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2013年4月の26件の記事

2013年4月30日 (火)

風の便り(第12号)その3

○サイクルタウンについて

合志市重点区域土地利用計画書の中に
「その他のまちづくり推進案」として
「サイクルタウン」が上がっていますので、
具体的に実現する計画があるか訊ねました。

それに対して、
市民の健康増進と健康都市こうしの実現をめざし、
新たなまちづくりを形成していくうえでの一つの案、
手段としてとらえているが、
構想の具体化には交通安全性の確保、
整備に関する財源調整も必要になってくるので
具体的な計画はないと、まちづくり戦略室長から答弁がありました。

おそらく、市で取り組むとなると、人件費だけでもかかるので
おいそれと新規事業を立ち上げられないのはわかりますが、
何らかの検討をはじめて早いということはないと思いますが、
そこまで質問で突っ込めなかったのは私の技量不足です。

○経済センサス活動調査について

経済センサスは、大規模統計調査の統廃合や簡素・合理化をへて、
総務省と経済産業省が共同で行うもので、
今回(平成24年2月)は売上高や費用等の経理項目の把握に
重点を置いた活動調査となりました。
つまり現実に即した形での統計が初めて出てくるとも言えます。
まだ速報値しか出ていないので、
これから興味深い結果が次々に発表されることでしょう。

市長は、合志市には働く場所がない、
それを作るために規制緩和が必要であること、
求職者と雇用主のミスマッチなどの問題点を述べられました。

それを明らかにする一つの統計ですので、
誰かの評価だけではなく、
職員ひとり一人がその数字を血の通ったものにするために
問題意識を持って解釈し、
その意味を考えてほしいという思いで私は取り上げました。


荒木市長が広報こうしで呼びかけた
「絆の第一歩は、自治会(行政区)への加入から」と
「あなたの知識を生かして「人材(財)バンクに登録しませんか」
を受けて、自治会(行政区)での活動を
「元気な合志市」の基礎にという話に持っていこうと
思っていたのですが、私の中で考えがまとまっていなかったので
残念ながら議論になりませんでした。
         
ご意見をお聞かせください。

〇議会報告会が開かれます〇

5月11日(土) 合志市総合センター ヴィーブル

5月18日(日) 御代志市民センター

いずれも午後7時からです。
お誘い併せの上、ぜひお出かけください。

 ―― ・ ―― ・ ―― ・ ――

以上のような形で、今回の風の便りは終わりました。
というか、現在配布中です。
基本的にポスティングなのですが、
出会った方には挨拶をし、言葉を交わし手渡しております。
実に些細な活動です。
また、はたしてそれが議員としての活動になるのかどうか。

自転車に乗って降りて配って、を繰り返していると、
少なくとも市民のみなさんの生活に触れるような気がする。
それは気がするだけで、思い込みに過ぎないかもしれない。
でもまあ、仲間内ばかりの話で分かったような気になるよりも
そういう空気感の方が貴重ではないでしょうか。

とはいえ、私が回っているのは、
合志市のごくごく一部なのです。
それで、こうしてブログ上でも
記事の内容を再構成しています。
せめて、1千人の合志市民に読んでもらいたい。
ぜひ、お知り合いにご紹介ください。






2013年4月29日 (月)

風の便り(第12号)その2

昨日に引き続き、活動報告をアップします。

 
 ―― ・ ―― ・ ―― ・ ――

○通学路の整備について

平成24年度、各学校から通学路の改善要望として
50カ所が上がってきていると学校教育課長から答弁がありました。
昨年警察庁、文部科学省、国土交通省から県を通じて
通学路の安全確保の徹底についての文書も出ており、
昨年9月に警察、県、市の道路管理者、総務課、
学校教育課、学校等の関係者により
通学路の合同点検を実施したとのことです。
この件に関しては建設課長、総務課長からも
それぞれ各課の取り組みについて答弁がありました。

通学路は何も小中学生だけが使う道路ではありません。
それぞれの校区においては
地元の生活道路として誰もがよく利用しておられることだと思います。
そばを通るクルマやトラックが、
歩行者や自転車が通ることを尊重すれば、
それだけで随分危険は小さくできると思います。
しかし現実には子どもを乗せたクルマのドライバーですら、
歩いているよその子どもやお年寄りなど眼中にないような
運転をしているときもあるようです。

それに対して市長は、カラー舗装はやっているが、
歩道はなかなか作れないので、
子どもたちの安全を守るためには、
地域外から入ってくるクルマを排除する、
時間帯規制や一方通行、
これが絶対的な保障だという意見を述べられました。
区長さんに規制への同意をお願いしているところである。
併せて通学路の見直しを学校教育課にも言っているとのことでした。

