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読みたい本だな

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2013年7月の25件の記事

2013年7月29日 (月)

議会広報

議会広報委員会。今日で校正も終わりほぼ完成。
出来上がりを明後日もう一度確認して終わり。
事業検証会で、全ページカラー印刷の希望が出たとのこと。
予算はともかく、全ページをカラーにする意義が私には感じられない。
委員それぞれの意見があるので、
それを調整することは簡単ではないが、
編集方針は議会の活動のあり方でもある。
だからむずかしいのだろう。

午後、菊池恵楓園でハンセン病市民学会の年報発送の手伝い。


2013年7月28日 (日)

七つの会議

NHK土曜ドラマの「七つの会議」。
リコール隠しにも止むにやまれぬ理由がある(かもしれない)ことがわかる。
それが法的に許されないことにしても。
というふうな感想は誰でも持つことだろう。
あまりにかけ離れた人生を送ってきた私でも
ありえない立場にわが身を重ねる。











2013年7月26日 (金)

普通の人間

5月8日の熊日に、
6日に京都市であった村上春樹さんの講演の要旨が出ていた。
いまごろなので、おぉそういうのあったなと思う人がいるかもしれない。

冒頭。
「僕は普段はあまり人前に出ません。
ごく普通の生活を送っている普通の人間です」
自分のことを絶滅危惧種のイリオモテヤマネコに例えるところが
いかにも村上春樹流である。
そして私はその例えがあまり気の利いたものに思えなかった。
しかしそれが彼らしいところは認めます。

そして最後に、
「本当にうれしいのは、
待って買ってくれる読者がいること。
『今回はつまらない、がっかりした。
次も買います』みたいな人が好きです」云々。
これで村上春樹を普通の人だと思わない人は、
村上春樹教の信者であろう。
あ、こんな普通の直喩を使ってしまった。


2013年7月25日 (木)

認知症の宝箱

今頃5月7日の熊日夕刊である。

群馬大教授の山口晴保さんの
「フォーラム医療 開こう認知症の宝箱」によると、
三重県桑名市にある施設は、子どもも障がい者も高齢者も
一緒に過ごし暮らすホームだそうだ。
たとえば放課後に出入りする学童をしつけるのは、
認知症の人の役目である。
言ったことを5分後には忘れている認知症の人は
「正しく座りなさい」「もっと丁寧に」と何回でも繰り返し教える
能力を持っていると。

徘徊癖がある人を先頭に入居者が地域を集団で回ると、
徘徊が防犯パトロールに変わる。

こういうアイデアは意外と誰もが持っている。
しかし、実現するのには周りの関係者を説得する勇気と
誰が責任を持つのかというところで、
なかなか実現へのハードルは高いのではなかろうか。
私にしても、面白いことをやっているなと思っても、
自分に何ができるのか。

こうやって、新聞の引用ではありますが、
事例紹介をすることにも少しは意味があるかと。

「人間の残存能力を引き出して生きがいをつくるケアが
『変わっている』とみられる現状を変える必要があるのだ。
『利用者を働かせてくれる施設はよい施設だ』と
利用者が価値観を変えて、能力を伸ばす施設が増えることを
期待している」
私もそう思う。







2013年7月24日 (水)

尊重される家族

5月6日の熊日、岐路の憲法第1部「揺れる現場で」。

「自民党の憲法改正草案は条文を新設し
『家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。
家族は、互いに助け合わなければならない』とする。
しかし、福島県民は15万人以上が自宅を追われたまま、
県内外で避難生活を続けている。夫婦や子どもがばらばら。
同居していた2世代、3世代が別々に。そんな例は数多い」

見出しは「尊重される家族」となっている。
仮に自民党の草案で憲法改正されたとしたら、
この福島県民の家族の状況は憲法違反に問われるだろう。
しかし、おそらく政府としては
ありとあらゆる手段を使って、それを否定するしかない。
ただその裁判の中で、家族とは何か、
どうあるべきかが問われるわけで、
再び憲法が改正されるということもあるかもしれない。

しかし、そんなに手間暇かけずとも、
今の時点で、家族とは何か、尊重されるべきは家族の何なのか、
そういうもろもろのことを国民みんなが考えることが重要である。

自民党の憲法改正草案が目指すのは、
国の財政破たんを防ぐために、
現行憲法で保障されている国民の権利を制限して、
出来る限り自助努力に放り投げることではないかと思う。
国が財政破たんして一番困るのは、
机上で法案をひねり出して、老後に備えていた官僚である。
退職金も年金もカットされるからだ。
もちろん天下り先もなくなる。
だから、憲法を改正したいのだろう、自分たちと家族のために。

