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2016年5月の29件の記事

2016年5月31日 (火)

ラジオのニュース

安倍首相、明日記者会見→リンク 

毎夕、NHKラジオ第一のニュースを聞いている。
明日も当然聞くことになるだろう。
リーマン・ショックの言葉を使わずに消費税増税先送りを
説明するとなると、さらに嘘を重ねることになる。
安倍政権は確たる当てもなしに、これまでやってきた。
形のないものに、メディアが明確な解説を付けることで、
方向性が定まってきた部分もあるようだ。
そういう意味では、マスコミも専門家も罪深いかもしれない。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということわざがある。
逆向きだが、枯れ尾花でさえも幽霊に見せかけることができる。
国民の皆さんは、一概に騙されたというわけではないが、
ニュースの見出しで、安倍政権が何か
正しい選択をしているように信じ込んでしまう。
「ちょっと待てよ」と気づく人を一人でも増やしたいものだ。

2016年5月30日 (月)

街頭宣伝活動

あべ広美さん、くまみん合志のメンバーと 一緒に街宣。
雨上がりの晴天で気温はかなり上昇。
でも、それ以上に あべ広美さんの思いも熱い。
私たちもそれに応えよう。



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2016年5月29日 (日)

「安倍一強」の謎

「安倍一強」の謎
牧原出著 朝日新書刊

なぜ、こんなに安倍晋三氏のことが気になるのか。
私は彼の考える日本の進むべき方向が間違っていると考えるからだ。
直近の調査でまた内閣支持率が上がったらしい。
しかし、その重要政策が必ずしも支持されているわけではない。
ではなぜ、支持率が下がらないのか。
今日、もうそろそろ菅野完著『日本会議の研究』を買うかなと、
書店に行ったときに、この本を見かけてしまったのだ。
最初の方しか読んでいないが、
ここで書かれるのは、実は政権交代が政治の成熟を
もたらしつつある、その過程にいま日本はあるということだ。


2016年5月28日 (土)

リーマン・ショック級

安倍首相は、2014年11月に景気悪化を理由に消費増税を先送りし、
そのときに「再び延期することはない」と断言する。
「リーマン・ショックや東日本大震災など、
経済に重要な影響が出ることがない以上、従来通り実行する」と
繰り返し言っている。
熊本地震を東日本大震災級と頑なに認めようとしなかったのは、
最後までそれをカードとして取っておきたかったのだろう。
しかし、民進党の岡田代表が増税見送りを表明してしまったので、
リーマン・ショックまで持ちださなければならなくなった。

しかし、それが無理筋どころか、
各国代表が儀礼的に表立って反対することはなくても、
内心その場当たり発言に対して、
驚きと侮蔑の感情を抱かせてしまったことは
疑いないのではないだろうか。
アベが指導者でいる限り、日本には期待できない。
その思いを決定づけたような気がする。

だが、安倍政権の戦術としては間違っていない。
G7で合意文書に盛り込まれなくても、
国民に対しては、リーマン・ショック級を印象づけることができる。
中身ではなく、言葉が一人歩きして消費増税延期を正当化できる。
というか、国民は基本的に増税を認めたくないので、
安倍首相の責任を問うことはないだろう。

2016年5月27日 (金)

黒石原

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2016年5月26日 (木)

紛らわしい

最近のテレビドラマは、
あっちのドラマ、こっちのドラマと同じ脇役俳優の掛け持ちが多い。
同一シーズンにそれはやめてほしい。紛らわしい。
昔と比べたら、2本で1本分のギャラしかないのかもしれない。
どんなに熱心に見ているこちらも、
次の3カ月に入れば、前のシーズンのドラマのことなんか、
もう思い出せなくなっている。
それって、私が歳を取ったせいだろうか。
大体、似たような顔の役者ばかりだ。特に若いのは。
それって、私が・・・


2016年5月25日 (水)