○交通ネットワークとエコ通勤バスについて

セミコンテクノパークへ向かう県道の
渋滞緩和の実証実験が行われました。
2月1日から3月1日までの平日、
JR光の森駅からセミコンテクノパーク間、
朝夕8便運行されたエコ通勤バス。
利用者は行き帰りのべ1,282人だったそうです。
これは1日あたり69.1人、1便あたり8.6人ということになります。
エコ通勤協議会で利用者アンケートを分析検証して
今後につなげたいとの答弁がありました。

熊本都市圏協議会の公共交通作業部会では、
熊本市のバス路線再編プログラムにも広域的に取り組んでいて、
熊本市城南方面の浜線バイパスでの実証実験などが予定されています。
イオンモール熊本でのパークアンドライドの拡大も予定されており、
その実証実験を踏まえて、
御代志黒石間を含む6カ所が乗り継ぎポイントということで
検討されるとのことです。

※パークアンドライドとは?
自宅から自家用車で最寄りの駅またはバス停近くの駐車場まで行き
車を停めた後、バスや鉄道等の公共交通機関を利用して
中心部の勤務先などに向かう方法のことです。


2013年4月28日 (日)

風の便り(第12号)その1

いま、一部区域で配っている私の活動報告です。
今回はその前半をアップします。
いま話題のネット選挙の解禁については
別の機会に書くこともあるかもしれませんが、
あれはあくまで公職選挙法上の選挙期間、
つまり国政選挙では公示から投票日までの話。
現職の議員や首長であれば、
こういうふうに自分の政治信条や政策、活動報告などを
どなたも以前から行っていたわけです。
それは選挙法とは関係ありません。
ただ、これから選挙に立候補しようという人が、
当選したあかつきには、こういうふうなことをやりたいと書くのは、
やはり公職選挙法違反になるのではないか。
もちろん、現職であっても「次の選挙では」などと
語ってはいけないのかもしれない。
そこのところはどうなるのか、調べてみます。



 ―― ・ ―― ・ ―― ・ ――

合志市議会議員上田欣也からあなたへ
活動報告・風の便り


みなさま、いつもお世話になっております。上田欣也です。
今年は例年より早くあっという間に桜の花が咲きました。
そしていろいろな花が続きます。新緑も目にまばゆいばかりです。
花粉症をはじめ、それぞれのお悩みは尽きないかと思いますが、
今日はよかったと思えることが
ひとつでも見つかる毎日でありますように。

さて、平成25年第1回定例会は、
3月1日(金)から3月22日(金)まで22日間の日程で行われました。
この議会では追加議案まで含めて39本の議案が上程されました。
主なものは平成25年度一般会計予算をはじめ、
国民健康保険・介護保険などの特別会計などです。

開会の冒頭で、荒木市長から「市長あいさつ」という
新年度にあたっての基本的な考え方が述べられました。
これがなぜ「あいさつ」になるのか不思議に思った私は
インターネットで調べてみました。

神奈川県の相模原市では、施政方針を「市政運営にあたり、
市長が重要施策や予算について、
市議会(3月定例会)の冒頭で表明するものです」とあります。

「市長あいさつ」の最後は、
■任期4年目にむけて■としてこう結ばれます。
「新年度にあたり、市長としての基本的な考え方の表明とさせていただきます。」
明確な規定はありませんけれども、「あいさつ」はないだろうと思いませんか。

※広報こうし4月号はご覧になりましたか。
上記の「あいさつ」の内容が「施政方針」として掲載されています。
具体的な施策がわかりやすく語られています。

平成25年度一般会計予算(当初)は、
173億6千200万円(昨年度比+1億1千320万円)となりました。
ただ今回の補正予算も含めると、
平成24年度一般会計予算は180億円になっています。

★議会だよりもぜひお読みください★

私の一般質問から

○市道の幹線道路網の整備について

昔は砂利道であっても真っ直ぐな道さえ通っていたら、
それで随分便利だったような気がしますが、
それは昭和30年代から40年代に育ったからでしょうか。
いまはきちんと舗装されているのが当たり前なので、
その舗装が傷んだりしたら早く修理してもらいたいと思います。
確かに穴が開いているような道路は危険ですので
緊急工事もされますけれど、総延長400㎞にも及ぶ市道です。
順繰りにやっていくほかありません。

