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2013年12月15日 (日)

通り雨

高校の同級生が急逝した。
今日、葬儀に参列、お経お念仏を聞きながら、
昔のことを思い出していた。

病院の副院長という重責だけでなく、
監察医や裁判での被告の精神鑑定などもやっていたそうだ。
弔辞を述べられた二人の医師は、
学生時代、また勤務先で長い付き合いがあったようで、
あんなに惜しまれて亡くなるとは、
まわりの人たちにとってはその喪失が大きいとはいえ、
同じ送るなら、そういう人生以上に素晴らしいことがあるだろうか。

思えば、私と彼の付き合いは、高校2年のとき1年間。
3年になるときに彼は転校したので、
同窓会で会うということもなかった。
青春時代の1年間の意味というか、影響の大きさは
誰しも認めるところだと思う。
いなくなってから、もう一度会って話しておけばよかったなど、
例によって、思っても取り戻せないことだ。

ときどき、昔のことを思い出して、
『スローターハウス5』のビリー・ピルグリムのように
記憶を反芻することがある。
同じ時を過ごして良かった。とても良かった。
短くても、数えるほどであっても、それは宝物だ。

そんな宝物が、実は数えきれないほどあって、
何かの機会に、そのうちの幾つかが
記憶の中から、転がり出てくるから、それを私たちは磨くのだ。
原石とはもはや、形も輝きも変わっているから、
共有しているはずの友であっても、
そうと気づかないぐらいかもしれない。
そういうものだ。

残念なのは、私は折に触れこれからも彼を思い出すにしても、
もう彼の方は私のことを二度と思い出してはくれない、
それは唯一確かなことだ。

 いつのまにか まっくろ雲が
 頭の上を おおった
 

 あんなにやさしいあなたなのに
 どうしてこんな雨の中を去っていくの

 通り雨 通り雨
 雨がやんだら 早く お帰りよ

覚えているのは一部分だけの
秋田宏弥君が作った「通り雨」という曲の歌詞である。
高校の文化祭で歌ったよね。








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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

宏弥さんと親しくさせて頂いてた者です

彼から数曲『自分で作った曲だよ』と大好きなお酒を飲みながら、彼の最大にお気に入りの場所で歌ってくれた一曲に、
『通り雨』あったように思われます。

自分の葬儀には、自分が作った曲で旅立ちたいなぁ~CD作っていかないとな(笑)と…

高校時代の文化祭のお話も何度か聞いてました。

貴殿のコラムに驚き、目にした事はきっと彼からの導きのように感じております。

ずっとずっと高校時代の思い出は彼の人生の輝きの一部でした。きっと、穏やかな生活が出来る今、高校時代の思い出に浸る日々も多くなるかと思われます。彼に変わりお礼申し上げます。

ありがとうございました。

コメントどうもありがとうございます。
秋田君とまた歌いたいものだと、ずっと思っていました。
そんなことは、ちっとも知らなかったのですが、
ウクレレを手放さずにいたというのが、
何とも彼らしいと思いました。
昔のことを覚えていてくれたことを
教えていただき、本当にありがとうございます。
「通り雨」は、私が歌い継ぎたいと思います。
忘れた歌詞は自分で埋めて。

はじめまして、秋田宏弥君のことを検索していて貴殿のコメントにたどり着きました。

彼とは、八代の小学校6年生と中学2~3年生で同じクラスでした。
同じ高校に進学の予定でしたが、彼の父上の転勤に伴い急に大津へと引っ越していったのを覚えています。  
以来、お互い何度かお互いの家に行き来しました。  
大学は、彼は医療に従事したいと自治医科大へ、私は福岡の大学へと別れ、その間、一回だけ彼が来福の際、飲みました。  
それが彼と私が会った最後ですので、40年も前の話です。

それから、いままで何度か古い時代を思い出すたび、彼とともに遊んだこと、学びあったことなどを懐かしく思い出しては苦笑い、ニヤ笑いが出たことが思い出されます。  
お互いそろそろ還暦なので彼のことを探してみようかなと思っていました。

それが、貴殿のこの投稿を見て愕然としました。  いつかまたどこかで彼と会えるかもしれないという望みが、実現しないという現実が壁のように立ちふさがり「あ~」と思わずため息が出ました。
40年も会って無いので、今更と言われるかもしれませんが、自分とともに歩き、自分の中の記憶の彼に会ってあの時の「仲間」との会話を楽しむことができないということで、自分の過去が否定されるような気がしました。

中学時代、彼はテニス部に所属し、「将来はデビスカップに出るんだ!!」と言っていましたし、彼の部屋でビートルズやサイモン&ガーファンクルを聴いたし、高校入試の発表のときは一緒に見に行ったし、正月には一緒に遊んだり・・・色んなことが走馬灯のように浮かんでは消え浮かんでは消え。

乱筆乱文で申し訳ありませんでした。
今年は、還暦で私の出身地八代で同窓会が開催されると思いますが、小学校、中学校、高校のどれにも彼の話題が出るかと思います。 彼は中学校時代は級長をやっていまして、ニックネームもまさにそのままの「級長」でした。 私は当時は「きんちゃん」と呼ばれていました。
その頃の呼び名で旧友たちに彼「級長」のことを報告したいと思います。

自分のことばかりを書いてすみませんでした。
つい、感傷的になりました。
老いが近づくとこうなるのでしょうね。

失礼します。

コメント、どうもありがとうございます。
奇しくも、私も「きんちゃん」と呼ばれていました。

秋田君が亡くなるまで、彼の勤める病院の前を何度も通りながら、
元気にしてるかなとは思っても、一度も立ち寄らなかったことが
今でも悔やまれます。

不思議な縁があって、
私の妻の父が経営していた建設会社に、秋田君の奥さまの父上が勤務されていたこともあり、2世帯住宅を建てさせてもらっていました。
そんなことは知らずに、結婚前に付き合っていたのでした。

大津高校でも、確かテニスをやっていたように記憶します。
勤務先の病院でもテニスは続けていたようで、
また、自室のソファにはウクレレが置いてあり、
よくその歌声を聞かせていたという話でした。

たまに、思い出して、
彼の話をすることが供養になるのでしょう。

コメントをいただき、重ねてありがとうございました。

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