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2014年8月17日 (日)

もう一人 国産紅茶の偉人

本紙の「くまもと美麗世代」に、
国産紅茶のルーツ熊本からという特集があ
り、
山鹿市の中川正平の人物伝が載っていた。しかし同時に、
紅茶に関して
熊本にはもう一人忘れてはならない人物がいる。

それは合志市出身の可徳乾
三(かとくけんぞう)である。
明治31年設立の肥後製茶合資会社の項に中
川と共に名前があったが、
乾三は山鹿茶業講習所、人吉の勧業寮製茶伝習所
で技術を習得後、
腕を磨きながら、明治12年には「不知火社」を創立、実
業家となった。

その後も、各地で後進の指導に当たりながら、
中国の茶業を調査研究、自
ら考案した「袋踏法」という製造法は、
全国の紅茶製造業者に採用されたと
伝えられている。
またシベリアやモンゴルにまで販路を開拓、セイロン茶に
対抗、
市場拡大に尽力したようだ。

そのスケールの大きさは、まさにグロー
バルな偉人である。
順調な発展は、日露戦争により道半ばで挫折したが、
湾で技師を務め、亡くなるまで紅茶等の製造販売に従事した。

時代に翻弄されながらも、
世界を相手に国内の殖産と輸出に力を注いだ人
物に学ぶ意義は
今も大きいと思う。

Then and Now : 平成26年5月16日。熊日読者のひろばに応募するも
不採用。ほとんどが孫引きの記述なので致し方ない。
可徳乾三については以前も書いているので、不採用の記録とする。


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