建設課ではその道路の渋滞状況、交通量、また形状から改良が必要か、
傷み具合、各地区からの要望などの観点から、
どの道路を先に整備するかを決めているそうです。
住宅地が開発されると、その地区内の道路は原則的に市道に認定され、
人の往来やトラックなどによる物流もより活発になります。
予算的には1年間に改良や舗装により整備される市道は
わずか10km足らずです。

渋滞解消については菊池南部地域交通対策検討会において、
関係自治体や住民代表、立地企業等で意見を行っている。
毎年9月ごろ、県へは定期的な要望書を提出、
県や近隣市町とも連携して広域的な道路を作る場合には
よきパートナーとして事業を推進したいとの答弁がありました。



2013年4月27日 (土)

交通基本条例

やさしいまちづくり集団の例会に参加。
熊本市都市建設局交通政策総室から担当者を迎えて、
熊本市公共交通基本条例についての解説。
資料をもとに話されたが、
特に目新しいことはなかった。
メンバーから、公共交通ネットワークの強化について
いくつかの提案があった。
なかなか変えることがむずかしい現状もあるようだが、
市民、利用者の方を向いてやらないといけませんね。
浜線バイパスを走らせる急行バスが
機能強化の目玉の社会実験のようだ。
いい結果が出ればいいが。

路面電車の方には今のところ新しい工夫はないようだが、
現在の運行本数を増やすために
水道町か交通局前で折り返し運転をしたらどうかという
素晴らしいアイデアも出た。
検討してくれるだろうか。
熊本市交通局には、体質的に新奇なことには取り組まない、
という問題点があるようにも聞く。

交通基本条例の第10条には
(市民からの提案等)という項がある。
「市長は、市民からの公共交通の維持及び充実に
関する提案について総合的に検討し、
これを適切に市の施策に反映させるために必要な措置を
講ずるものとする」と明記してあるが、
その提案をどう受け付けるかということは
まだ決まっていないらしい。

公共交通空白地域、不便地域の利便性向上に
主眼が置かれているようである。
それは政令指定都市になるために合併した
周辺の町に対する配慮であり、市の責務であろう。


2013年4月25日 (木)

1300年(続き)

大宰府で発掘された木簡の中に、
「合志評(こうしこおり)」と読めるものが見つかっており、
これが「評」で間違いなければ、西暦600年代後半の郡制度の
前身である「評制度」の下での表記と考えられ、
「合志」の字は和銅6年の風土記編纂の官命より前に
使用されていたことになる。

註によると、「郡制度」は「評制度」を受け継ぎながら
大宝元(701)年に始まったとされるが、
『日本書紀』では一貫して「郡」の表記が用いられている。

以上のことから、「皮石」や「恰志」の表記は限定的で、
「合志」の表記は当初から用いられており、
風土記編纂の「好字」の命に際し、「合志」の表記に
定まったと考えるのが自然である。

「和銅6(713)年から約220年後の承平年間(931-938)に
和名類聚抄という辞書が編まれたが、その中では
合志郡の読みを万葉仮名で「加波志(かはし)」と表している。
『日本書紀』の「皮石」の表記と併せて考えてみると、
上古は現在のように「コウシ」とは発音せずに
「カワシ」としていたものが、やがて「合志」の表記に影響され、
「コウシ」と発音するようになったと考えられる」
と資料には書いてあるのだが、
「かきくけこ」を「くゎくぃくぅくぇくぉ」と発音していたというような
話を聞いたような気がするので、
というか私の知る昔の人たちは、
たとえば「参加」を「さんくゎ」とか発音していたような気がするので、
「くゎはし」が「こうし」に変化したということも考えられると思う。

「現存する九州の二つの風土記
『豊後国風土記』と『肥前国風土記』では
郡名の由来も記されていることから、
もし肥後国の風土記が残っていれば「合志」の名の由来も
記されていたと思われる」ということなので、
返す返すも、公文書保存の思想があったならばと
残念至極である。

1300年というのは実に長い。
だから、何年に「合志」と名づけられたかという
西暦的な正確さにそれほどこだわることはないのではないか。
いや、待てよ。そうすると、
1300年間に亘り「合志」が合志郡として
いかなる歴史をたどって来たのかということが大事なのであり、
「志を合わせる」などという意味付けは
後世のこじつけの類いに過ぎないと糾弾されるかもしれない。

1300年を記念することを
生涯学習課では最初渋ったはずである。
そしてそれが、いまのところこの「1300年」が
今一つ盛り上がりに欠けるところかもしれない。









2013年4月23日 (火)

教育委員会義

合志市教育委員会議を傍聴する。

本日は今年度第1回ということで、
説明事項が盛りだくさんだった。
継続的な事業が多かったが、
その中で興味を惹かれたのは、
合志義塾マンガ化プロジェクト、学校問題解決支援チーム、
給食のあり方検討委員会などの新しい動き。

