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読みたい本だな

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2014年6月の23件の記事

2014年6月30日 (月)

社会を明るくする運動はじまる

社会を明るくする運動が明日から、全国的に始まる。
今日は、合志市の保護司会で、幟旗などを設置しました。

20140630

そのあと、
市内小中学校に作文コンクールの告知と
協力お願いに手分けして回りました。

そのとき、小中学生のSNS利用問題の話が出ました。
コンビニでは、Wi‐Fiが無料で使えるので、
そこが子どもたちのゲーム等の溜り場になりやすいと。
確認は取っていませんが、
携帯やスマートフォンのフィルタリングから外れるので、
かなり危険だということでした。
私が利用するファミリーマートでは、
登録制と1回の使用が20分と、あり得ない制限が・・・
と思っていたら、青少年健全育成にはバリアが必要ということか。
だから国も、公共施設において、
災害時とかに限定してフリーにするという方針なのかな。
日本のデータ通信環境が遅れていると言われる所以だが、
こういうのをトレードオフと呼んでもよいのでしょうか。






2014年6月29日 (日)

キッチンから世界を見る

料理研究家の小林カツ代さんが、1月に亡くなられて、
その追悼記事が、3月31日の熊日に載っていた。

「物価や国際紛争、環境、教育…。
『キッチンにいると、世界が見える』とよく言っていました」
長年助手を務めた料理研究家の加藤和子さん(72)がそう言ったと、
記事にあった。

私は、食育という教育的なニュアンスのある言葉が、
好きではないのだが、その中身には共感するところが多い。
一般質問でも取り上げたことがある。

キッチンにいても、そう意識しなければ見えてこない。
だから、食から始める歴史や地理などへの広がりを
教育的配慮に期待したい。





2014年6月26日 (木)

(地方自治においての)政治家

地方公共団体において、
議会議員は、住民によって選ばれた政治家であると思う。
それに対して、首長は住民によって雇われた
行政のトップである。
というのは、私の個人的な定義づけだ。

もちろん、首長は単なる行政を預かる責任者というだけではなく、
ある意味、行政の慣習や束縛から離れ、自由な発想で、
新たな自治の方向性を示すということもあろう。
そのときは、政治家の部分と言うべきかもしれない。
だが、地方自治で取り行う政治は、
大まかに言って、国の上位法を離れて成り立たない。

だから、首長は政治家的センスを持ちながら、
あくまで行政のトップとしての責任を果たすことが務めである。
いずれにせよ、自治体の職員を自分の手足、
あるいは目や耳として使いこなして初めて仕事になるのであるから、
議員ほど自由な振る舞いや物言いができるわけではない。

政治学を正式に学んだことはないので、
それらは、あくまで私の感じたままの意見である。





2014年6月25日 (水)

テキスト:賛成討論

本日の合志市議会定例会における私の討論を
テキストで採録します。

 ・・・・ ・・・・ ・・・・


議席番号5番 上田欣也でございます。

議員提出議案第4号「国会での審議を経ず
集団的自衛権に関する憲法解釈の変更に反対する意見書」
の提出について、賛成の立場から、討論を行います。

私は、このたび地方議会議員として、
立憲主義に立脚するこの意見書の提出に賛同する機会に恵まれたことを、
たいへん誇らしく思います。

私には二人の息子がおりますが、
二人が幼いとき、息子たちに私はこう言ったことがあります。
お前たちが大人になるころ、
父さんはもう戦争に行くことはないと思うが、
お前たちは行かなくてはならなくなるかもしれない。
何とか、そうならないように父さんも頑張るけれど、
そうなったら済まない。

当時は、何のことだか分らなかったと思いますが、
その息子たちも、いまや25歳と22歳です。
自分たちのこととして考えるべき年齢となりました。

確かに、集団的自衛権の行使容認が、
そのまま戦争に参加することは意味しないかもしれません。
しかし、だからこそ、拙速を慎み、国や国民を守るということ、
またたとえ、自衛のためとはいえ、
武器を使うということは、相手を殺傷すること、
またお互いに血を流すことであることを
国民的理解のものとしなければなりません。

