びんぼう
自称元詩人、多少今政治家であるので、
やはり政治家と称する人の言葉、言語が気になる。
一般の人というと、芸能人が自分たちを卑下してか、
あるいは別扱いしてか、それ以外の普通の人々を
指す場合が多いが、
いわゆる普通の人たちは、おそらく政治家の言葉を聞いて、
あー、また口先だけでものを言ってるとか、
決まりきった言い回しばかりで何を言ってるのかわからんとか、
おそらくそういう印象を持っておられると思う。
何かあると責任を取らされる立場にある人は、
大ざっぱに言って、言質を取られないように慎重に、
というか、その場しのぎの常套句を使いがちだ。
特に選挙を気にする政治家は票に対して敏感なので、
なるべく後で言い訳の利くような言い回しにならざるを得ない。
しかしだな、やっぱり言葉ってやつは
自分で磨かなければいけない。
磨き続けなければならない。
なのに、その努力をせずに同じ言葉しか使えない、
そのことがぶれない信条だと勘違いしている人もいる。
勉強するということは、学習するだけでなく
自分にきちんと対峙して初めて始まるものであると私は思う。
貧しい言葉群を耳にするにつけ、
この人はその程度の人生を歩んできたのかと、
ちょっとさびしい思いをする。
そういう人でも、たまには少しだけいいことを言うこともあるので、
もちろんそういうときは、たまにはいいこと言うね、と
認めてやることもあるのだが、
根本は変わらないのだと思う。
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