記憶と風景を紡ぐ
5月10日付全国農業新聞掲載のコラム「農と村のルネサンス」で、
持続可能な地域社会総合研究所所長の藤山浩さんは、
最近昔のような母屋・納屋・蔵で出来ている田舎の家を
見かけなくなったと書いている。
妙に現代化された家ばかり、どこでも同じように建っている。
「私たちが田園回帰により取り戻すべきものは、
一人一人の人生を超えて記憶と風景が紡がれる暮らしである。
蔵に込められた志と想(おも)いを引き継ぎたい」
蔵はその地域での富の証だったのかもしれないので、
現実には蔵がある家は当然のことながら、
歴史をつなぐ家系だったとも言えるだろう。
そういう家系が昔からの農業を続けることが出来なくなった。
それが現実でもある。
しかし「記憶と風景が紡がれる暮らし」は
その象徴的な蔵という建造物のあるなしではない。
記憶や風景だけではなく、テキストや画像があるではないか。
それを再評価できるだけの文化力を持つ田園でなければ意味がない。
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