安倍首相の言う、抑止力のための集団的自衛権という表現は、
まさに矛と楯、「矛盾」そのものです。
仮に他国から仕掛けられる侵害であろうとも、
私たちは一度立ち止まらなくてはなりません。
それこそが抑止力ではありませんか。

集団的自衛権を行使することを前提にした具体例は
挙げれば切りがありません。
逆に絞り込むことの無意味さならば、
想定内か想定外かという判断の難しさを、
私たちは東日本大震災で経験したばかりです。

集団的自衛権の行使が現実に必要と考えるのであれば、
いま一度憲法に立ち返り、
姑息な解釈の変更を閣議で行うことではなく、
力による一時的な安定か、
あるいは恒久平和か、いずれを選択するのか、
国民的議論と国会による審議に、はかるべきことではないでしょうか。

以上、私の賛成討論といたします。
みなさまのご賛同をよろしくお願いいたします。

 ・・・・ ・・・・ ・・・・

採決の結果、賛成少数で意見書の提出は見送られました。
しかし、申し訳ないながら、私は清々しい思いでいます。
そして、これから、事態の推移を見守るのではなく、
立憲主義の立場での積極的平和主義のもと、
市民の理解を得るべく、議論を喚起することが、
地方議会議員としての役割であるという思いを強くしたところです。








 

2014年6月24日 (火)

賛成討論について

明日の本会議で、
議員提出議案「国会での審議を経ず集団的自衛権に関する
憲法解釈の変更に反対する意見書」の提出について、
賛成の立場から、討論を行います。

うかつだったが、議案名の日本語が少しわかりづらい。

どういう切り口で行くか、気が散るばかりでまとまらない。


2014年6月22日 (日)

竹迫観音祭に向けて

昨夜、雨の午後7時といっても、
まだ明るさが残っていたが、竹迫上庄公民館に
テレビタ特派員の取材に行った。
竹迫観音祭に出る子どもたちの笛の練習である。


2014年6月20日 (金)

党首討論

6月12日の朝日新聞に、
集団的自衛権についての党首討論について、
「傍聴席から見た党首討論」として、
深澤真紀さんと、宇野常寛さんの意見が載っている。
両方とも全文を読んでもらった方が面白いのであるが、
特に宇野さんの文章に目を引くところがあった。

海江田代表が語るべきは『安倍首相のプランでは
逆に日本の安全保障は危機に陥る。
わが党の安全保障ならばもっとことを
平和裏に進められる』という主張ではないでしょうか」

これはあくまで、党首討論についてである。

「どうも自分たちはリベラルだという自意識をもって
生きている人の多くが『自民党の宣伝戦略は
感情に訴えるものが主で、自分たちの戦略は
理知的であるがゆえに脆弱だ』と考えているように思えます。
実のところ逆ではないでしょうか」

「自民党は感情に訴えかける言葉と、具体案による理知的な
言葉を器用に使い分けている」と続くのだが、
具体案による理知的な言葉かどうかは別にして、
そう言われれば、確かに実に手慣れたものだ。
あくまで、これは党首討論における双方のことを言っているのだが、
リベラル側が「保守勢力は強権的で恐ろしい」という
印象操作で済むと思っているという指摘は、
胸に突き刺さるものがある。

そんなことを言ったって、
もともと興味のない人たちの注意を喚起することは
至難の業であるという現実を認めよ、
ということなのだ。

安倍首相は稚拙ながら具体論を語る。
それに対して、解釈改憲をめぐる手続き論や形式論で
対抗することは、主張は正しくても
戦術的に、まったく効果的ではない。
勉強になりました。






2014年6月19日 (木)

出番終了

一般質問、終わりました。
テープ起こしが上がってくれば、
十分内容の反省ができると思います。

私の質問は自分で答えまで言ってしまっていると、
よく言われます。
執行部から答えを引き出して初めて、質問であると。
こんなことなら、学生のとき教職課程を取って、
教育実習までやっておけばよかった。
政治家を志す若いみなさん。
そういうものですよ。