いえね。
本当に国民のために仕事をしている官僚の方も
おそらくたくさんいらっしゃると思います。
目先の仕事のために頑張るのは、
官民問わず、当然のことでありますので、
そのこと自体を非難するのは間違っている。
ただ、自分の家族だけを守ることで世の中は成り立つのか。
「社会の自然かつ基礎的な単位」とは親子を指すのか。
祖父母孫まで?
親類縁者はどうなるの。
外に広がる家族同士のネットワークが
日本人や人類を救うのではないか。などなど。
そういうふうに憲法について意見を出し合いましょう、
という話をしていきたいものです。




2013年7月23日 (火)

ソーシャルネットワーク

社会を明るくする運動の一環で、保護司会の一員として、
御代志市民センターで行われたことぶき大学7月学習会に参加。

熊本保護観察の企画調整課長さんの講話があった。
「昔の刑務所は社会防衛のために閉じ込めておくものだったが、
いまは教育の場であり、社会にもう一度生まれ変わる気持ちにさせる、
罰ではなく、施設にいる間にもう一度考える時間を
与えるという方向に変わっている。
人間は適当なきっかけや指導があれば立ち直れる」と。

罪を犯した人の中には、
精神的な障がいを持った人も多い。
そのような人には刑務所ではなく、
もっとふさわしい施設があると考える時代だ。
「排除」してしまえばそれで済むと考えるのは簡単だ。
閉じ込めておけばいいとするのが、現実的でないのは、
人権の問題だけではなく、費用の問題でもある。
平均で一人年間260万円かかるのだそうだ。

モンスターみたいな犯罪者がいないとは言わない。
しかし、人は誰も間違いを犯す。
排除とは仲間外れであり、いじめと同じだ。

地上はなんて低いんだろう。

人は、いつまでもそんなところに留まっていないで、
もっと高みを目指すべきではなかろうか。
それを甘いとか、理想主義とか青二才とか切り捨てるのか。


2013年7月22日 (月)

超火曜日

昨日、参院選だからと思って借りてきていた映画
『スーパーチューズデー~正義を売った日』を見た。
やはり米大統領選と参院選は規模が違う。
規模というより権力の度合いと言うべきか。
つまり、それに関わるスタッフの人生の度合いだ。
いや、待てよ。それは規模や制度の大小を問わず、
選挙で飯を食うという意味では同じか。

私の理想とする上映時間90分程度。
だから余分なものはない。
しかし、だからちょっと食い足りない気がした。
この作品での大統領候補のスキャンダルをどう考えるか。
宗教が持つ社会性もある。
きれいごとではない政治の入り口である選挙の何を
ジョージ・クルーニーは描きたかったのか。
何か分るようで、やはり食い足りないか。

選挙は勝たなくちゃ意味がない。
そこから先できることは限られてくる。
いろいろな要素や時代やしがらみや国際情勢も。
安倍晋三首相がもし自分の限界を認識しているとしたら、
すごい政治家だということになる。
過去の失敗から学んだことが大きかったら、
真の意味で日本国民のために働くだろう。

「見守る」って何だと思っていたが、
政治については見守ることも大切な仕事だ。


It works with your watching.


2013年7月21日 (日)

図書館協議会

7月19日 金曜日

平成25年度第1回図書館協議会を傍聴。
図書館要覧によると、西合志図書館も合志図書館も
平成7年に開館して以降いろいろな試みがなされて、
統計数字的にも立派な図書館に成長している。
でも、このままではどうだかなあと思わざるを得ない。
髙村教育長もこれからの図書館のあり方を考えていくべきと言われたが、
まさにそれが求められていると私も思う。

協議会では図書館の運営や将来像などを探る場であるべきと思うが、
何が問題なのかの共通認識が委員間で持たれなければならない。
しかし、それは年に3回ほどしかない会議なので、
会議より前に共有されていなくてはいけないのではないか。
今回、学習スペースやパソコン環境の話が出たけれど、
おそらく毎回出てきて、予算がどうのというところで
具体的にどうするかというところまでは少しも進まない、
という感じなのではなかろうか。

よくあるように法定協議会は
担当部署が描いた絵を追認する機関となっているものだが、
少なくとも日本国内の図書館事情がどう変化してきているか、
そういう情報は共有されなければならないだろう。
そのうえで、合志市の生涯学習や学校教育における
図書館の位置づけを再考すべきである。

