーツ欄なんですが、最近、すぱいすの「ほっと」を読むようになったので、「読むところがふえたよ」とのこと。にやにやしながら、熟読しています。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。遼は、その後「スタッフ日記」のファンになり、今はちょっと興味を無くしているようだ。しかし、新聞のパズルみたいなものには目がなく、解答を書き込んであるのを見つけると、なんか微笑ましい、中学1年生である。
それから、時事ネタにも強く、今日は「熊本出身の子牛が、BSEでなくてよかったね」と言っていたので、「それより、鳥インフルエンザの方が問題だろ」と私が言うと、「あれは、そんなに心配することはないらしいよ」との返事。安心していいのか!?
合志町で子どもたちが持つことになった防犯ベル、まだもらわないうちから、周波数がいくつ違うと、聞くときには何倍か大きく聞こえるとか、雑学の大家。

2004年12月 1日 (水)

週刊クンタキンヤ~9/8/2001・k239

 朝起きて、一番にひげを剃る。だいたい午前5時50分頃だ。熱いタオルで蒸して、シェービング・フォームを延ばして、だいたい左の頬から始める。

 ポール・マッカートニーもそうだったから、ひげの濃さが、男性的でかっこいいことに思えていたこともある。若いころ、伸ばしていたこともあるが、かれこれ30年もひげを剃っているのだ。

 夕方になると、朝剃ったひげが、もう目立ってくるようになる。いつの頃からか、頬のあたりが、やけにキラキラするようになってきた。ザラザラのひげに白いものが混じるようになって来たのだ。

 ジョージ・クルーニーもそうだから、年を取るのもそう悪くはないのかもしれない。

Then and Now : 平成13年9月22日「すぱいす・ほっと」掲載。ちょっと、かっこつけすぎ。かっこつけたい年だったんです。あれから、髭はますます、硬く粗くなってきたような気がする。昔は、皮膚が弱かったが、逆剃りをやめたせいか、年を取ったせいか、頑丈になってきた。
蒸しタオルは、相変わらず気持がいいが、髭を剃るのは、面倒になってきた。やっぱり年を取るのは難儀なことだ。

2004年10月19日 (火)

週刊クンタキンヤ~7/27/2002・k221

 すぱいす8周年、おめでとうございます。
 思い起こせば、初代読者レポーターのひとりとして「オヤジの行く店」の取材に行ったこともありました。いくつかの企画にちょこっとした文章を書いたことも。

 編集長も、KさんからMさんに替わり「ほっと」では「週刊クンタキンヤ」として、二人の息子をネタにずいぶん投稿したけれど、子どもたちは大きくなると、面白くなくなってきます。冗談ではすまされなくなる年齢があるのだと、初めての子育て、思春期篇でつくづく思います。

 すぱいすが出来たころ、2歳だった二男のリョウが、土曜日の朝から、すぱいすを読んでニヤニヤ笑っている。So it goes. マイ・ジェネレーションも年を取り、さて、腰をあげるとするか。

Then and Now : 「くまにち・すぱいす」不採用。すぱいすには、不採用ながら、ずいぶんハガキを送る続けたものである。これは、訣別宣言だったのだけど、諦めの悪い私は、この後も1,2通は書いたような気がする。すぱいすデイズ「週刊クンタキンヤ」の日々。そういうこともあったっけ、という美しい想い出のひとつでございます。

2004年10月16日 (土)

週刊クンタキンヤ~6/16/2002・k219

 父の日。
 私はいつもと変わりなく、皿を洗い、風呂そうじをした。わが家は息子2人。父の日、全然関係なし。私自身もすぐ近所に実の父が住んでいるんだが、改まって会いに行くわけでもない。
 ある種の人々にとっては父のことを思う日であり、私にとっては、父親とは何なのか、と少しばかり考える日となった。よかったかな。

Then and Now : 父が亡くなって1年。息子にとって、父親とは何なのだ。最近は、父親役を降りたくなって来た。以前だったら、子どもに無関心な父親と聞くと、許せない気がしていたものだが、その気持が少しわかるような気がする。まだ、言葉も本気も足りないのかもしれないが、親の気持が息子に通じることにも限界があるんじゃないかと思う。
「すぱいす・ほっと」不採用。

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