来週になれば、インターネット中継も
録画で見ることができるようになるので、
ザッケローニではないが、ビデオチェックをしましょう。

自分で言うのもナンだが、
私は優しい、というか生やさしいのだと思う。
あんまり言うと、答弁する人が可哀想に思えてくるのだ。
もちろん、とどめを刺さないのもテクニックではあるが、
そこまで計算しているわけでなない。

なんて、ひとりごちていないで、
また新たな一歩を踏み出すことにします。


2014年6月18日 (水)

親愛なる読者のみなさまへ

本日は、明日の一般質問に向けての準備のため、
ブログ晴れ永遠の更新を休みます。悪しからず。




2014年6月17日 (火)

レット・イット・ビー

いよいよ、この定例会の一般質問が明日から始まる。
私は19日木曜日の午後一番の予定だ。
なのに、今頃その原稿を書いている。

という付け焼刃みたいな対処で、いつも思い出すのは、
比べるべくもないが、ザ・ビートルズのゲットバック・セッションのこと。
レコードとしては『レット・イット・ビー』として、
映画の近似サウンドトラック盤として発表された。
映画は、制作風景のドキュメンタリーで、
曲も歌詞もアレンジもまだ固まっていない状態から、
もめたりしながらも、少しずつ出来上がっていく様子が描かれる。
ファンとしてショックなのは、メンバーがもはや仲良し4人組ではないことを、
少なからず隠そうとしていないことである。

ジョンは、監督のマイケル・リンゼイ・ホッグのことを
ポール贔屓だと語っていたような。
ポールは調子がいいから、誰でもあのペースに引き込まれるのだろう。

それはそうと、誰かが書いていたことだが、
リハーサルのビートルズの演奏はボロボロで、
これでホンマに大丈夫かいなと思っていたが、
最後のルーフトップでの演奏で、見事に決まっているのを見て、
ビートルズというのは、ライヴでの一発ノリのバンドなんだなと
しみじみ語っていた。
というか、あのときの4人の姿がもはや神々しかったので、
実際は荒削りのサウンドなんだけれど、
完成しているように感じられたのだと思うけれど。

一般質問のことを考えるよりも、
ビートルズのことを考えていた方が楽しいので、
つい脱線してしまった。

今回は、

1.まちづくり班が担う役割とは何か。
2.空き家条例の検討のその後と空き家活用策について。
3.菊池恵楓園将来構想、その具体化について。
4.市長の所信表明における、
  公共交通機関のまちづくりにおける役割について。

以上の4点について質問します。



2014年6月16日 (月)

アメリカ


ファースト・エイド・キットという女性二人のユニットが、
サイモンとガーファンクルの「アメリカ」をカヴァーしていた。
それをポール・サイモンが会場で聞いているという、
すごい取り合わせだ。

ポール・サイモンは、アルコールを召されていたか、
感動に打ち震えてか、目が赤いし、
緊張して固まっているように見える。

松本隆さんの『風のくわるてつと』に
「終止符のばらあど」という章があり、こう始まる。

「『旅に出よう、アメリカを探すために』
ポール・サイモンは「アメリカ」という曲の一節でこう唱っている。
『グレイハウンド・バスに乗り込むとき、ぼくは言った。
サギナウからヒッチ・ハイクでまる4日、もうミシガンなんて夢みたいだ。
ぼくはアメリカを探してるんだ!」

それを読んだときから、「アメリカ」という曲は、
私にとっても特別なものになった。

また、そのバスは、もう一つの理由でまた特別である。
エルトン・ジョンの「ベイビーと僕のためのブルース」という曲が、
『ピアニストを撃つな』というアルバムに収められていて、
そこでは、駆け落ちした若い恋人たちが、
雨の中を走るグレイハウンド・バスの座席で揺られながら、
一抹の不安と共に、明日への夢を見るというドラマが描かれる。

