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2014年1月22日 (水)

道徳の時間

去年の11月12日の熊日に、
「『道徳』記述式評価を」という記事があった。
文部科学省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」が
正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」を
教科に格上げすべきだとする報告書案を示したとのこと。
検定教科書の使用や、
記述式とはいえ評価を導入することを求めている。


同じ日の社説には、
「子どもの心 評価できるのか」というのがあった。
引用すると、
「教育再生実行会議の2月の提言は
深刻ないじめが表面化したことを受け、
その対策として道徳教育の強化を打ち出していた。
いじめが人間の心の奥深くに関わる問題である以上、
道徳に着目することが的外れとは言えまい。
しかし、教師たちが国語や算数などのように教室で教え、
評価することでいじめが解消していくとは
想像しにくいのではないか。
何のための道徳教育か、
あらためて慎重な論議が必要だろう」

こう言ってはなんだが、
いじめ対策が国を挙げて求められたときに、
内心喜んだ人たちもいたのではないか。
道徳教育で、日本人の心を取り戻すことが必要だと
考えている人たちもいる。
ただ、日本人の心という一つのモデルを決定づけるものは何か。
たとえば、陰湿ないじめをしないということは、
日本人であろうとなかろうと、人種、国境を越えて問題である。
いじめ自体が、諸外国でも問題になっていることも
報道等で明らかになっている。

グローバル化、国際化、いろいろな表現はあるが、
片方で英語教育の低学年化を進めながらの、
道徳教育とはどうあるべきなのだろう。
人種という言い方もちょっとどうかと思うが、
肌の色や言葉、その他、見た目の特徴などで差別しない、
いじめないというようなことを学んだりするのだろうか。
そうなると、当然歴史問題、認識の違いなども、
どうしても関係してくるのではないか。

ことは道徳という教科だけが問題なのではない。
仲良くというのなら、人が嫌がることをするべきではないと言うのなら、
お互いさまであはあるが、
国際政治の場は、どう説明されるのか。
そういうことを議論する場としての授業がなされるのなら、
道徳の授業にも大義というものが生まれよう。
ただ、わざわざ別の授業を設けなくても
国語や社会や理科、算数でも学べることだとは思うが。


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