世界一難しい恋

恋に奥手の一流ホテルの偏屈社長が、
生まれて初めてかと思われる純情可憐な恋に落ちる話。
嵐のリーダー大野智君の真骨頂である。
相手役の波瑠をはじめ、脇役がみんな生きているし、
脚本の小技も気が利いている。
ニヤニヤしながら見ていることだろうと自分で思う。
来週の展開が楽しみだ。
だが、今日の回が終わって冷静になれば、
何てことのない話なのである。
そんなに夢中になるまでもない、
ま、面白いのは見ているときだけと言ってもいい。
所詮テレビドラマはそんなもんかとも思う。
だが、小一時間、ハラハラドキドキさせてくれるものは、
そんなに多くはない。
ドラマがすべて高品質で芸術然としていなくてはいけない
ことなんてないのである。
現実は思うようにいかなくて、展開もまた複雑で楽しくない
ことの方が多いとさえ言える。
しばし夢の世界を見せてくれるだけで十分ではないのか。
ドラマはハッピーエンドに向かってほしいと願う。

それにしても、寸足らずの素っ気ないタイトルだ。





2016年5月24日 (火)

九州北部豪雨からもうすぐ4年

昨年の7月10日の熊日には、
蒲島郁夫知事が、2012年7月12日の九州北部豪雨災害から
3年を迎えるにあたっての記者会見の記事があった。
「引き続き創造的復興を進め、熊本の発展と安全・安心の向上に
つなげていく」と述べている。
「豪雨災害を教訓にした日没前の予防的避難や、
土砂災害危険区域からの移転者支援事業など県独自の
防災施策も挙げ」ている。
蒲島知事は、説明責任を果たすことについては、
きちんとしている。
熊本地震についても折りに触れ、被災地の復旧・復興状況を
説明することだろう。

熊本県廃棄物処理計画(第4期:平成28~32年度)が動き出したばかりだが、そこには災害廃棄物の処理に関する事項がある。
リンク  

こんなに早く、この計画が役に立つことになろうとは。
しかし、作っていてよかったと思う。


2016年5月23日 (月)

オリンピック

昨年の7月6日の熊日に評論家の玉木正之さんが書いていた。
「日常の労働から離れる遊びの時空間」が、
スポーツという言葉の本義なので、
「チェスやブリッジ、囲碁、将棋、マージャンなど『盤上遊戯』
と呼ばれる競技も、もちろん立派なスポーツの一種といえる。
そのうえ近代オリンピックでは、かつては『芸術競技』も
正式競技として存在し、建築設計、彫刻、油絵、水彩画、
文学、詩歌、作曲、音楽演奏などもスポーツの一種として
金銀銅のメダルが授与されていた」ということである。

だから、何にでもオリンピックと付けたがる
日本語のセンスのなさは、実は間違っていなかったのだ。
ただ、オリンピック=選手権という程度の理解だと思うが。

昨年の今頃は、新国立競技場の工事予算が大幅に膨むことが判明、
しかしザハ案で計画続行となっていた時期だった。
何があるか本当にわかりませんね。
ザハ・ハディッドの作品は安倍首相の一言で撤回された。
ということだったと思う。
その上、ハディッドさんは死んでしまうし。
熊本が大地震に襲われるし。
いま思い出したけど、本震の震度6に揺られながら、
これは現実かと何度も思ったものだ。
このまま沈没してしまうかと。


2016年5月22日 (日)

合志中学校体育大会

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朝の群山。

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全国的に組体操が問題視されているが、
やるかやらないかは、その学校が決めること。
45年前、やるまでは不安だったが、
やってみたら、結構達成感があって気持ちよかったことを覚えている。
100m走やリレーを見ながら、
足の速かった長男のことを思い出していた。


2016年5月21日 (土)

お墓参り

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地震後、初めてのお墓参り。
倒れている墓石もありましたが、
うちは大丈夫でした。
よかった。

2016年5月20日 (金)