アメリカを探すという象徴的なテーマは、
どこの国に住んでいても、自分の身に引き寄せることができる。
だから、スウェーデンの女性が歌っても違和感がない。
それどころか、作者自身に時を超えてセンセーションを与えた。

ナショナリズムをもっと自由に解き放とう。









2014年6月15日 (日)

自転車の車道通行の原則

3月26日の熊日読者のひろば、若者コーナーに、
「道路交通法は安全のルール」という熊本市の高校生(17)の投書があった。
自分も自転車通学をするM君は、
昨年12月に改正されて、特に自転車通行に対して厳しくなった
道路交通法が守られていないことを嘆く(これは比喩です)。

「道路交通法は自分が安全に移動できるとともに、
相手に危害を加えないためのルールだと考えている」

まったく正しい。

「一人一人が道路交通法の存在意義をきちんと理解し、
守り続ければ交通事故はなくなるはずだ。
自分が加害者にも被害者にもなりかねない交通事故。
互いに相手のことを意識し、思いやりのある行動をとる必要がある」

こういう物事の理屈のわかった高校生を育てるのに、
少なくとも特別の道徳の授業は必要ないと思われる。

彼は、法(ルール)としての道路交通法をよくわかっている。
最後に「互いに相手のことを意識し、
思いやりのある行動をとる必要がある」と書いている。
そこが「交通マナー」として、括られる部分である。
マナーも「守るべき事柄」として、ルールと同様に用いられることがある。
しかし、まずは「ルール」が守られなければならないのではないか。

「しんぶん赤旗日曜版」6月15日号で、
自転車活用推進研究会理事長 小林成基さんが書いている。
「自転車の歩道通行も認めた70年の道交法改正は、
自転車道などが整備されるまでの緊急避難的措置でした。
政府の怠慢で自転車道は整備されず、
歩道を自転車がわがもの顔で走る事態を招きました。
警官ですら歩道を自転車で走っています」

交通死亡事故を減らすための苦肉の策だったと思う。
しかし、時代はとっくに変わって、もっと変わるだろう。

自転車専用レーンをつくるべきだと小林さんは考える。
「それでは自動車が走りにくくなり、経済活動にも支障がでるという
意見がまずでます。
私はそれを車が中心の発想しかできない〝クルマ脳〟と呼び、
批判しています。〝クルマ脳〟が自転車を歩道に追いやり、
最も交通弱者の歩行者を妨害し、時に危険にさらしているのです」




満潮干潮

3月25日の熊日夕刊。
吉野聡さんの連載「現代型うつ」と向き合う。

「つまり、『現代型うつはサボりなのか?』という議論は、
純粋に病気かどうかの医学的な疑問というよりはむしろ、
『余暇は楽しめるが仕事には行けないこと』に対する、
社会的倫理観に基づく価値判断の問題と考えた方がよいのであろう」

学校は休まず通う所だった時代から、
無理をしてまで行ってはいけない所になった。
たとえば、風邪の症状があるときに登校して
他の子に感染させてはいけないみたいな。

「現代型うつの問題は、
このような価値判断が変遷する流れの中に生じた、
一つの『現症』と位置付けることができると思う」
と言われても、何とも釈然としない。
だからといって、明確に否定もできない。
この続きを待とう。


同日、後藤眞さんの「イキ・イキ・エイジング」。

「世界的に、老人が増え、若者が減少し、
人類全体の老齢化が、急速に進行しています。
人生は、たかだか100年単位です。
いずれ地球単位の老化に従って、
生物の生き残るチャンスは無くなりますので、
『若さ』『長生き』は、個人の趣味の問題ではなくなりつつあります。
グローバルであることと、ローカルであることは不可分なのです」

全体を読んでも、どうも苦し紛れの文章みたいに思えるが、
こうして一部分を取り出せば、含蓄がある。


2014年6月12日 (木)

至当の成行

熊日夕刊に「漱石くまもとの句」という連載があった。
俳人の坪内稔典さんが、1日1句を取り上げて、解説をするというものだ。
3月24日は、「吾折々死なんと思う朧かな」というものだった。

