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読みたい本だな

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日記・コラム・つぶやき

2017年4月22日 (土)

ブルイン

ブルーインパルスが熊本地震復興のイベントで、
熊本に来ているらしい。
今日が予行演習で明日本番。
滅多に見られないことなので、その話題で盛り上がるのはよくわかる。
天皇陛下の行幸に際し、沿道に立つのと変わらない。
しかし、政権が北朝鮮の脅威をことさら強調しているこの時期、
またスクランブルが異常に多くなっている現状、
そのことにも関心を払ってほしいものだ。



2017年4月14日 (金)

槌音

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昨日、所用があり立体駐車場パスート24辛島公園に
車を入れた。
思わず見晴らしがよかったので写真を撮っていて、
彼方に熊本城があることに気づいた。
この角度は、県民百貨店が現存しているときに
休憩スペースから眺められたものと同じ。
熊本地震の前震から1年になる。
ほとんど感慨はない。



2017年4月 8日 (土)

ラジオ

ラジオとの付き合いは長い。
それを語りだすと長くなるので省略。
最近の話。
最近と言ってももう5年以上になるかもしれない。
1台の携帯ラジオを買った。
夏休みに公園でラジオ体操をするためだ。
そのうち日常的にNHKラジオ第一のニュースを
聞くことが多くなった。
昨年の熊本地震のときには、
もちろんスマホも役に立ったが、
防寒着のポケットにはいつもこのラジオがあった。
最近、量販店の売り場で気がついたことがある。
商品棚でこのポケットラジオとラジカセが目立つ。
明らかに売れ残りではなく新製品である。
熊本地震と多少関係があるのかもしれない。
カセット人気が根強いというのも聞いたことがある。
NHKには、「らじる★らじる」というデジタルサービスもあり、
アーカイブで一定期間聴き直すこともできる。
早朝の番組やニュース解説など、
実に勉強になります。
今朝のラジオエッセイでは仲代達矢さんが、
最近、映画のプロモーションの一環でやっている
Twitterについて語っていた。
本当に自分自身でつぶやいていたのか。
文字だけの付き合いの面白さと、
それだけでいいのかという少々の心配を。


2017年4月 5日 (水)

ミサイル

今朝、北朝鮮がミサイルを打ち上げたという。
新聞記事では午前6時42分ごろと書いてあったが、
ラジオ体操前に、スクランブルの飛行機雲が
幾筋も空に交差していた。
中国機を警戒しているときに北のミサイルは落下した。
ニュースにならない現実だが、
飛行機雲は正直だ。




2017年3月24日 (金)

忖度

「忖度」が今年の流行語大賞を取るには、
いまの時期が第1四半期なので不利だ。
意味は「他人の気持をおしはかること」だ(Google検索)
英訳は“guess”と出た。翻訳は難しいと言うが、
これ意外とぴったりかもしれない。
というのも、“guess”って日本語にしにくいと
思っていたからだ。
サディスティック・ミカ・バンドの「どんたく」の
替え歌で「忖度(そんたく)」というのを作りたい。
忖度とは、空気を読むことである。
日本人だけの得意技ではないだろう。



2017年2月14日 (火)

免許更新

運転免許センターに免許更新に行った。
5年ぶりなので勝手がわからない。
懇切丁寧に案内してくれるからいいけど。
法整備も折りに触れ行われている。
今回は平成26年6月1日施行の
「一定の病気等の症状に関する質問票」が追加されていた。
その上、写真にあるように熊本地震による被害で
手続きが仮設対応のようだった。
30分とはいえ、手慣れた解説等、
真剣に聞いていれば、次の5年間は約束されたようなものだ。
だが、そう遠くない時期に
高齢者講習を受けなくてはいけなくなる。
人生とはかくも短いものなのだ。
だから、交通事故で亡くなったり、誰かに被害を与えないように
心する機会としてこの免許更新と講習があるのだと思いたい。

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2017年2月11日 (土)

千過一遇

埼玉県草加市で2月8日、母子2人がトラックに
はねられて死傷した事故で、
運転していた容疑者が「スマートフォンの地図アプリを
見ていて赤信号に気付かなかった」と供述している。
毎日新聞の記事→リンク 

ひどい男だ。許せない。
亡くなったお母さんもその家族も可哀想だ。
誰もがそう思うことだろう。
しかし実際、スマホや携帯を手に運転している人は少なくない。
少なからぬ交通事故がそういう場面で起きていると思う。
しかし、現実には事故に至らぬヒヤリ・ハットや、
まったく問題なく通行することのほうが多い。

幅員が4m以上の道路の国内総延長の面積と、
4輪以上の車両が同時間帯に国内の道路総延長を走るときの
その専有面積の総和を比べてみればわかると思うが
(どなたか試算した人がいるだろう)、
単純に考えても、車が移動しているという変数を加味すれば、
同時間帯の歩行者や2輪などと接触する確率は
全体から考えればそれほど高くないだろう。

