サクランボ~4?/?/2002・k204
例年より早く咲いた桜は、散るのも早い。とはいえ、雨や風にさらされながらも結構長くもっているような気がする。
一枚一枚は小さな花びらが、無数に集まって生まれる、集団としての美にこそ、桜の美しさはあるのではないかと、健軍の自衛隊通りを車で抜けながら、私は思った。
花びらが風に舞うとき、光の粒子が声にならぬ声でさざめきながら散っていく様は、風を形あるものに見せてくれるようでもある。
また、桜はその花ばかりが美しいわけではない。葉桜という言葉があるように、花の盛りと入れ替わりに、若葉が次々と芽吹いてくる。ある意味では、世代交替を思わせるこの生命力が、私たちの心を古来からとらえていたのかもしれない。
そして熊本に住む身には、あまり縁のないものに、国産のサクランボがある。福岡出身の五木寛之さんが、若いころエッセイに、食べ始めたらやめられないサクランボの話を書かれていた。
それを読んだときにはわからなかったのだが、東京で大学生活を始め、渋谷の駅頭で売られていた新鮮なそれを食べたときの感動は忘れることができない。カメラを持っていなかったので、その愛らしい姿を色鉛筆で何枚もスケッチしたものだ。
阿蘇で作っていらっしゃる方のことを本紙で読み、そのことを思い出した。
Then and Now : なんと、エッセイストになりきって書いてましたが。熊本日日新聞「おとこの目」不採用。桜の花から、果実のサクランボへの展開は、少々不自然。書き出しから、次々に転調を繰り返して、仕舞にはどこまで行ってしまうのやら、というのが、近田春夫さんが「気分は歌謡曲」に書いていたザ・フーのピート・タウンジェントの曲作り。それに似たものがある。
別に誕生日が同じってわけでもないんですが。
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