1911年の随筆『思い出す事など』において、
前年の大病を回想しながら、漱石は
死を眺めようとしている。

「人間を中心にしたら死は大事件だが、
大自然の側に立つと、死は『至当の成行』(なんでもない自然現象)
であり、何も悲しむことはない、と漱石は言う。
でも、そう思っても、現実の死は常に人をおびやかす。
今日の句にもおびえがある」

ほぼ全文を引用してしまった。
死はなんでもない自然現象。
その境地にいつか立てそうな気がして、
これを読んだときに、少し安らぎを覚えたのだ。
漱石のいう朧(おぼろ)とは、おびえのことなのだろうか。
漠然とした不安とも取れるし、
そんなに心配しても仕方がないと達観しているとも取れる。
いや、そう自分に納得させようとしていただけだろうか。








2014年6月11日 (水)

詩人の仕事

5月28日の毎日新聞「水説」に、
論説副委員長の中村秀明さんが、「詩人の仕事」について書いていた。

村上龍さんの『13歳のハローワーク』幻冬舎刊には、
こう書かれているそうだ。
「昔から生活していくのはほとんど無理だったが、今は特にむずかしい」
そして「個人的な表現と、職業としての詩人を目指すことは、
まったく別のことだと考えるべきである」とも。
なにせ、ハローワーク的な文章であるから。

引用の孫引きだが、
世田谷文学館で、6月29日まで開かれている「茨木のり子展」→リンク  
その会場の一角に「瞳」という詩があったそうだ。

「ぼくらの仕事は 視ている
ただ じっと 視ていることでしょう?
晩年の金子光晴がぽつりと言った

 そんな詩人がいなくなったら、世界はどうなるのだろうか。
 茨木さんは続ける。

今頃になって沁みてくるその深い意味が
視ている人は必要だ
ただ じっと視ている人

数はすくなくとも そんな瞳(め)が
あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇
でも なんて難しいのだろう 自分の眼で
ただじっと視ているということでさえ」

アメリカでは、詩人で食っていけると聞いたことがある。
そんな詩人は多くはないかもしれないが、
小説だけではなく、詩集もベストセラーになったりするのだろう。
職業詩人だけが詩人と呼ばれるべきと言うわけではない。
アメリカ人はよく本を読んで、よく詩も読む。
長きにわたるヨーロッパコンプレックスの一つだろうか。
公文書や歴史資料に対する異常なほどの保存欲も
歴史が浅いゆえという人がいた。

私が学生のとき、現役の詩人だった黒田三郎さんが、
現代詩概論だったか、そういう講座を担当されていた。
そのとき、谷川俊太郎さんのことを、詩人で飯が食える数少ない人と
言われたようなかすかな記憶がある。
それと、いつも80点の詩を書くとも。

前期後期の2回のレポート提出だったと思うが、採点は意外と辛かった。
私がつまらない内容しか書けなかったのかもしれないが。
黒田さんのNHKの放送技術研究所時代の話は、
実に無頼で詩人的だったのだが、
学生の私には、現実を見ることを教えてくれたのだった。








2014年6月10日 (火)

玉磨かざれば

Photo

合志市役所のロビーは情報の宝庫です。
ある意味、公的機関の情報ライブラリーとも言えます。
ただ、バックナンバーをこんなにそろえておかなくてもいいのではないか、
と思わないでもありません。
もちろん、これについては、市として行政情報をどうとらえているか、
また市民にどう情報開示していくかという部分もあるので、
美観や、庁舎ロビーというスペースの活用とともに、
市の姿勢が問われることでもあります。

職員が中身をしっかり読んで、
その情報を市民につなぎ、役立ててもらう。
そういう気持ちになってもらいたいものだ。



2014年6月 9日 (月)

林隆三さんのこと

林隆三さんが亡くなった。
中学生のとき、「木下恵介・人間の歌シリーズ 俄-浪華遊侠伝」
[1970(昭和45)年、TBS]の明石屋万吉役の林さんを見て、
大ファンになった。同時に藤村志保さんのファンにもなった。
ウィキペディアは、簡単な調べものとして使えば、非常に役に立つ。