西合志図書館

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文藝春秋6月号に鎌田浩毅京都大教授が
「『西日本大震災』に備えよ」を書いている。
「熊本地震は今後も予想される大地震の一つにすぎない。
事態の推移を注視しつつ臨機応変に対応するしか手がないのは、
専門家も素人も全く同じである。
地球科学者だからこそ言いたいのだが、
地震や火山について我々が知っていることは、
自然現象のごく一部にしか過ぎない」

自然は人間の都合で動いてはくれない。

西合志図書館が今日から再開したので行ってきた。
図書館は開いてることが当たり前だと思っていた。
それが震災で1カ月も閉まったままだと、
最初は不満だったのが、それが当たり前になってきていた。
やばい。図書館ってその程度の存在感だったのか。
ま、いずれ再開するとわかっていたからか。

あと、この本を読んだ。新潟県中越地震の記録だ。
災害関係の資料はたくさんあったが、
いざ被災した後に読んで何かの役に立つだろうかというのが、
手に取った理由。

『「震度7」を生き抜く』田村康二著 祥伝社新書刊

2016年5月19日 (木)

夜間飛行

なんか久しぶりに夜間ヘリコプターの音を聞いている。
地震発生以来、毎晩この音を聞かない日はなかった。
鳥の声も姿も何日も見かけなかったが、
いつの間にか戻ってきていた。

2016年5月18日 (水)

戦争は嫌だ

去年の7月の新聞を今頃整理しているので、
安全保障法制の記事がよく出てくる。
熊日の読者ひろばでも賛否両方を取り上げてある。
公平な立場である。
安倍首相を信用するという立場の60代男性。
「戦争が悲惨なのは誰でも分かるし絶対反対である」
しかし現実には「イスラム国」や世界情勢から、
日本も(武力による)協力をすべきだという意見。
戦争に絶対反対なら、いかなる理由の武力行使にも
絶対反対しなければいけないのと違うでしょうか。
もちろん、「イスラム国」に対する攻撃は戦争ではない。
そういう考えもあるにはあるのだが。

また50代男性。
「戦争は嫌だ。そんなことは世界の誰もが思っている」
しかし有史以来、戦争は途切れたことがない。
だから、これからもなくならない。
身を守る方法は平和を唱えることではなく、
武力行使ができる備えだ(とまでは書いてないが)。

世論とはそういうものだ。
それに対抗していかなくてはならないが、
戦争はこちらが一方的に被害者になることはない。
同時に加害者でもあるということを
皆さん、わかっているのでしょうか。


2016年5月17日 (火)

抑止力

2度めの激震は合志市で震度6強だったが、
就寝中だったので、半分は夢の中みたいなものだった。
ゴジラがずっと向うから走ってきた感じ。
空襲、空爆とはこういうものなのかと思った。
木造の2階寝室にいたので、相当ガブられた(揺すぶられた)。
戦争とはこういうものなのだ。
だから、戦争はいやだ。
だから、そうならないために抑止力のために
武力の行使が必要なのだという理屈が通るか。
天災のようにわが身わが国だけが被害者ならば、
そういう論理も成り立つだろう。
しかし、戦争は相手があることで、相手の国民に対して、
大地震のような恐怖と損害を与えることである。
災害に対する備えと抑止力を混同してはいけない。


2016年5月16日 (月)

ゆとりだつ

日本テレビ系「ゆとりですがなにか」は、
日曜の午後10時半という時間帯に、
あんまり明るい気持ちで月曜日を迎える気持ちになれない、
そういうドラマだ。
最初、宮藤官九郎の脚本だと知らなくて、
そうだとわかったら、やっぱり「らしいや」と思うと同時に
少し雰囲気変わったかなとも思った。
当たり前だ。
いつまでも同じようなのが通るわけがない。

さて、馳浩文文部科学大臣が、
「脱ゆとり教育宣言」を出すということで話題になっている。
ドラマは、何かにつけ否定的に語られるゆとり世代の
ひたむきさがアクティブ・ランニング(ラーニングではない)
なドラマである。
クドカンは、ゆとり世代への風評被害と
教育行政の風見鶏な姿勢に対して、静かな批評を繰り出している。

