戦没者追悼式
合志市戦没者追悼式の帰りに、
移設された旧西合志村の英霊顕彰碑を訪れる。
祖父が西合志村長を務めているときに建てられたもので、
もとは、当時野々島にあった役場にあった。
九死に一生を得て帰還できたのは
祖父が将校だったからではないかと思うが、
左大腿部の内側には大きな傷痕が残っていた。
自分が生き残った負い目があったのではないかと察する。
残念なことに、太平洋戦争の戦没者の多くは
飢餓と病気で亡くなったことは歴史的事実である。
上村真理子さんは、ある部隊の除隊記録の原本を持っているそうだが、
それによると死因の多くはアメーバ赤痢などで、
戦闘による死亡は少ないと仰っていた。
また、食糧不足の南方の部隊では、班別に芋などを植えていたのだが、
よその班の芋を盗みに来る輩がいて、その見張りの夜、
あまりの酷さに味方を撃たざるを得なかった
という話を聞いたという証言も参加者の中からあった。
戦争は敵対するお互いを殺傷することで成り立つ。
そして味方と同じように敵方も故郷には家族がいた。
同じように戦没者を追悼していることだろう。
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