翌年、NHKの「天下御免」というドラマがあったことも思い出した。
これは平賀源内が主人公のドラマで、これも痛快だった。
日本人離れしたという形容は安易だけれど、
そういうキャラクターが似合う役者だったと思う。

「スター千一夜」か、それと似たような、
今と違って品のあったバラエティで、ピアノの腕を披露されたことがあり、
本当にあこがれのヒーローになった。

その後、1974(昭和49)年の映画『妹』での、
秋吉久美子の兄役もよかった。
当時の彼女は魅力爆発のころ。ひし美ゆり子さんも出ていたし、
伊丹十三さんの演技も、かなりキレていた。
おそらく一度しか見ていないのに、
私の中に深くしみこんだ映画であることは間違いない。
監督は藤田敏八。

サディスティック・ミカ・バンドの3代目ベーシストとして、
後藤次利氏が加入したとき、
林隆三さんにそっくりだと思った。

あとは、ときどき思い出すこともあったという程度。

いい思い出を残してくれてありがとう。
その感謝の気持をここに記して、哀悼の意を表したい。





2014年6月 8日 (日)

消防操法大会

昨日の朝日新聞、土曜掲載の娯楽・批評のページに
池澤夏樹さんが、■死地への派遣、というタイトルで書いていた。
集団的自衛権にまつわる道理についてである。

全文引用して初めて、氏の言わんとすることが伝わるのだが、
そういうわけにもいかないので、該当箇所を引く。

「東日本大震災での自衛隊員の殉職は2名と伝えられる。
あの時期の自衛隊の活躍は目を見張るものがあったし、
現地の人は心から感謝した。
その一方で、自衛隊員や消防士ではなく
消防団員が254名亡くなっている。

彼らは自分の安全は二の次にして、走り回って住民の避難を促した。
みなが山の方へ避難しているのを見送って、
彼らとは逆に海岸に行って水門を閉じようとした。
間に合わなくて津波に巻き込まれた。
ぼくの友人はそれでも九死に一生を得た。
社会と個人の間に運命がこういう事態を強制することがある」

本文はこのあと、福島第一原子力発電所での非常事態への対応から、
自衛隊員を死地へ派遣することについて、
国と個人のそれぞれの生存権についての問題提起が続く。

本日、第5回合志市消防操法大会が
合志市中央運動公園グラウンドで開催された。

操法大会に出場するために訓練することは、
型の訓練とはいえ、消防に必要な手順と技術を体得する
よい機会である。
昼間の仕事が終わったあと集まって、この日に備えるときには、
その分いくらか家庭の団欒を奪っているかもしれない。

中座して帰るとき、
団員の家族と思われる母子のグループを見かけた。
そのとき、さきほど引用した池澤さんの文章を思い出したのだ。
子どもたちは、特に男の子は働く自動車が好きだ。
そして働くお父さんのことも好きだろう。
何とも微笑ましい光景に思えた。

Photo

日曜の午前中集まった家族の、
小さくても確かな幸せが、少しでも長く続きますように。




2014年6月 7日 (土)

議会のあり方に関する研究会報告書

全国市議会旬報第1905号(5月25日発行)に、
総務省が公開した「地方議会のあり方に関する研究会報告書」
についての記事があった。→リンク 

研究会の目的は、
「近年、地方議会の機能等を強化し、その自主性・自立性を高める
制度改正が累次にわたり行われている。また、地方分権の進展に伴い、
地方公共団体の自己決定権・自己責任が拡大され、
議会に期待される役割は一層重要である。
一方、現状は議会がその役割を十分に果たしていないのではないか
などの指摘があり、議会の抱える課題や各議会の取り組み事例等を踏まえ、
今後の分権時代にふさわしい研究会を開催すること」とある。