ある委員が、泉ヶ丘市民センター図書館の蔵書について、
自分らの世代(60代か)が読みたい本がたくさんあると
その地域性を評価しておられたが、
それはものすごく重要なことなのだ。
それと同時に、泉ヶ丘市民センターには児童館もあるので、
絵本や紙芝居などの児童書もかなり充実している。
あの狭いスペースに、と感動すら覚える。
そして予約貸し出しや返却のための取次所という
重要な役目も果たしている。

だが、それだけでいいのか。
もっと存在意義を高めていかなければ、
予算削減圧力に抗することはできないのではないか。

図書館運営を担う職員はほとんどが非常勤であり、
それもかなり低い報酬に抑えられているという現実もある。
この協議会ではさらに高度な議論が行われるように、
私は議員として調査研究を続けて行かなければならないと
改めて思いを強くした。








2013年7月20日 (土)

バオバブの木

7月15日 月曜日

合志市総合センター ヴィーブルで
ガーナ大学講師で絵本作家のよねやまひろこさんの
講演会を聞きに行った。
主催は西合志読書の会、合志市教育委員会後援。

ガーナが西アフリカにあるということ、

黄金海岸、奴隷海岸、象牙海岸などの名称。
私が小学生のころは、西洋の視点でしか学ばなかったし、
それ以降は歴史や地理を勉強したことがなかったので、
初めてアフ
リカについて基本的な話を聞いたような気がした。

そして思った。
遠いというか、別世界とすら考えていた、
いや考えてもみなかった、
そこは全然近いではないか。

その親近感こそが大事なのであり、
それを教えてくれたのは、よねやまさんの語りであり、
美しく力強い絵本というアートだった。

アフリカを自国経済の発展のために利用することしか
ひょっとしたら考えていないかもしれない日本政府。
そうじゃなかったら、やはり態度で示さなければいけない。
お金も大事だけれど、人間的な
心の交流が基礎にあってほしいと思う。




2013年7月19日 (金)

よその歌わたしの唄

フジテレビ系で山田太一脚本のドラマ、
「よその歌わたしの唄」を見た。
面白かった。
こんなじわりと感動するお話はなかなかないと思った。
のも束の間、終わってしまえば、少し醒める。

歌は人と人とを結びつける力を持っている。
そういうテーマというわけではない。
しかし不思議なことに、唄をきっかけにして
人は寄り添うことが出来るかもしれない。
そういうフィクションである。









2013年7月18日 (木)

今更木更津キャッツアイ

映画『木更津キャッツアイワールドシリーズ』を見た。
テレビ放映されたときに見たことがあって、
そのときに、もう一度見なくてはと思いながら、
3年どころか、5年は優に過ぎているようだ。

脚本が宮藤官九郎なだけに、少々くどいと感じるところもあるが、
死人は歳取らないという真実を、泥臭いギャグで彩る、

おセンチな作品。泣ける。

テレビシリーズから見直さないと通じないところもあるので、
いずれ見ないといけないかなと思っているが、
人生短いことを意識して、やりたいことできることは、
とっとと、やっておかなくちゃいけないということを
教えてくれる映画でもある。





2013年7月16日 (火)

積極的なシビリアン

昨日の熊日に、日本学術振興会特別研究員
三浦瑠麗さんのインタビューがあった。
これが驚きの論理展開なのだ。

いわく「先進工業国の安定した民主主義国家では、
攻撃的戦争に積極的なシビリアンと消極的な軍
という関係が存在する」

「攻撃的戦争を推進した政治指導者に共通するのは
歴史的な使命を成し遂げたいという願望や正義感、
あるいは支持率や得票率を上げて、権力を維持、
拡大したいという欲求だ。
戦争に掛かるコストを意識しない国民が
攻撃的な政策を求めることがあり、
それに応える方がベネフィットが大きく、
応えないと罰せられる状況が生じる」

攻撃的戦争とは、米国のイラク戦争、英国のクリミア戦争、
そしてイスラエルのレバノン戦争などである。
国民が求める攻撃的な政策に応えずに罰せられるとは、
国政選挙での敗北を意味するのだろう。

歴史認識の見直しは。
「安倍首相が戦っている敵は、
首相のおじいさまの世代の認識だ。
日本人全体からすると中心的な課題ではなくなっているはずなのだが」

「歴史認識で相手国に配慮できなくなったのではないか。
思い入れはないが、中国や韓国からとやかく言われると
腹が立つから言い返すというような」

ひょえーっ、である。
「思い入れはない」なんて決めつけられても困ると同情するが、
歴史判断については専門家に任せるとか、
わけが分らないことを言ってるくせに、
こだわりの歴史認識を持っているとうかがえる安倍首相も
照れ笑いで誤魔化すしかないだろう。

