裸のビーナス
高校1年の夏休み。あるいは2年のときだったか。福岡の美術館で開催された印象派のクロード・モネ展をひとりで見に行った。NHKの美術番組で解説を聞いて、これは見なくてはと思ったのだった。と思う。
当時のことだから、もちろん国鉄で、鹿児島本線の特急(急行だったかも)に熊本駅から乗車した。丁度同じ乗降口から、応援団みたいな連中に見送られて、かなり可愛い女の子が乗り込んできた。あいにく自由席は満席で、私とその子と、二人連れが一組、博多までの道中、デッキで過ごすことに。
何か話しかけようと、悶々としながら、結局博多にもう一駅か二駅のところで、やっと腹を括って、彼女に声をかけた。見送りに来ていたのは、工業大学付属高校の親衛隊と言って、熊本市内では結構有名な硬派集団で(私は郡部の高校だったので、不案内だったのだが)、そのリーダーと彼女はつき合っていたらしい。
「なんでん、大袈裟だもん。そがん思わん」
聞けば、モデルをやっていて、壽屋のポスターを撮りに博多まで行くところだったらしい。私は、絵を見に行くと答えたと思う。覚えていないけれど。
彼女と一緒に、カッと照りつける駅の外に出た。短い時間でも気持のふれあうことってあるものだ。と私は自分勝手な解釈をした。彼女の別れの言葉は「うどん食べてがんばろう」だった。気どらないモデルだ。資生堂ってわけじゃないし。
片手を挙げて立ち去る彼女を私は見送った。映画『キャバレー』のライザ・ミネリみたいだった。これは、私の思い込みによるイメージ。
美術館までは、タクシーを使ったような気もするし、路面電車に乗ったかもしれない。7月の青空を見上げ、跳ね返る光と光に射抜かれながら、彼女の元気をもらった私は、郷ひろみの「裸のビーナス」に突如襲われた。カーラジオから流れてきたのかもしれないし、私の頭の中のジュークボックスが、選曲したのかもしれない。
青春映画だったら、そこでエンドロール。あの日、世界の中心は、確かにそこにあった。
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