「週刊クンタキンヤ」~3/2/2002・k198
◆物持ちのよさ Ⅰ
いつものようにヘアブラシで、髪をセットしていて、このブラシは高校生のときに買ったんじゃなかったかなと、ふと思った。
大学生の頃、肩まで伸ばした髪をとかしたブラシも、持ち主と同じように毛が薄くなってしまったが。
良く言えば、物持ちがいいってことだが、言い方を変えれば、「想い出がおおすぎて」捨てきれないというだけのことでした。
Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。さらに、そのブラシを買ったのは、大津町の「紅屋」ではなかったか。資生堂ショップであり、中学3年のとき憧れていた女子高生が、卒業後勤めた店でもあった。
資生堂のポスターは、当時の商業デザインの最先端で、常に新しかった。日本の文化も、欧米追随と言われながらも独自性を充分発揮していたように思える。一つひとつを鮮明に覚えているわけではないけど、私たちの世代の血肉となったデザイン、一つの重要なカラーだ。
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