「自分が戦争に行く可能性がないと
戦争のコストを考えにくくなるのではないか」
北朝鮮の砲撃を受けても自制的な韓国は、
徴兵体験が攻撃的な政策を抑制しているのではないか、と。

「軍隊を自分たちはかかわることのない道具として見る
考え方を変えないと攻撃的戦争はなくならないだろう」
と彼女は徴兵制度があったほうがいいかも、という立場です。

今朝の熊日に安倍晋三首相のテレビインタビューの件。
「われわれは(憲法)9条を改正し、
その(自衛隊)存在と役割を明記していく。
これがむしろ正しい姿だろう」

「国内では自衛隊は軍隊ではないと言われているが、
海外では軍隊として認識してもらっている。
軍隊として認識してもらわなければ
国際法の社会の中での行動ができない」
とも言っているみたいだ。
記事の字数の関係で、省略された部分もあるかもしれないが、
この程度のことしか言えないのなら、
自衛隊について引き合いに出さない方が賢明だ。
これを知って苦虫を噛みつぶし胃酸がこみ上げてきたのは
他ならぬ自衛隊の幹部ではなかろうか。


2013年7月15日 (月)

ブルース・ブラザーズ

久しぶりに映画『ブルース・ブラザーズ』を見た。
ジョン・ベルーシが生きていたらと、ふと思ったからだ。
ダン・エイクロイドのその後の活躍を見ると、
もっとすごいことをやってくれたかもしれないし、
やっぱりあまり長生きしなかったかもしれない。

残された作品がすべてだ(少ないけど)。
あと、残された伝説の数々。

メイキングで、ジョン・ランディス監督や
バンドのメンバーなどのインタビューがついていた。
これがなかなか興味深い(「興味深い」はガリレオ湯川の
決め台詞みたいになっているが
私はもう何年も前から使っていた)。

NHK朝の連続小説「あまちゃん」で「ゴーストバスターズ」が
ネタで使われているので、そこから行きついたのかも。
いまではまったく別の音楽を指すようになったが、
R&Bへのリスペクトがきっかけだとエイクロイドは言っていた。
おかげさまで私も大好きになった。

もっと泥臭い印象があったが、
ブルーレイになって画像がくっきりしたせいか、
意外にスタイリッシュに感じられた。
しかし、やっぱり演奏シーンはもう少し見たかったな。





2013年7月13日 (土)

社会交流会館・歴史資料館

今日は、菊池恵楓園の社会交流会館で
ボランティアガイドの学習会でした。
社会交流会館は小さい字で「歴史資料館」とも表示れていますが、
ハンセン病と菊池恵楓園と入所者の歴史が展示してある場所です。

講師は同館の学芸員の原田さん。
今日は学芸員の仕事というものを改めて知ることとなった。
もちろん図書館司書とは違う資格だというのはわかるが、
博物館法によるものなのだ。
原田さんいわく、資格を得るのはそれほど難しくはないが、
それで仕事を得るのは非常にむずかしいと。

学芸員として恵楓園でやるべき仕事と、
ボランティアガイドの果たす役割について、
原田さんから課題整理の提案が出された。
それはボランティアガイドの束縛のない位置づけが
これから先もそのままでいいのかという問題だ。
ボランティアガイドは入所者自治会の依頼を受ける形で
活動をしているが、その自治会の活動が停止することになったら、
菊池恵楓園の歴史を世の中に伝えていくガイドの役割も
一つの終わりを迎えることになるかもしれない。
それどころか、社会交流会館という名称の場所自体が
なくなってしまうかもしれない。
そういうことなのだ。

菊池恵楓園の将来構想を考える際に、
ひょっとしたら、多くの関係者からすっぽり抜け落ちているかもしれない、
歴史の継承という側面。
それはわかりやすく言えば一次資料的なもの。
証言の数々。そして私たちがそこから学んだこと。
私たちが今の時代に、過去を学ぶことから得る思いの数々は
それがはっきりとした形にならないまでも、
それもまた歴史の大きな流れの中では
優れて一次資料的なものとして残すべきなのではないか。

過去の遺物にも存在意義はある。
いや、そこからは、時代を超えて次々に湧き出でるものがある。
学びとは、汲めど尽きせぬ思いをそれぞれが抱くことだ。

ボランティアガイドとしての活動には
メンバーそれぞれ思うところがあるだろう。
でもこのアクティビティを継続させることの重要さは
もう一度しっかり確認すべきことに違いない。
それはガイドだけの問題ではなく、
国や県、市がどのように関わっていくのかということである。