2016年5月15日 (日)

ボランティア

長男が被災した御船町のボランティア活動に
最初から関わっている。
TV等で報道されたように、連休が終わって
ボランティアの数が減っているらしい。
どういう仕事をしているか、息子と話もしていないので、
まったく分からないが、災害からの復興をどこまで
ボランティアに頼るべきかという問題があると思う。

今日午前中、私は参議院選挙に立候補予定の
あべ広美さんの後援会事務所開きに参加した。
あべ広美さんをたくさんの人に知ってもらって、
彼女を国会に送るための私たちの活動はボランティアである。
災害現場に入るのとどちらが優先かといえば、
私にとってはあべ広美さんの応援が切羽詰っている。
本来は災害からの復興と同時になすべきことかもしれない。
そういう時間の使い方と労力があるのかもしれない。
ボランティアに打ち込める長男の若さがうらやましいが、
自助共助だけではなく、公助の範囲も明らかにされるべきだ。

2016年5月14日 (土)

災害後の議会がなすべきこと

全員協議会の案内と一緒に、
6月定例会の日程や一般質問をどうするのか協議したい旨、
議会事務局長名で文書があった。
熊本市議会が、6月定例会会期1日という前例を作ったこともあるが、
被害の状況も違っている合志市議会はどう対応すべきか。
ここは議会としての実力が問われるところだと思う。
これを読んでいる市民のみなさんはどうお考えになりますか。

通常業務に加えて災害復旧関連の事務作業中の職員に
議会対応まで求めるのは過重な負担ではないかという考えもある。
しかし、どんな非常時にも議会としてなすべきことはある。
行政と議会が車の両輪ならば、
復興に対して同じ推進力となるべきである。
市民の声をすくい上げつつ、合志市がさらに良い方向へ
進むことができるように、委員会などで大いに議論すべきではないか。
余震等にまだ注意しなければならない状況なので、
これから起きる可能性のある災害に対しての備えも
怠ることはできない。

一般質問はこういう場合、危急ではないと言えるか。
被災からの復興は、まちづくりの見直しも含む。
すっかり変える必要はなくても、
震災前にそのまま戻っていいのか、それとも調整が要るのか。
そういう議論は時を待たない。

少なくとも、こういうときに議会はどうあるべきか。
どういう活動が求められるのか。
その議論は議会でやらなければならないと思う。

2016年5月13日 (金)

煉瓦

保護司会の総会があったので、泗水総合支所まで行った。
帰りに何気なく目をやると、レンガの煙突が、
遠目にも崩れているのが見えたので行ってみた。
今は高齢者の福祉施設になっているが、
その前は温泉、ずっと前は泗水舎という紡績工場だった。
昨日書いたことと矛盾しているが、
撮影しておかなくては「もったいない」と思った。

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こういう歴史的建造物を今後どうするか、
復元できるのか。
民間の所有なので、なかなか難しいところだろう。
史跡は保存すべきだという考え方の私だが、
この地震を経験して、消え去るものがあることも
仕方がないことかもしれないと思うようになった。

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2016年5月12日 (木)

非日常が日常

用事があって、熊本市の南高江方面に行った。
ついつい行き帰りの車中から、道路沿いの被災状況を見てしまう。
被害状況の分析とどこが違うのか。
やっぱり物珍しさから見ておこうという気持ちに近い。
自然な感情とはいえ、他人事と感じていないか。
下手すると、話のタネにと頭のどこかでは考えている。

ただ、その話のタネから防災が芽を出すかもしれないので
一概に良くないとは言えないのだが。
少々後ろめたい気持ちでハンドルを切って産業道路に入った。

ところで、行きの北バイパスの信号待ちで、
鹿児島ナンバーのタクシーの後ろについた。
先日テレビ番組で、鹿児島から北海道北端までタクシーに乗ったら、
料金は100万円を超えるかという実験をやっていた。
答えは、超えないだったのだが、
まさかその類ではないだろう、
地震に関係したお客さんなのかなと思った。