グラウンド検討委員会での結論も気になるところ。
また体罰についてのアンケートに関する報告もあった。

委員からの質問もそれぞれにあったが、
それらは会議録が後日公開されるだろう。


2013年4月22日 (月)

寒の戻り

昨日午前、ハンセン病市民学会実行委員会で、
菊池恵楓園へ。
入所者の方がお亡くなりになっていた。

Photo

カラオケが好きな方だったと、
出棺のときの挨拶で聞いた。


2013年4月21日 (日)

1300年

今年は、合志1300年として、いくつかのイベントの頭に
この1300年を載せて・・・何をするんだっけ。
私は最初に定例会の一般質問で
この1300年について取り上げたのだが、
あまり反応が芳しくなかった。
1300年に当るということが歴史的事実であるかどうか
これが釈然としないということだった。
歴史的事実が判然としないと言っても、
30年前の話ではなく、1千年以上前のこと、
数十年ぐらいのずれは些細なことではないか、
というのが私の趣旨であった。

そのとき生涯学習課で作った資料によると、
合志市の名の由来である「合志郡」が歴史上初めて現れるのは、
西暦720年に完成した『日本書紀』の中である。
持統天皇10(696)年夏4月の条「肥後国皮石郡壬生諸石」という
記事においてである。
当時は「皮石」という表記だったということがわかるところだ。
そしてここで「肥後国」という名称も初めて歴史に登場した。

また平城京から出土した養老7(723)年の銘がある木簡に
「肥後国恰志郡」の表記が見られる。
奈良国立博物館寄託の天平15(743)年書写の写経の奥書に
「合志郡」と書かれている。

「皮石」から「合志」への改字は、和銅6(713)年、
諸国に地誌(風土記)の編纂が命じられた際、
「郡・郷の名には好い字をつけよ」との条項があったため、
以後、志を合わせるという「合志」の字があてられたとされている。

だが、現在、肥後国の風土記が残っていないので、
このときから「合志」と表記されるようになったかどうか定かでない。

それで「1300年」かと突っ込みを入れられたくはない。
しかし、それを言うと、合併前の合志町の碑においては
そのときに「合志」となったと石に刻んでいる、
ということになってしまうので固いことは言わないでね。

公文書はきちんと保存しなくちゃという概念が当時あったなら、
これに限らず歴史上の謎の多くは謎ではなかった。
ということは言えそうだ。
昔だから、政権が変わると以前の歴史は
破壊するか塗りつぶすかが普通だったと思われるが。

さあ、物語は佳境だが、あとは後日。




2013年4月20日 (土)

小雨

雑誌SWITCHの4月号だったと思う。
小泉今日子の連載「原宿百景」で、
愛猫小雨のことが書かれていた。

当時の自分の状況を客観的に描くことから始まり、
住まい探しの話かと思いきや、
いかにして小雨と出合ったか、
そしてエンディングは・・・
うまい。
村上春樹に誰か読ませてみろ。
多分彼も唸ると思う。

生きていくのはオレたち、なのである。

NHKの朝ドラ「あまちゃん」の撮影がいつ始まったか知らないが、
最初のころの小泉は、ドラマの設定とはいえ、
かなり荒んでいたような気がする。
ここのところの彼女が、お話の進展もあるとはいえ、
イキイキしてきたように感じられるから
そう思えるのかもしれないが。


一掃

2月9日の熊日「現論」は文芸評論家 斎藤美奈子さんが
「甘い社会が見過ごす暴力」について書いている。
体罰を受けていた大阪の高校生の自殺と
柔道女子の五輪代表選手らによるパワハラ告発が
新聞をにぎわせていたころだ。

「文部科学省が体罰の一部を事実上容認する通知を出したのは
2007年2月。第1次安倍内閣ときだった」

「それから6年。安倍首相は「『いじめ・体罰対策に全力で取り組む』
と約束した。が、『学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、
体罰に関する考え方をより具体的に示す』という発想の仕方が
すでに誤っている。6年前と意識は同じ。
体罰はなべて暴力で『よい体罰と悪い体罰』があるわけじゃないからだ」

安倍晋三という人は、
人間的にはいい人ではないかと察する。
しかしイデオロギー的にはまったく相容れない。
首相の教育に対する情熱は偏向している。
なんて書くと、それはあなた(つまりわたくし)の方が
曲がっていると言われそうだが、
思想とはそういうものらしい。
ただ私は自分の方が包容力のある考えだと思うし、
人類の理想を目指していると思う。
つまり理想そのものが違うのだ。
だから、どこまで行っても平行線である。
パラレル日には永遠が見える。