2013年7月12日 (金)

持続可能な都市

昨日の熊日に、熊本市の第6次総合計画(2009~18年度)の
中間見直しのための委員会設置の記事があった。
熊本市の将来人口推計が減少となっていることをふまえ、
「社会的、経済的に持続可能な都市を実現するには、
年少人口(0~14歳)、生産年齢人口(15~64歳)の減少を
抑制する必要がある」と市側は説明したとのこと。

年少人口、生産年齢人口を増やすではなく、
減少の抑制という控えめな表現にとどめているのは、
時代の大きな流れというものには抗いがたいからだろう。

市は重点的取り組みの柱として、
①定住促進
②少子化対策
③交流人口の増加 を提案したとのこと。
はいはい、と言うしかない。
誰でもどこの市町村でも同じである。

総合計画に書かれるのは基本的なことなので、
実際に何をどうやるかが重要なのであるが、
その基本計画でかなり突っ込んで
想像力を働かせていないと、実績が伴わないことになる。

そもそも「社会的、経済的に持続可能」な都市とはいかなるものか。
扶助費を何とか稼ぎ出せる自治体のことではないだろうか。

定住促進には雇用が必要である。
その中には起業も含まれるが、
農業、工業、サービス産業にせよマーケットが必要だ。
少子化対策には、予算も人材も必要なことは
待機児童と保育所の問題だけでもわかる。
しかし、それは市場と呼べるものではない。
福祉分野は雇用は生んでも生産するところではない。
交流人口の増加というが、
熊本市がサバイブするためには、
周辺やその先の市町村から人を吸い寄せなければならない。
つまり他市町村は貢献するだけに終わる可能性が高い。

しかし、ジタバタしても無駄に終わることも多い。
少確幸(小さくても確かな幸せ©村上春樹)を大切にすることが
求められるのかもしれないって、
金曜日の夜みたいな結論になった。
さ、台所を片付けなくては。









2013年7月11日 (木)

竹迫観音祭

昨夜、2年ぶりに竹迫観音祭りに出かけた。
レターバスで行くと、竹迫下町に午後6時31分着予定だったので、
すずかけ台北から乗ったのだが、そのときすでに約15分遅れ。
竹迫の車両通行止め入口に着いたときは午後7時直前。
本部のある上町公民館まで、まだ明るい通りを歩いた。
歩けばかなりの距離、というほどでもないが、
ゆるい上り勾配である。
私は横町のはずれのコンクリート工場に15年ほど通ったので、
懐かしいまちでもある。
工場のライン養生室のボヤのときは、
消防署からよりも早く地元消防団が来てくれた。
もう30年近く前のことなので、
昼火事に集まれる団員はかなり少なくなっている。
ということは、観音さんの担い手が減少しているということでもある。
練習にみんなが集まることがなかなか難しいとのこと。

ネットでは、「熊本で一番早い夏祭り」であること、
また「熊本のだんじり」という例えもあった。


昨日聞いた興味深い話として、
昔は上町下町横町の3基のドランジャーだけではなく、
もっと多くの地区から参加があったということ。
また、昔はこんなに派手にぶつけていなかったとも。

記録としては残らず、
記憶だけが頼り。そしてそれも忘れ去られるか、
レジェンドとして語り継がれるか。
そうなって残ったものが歴史的事実かどうかは
この際あまり関係ないのである。

動画は私のXperiaで撮影。


2013年7月10日 (水)

社会を明るくする運動学校啓発の朝

社会を明るくする運動の学校啓発で、
保護司会の一員として、早朝より合志中の正門に立った。

「社会を明るくする運動」という名称は、
みなさんも自分で発音してみるとお分かりになるかと思うが、
実に発音しにくい。
おそらく「しゃかい」と「あかるく」の「か」の音が続くところ、
また「あかるく」と「する」の「る}が重なるところ、
また「する」の「る」と「うんどう」の「う」、これがまた・・・

朝早くなので、単純に唇と頬の動き、
滑舌が悪かったのかもしれないが。

生徒たちの9割が自転車通学とも言われる。
足早に教室へと急ぐ生徒たちも
知らないおじさん、おばさんたちがクリアフォルダーを配っている、
というだけで、こちらも運動について話す時間もない。

この2,3日前に、この晴れ永遠も
「社会を明るくする運動 形骸化」というワード検索でヒットしていた。
その気持がよくわかる。
運動と名のつくもの、大方の場合そういうものだ。
宿命と言ってもいいかもしれない。

