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読みたい本だな

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2014年7月 6日 (日)

読書で世界の共有を

4月6日の熊日に、
2月28日、東京・新宿の紀伊国屋ホールサザンシアターで行われた
「東京国際文芸フェスティバル」を紹介する記事があった。
今年第2回目の本のお祭りだそうだ。

ちょうど、都内の図書館で「アンネの日記」や関連図書が
大量に破損された事件が注目された時期の開催。

漫画家のヤマザキマリさんと作家の島田雅彦さんの座談では、
政治と文学との関係が議題に上がったとのこと。
一部引用する。

島田さんは「かつての保守本流の政治家は教養人だった。
愛読書に大衆作家の名を挙げるようになり、
政治家の教養レベルが下がった」。
ヤマザキさんは「(その傾向が進めば)漫画が政治に影響を
与えるようになるのは確実。漫画が教養じゃないわけではないが、
全てを担うことはできない」と危ぶんだ。

古典を読み込み、学ぶことは必要であると思うが、
やっぱり学生のときにやっておくべきことである。
個人的に非常に悔やまれる。
だが、古典を研究した人が新しく本を著すときに、
当然その古典が下敷きになっているであろうから、
現実を把握し、現状を乗り切るために
古典まで遡らなくても許される方便なのではないか。

あ、そういう意味ではないか。
思考を形成する根本に教養がないことが問題であると。

漫画でも文学でも、その表面的な理解で
物事を判断して、自分の思想としてしまう浅はかな人はいるものだ。
教養とは、皮と身の間の最も養分の濃いところを
理解して自分のものとすることであると私は思う。

もう一つ引用。
米作家ジュノ・ディアスさんのことば。

「読書は書き手と読み手のコミュニケーション。
読書は受け身ではなく、自ら参加している。
読む時はひとりでも、
世界を共有することができるのです」

特に目新しい視点ではないが、改めて共有したい。



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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「教養」と「古典」という言葉に目がとまって、最近思ってたことにひっかかったので。
気に染まないのですが読売を、持ってくる発泡酒に負けて購読しています。書評欄とは別の扱いで2日連続で、松浦寿輝という人の著作「明治の表象空間」についての、本人とのインタビューを中心とした記事がありました。
ブログ主の記述と引用の中に「政治家」と「漫画」という言葉があり、麻生さんとゴルゴ13? と想像いたしました(笑)。 (漢字は得意でないし自分を過剰に演じている姿勢がどうしても好きになれませんが、最近、法人税減税への穴埋め財源についての姿勢は案外…(安倍さんほど傲慢ではないし)…と思わせられています)。
元に戻ると、この本新潮社から出ていて5,000円もするのですよ。読んでみたいとは思ったのですが、大枚払ったはいいけど自分に理解できるかなと、躊躇しています。文庫本だって1,000円前後だしおもしろそうな本は2,000円といういのもザラですから、この本、多分安いのだとは思います。

どこがが面白そうだと思ったかは色々ありますが、一つだけ上げると「原文一致の功罪」があります。話し言葉(口語体)で内面や風景の描写が可能になった、→私たちは感情をココロのおもむくままに文章にできるようになった(これは引用ではなく私の理解です)と思ってばかりいて、それ以前にない表現のツールをもつようになって、好きなひとに思いのたけもぶつけられるし、ブログだって論文だって書ける、って。

以下が略していますが、ほんの一部の引用です。
「…結局浅薄な内面の告白にすぎないのではないか。」「…夏目漱石、森鴎外が近代の不動のカノン(聖典)になってしまった。両人は漢文脈の教養を持ちながら、いち早く口語体を選び取り、深い内容を盛って見せた。それで同時代の尊敬を集めたからだろう」…等々。
(うっ、痛い! と思いませんか)
これだけでも、この人何言ってんだろう? って気になりなりますよね? その他にも、名前は聞いたことあっても、ンーん、むかしのひと? としか知識の無い文学者・文筆家・ジャーナリストの、事績と言うか行動・著作、とその意味が取り上げてあるようです。

ほんの軽めにですが、昔の誰からだれへの手紙なんて、毛筆で書かれたものは意味がわからない前にまず読めない、これはいいのかなと思っています。
これも軽めに思っていることですが、カートボネガットとかブローティガン、ハルキもいいけど、井上毅・兆民・透谷も知ってていいのではと思いました(名前は全て記事から引っ張った受け売りです)。

市議会議員のブログになってから、いつまでもクンタキンヤと記述するのもどうかと思いながら、過去ログとの兼ね合いもあって、何となく花押みたいになっていたクンタキンヤ。
ま、それはそうと、私も、古典とまでは言えないかもしれませんが、同郷の人として、徳富蘇峰ぐらいは読まなくちゃとは思います(でも著作が膨大です)。
しかし、残された時間はともかく、いま目の前にある地方自治的な課題を理解し、前向きな提言、活動をしていくことが先なのであります。
TVドラマを見る時間があったら、本を読め!とは思いますが、まあ、気分転換も必要なのでね。

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