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読みたい本だな

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日記・コラム・つぶやき

2017年11月19日 (日)

クロスロード

非常時の判断には最善、最適があるとは限らない。
それでもより善く、より適したと考えられる選択を
迫られるのが現実だ。
もちろん非常時だけではなく、私たちは
毎日何度も小さな選択を迫られている。
そうとは意識していないだけで。

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2017年11月18日 (土)

鷹揚同窓会

熊本ホテルキャッスルにて。


2017年11月 7日 (火)

顕彰式

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熊本県更生保護事業功労者顕彰式に出席。
今回は九州地方保護司連盟会長表彰だった。
写真は顕彰式典の前に行われた
社会を明るくする運動の作文コンテスト入賞者表彰式のステージ。
ここには写っていないが、くまモンも、もちろんいた。



2017年10月31日 (火)

ハローウィン

ハローウィンの頭には
なぜ「ハッピー」が付くのかわからない。
というか、その前になぜハローウィンなのかがわからない。
なんてことを毎年思っているような。
何年ぐらい前から、こんな大騒動になったのか。
YMCAなんかではずっと昔からやっていたと思うが、
やはりメディアがイベントとして広がっていると
取り上げるようになったからだろう。
子どもが小さかったら、付き合わないといけないのかな。
でも、嫌々ながらでも付き合っておけば、
きっと20年後ぐらいに懐かしく思い出すと思う。
若者に関しては、それだけ注力できるのがうらやましい。



2017年10月 6日 (金)

松田喜一さんと憲法における環境権

10月4日の熊日夕刊「憲法ルネッサンス㊲」で
松田喜一さんが「自然に負担かけない農業」として
紹介されていた。
福岡県糸島市の農家、宇根豊さんいわく、
「憲法は人権の大切さを書いている一方、
自然の大切さへの言及はない。
明治憲法もこの点が欠けているが、当時は国民の多くが
農家だったから、当たり前すぎて書かなかったのではないか」

解説には、「日本国憲法に環境を定めた条文はないが、
13条の幸福追求権や25条の生存権を根拠に、
認められるとする学者は多い」とある。

つまり人権あっての環境という考えである。
環境を主体とすれば、人間が活動しないほうがいい。
憲法は人間がいるから作られるものなので、
あまり細かく書き込むのはどうかという気もする。



2017年9月16日 (土)

祖父の写真

昨日の続き。
どこなんだろう、ここは。

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2017年9月15日 (金)

移民の歌

合志義塾の卒業生名簿には、
父方の祖父の名前もある。
名前だけなので確認はできないのだが、
どうも祖父の兄らしき名前がある。
祖父の兄は米国に移民で渡った。
子どもの頃、
ブリキのおもちゃをお土産にもらったことがある。
上田家の初孫で男の子だった私は、
当時期待の星だったようだ。
祖父は兄がアメリカに行ったので、
自分は満州だと考えたらしいが、小倉まで行って、
回りがヤクザ者ばかりだったのに恐れをなして
戻ってきたのだと祖母に聞いたことがあるが、
よく考えると、どうも時代的に合わないような気がする。
いずれにせよ、私が今の自分で生まれてこなかった可能性はある。
誰にでも大なり小なりある可能性だとは思うが。



2017年9月14日 (木)

冷やし中華のメモリー

久しぶりに熊日に投稿しようと思っている内に、
なんとなく季節を逸してしまった。
外は台風接近中の雨です。

冷やし中華を初めて食べたのは、
青学の学生会館地下大食堂(通称「学食」)で、
1年か2年の夏。
山下洋輔らが始めた「全冷中(全国冷し中華愛好会)」が
雑誌で話題になるよりも少し早かったような気もするが、
ちょうど1975年か1976年はそういう年だったのかもしれない。
ところで、その年の青学の学食の冷やし中華を超えるものに
私は出合ったことがない。
冷やし中華を他で食べたことがないということと、
初めて食した翌年の夏に同じ学食で食べた冷やし中華が、
前年のそれと似ても似つかぬ美味くないものだったからだ。

と、ここまで書いて、熊日に投稿するための文章を
書課なくてよかったと思っているところだ。
今日はもう集中力が途切れたので、このへんで。



2017年8月28日 (月)

大和魂

夏目漱石著「吾輩ハ猫デアル」から。

「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。
「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たことはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

そこだけの引用は誤解のもとであるが、
作者が、それはコレコレの意味でということを
解説してくれるわけではない、いわゆる古典なので、
全体、部分だろうが皆勝手な解釈を与えることになる。
それが言語と文書の宿命であろう。
「愛国心」「道徳心」その他いろいろ。


2017年8月18日 (金)

昨日の写真

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第2合同庁舎駐車場から熊本県民テレビ新社屋を望む。

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夏空の寿命は短い。




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