しかし、だからと言ってやめてしまえば
時間と予算の無駄がなくなるというだけであろうか
(予算はそれほど大きいものではないが)。
自分が主体的に関わらないものであれば、
そう言い切ってしまえるかもしれないが、
その運動や啓発の意味するところがわかっていれば、
手を変え品を変えというか、
本質を伝えるべく、知恵を活かさねばなるまい。

というわけで、
社会を明るくする運動は、
「犯罪や非行をした人の立ち直りについてみんなで考え、
犯罪や非行が起きない社会をつくろうという、
全国で行われている運動です」
作文を依頼する前に、
そのことについて語る機会が必要なのだろう。

罪を犯した人を社会的に排除してしまえば、
それだけで世の中住みやすく安心できる世の中になるのか。
立ち直るために努力する人に寄り添い、
支えることができる社会こそが、
誰もが住みやすい世界になる可能性がある。
そう信じたい。

それにしてもスポーツ傷害であろうか、
負傷している生徒たちの多かったこと。
おはようのあいさつを交わしながら、
さまざまな表情の子どもたち、それぞれに
悩みもあれば喜びもあるのだろうなと思うと、
おとなとしての責任を改めて感じた夏の朝だった。




2013年7月 9日 (火)

合志義塾をめぐる私史

『合志義塾史』という本には、同窓生名簿が付いている。
私の二人の祖父と父の名前があるのは知っていたが、
今日久しぶりにそれを見ていたら、
大津町のところに、父方上田の祖父の弟らしき名前を発見。
もう昔のことを知っているのは多分母だけであるが、
嫁いでくる以前のことをどれだけ知っているか。
一応聞いてみるか。

今回、議会だより用に合志義塾のいい写真がないかと
改めてパラパラとページをめくっていたら、
同窓会が開かれたという記事があった。
同窓会長は石坂繁さんで、ちょうど衆議院議員のころ。
県庁に入ったり熊本市役所に勤めていたりする人が
そういうところには出席しているようで、
その中に上田唯雄という名前を見つけて内心小躍りした。

祖父の所属は逓信局で、
同窓会では事務局となっている。
私が10歳のころ亡くなったので印象は薄いのだが、
タイムマシーンで一気に知らない時代に飛ばされた気分。
記念写真があったが、どの人物なのかよくわからない。
しかし、どこかに写っているかと思うと、
おそらく私はニヤついていたことだろう。

祖父は男4人兄弟(その下に妹が一人いたらしいが)の
次男である。
長男は戦前おそらく早い時期にアメリカに移民として渡った。
で、次男の祖父は兄貴がアメリカなら、
自分は満州だといきがって小倉まで行ったが、
彫物をしたむくつけき野郎どもがゴロゴロしていたので、
小柄だった祖父は恐れをなして熊本に帰ってきたのだと、
祖母の問わず語りで聞いたことがある。

こういう話は桃太郎伝説みたいなもので、
別に時系列でどうのとか、
そういう細かいことはどうでもいいのではなかろうか。
針小棒大のストーリーをでっち上げれば
冒険譚が出来上がると思うのだが、なかなか思い切れない。

西合志の祖父は名簿でも石坂繁さんの隣にあり、
同じ黒石の出として近しかったことはわかるが、
上田の祖父も私の両親が結婚するずっと前から、
石坂さんとは合志義塾の同窓ということで旧知だったのだろう。
そう考えると、縁の不思議さというより、
友だちの輪で説明した方が早いような気が・・・
父が生きてるうちに聞いておけばよかったが、
あとの祭りである。

※あとの祭りの英訳で
After death, the doctor. と It's too late now. というのがあった。
どちらも当たり前だが英語らしいね。

2013年7月 8日 (月)

反省会

昨日は、菊池恵楓園の交流荘で
5月に開かれたハンセン病市民学会in熊本の反省会。

約30人の参加者。
他の人の反省の弁を聞いていると、
自分がしっかり運営やそれぞれの持ち場での仕事を
果たしていなかったのではないかという、
それこそ猛省を促されたような感じ。

絶えず何か考えているのだが、
目の前のことに集中するということが出来ていないのではないか。
いま、なすべきことは何なのか。

Photo_2
昨日母と墓参に。大津町岩坂のこれって、
地下水涵養田なのだろうか。



2013年7月 6日 (土)

中心商店街の個性的な顔

4月21日の熊日に
地方経済総合研究所(熊本市)の調査結果に基づく記事があり、
「この20年でアーケードに面した店舗の7割超が入れ替わり、
飲食を中心とした県外資本の全国チェーンが急増」と。

