合志市で、人気急上昇のユニット。昨日、熊本日日新聞のイベントで初めて見ました。
熊日紙上にも、登場していましたけど、市議の青木さんがリーダー。写真左で、派手にツこけてます(笑)
真ん中の齋藤さんは、この春、合志市の総務企画部長昇進。
右側の園田さんは、職業公務員となっていたけど、熊日読書のひろばの常連だったみたいな…
この人もツこけてましたなア(笑)
昨日は、紅一点、女性ヴォーカルもいらっしゃいましたが(左端)、全員幼なじみだそうです。
写ってはいませんが、この沼のどこかに確かにいますウシガエル。
ブオッブオッというか、グオッグオッというか、その鳴き声を久しぶりに聞きました。
1918年にニュー・オーリンズから食用として輸入され(同期にアメリカザリガニがいる)、
2006年に外来生物法で、特定外来生物に指定されました。(以上、Wiki参照)インベーダーと見なされたということです。
The bullfrogs are invaders.
昨年度、私は、合志市の自治基本条例策定検討懇話会(だったっけ)委員(公募)を務めていた。
任期を終えるにあたり、広報こうしに何か書いてくれと依頼され、これを書いた。
広報掲載時には、かなり編集されたので、原文をここに載せます。
広報こうし4月号は、合志市公式ホームページで読めると思います。
「これからは地方の時代」と言われて久しい。「三位一体の改革」というのもあった。
「まちづくり」ということばも、旧町のときから合言葉のように使われていて、
私も学校PTAやボランティアグループの活動を通じて、
そのときどきに「このまち」で暮らすことについて考えてきた。
財政の逼迫とともに、イベント型の「まちおこし」の限界が見えてきていたとき、
合志市での新たなまちづくりの指針として、自治基本条例を策定するための委員の公募を知った。
私たちの活動は、まず最初に、市民・行政・議会などそれぞれについて、
現状を踏まえたうえで、こうあるべきではないかという意見を自由に出しあうことから始まった。
以前熊本市で作られた素案をたたき台にして、委員それぞれの考える合志市の自治のあり方について、
文字通り意見を戦わせる会議が十回以上も続いた。
条文ということばの連なりは、助詞の使い方、語の順番の後先だけでも意味が微妙に違ってくる。
いま思えば細部の文言にこだわりすぎていたのかもしれないと思うけれど、
検討会に出席された皆さんに、素案として説明するときには、
やはり何かが足りないような気もしてきた。
普段、生活している分には、みなさん取り立てて不満に思うことはないかもしれないけれど、
たとえば信号待ちや、ごみステーションで「これ、何とかならないのか」とふと感じられた瞬間に、
この基本条例のことを思い出してもらえるように、 市民のみなさん一人ひとりに伝えたいと思う。
「まちづくり」は、小さな疑問に自ら答えを求めていくことに始まるということを今回私は学びました。
住宅メーカーの広告チラシで、大津町の美咲野団地に「大津小学校の分離校設置予定」を知る。
熊日の町議会だよりにあったよな、そう言えば。
美咲野が造成されたのは、もう15年ほど前になるだろうか。光の森よりずっと早く、熊本県では久々の大規模宅地開発だった。
事業主体はJR九州。造成工事は、あの西松建設を親とする共同企業体。
確か、西松の当時の会長が熊本出身とかで、本田技研の工場なども作っていたような記憶が。
グランドデザインは、著名な建築家 宮脇檀だったのだが完成を見ずに急逝した。
バブル崩壊の余波と言えないこともないが、思ったように売れなかったので、大規模開発の失敗例に挙げられていた。
あの当たりは高尾野といって、小学校のお別れ遠足の地であった。というより、大津小学校の分校があって、五年生になると本校に編入していたので、同級生も多い。
そんな美咲野も、周辺を含め人口が増えたのだろう。当初の計画通り、小学校の分離校が作られるか。
建築工事が発注される頃には、違法献金事件のほとぼりも冷めているだろうか(笑)
New elementary school of my hometown.
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