こういう研究を国できっちりやってくれることはありがたい。

たとえば、地方議会議員のあり方では、
想定される検討課題として、

・大規模団体における選挙区設定や政策競争のある政党本位の
選挙制度導入に対する考え方
・サラリーマンの立候補や議員活動のための休暇制度、
議員の任期満了後の復職制度等の導入に対する国民的議論
・女性議員割合の増加
・公務員の立候補制限や議員との兼職の緩和等に対する社会的理解

などを挙げている。

一読してわかるように、これらは古くて新しいというか、
何をいまさらと言われるような課題である。
しかし、それは取りも直さず、社会が政治的に
ほとんど進化していないということを意味するのではないか。
投票率の低下は、政治に関心を持ってもらうとか、
そういう一般的な次元の話でなく、
より具体的な方向を示し、住民を振り向かせることが必要なのだ。
と書きながら、この文章自体が少し抽象的だなとは思う。

制度を変えることにより、議会が生活に密着することは期待される。
しかし、それを待つことなく、
政治が生活そのものであることを伝えるべき責任が
私たち議員にはあると私は思う。









2014年6月 6日 (金)

介護福祉士

3月20日のきょうの発言は、
県介護福祉士会会長の石本淳也さんの番だった。

介護福祉士の仕事は、介護という言葉から、
食事の介助や車椅子の人の世話など、
動作を伴う介護の技術をイメージされることが多いが、
ではなぜ、「介護技術士」とならないか。

石本さんは、「介護の技術や知識はあくまで手段に過ぎず、
『福祉士』の方に重要な意味を置いているからだと解釈している」そうだ。

そして、福祉という言葉には「幸福の追求」という意味がある。
それは老若男女、障害があろうとなかろうと、
人間皆に与えられた平等な権利である、と続ける。

「さまざまな事情でその権利を実行に移すことが難しい人に対して、
介護福祉士は『介護』という手段を用いて支援を行い、
幸せの追求をサポートする。
介護を実践した先に、対象者の幸せな日常生活を見いだすのが
介護福祉士である」

だから、石本さんは、介護福祉士を「介護士」と省略しないでほしいと願う。
「福祉士」の部分に資格の本質的意味があるのだと。

指摘されて初めて気づくことは多い。
これまで、それが正当な用語であるように、
「介護士」さんと、不覚にも私は呼び習わしていた。

会計士や税理士とは違うのだ。
どちらが重要というのでもないが、
少し呂律は回さないといけないにせよ、
本質的な意味を端折って使ってはいけない言葉がある。
そこをきちんとしていないと、
介護にまつわるさまざまなことを誤解することになるだろう。




2014年6月 5日 (木)

合志市議会定例会、明日開会

明日、平成26年第2回合志市議会定例会が開会する。
モチベーションも徐々に上がってきているが、
同時に漠然とした不安も伴う。
それは議員としての責任感に由来するものかもしれない。

首長は市民に雇われているが、
議員は市民によって選ばれていると私は考える。
選ばれている議員と議会は、市民の声の代弁者であるとともに、
広い視野と深い見識によって、
公平公正な判断を下し、行政のチェック機関としての務めを
果たさなければならない。






2014年6月 3日 (火)

日曜日のこと

5月31日 日曜日

朝一番に、地元合志南小学校の運動会に行く。
学年別の徒徒歩で競争などを応援した後、
レターバスの時間もあるので、泉ヶ丘市民センターへ。
暑い(熱い)一日の始まりで、センター内でしばらく涼む。
図書館が10時に空いたので、つい立ち寄ってしまい、
荷物になるのでよせばいいのに、
小林信彦さんの『非常事態の中の愉しみ』文藝春秋刊が
目立つところにあったので、つい借りてしまう。

レターバスは、5分遅れぐらいで来た。
お年寄りのご夫婦と一緒になったので、行先を訪ねると、
西合志南小学校へ、孫の運動会を見に行くとのこと。
ハローデイ・ナフコ前で降りて歩くのだそうだ。
少し坂があるがそう遠くはない。
私は従弟の子が出るから、西合志東小学校へ行くと言った。