それで帰りに同じ北バイパスで、バックミラーに
料金メーターの前に「被害調査」という札をつけた車が見えた。
ハイヤーである。同じタクシー会社の別の車だった。
なるほど、鹿児島県、あるいは九州地方整備局の支局から、
出張って来ているのかもしれない。
お客さんは疲れて寝ているようだ。
被災現場をタクシーで回っているのか。
それなら、熊本のハイヤーの方が土地勘がありそうなものだが、
いまはカーナビがあるから関係ないのかもしれない。

そういうちょっとだけ非日常なことが日常なのが、
今の熊本です。
 

2016年5月11日 (水)

情報公開の在り方

今日の熊日夕刊の「政流考」というコラムに
共同通信編集委員の川上高志さんが書いていた。
国の情報公開の在り方について考えさせられると。

「情報は誰のものか。公文書管理法は国の文書を
『健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源』と明記、
『主権者である国民が主体的に利用し得るもの』としている。
まっとうな文言だが、その精神はどこに生きているのか」
と結ばれている。

わが国の官僚は、情報は権力を持つ者の物、
つまり権力をより自由に行使するために独占すべきもの
という考え方で長らく仕事をしてきたので(おそらく)、
公開しないことが前提のシステムとなっている。
それはミスを隠すとかよりももっと根源的な、
過去は反省しないという姿勢があるのではないか。
そこらへんが、現政権と非常に相性がいい。
安倍首相たちがこだわる歴史って何なのだろう。
当然そういう素朴な疑問がわくと思う。

前にも書いたが、大阪府知事時代の橋下徹氏には功績もあった。
徹底した情報公開にこだわったことだ。
その成果について具体的に調べたわけではないが、
ポーズだったとしても、真似のできない領域にあった。

国会議員や地方自治体の議会、首長が
情報公開を当然のものと考えていれば、
住民、つまり国民の暮らしも少しずつでも良くなるだろう。
そういう方向に政治が向かうことは必然なのだ。

2016年5月10日 (火)

総合的な子育て支援とは

昨年6月24日の熊日「県政記者席」に、
県議会一般質問のことが載っていた。
質問者は民主・県民クラブの濱田大造議員。
子どもの医療費への公費助成制度を取り上げ、
「市町村間で格差が広がっており親からすれば不公平。
県から市町村への補助も拡充すべきだ」と訴えたのだが、
それに対する豊田祐一県健康福祉部長の答弁がすごい。
「助成は各市町村の政策判断。
県が補助を拡充しても市町村の財政負担の肩代わりにしかならず、
子育て支援はもっと総合的にすべきだ」

ここには二つの視点がある。
一つは、子ども医療費への公費助成の意義。
もう一つは、県の補助拡充が
市町村の財政負担の肩代わりにしかならないとの見方。
勝手にやってるのに県が補助する必然性はないということ。
これは記事の書き方に左右されるところだと思うが、
総合的な子育て支援とは何か、
子ども医療費補助は、子育て支援の優先度が低いのか、
そのあたりに考え方の相違がある。

3月の熊本県知事選挙で、蒲島知事と他の候補者の主張が
はっきり違っていたところなのだが、
誰も深刻な課題だとは考えなかった模様。
市町村が優先課題にしているので、
県は特別頑張らなくても、実勢に影響ないということ。
ふとそういうことを思い出した。

2016年5月 9日 (月)

復興の加速化について

震災からの復興は急ぐべきだと言われる。
しかし、元の状態にそのまま戻すことが本当に求められるのか。
元より良い状態を目指すから「復旧」ではなく「復興」だと言われても、
いずれにせよ、まったく元の状態に戻すことは不可能に近い。
少子高齢化や過疎など既にあった減衰状況を計算に入れずに、
復興の加速化を考えることは現実的ではない。