もちろん車同士だってそれほど頻繁に衝突はしない。
だから交通安全対策が不要だとか、
運転に細心の注意は必要はないと言いたいわけではない。
確率がどんなに低くても危険なものは危険なのだ。
危険度にゼロはなくても、100付近は山ほどある。
言い方を変えれば、
そこら中に転がっている不運という石ころを
蹴飛ばさないようにするための最低限の厳守事項の一つが、
運転中に携帯やスマホを使わないことなのだ。



2017年2月 8日 (水)

観光の光の意味

今朝の熊日の「熊本城復旧考」は、
「観光」の「光」が持つ二つの意味という標題で、
島田美術館の島田真佑さんが書いている。

氏自身は個人的に熊本城に格別の思い入れはないと。
熊本城顕彰会の常務理事をつとめた祖父の思い出と
その機関紙「熊本城」(復刊69号)の記事を
口述筆記したこと。加えて祖父が残した
七言絶句について。

「現在を生きる者が多様な歴史層を内に秘めた景物に
接するときの基本的な、礼節と言ってもよい姿勢を
教えられるような気がしたものだった」

「言わずもがなのことだが、『観光』の『光』は
二つの意を表す。空間の具体的様相と『光陰矢の如し』
に明らかな歴史時代の経過と。
熊本城の復旧が急がれているが、『光』の両面性を
十分に配慮された復旧工事になる事を願ってやまない」

数百年を経た景物にはそのときどきの姿がある。
地震などの天災や経年劣化により、
改築あるいは復旧をしたからこそ、現存している。
災害に耐える改修改善を施すことは、
今の感覚で言えば、耐震基準の見直しのようなもので、
創建時の姿形が今も残っているかどうか何とも言えない。
またそのとき、どの時点の姿に戻すのか。
市民の声か県民の声か、国民の声か。
専門家の意見か。
時間をかけた議論も必要だと思う。






2017年2月 3日 (金)

地震保険のしくみ

確定申告のシーズンです。
東京海上日動火災保険の地震保険料控除証明書の
ハガキに地震保険改定のご案内があった。

平成29年1月から保険料が改定されること。
これは平成27年6月には決まっていた方針で、
今年、平成31年、平成33年1月に3回に分けて
19%まで上がることになっている。
損害区分と保険金の支払割合については、
現行の半損が大半損と小半損の2つに分かれ
3区分から4区分になる。
また大半損は保険金額の60%、小半損は30%になる。
(現行の半損は50%)

日本地震再保険株式会社のホームページには
地震再保険のしくみが掲載されている。
それによると、
「地震リスクが持つ特性により、民間の損害保険会社のみで
地震保険制度を運営することは困難であることから、
政府が再保険を通じて関与することで、国民に対し
低廉な保険料で安定的に地震保険を提供することが
可能となっています」とある。

「1回の地震等により支払われる保険金の額が
1,153億円に達するまで(1stレイヤー)は民間(当社)が
負担します。1,153億円を超え1,827億円に達するまで
(2ndレイヤー)は政府・民間が50%ずつ負担します。
1,827億円を超える部分(3rdレイヤー)については
政府がその大半(約99.7%)を負担します」
詳しくは、→リンク 

2017年1月22日 (日)

逃避級数

立命館大産業社会学部教授の福間良明さんによる
今朝の「くまにち論壇」の主題は、
「自由」なネット世論の危うさ、だ。

会員制交流サイト(SNS)の普及で、「言論・表現の自由」が著しく進んだと見ることも
できるが、反面何の審査も経る必要のないSNSでは、
それらが公的に出回るときに、発言の「過激さ」が
注目を浴びることもある。
問題はその経緯において、マスメディアが混乱を恐れ、
自らを「中立」に置こうとして、
「ネットメディアの『自由』で『多様』な議論が、
ときにマスメディアに『制約』を生むという逆説を、
そこに見ることができる」というのだ。

私は以下の部分が重要だと思う。
「そもそも、『極論』が生まれやすい主題こそ、
じつは粘り強い思考や交渉が必要とされるものである。
歴史認識や原発、格差社会の問題に限らず、
現代社会は、悶々と悩み、自問や討議を積み重ね、
何にこだわり何に妥協するのかについて
交渉を重ねるしかない局面満ちている。
だとすれば、威勢の良い『極論』に高揚することは、
熟慮する苦悩からの『逃避』を意味するのではないか」

しかし、時代がここまで来ている以上、
ネットでの議論は不可避である。
いや、まずは議論が必要なのであり
そこから逃げないことが、
「極論」をも建設的なベクトルへ引き込むことに、
・・・つながればいいのだけれど。



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