外来語の言い換え例について~12/31/2002・k277
国立国語研究所で、外来語の日本語への言い換えを検討しているという。確かに外来語が安易に使われているのは事実だが、日本語に言い換えることで失われるものもある。
言語は、もともとその国の歴史や文化を背負っているものなので、本当は完全に他の国の言葉に置き換わるものではない。今回も日本語訳とせずに「言い換え」とされているのはそのためだろう。
また、これらの外来語を普段から使っている人にとっては、たとえば「デイサービス」や「バリアフリー」など、すでに定着したような言葉を、官公庁用語とはいえ、言い換えることに、意味があるとは思えないという意見もあるだろう。これは、外来語がどのように広く認知されているかという研究を望みたいところだ。
一方、義務教育では、これらの言葉を「カタカナ語」ではなく、本来の語として、背景も含めて、その意味を学んでもらいたい。
最後に、逆の言い換え例ではあるが、「悪の枢軸」という言葉。これが米語で何と表現されていたかで、宗教的な意味も含め、それを使った人の思想がよくわかる例だと思うのだが、単なる記号と化した言い換え例のひとつになってしまった。
Then and Now : 平成15年1月10日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。この頃は、まだ手書きだった。それで、原稿を改めて読んでみて、その読みにくさと、そんなこと、言われなくてもわかってるよ、と言われそうな内容にちょっと、恥ずかしい思い。
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