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2014年7月20日 (日)

ノスタルジーとしての空き家

空き家という言葉で片付けるには忍びないが、
便宜上、現在のところ住む人のいない家を空き家と呼ぶ。

戸建て住宅を手に入れることを、男子一生の仕事と刷り込み、
宅地開発と新築を国の経済政策に取り込んできた日本。
それがまったく間違っていたというわけではないが、
人口減少社会において、
過去に開発された住宅地に空き家が増えることを
誰も止めることはできない。
それがわが国の大問題になっている。

空き家を更地にして、新築の家を建てさせるという誘導も成り立つが、
スクラップ&ビルドは、もったいないという視点を忘れてはいけない。

合志市を一つのケーススタディとするので、
分譲マンションについては、割愛する。

どうやって空き家を有効活用するかということをいつも考えている。
子育ての場所であった家が、
その子どもたちが、進学や就職でホームタウンを離れる。
そして、遠くの土地に新しい家族と住まいを構える。
就職状況や結婚などで、それは致し方ない。

年老いた親をどう面倒見るかという段階はあるが、
いずれ、その家をどうするかという問題は避けられない。
そのときに、自分が育った家というだけでなく、
親の残した衣類や家具、思い出の品々をどう処分、
あるいは保存するかという厚く高い壁がそびえるのではないか。
その心理的なバリアーがなければ、
空き家となった家を売ることにそれほど抵抗がない人も
多いのではないだろうか。

中途半端だが、今日はここまで。
空き家活用に関する連載ログだと思ってください。







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