相容れないもの
本日の熊日夕刊には、
教育再生実行会議の初会合の記事。
安倍晋三首相は、
「教育再生は経済再生と並ぶ最重要課題だ」と
改革に強い意欲を示した。
とある。
内田樹先生の考え方に影響を受けているせいもあるが、
なぜに、教育再生と経済再生が並んでしまうのか、
意味がわからない。
米百俵の例えを持ち出して、国民の喝さいを受けたのに、
なんの成果も出せなかった前例を見ているので、
そんなことではいけないと思っているのか。
いじめを苦にした子供の自殺は
食い止めなくてはならないが、
それが教育再生か。
3万人をやっと切ったと言われる、
国民の自殺者のことはどう考えるのか。
それはまた別の課題だと言うことだろう。
では、なぜ教育は
再生されなければならないのか。
「教育再生にはさまざまな壁があるが
たとえ物議を醸すことがあっても意見を言ってほしい」
とも言ったそうである。
そのさまざまな壁について具体的に言ってもらわなければ。
第1次安倍内閣のときに導入した
教員免許更新制の評価はどうなっているのか。
それで子どものいじめが減ったのか、
部活指導での教師の体罰がなくなったか。
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現実 (現在時制) の内容は、日本人により「世の中は、、、、」の形式で言い表されている。
現実は一つであり、個人的な多様性が見られない。日本人の真理ともいうべきものである。
だから、もしも個人的な発言に違いがあれば、事実関係調べが行われる。
多様を尊重する社会には、真の個人主義がある。
非現実 (遠未来・遠過去) の内容には、個人的な多様性が見られる。
非現実に対応する文章構文があれば、その内容は成案・考えとなり個人差が出てくる。
対応する文章構文がなければ、想いから矛盾を排除できず、空想・出鱈目にとどまり鬼も笑う。
遠未来の社会の内容が明らかに描かれれば、建設計画に着手できる。人々の協力も得られる。
建設的な意見の持ち寄りにより進歩ははかどる。
遠未来の社会が明らかにされなければ、建設計画もできない。人々の協力も得られない。
不毛の議論の連続で、人々は未来に対する不安と閉塞感にさいなまれている。
筋があれば理想 (ideal)になる。なければ空想 (fantasy) になる。
日本語には、未来時制がないから理想の世界は展開できず、現在時制の世界における戯けごとになる。
一寸先は闇と見ている政治家たちに導かれて、国民の生活は動いている。
自分が死んでもこの国がまっすぐに理想の世界に進むようなルール作りを政治家たちにはしておいてもらいたい。
それには、時制のある言語 (英語) の教育が必要である。
英米で高等教育を受けてきた者を活用できる知的な社会の枠組みを作って、彼らを優遇しなくてはならない。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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投稿: noga | 2013年1月25日 (金) 03時27分