下通繁栄会の松永和典会長(57)は
「今の状況が街の個性。商店街が変わるのは当たり前。
全国チェーンでも地元オーナーでも、
同じように頑張るだけ」とコメント。冷静。

「下通は、物販主体から居酒屋やコーヒーショップなど
飲食による集客に比重が移りつつある」と
同研究所は見ている。
物販は郊外店や通販に移行しているのではないか。

「飲食チェーンなど利益率の高い業種じゃないと、
アーケードに面した店舗では家賃を払えない」と
ビルオーナーは語っている。

逆に街の個性だ何だと言ったって、
人が集まるにぎわいがなくなったら、その回復は困難だ。
全国チェーンであろうと飲食業の進出が続くのは、
中心市街地にまだまだ「ハレ」の魅力があるからだろう。

個性的な店は、家賃の安い場所にしか立地できない。
それが現実というものだろう。
集まる人間に個性があれば、何も怖くない。



2013年7月 5日 (金)

脱原発工程表

脱原発は確かに選挙公約としては理想的だ。
しかし、原発を稼働させないままでも維持費はかかるし、
廃炉にするためにもお金がかかる。
特に廃炉に関してはまだ技術が確立されていないのではなかったか。
しかし、このまま原発を再稼働させて発電を続けていくことにも
大いなる不安がある。

原子力発電によらない電力であれば、
多少高価なものになってもがまんする。
と個人個人では言えるかもしれないが、
国内の産業的には、じわじわ上がる電気料が
すでに原価を押し上げる要因になっている。
つまり輸出産業にとっては、
円安のメリットと相殺される以上に悪影響が今後も続く。

だからといって、新しい安全基準に合致すれば、
本当に安全なのか。
少なくとも、私たちに安心をくれることはまず、ない。
それでも、私は仕方がないかなと思う気持ちもある。
再稼働についてである。
しかし、それを認めると次に重大事故を起こすまで、
ただひたすら稼働を許すことになるのだ。
そして、重大事故はいずれ必ず起きる。
つまり、原発を止めるという工程が先にないと、
やはり再稼働には慎重にならざるを得ない。

しかし、政権与党と違って、
野党は具体的な廃炉の工程表を選挙公約にしても、
それを破ることになるだろう。
必要な予算は埋蔵金でまかないます、と言ってた前政権以上に
具体的にそれを描くことはむずかしいと思う。
だからそこまで考えているにせよ、いないにせよ、
脱原発というスローガンしか出て来ないのだ。

困った問題だ。

しかし前にも書いたが、
さまざまな条件が揃ったこととはいえ、
原発を導入推進してしまった当時の日本人の、
電力の安定供給に対して抱いた止むにやまれぬ気持は
分かりすぎるほどわかる。
いつのまにか、本来の安全対策に使うべきお金を、
安全神話を構築するための広告や補助金に使っていたという、
それが許しがたい欺瞞であることは間違いないが。
しかし、それも過去のことなのだ。
さて、これからどうするか。
それを選挙の争点にさせるのは、有権者の力である。


















2013年7月 4日 (木)

Women

日本テレビ系で始まったドラマ「Woman」。→リンク 
幼い二人の子どもを連れたシングルマザーが主人公。
パートを掛け持ちしてもワーキングプア。
電車でもどこでも子どもがぐずったり泣いたりすれば
嫌な顔をされるし、子どもの具合が悪ければ休まなくてはならない
職場では休みが多いと首を言い渡される。
認可外の保育所、託児所の料金は当然高い。
どうにもならなくなって生活保護の申請に行けば、
条件が揃わず、却下されるしという悲惨な話。

安倍首相には資生堂なんかに行かず、
こういう実態を見てほしかった。
何なら、このドラマを見るだけでも、
いろいろ学ぶことが多いのではないのか。

こういうときこそ政治の出番なのだが、
実際にできることは限られている。
こういう極端な例は極端な話であり、フィクションでしょうとか
大体簡単に子ども作ったり、すぐに別れたりするから、
とか言い出したり、個人のせいにされるのだ。

だが、満島ひかり演じる主人公と
不仲の母との関係が出てきた時点で、あれ、ちょっと違うかな。
それに夫の死因がちょっとヒネリ過ぎではないかとか。
でも、それがあるから、ドラマとして見ることができるのか。

どん底の不幸や傷に塩を塗るようなお話は、
おそらく作る方としては簡単だと思う。
そこに生きていることの、ちょっとした素晴らしさを
どのように盛り込めるか、が難しい。

人には想像する力がある。
それは人の持つ優れた能力の一つだ。
ドラマはそれを思い起こさせてくれるものであってほしい。
実際に大変な目に合っている親子がいるんだろうな。
そこに思いを馳せる視聴者であってほしい。