「人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に
意義を唱える人たちに、
暴力を一掃することができるだろうか。
矛盾としかいいようがない」と斎藤さんは結ぶ。

ただ私は暴力を一掃することなど人類には無理だと思う。
だからこそ、それに少しでも近づくために
努力を続けなければならない。
日本が侵略されたら、を想定することは無意味ではないが、
そのために軍拡に走ることが正しいとも思えない。


2013年4月18日 (木)

恵楓園ガイド

4月17日 水曜日

菊池恵楓園ボランティアガイド

宮崎から来た看護学科の学生約170名。
5班に分かれて案内した。

今回は先日講習を受けた方と二人組だったが、
彼が遠慮されるので、私一人で
ガイドブックをちらちら見ながらの
まことに不案内なガイドであった。

ひと班約30名。
まだ二十歳前の女の子ばかり。
高校生よりは少し大人な感じはするが、
どれだけ言葉が伝わったことか。
どうしても説明に終わってしまう。
しかし強い思い入れで語ることだけが必要でもないような。

引率の先生には、
市議会議員の仕事が忙しい中、
市内にある施設の歴史を知ってもらうために
ボランティアで案内していただいたと
過分な紹介していただいた。
それほど大それたことをしているつもりではないのだが、
やはり生まれ育ったわけではないにせよ、
幼いときから知っていたのに、
ずっと自分の関知する場所ではなかった。
それはここに引っ越してきても10数年そのままだった。

それでいいのか、と自問自答した結果、
ボランティアガイド講習を受講して、
たまにではあるが、ガイドを引き受けることに
義を見いだしたということだ。

また大層な書き方をし
てしまった。
ボートに片足をかけたら岸を離れだしたので、
あわててボートの方に飛び乗ったということか。
あまりいい例えではないが。

合志市民には特に
そのボートをどんどん漕ぎ出してほしいと思う。
行きつく先は、離れた岸と地続きだろう。
でも、水辺の地面の側をぐるっと回るのと、
一度ボートに乗って陸地を見つめるのとは違う。
きっと違う。


2013年4月17日 (水)

塩浸温泉

霧島に塩浸という名の温泉があって、
これは合志市を流れる塩浸川と多少縁があるかと。
寺田屋事件で負傷した坂本龍馬が
西郷隆盛の勧めで湯治に訪れたという。

2_2

命の恩人でもあるおりょうとの二人旅で、
日本で最初の新婚旅行だということになっておる。
ちょっと切なくなるのは、
龍馬、翌年には亡くなっていることだ。

二人が入ったという渓流沿いの岩風呂もあった。
近くに二羽の鴨が水浴びをしていた。
なんで、それを撮って来なかったのか!?

Photo

ちなみに霧島フットパスコースになっているようです。








2013年4月15日 (月)

丸尾滝

一起会で霧島温泉に行った。

Photo_2

丸尾滝。

2











2013年4月13日 (土)

ハイ&ドロー

世の中には大まかに二つに分けて話した方が
わかりやすいということで、左だ右だ、とか
賛成か反対かの二択で政治的な考えを分別することが多い。
小選挙区制による政権交代が可能な政治は、
AとBの2大政党が切磋琢磨することで
穏健で漸進的な政治が行われる予定で考えられた
(というか、本気でそう思っていたというよりも
そのときに力のあったパーティー<政治団体>が
自分たちに都合の良いように考えたのだと思うが)。

民主主義は多数決原則なので、
賛成か反対かに収れんしていくのは当たり前だけれど、
護憲か改憲かは正確に言うと、
2択というわけでもない。
私は民主主義の使徒として、憲法について
国民的に広く論議されることは認めなくてはならないが、
大まかに分けた立場的には護憲である。
というのも改憲の人と無益な議論をしたくないという
実に非国民的な理由が大きい。

このブログにおいて、
過去に違った見解を述べていても、
それはそのときの考えなので、
あのときああ書いていたくせにと言われても構わないが、
それはそのときの考えの表面的な表明であって、
基本的に憲法は改正しなくてもいい派である。

別の二択で行けば、
戦争したいか、したくないかというのもあるだろう。
軍備増強すべきかどうかになると、
国を守るためには仮想敵国の装備を追い越さなくても
追随していかなくてはならないという考えがある。
私は戦争する気がないなら、
武装してはいけないのではないかと考える。
考えるけれど、いきなり武装解除にはやはり問題があるので、
自衛隊の存在は当然認めるものである。
そうなると、憲法9条と整合性が取れないので、
憲法全部を取り替えなければいけないという意見が出てくる。
そこで私は言う。
別にそのままで問題はない、と。