何百年もかかって築き上げてきたものだから、
少なくとも、百年スパンで考えるべきだと思う。
ライフラインや最低限の居住環境は、
いま現に生きている国民のために用意されなければならないが、
たとえば熊本城などどうだろう。
熊本のシンボルとして、復興のシンボルとして、
早く元の勇姿を望みたい人は多いと思うが、
私はそれこそ、ぼちぼちでいいのではないかと思う。
ガウディの建築ではないが、ひょっとしたら、
百年スパンでは求められるのもが変わる可能性もある。
それほど人の営みは虚しいものなのだ。

天災で手ひどい目に遭いながらも、
自然と折り合いをつけながら、何とか築き上げてきたのが、
日本の文化である。
蒲島熊本県知事は森山農水大臣に「農林水産業の復旧」を求めたとのこと。
しかし、復興は熊本県がこれからの農業をどうするのか、である。
農業を基幹産業と考えるのであれば、
その方向性をもう一度しっかり確認すべきだ。

新しい熊本は「がんばろう」という抽象的な掛け声からは生まれない。
そのことを私たちは自覚すべきだ。
もちろん個人的な生活の立て直しについては、
以前の仕事を続けることができるのかという
深刻な問題を抱える場合も多いだろう。
その対応がいちばん大切なことだと思う。


2016年5月 8日 (日)

勝てない理由

平成27年度の交通政策白書をネットで開いた。
第Ⅱ部地方創生を支える地域公共交通の再構築に
国の取組状況と今後の課題を読んで、
そんなことわかりきっているということばかりなのに、
どうすることも出来ないのだ。

そこで、まず原点に立ち返ってみた。
バスでの移動が花形だった時代があった。
ではなぜ、車社会になったのか。
バスや自転車、バイクなどでの移動が不便だったから。
また自家用車が所有すべき目標、豊かさの象徴になった。
車が量産されることで経済は成長した。
経済が成長するということは、給料も上がるということ。
自家用車が買えるようになる。
持ち家と同じように車のオーナーになることを
夢見させる装置が働き始めた。

自家用車は使い始めれば便利この上ない。コンビニと同じ。
公共交通機関には戻れない。
車での買い物が普通になれば、店舗も郊外型になっていく。
ますます車が手放せなくなる。

よって公共交通機関が車利用に勝てるわけがない。
自分か、他の誰かが運転できる限りは。


2016年5月 6日 (金)

サラメシ

朝ドラの後に、そのままNHK総合にしてたら、
「サラメシ」の再放送が始まった。
4月から、放送時間帯が変わったので、久しぶり。
何度も書くが、私は自分が食べるものにあまり興味がない。
食べられればいいという最低な男である。

でも、テレビなどで食べ物が出てくると、
他の興味がある分野と同様に心が動かされる。
それはなぜかと軽く考えたら、
食べ物というよりも、それを前にした人のストーリーに
興味があるのだった。

で、「サラメシ」の何が好きなのかと思ったら、
結局その昼飯を食ってる人が、どういう仕事をしているか、
そこに興味があるのだった。
おそらく番組制作者の思いもそうなのだろう。
そういうふうに誘導されていくように出来ている。
特別の仕事でなくてもいい。
でも、それはどれ一つをとっても、世の中に無くてはならない
仕事なのだ。

そしてほぼ毎回最後に配された、あの人の昼食。
こちらは故人となった、各界の著名人たちが愛した、
いやとにかく大好きでしょっちゅう食っていたというお昼である。

何となく、食通っぽく思えるメニューが出てくるが、
私たちもこの時ばかりは、少し特別な料理のような気がする。
もうあの人たちは、大好物を味わうことはできないのだ。
それだけで特別なことである。

しかし、それを作ってくれる料理人(いろんな呼び方がある)は
元気に毎日仕事をやっているわけだ。
毎日いまを生きて飯を食ってる私たちも同じである。
その一点で、彼らと同じく私たちも故人を偲ぶ。
それは実に宗教的な、心が安らぐ時間なんだな。


2016年5月 5日 (木)