2013年7月 3日 (水)

公示前夜

明日、参議院議員選挙が公示される。
今回はネット選挙が解禁されて初の国政選挙となる。
政権交代前からその方向で固まっていたと思うが、
安倍首相は特に熱心だったと言われている。

さっきNHKのニュース番組を聞いていたら、
ゲストの大学の先生が、
政治家を引っ張り出す番組が増えていること、
気をつけないと意図しない形で政治メッセージを
伝えてしまう恐れもあるなどと語っていた。

自分の経験から言うと解禁されていなかったとはいえ、
選挙期間中には、ツイッターやブログを
更新している暇はなかった。
数年前のことで、初めての経験だったので
昔から選挙をやっている人の言うとおりに動いたせいもある。
しかし、たとえば握手をするときの手ごたえの方が
自分の気持ちを高揚させたことは間違いない。

本人以外が自分の応援する人への支持を拡散させるために、
ネットを使えるようになったということなのかな。
あとはやはり数多くのスタッフや資金を動員できる候補者が
ネット利用においても強いということだろうか。
回数を重ねれば、さきほどの番組でも言われたように
政治の透明性をうながし、
民主主義を強くすることにつながるかもしれない。

ま、大事なことは日頃どれだけの情報を発信して、
自分の考えや意見を伝えようとしているか、だと思う。
もちろん行動で示している人はそれでいいのだろうけれど。



2013年7月 2日 (火)

百まで生きよう

熊日に群馬大教授山口晴保さんが
「開こう認知症の宝箱」という連載を持っていた。
その13回目、「心配せずに長生きしよう」に面白い話がある。

アルツハイマー型認知症にならないための予防法には、
運動や食事などで有効とされるものがいくつもある。

「ところが、このような予防に有効なライフスタイルを続けると
寿命が延びる。寿命が5年延びると、
認知症になる人が倍増することがわかっているので、
認知症予防のライフスタイルで発症を半減させても、
寿命が延びて5年後には発症する」

少し長くなるが続けて引用すると、
「認知症予防とは認知症の先送りなのだ。
認知症予防のライフスタイルは健康寿命を延ばす良いことだが、
皆が長生きするようになれば、認知症になる人の数は減らない。
一時的に減っても先送りなのでいずれ増える」

つまり健康に長生きすることを望むなら、
将来自分が認知症になることを覚悟すべきである、
ということである。
社会保障に関しては、
健康保険と介護保険がある部分で
トレードオフ(二律背反)の関係にあることを
国民に知らせるべきだと思う。
実は生活保護も、そこに絡んでくるのであって、
それだけ取り出してどうにかなる問題ではないのである。

もちろんそれを説明しようとして
国民のだれもが聞く耳を持つかどうかはまた別のこと。
多くの政治家はものごとを単純な話にしてしまうのが
自分の能力の高さだと勘違いしてるし。
熊本弁で表現するなら、
「んなら、どぎゃんすっとヨカつや?」
と誰もが困ってしまうことからしか始まらないのだ。




2013年7月 1日 (月)

全国市議会旬報から②

昨日に引き続き、第89回全国市議会議長会定期総会のこと。

安倍首相は、こうも言っていた。

「地方分権改革につきましても、
政府を挙げて権限の委譲や、規制改革を進めてまいります」


衆議院議長の伊吹文明氏の祝辞はこうだ。
「忘れてはならないのは、地方自治の原点は、
地方自治体の政策を決定する権利と、
その財源もまた地方自治体住民が負担するという義務と、
双方のバランスの上にあるという点であります。
したがって、財源の譲与と不均衡の是正を考えない議論は、
非現実的なものだと私は思います」
ん?
これは地方自治体の味方発言だろうか。
そうだとすれば、安倍首相の上っ面発言に
ぴしりと意見しているということか。

総務副大臣の坂本哲志氏。

「私も地方議会の出身でございます。
しかし、国でこうやって政策を担当する立場になりまして、
国のほうはどうしても全国の平均的なレベルでの
政策立案になりがちです。
皆様方のもとには皆様方の歴史があり、
あるいは慣習があり、それぞれの考え方、地域性があります。
それぞれの地域性に従って、個性ある政策、
これを磨いて頂きたいと思いますし、
そういった個性あるものがお互いに強調したり、
ぶつかり合いすることで日本全体の活力が生まれてくるものである
というふうに思っております」

そうは言いながらも国からの一方的な
地方公務員の給与削減への理解を求めざるを得ない、
つらい立場にあったことはよくわかる。






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