2013年4月12日 (金)

Jアラート

北朝鮮情勢を踏まえた情報伝達について、
総務課からFAXが昨日届いていた。

よみうりオンラインによると、
Jアラートは人工衛星を使った情報通信システムで、
ほぼ全ての自治体が加入しており、
このうち約7割の自治体では防災行政無線を通じて
自動的に住民に情報が伝わる仕組みになっている。


合志市ではまだ自動システムになっていないが、

・昼間、夜間の制限なく、Jアラートで緊急情報受信後、
直ちに、防災行政無線でサイレンを鳴らした後、
緊急情報の放送を行う。

・放送した内容は合志市ホームページの緊急情報にアップする。

・夜間においては、市民の皆様からの電話の問い合わせに
対応するため、合志庁舎・西合志庁舎に職員を配置する。

上記の対応をすることになった。
全国ほとんどの自治体で同じだと思う。
大袈裟ではないかという意見もあろう。
しかし政府は非常時にはこれで行くと
もうずっと前に決めている。

そうならないことを願うばかりだ。


2013年4月11日 (木)

大発見

2月2日熊日の教育のページに
元小学校教師で北海道教育大教授の
今泉博さんのインタビューが載っていた。
聞き手は共同通信編集委員 山田博さん。

たとえば、5年生の理科の授業で魚の誕生を取り上げる。
朝、市場で買ってきたタラコを生徒の前に出して
「卵はいくつあるだろう?」
「どう数えたらいいかな?」
と問いかける。
みんなの意見が上がって、1㌘調べれば全体がわかる。
というアイデアに行きつく。
そして2時間以上もかけて数えるのだ。
答えはタラコ一つで28万個である。

「計算が嫌いな子が、結果を知りたくて懸命に計算している。
そんな姿を見ると、子どもは自分が知りたいと思えば、
言われなくても動きだすことがよく分かる」

大量の卵のうち、生き延びる卵はごくわずかという事実に直面し、
「海の中での食う、食われるという厳しい自然の摂理を
自らの力で実感できるようになる」

「推理と推論はジグザグすればするほど、
学習が深まるし、間違いも、
何故間違いかを知ることで、
深く、豊かな理解が生まれてくる。
子どもが自分で発見することが多ければ多いほど、
授業は面白くなる」

おそらく安倍晋三首相は、
そういう授業を受けていないのだ。
そういう時代だったから仕方がないと思うが、
仮にこういう記事を読んでも心を動かされることはないだろう。
いちいち感心していたら、
彼の考える大義が揺らぐからだ。
揺らいでほしいと私は願うものだが、
それは難易度が高いと思われる。


2013年4月10日 (水)

電子複写・内田樹「学校教育の終わり」

以下、
内田樹の研究室4月7日分に記載の「学校教育の終り」
全文のコピー&ペーストである。


大津市でのいじめ自殺、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部のキャプテンの体罰自殺など、一連の事件は日本の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達していることを示している。
機械が壊れるときは、金属部品もプラスチックもICもすべてが同時に劣化する。それに似ている。学校教育にかかわるすべてが一斉に機能不全に陥っている。
これを特定のパーツを取り替えれば済むと考えている人は「どこが悪いのか?」という「患部」を特定する問いを立てようとする。だが、それは無駄なことだ。日本の学校制度はもう局所的な手直しで片付くレベルにはない。
「日本の学校制度のどこが悪いのでしょうか」と訊かれるならば、「全部悪い」と答えるほかない。
けれども、学校教育は「全部悪い」からといって、「全部取り替える」ことができない。自動車なら、新車が納車されるまで、バスで通う、電車で通うという代替手段があるが、学校にはない。新しい学校システムができるまで子どもたちを収容する代替機関が存在しない。
学校を全部変えるということは「無学校状態」に子どもたちを放置するリスクを負うことであり、私たちはそんなソリューションを採択することができない。
つまり、学校教育システムを全部変えなければいけないのだが、部品は今あるものをそのまま「使い回し」てゆかなければならない。
いわば、自動車を走らせながら修理するようなことを私たちは求められているのである。
これが学校教育についての私の基本的な立場である。「走りながら修理する」ために、何をすればいいのか? 何ができるのか?