「緊急事態条項」を徹底討論する

「緊急事態条項」を徹底討論する
磯崎陽輔・自民党憲法改正推進本部副本部長
VS 木村草太・首都大学東京教授

WEBRONZAの記事。明日まで無料で全部が読めます。
わかりやすいですが、長いです。
リンク  


2016年5月 3日 (火)

惨状を目の当たりにして

5月6日付全国農業新聞が届いた。
熊本地震関係の記事が多い。
コラム「深層」では、政府対応のことが書かれているが、
その中にこういう箇所がある。

「激甚災害の指定に手間取ったのは、災害査定という手続きが
のし掛かっていたためか。しかし23日、現地視察した安倍首相は
惨状を目の当たりにして動かされたのだろう。
翌日の地震非常災害対策本部会議でその週内での指定を、
あわせて通常国会会期中、5月末までの補正予算編成を指示した」

激甚災害の指定に査定が必要なことは承知している。
しかし、ここで書かれるように現地視察で
惨状を目の当たりにしたことで初めて事の重大さに気づいた、と
その通りだとしたら、TV等の報道を眺めながらも、
何一つ心を動かされなかったということではないか。

東京にいて、東日本大震災を経験した日本人の一人として、
いくら何でも、あまりに他人事すぎやしないか。
それも一国の総理大臣である。

この件について、本人は事務的なことしか述べていないので、
すべては憶測でしかないが、だからこそ、
熊本入りした安倍首相がそこで、こりゃ大変だと感じたなどと
そういう首相を庇うような書き方は、かえって、
それまでの無関心を際立たせると思う。

東日本大震災のときの民主党政権や、
阪神淡路大震災のときの自社さ連立政権の対応と
単純に比較することはできないとは思うものの、
やはり熊本地震は、大震災と呼ばれないだけあって、
国の対応の冷静さが特に感じられた。
熊本にいて被災したからそう思うのだろうか。

2016年5月 2日 (月)

物理学戦争

昨日の熊日読書欄で、宇宙物理学者の池内了さんが、
バリー・パーカー著『戦争の物理学』(白揚社刊)について
書いている。

帯には「戦争が、科学技術を進化させた」とあるのに対し、
「本書で著者は『物理学が戦争の技術に大きな貢献をした』
と述べている」とその関係性が逆になっていると指摘している。
どちらも別の側面から見ているということで、
間違っているわけではないのだが。

そこで、ふと思い出した記事が、昨年6月7日の同じく熊日読書欄。
ジム・バゴット著『原子爆弾 1938~1950年』(作品社刊)の
書評である。と思ったら、こちらも池内了さんが書いていた。

「著者の新たな視点とは、核開発過程を、主にドイツと米国の
『史上初の物理学戦争』と見立てたこと。
物理学者たちがなぜ世界で最もむごたらしい兵器をためらいもなく
開発しようとしたのかと問い掛け、追求している。
その解答は、ドイツの物理学者ハイゼンベルクが述べた
『物理学のために戦争を利用しなければならない』という
意識であったように思われる」

また実に興味深いのが次の一文である。
「最大の疑問は、第2次世界大戦が始まるまで世界の各物理学を
リードしていたドイツがなぜ核爆弾を造ろうとせず、
原子炉の製作も中途半端なままに終わったのかというものだろう」
 

2016年5月 1日 (日)

去年のニュース

昨年の6月6日の熊日。
2016年に日本で開く主要国首脳会議(サミット)の開催地が
三重県志摩市に決まったニュースがあった。

三重県には伊勢神宮がある。
首相は「日本の精神性に触れていただくには大変良い場所だ」
と語り、日本の伝統や文化を発信できる点を評価した。(以上引用)

同日の記事で、化学及血清療法研究所(化血研、熊本市)が
国の承認書と異なる方法で血液製剤を製造していたことを
厚生労働省に報告、出荷を自粛したと発表したことも。

熊本地震も来年には、去年のニュースになっているだろう。
いつも思っているが、自分が来年まで生きているかどうか、
その事自体にあまり自信が持てない。

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