降車バス停の選択を間違えた。
黒石団地東で降りてしまったので、少し余計に歩く羽目に。

Dsc_0047

団地から畑の真ん中を横断して、
こういう写真が撮れたので、まあ、よしとしよう。
すでに徒歩で運動会に参加している気分。

西合志東小学校が近づくと、ガードマンが駐車場の案内をしている。
何色化に分かれた駐車場は、隣の西合志南中や、
近くの菊南斎場の駐車場も借りているらしい。
さすがにマンモス校なので、手慣れたものだと妙に感心。
もちろん近くにそういう使えるスペースがあるからのことだが。

砂ぼこりの中、学校敷地内に入ると、

Photo

フェスにやってきた感じでした。

ちょうど従弟たちにも会うことができたものの、
次の予定があるので、早々と辞去。
菊池電車に乗るために黒石駅方面へ戻る。
三石駅から乗った方が早いとは思ったが、
ここまで来て、叔父の家に挨拶に寄らないわけにはいかない。

黒石駅のすぐ近くに、内田整形外科という病院があったが、
長いこと閉まったままになっていた。
最近改築を始めたので、何はともあれよかった。
聞くところによると、新たに整形外科ができるらしい。

たまたま叔父が線路の側道の草取りをしていたので、
世間話をしていたら、電車到着の時刻が迫り、
重いカバンと、スーツの上着を抱えて、予期せず走ることに。
これを以って、来賓競技に参加したことにしておこう。

(続くかもしれません)



2014年6月 2日 (月)

地域公共交通の活性化及び再生について

5月30日 金曜日

NPO法人くまもとLRT市民研究会主催の
「交通政策基本法シンポジウム」にスタッフとして参加。

国土交通省総合政策局公共交通政策部長の藤井直樹さんの
「交通政策基本法と地域公共交通活性化再生法(改正案)のめざすもの」
の講演から始まった当日、
予想以上の参加者に、受付等てんやわんやで、
実は、藤井さんのお話の最初のほうはまったく頭に入ってこなかった。
もう一つの理由は、そんなの当然わかっている
というようなデータについての話が続いたこともある。

ただ、コーディネーター役の坂本正さんが、
いみじくも述べられたように、
最初、法についての解説から入らず、
問題意識から帰納的に法へと話を進めたことは
理解を深める一助になったかもしれない。
ただ、時間切れになった感は否めない。

改めて公共交通の果たす役割を記しておこう。
藤井部長の講演からのメモを参考に。

ローカルな部分では、
・日常生活で移動ができる
・地域の維持・活性化
・高齢者の健康維持・見守り
気候変動枠組条約的には、
・環境負荷の低減

また、既にわかっていたことながら、
人口減少社会を目前に突き付けられたことの意味は大きい。
わが国のこれからの政策はすべて、
人口減少社会というキーワードで括られるべきなのである、
ということが、実感された。
藤井部長の言葉の端々にも出ていたように思う。

パネラーの小野泰輔熊本県副知事は、県南特命という仕事柄、
そのことを実感しているので、熊本都市圏のように、
いまのところ人口が増えている地域を基準とした議論には、
苛立ちを隠せないという印象を受けた。

それをまとめると、
熊本県の果たすべき役割として、
まず高齢化と人口縮小社会におけるお金(県費)の使い方がある。
交通ICカードに県から8億円を投入するが、
それから先、今ある公共交通をどう使っていくか、
利用者が減少し続ける中での行政の支援(補助金)は、
疑問視されやすいこと。
市町村域を越えたところに県の役割がある。
自治体が投入する予算額に応じての支出ではなく、
新しい公共交通の可能性があるところ、
また過疎が特にひどいところなど、
メリハリをつけた配分にならざるを得ない。
といったことだったと思う。
どうもメモがうまく取れておらず、誤解があるかもしれません。
ただ、当たらずとも遠からずではあると思います。

いまさら何を、と言われるかもしれないが、
ポイントは、
「まちづくりと一体となった公共交通の再編」なのである。
そのことの真の意味と意義を
分かっている関係者がどれだけいるかといえば
少々心もとないところである。






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