日本の近代学校教育システムは「国民形成」という国家的プロジェクトの要請に応えるかたちで制度設計された。つまり、学校の社会的責務は「国家須要の人材を育成すること」、「国民国家を担うことのできる成熟した市民を作り出すこと」ことに存したのである。サラリーマンになるにしても兵士になるにしても学者や政治家であっても、教育の目的はあくまで「国家須要の人士」の育成である。成否は措いて、この目的そのものは揺るぎないものだった。
1945年の敗戦でも、学校教育の目的が国民国家の未来の担い手を育てることであるという目的そのものに疑いは挟まれなかった。戦後生まれの私たちの世代は「民主的で平和な日本の担い手」たるべく教育された。
明治維新以来、学校教育は「国民国家を維持存続させるため」のものであり、教育の受益者がいるとすれば(そういう言葉は使われていなかったが)、端的に共同体それ自身だったのである。

この合意が崩れたのは一九七〇年代以降のことである。
歴史的理由については贅言を要すまい。歴史上例外的な平和と繁栄である。私たちは「平和と繁栄のコスト」をいろいろなかたちで支払うことになったが、学校教育の目的変更もそのひとつである。
このとき、学校教育の目的は「国家須要の人材を育成すること」から、「自分の付加価値を高め、労働市場で高値で売り込み、権力・財貨・文化資本の有利な分配に与ること」に切り替えられた。
教育の受益者が「共同体」から「個人」に移ったのである。

もちろん、明治に近代学制が整備されたときから、人々は自己利益のために教育を受けた。ほとんどの場合はそれが「本音」だった。だが、「おのれひとりの立身出世のために教育を受ける」という生々しい本音を口に出すことは自制された。あくまで学校教育の目的は「世のため人のため」という公共的なレベルに維持されていたのである。
七〇年代以降、それが変わった。人々はついに平然と学校教育を「自己の付加価値を高め、自己利益を増大するための機会」だと公言するようになった。教育の受益者が「共同体」から「個人」にはっきりと切り替わったのである。
だが、その根本的な変化が学校教育をどのように変容させることになるのか、どのように「破壊する」ことになるのか、そのときの日本人は想像していなかった。
その後、教育はつねに「教育を通じてどうやって個人の利益を増大させるか?」という問いをめぐって論じられた。教育改革も教育批判もその点では同じだった。その前提そのものが設定の間違いではないかという反問をなす人はいなかった。 
もちろん文科省の発令する文書には依然として「愛国心」や「滅私奉公」的な言辞がちりばめられていた。だが、そこで言われる「愛国心」は実際には単に「上位者の命令に従うこと」しか求めていなかった。「滅私奉公」してまで何をするかというと、「グローバルな経済競争に勝ち残ること」つまり「金儲け」なのである。
このとき、国民国家はほぼまるごと「営利企業モデル」に縮減されたのである。上司の言うことを黙って聞いて、血尿が出るまで働いて、売り上げノルマを達成すること、それが学校教育の事実上の目標に掲げられる時代になったのである。

「公教育」という理念を考え出したのは啓蒙主義の時代のフランス人だが、行政制度として実現してみせたのはアメリカ人の方が早かった。だが、そのときも公教育の導入には強い抵抗があった。というのは、アメリカ社会は伝統的に「自己教育・自己陶冶」を重んじる国だったからである。
学校教育に税金を投入すると聞かされたアメリカの裕福な市民たちはこう言って抗議した。
「もし教育を受けたものが、そこで得た知識や技術のおかげで出世し、高い地位を求めるのであれば、それは自己負担でやるべきことではないのか。なぜ、私が刻苦勉励して納めた税金を他人の子どもの教育に投じて、自分自身の子どもたちの競争相手を作り出さなければならないのか?」
この反対論は強固なものだった。
公教育論者たちはこれを説得するために苦肉の理屈に訴えた。
あなたがたが税金を投じて学校教育を整備してくれれば、文字が読め、四則計算ができ、基礎的な社会的訓練ができた子どもたちを作り出すことができる。それは長期的にはビジネスマンのみなさんにとっても「よいこと」であるはずだ。彼らは優秀な労働力となり、活発な消費活動を行う消費者になるだろう、と。
市民たちはこの言い分を受け入れた。とりあえずアメリカの高額納税者たちは「労働者の質向上と市場の成熟」という長期的な利益を「今期の税額の多寡」という短期的な利益に優先させるくらいの計算能力を備えていたのである。
日本の教育改革論はどれも公教育への税金投入に反対したこのときのアメリカの納税者のロジックを下敷きにしている。すなわち、「教育の受益者は本人だ。そうであるならば、教育のコストは自己負担すべきだ」というものである。
貴重なる公金を支出するなら、学校は目に見えるかたちで、今すぐにその「見返り」を示さねばならぬ。それはとりあえず能力が高いが、安い賃金と長時間労働を受け入、上司の命令に従順な労働者を量産して、納税者の金儲けを支援させよというものである。
ここには「次世代の共同体を担う成熟した公民を育成する」という長期的な国益への配慮はもう見られない。企業の収益が今すぐに増大するような教育的アウトカムばかりが求められている。そして、「短期の損得を先にして、共同体が瓦解するリスクを冒すな」とそれを抑制する対抗的なロジックを語る人はもはやメディアにはほとんど登場しないのである。

近代の学校教育が「国民国家内部的」な制度である以上、学校教育の衰退が国民国家の衰退と歩調を揃えるのは当然のことである。
経済のグローバル化に伴って、いま世界中で国民国家はその解体過程にある。領土があり、官僚組織と常備軍を整え、その土地と文化につよい帰属意識をもつ「国民」を成員とするこの統治システムそのものが終わりつつある。
グローバル資本主義は人、資本、商品、情報が超高速でクロスボーダーに移動することを要求する。この要求は不可逆的に亢進し続ける。クロスボーダーな運動にとって最大の障害は国境、ローカルな国語、ローカルな法律、ローカルな商習慣である。これらすべてをすみやかに排除することをグローバル資本主義は求める。
経済のグローバル化を強力に牽引しているのはアメリカという国家だが、アメリカの国家戦略を実質的にコントロールしているのはすでに政治家ではなく、グローバル企業である。
国民国家はグローバル資本主義にとって、クロスボーダーな経済活動を妨害するローカルな障壁だが、利用価値がある限りは利用される。
国家資源は、政治家も官僚組織も軍隊もメディアも、もちろん学校教育も総動員される。
だから、グローバル化の進行過程で「国民国家の次世代の成員を育成する」といった迂遠な目的を掲げる公教育機関が存続できるはずがない。
グローバル資本主義は国民国家とも、学校教育とも「食い合わせが悪い」のである。

だから、「グローバル化に最適化した学校教育」はもう学校教育の体をなさない。教育にかかわるすべてのプレイヤーが「自己利益の最大化」のために他のプレイヤーを利用したり、出し抜いたり、騙したりすることを当然とするようなれば、そこで行われるのはもう教育ではないし、その場所は「学校」と呼ぶこともできない。
現に、学校のグローバリスト的再編を求めている当のグローバリスト自身、日本の学校がもう学校としては機能していないことをよく理解している。だから、彼らは平気で自分の子どもには「スイスの寄宿学校で国際性を身につけろ」とか「ハーバード大学で学位をとってこい」というようなことを命じる。日本の学校が「もうダメ」なら、外国の学校で教育を受ければいい。そう言い切れるのは、「学校教育の受益者は本人である」という信憑が彼らのうちに深く身体化しているからである。優秀な人間はどんどん海外に雄飛すればいい。日本なんかどうせ「泥舟」なんだから、沈むに任せればいいというのはひとつの見識である。
だが、そういう人は学校教育については発言して欲しくない。
繰り返し言うが、学校教育は国民国家内部的な「再生産装置」であり、ほんらい自己利益の増大のために利用するものではないからである。

残念ながら今の日本の支配層の過半はすでにグローバリストであり、彼らは「次世代の日本を担う成熟した市民を育てる」という目的をもう持っていない。
ご本人たち自身が子弟を外国の学校に通わせており、国内での雇用創出にも地域経済の振興にも興味がなく、所得税も法人税もできれば納めずに済ませたく、彼らがその収益を最優先に配慮する企業の株主も社員もすでに過半が外国人なら、それも当然である。
だが、不思議なことだが、「正直なところ、日本なんかどうなってもいい」と思っている人間しか社会的上昇が遂げられないように今の社会の仕組みそのものが再編されつつあるのである。
だから、まことに絶望的なことを申し上げなければならないのだが、今の日本では学校教育を再生させるために打つ手はないのである。
教育改革をうるさく言い立てる政治家やメディア知識人はいまだに「勉強すれば報償を与え、しなければ処罰する」という「人参と鞭」戦術で子どもたちの学びを動機づけられると信じているようだが、それがもう破綻していることにいい加減に気づいたらどうかと思う。
利益誘導は、高い学歴や社会的地位や高い年収といった「人参」に魅力を感じない子どもたち、「欲望を持たない子どもたち」には何の効果も持たない。「そんなもの、欲しくないね。僕は家に引きこもって、ゲームをしている方がいいよ」と言う子どもに利益誘導はまったく無効である。
同じように、あまりにスマートであるために、学校に通って付加価値を高めるというような遠回りを「かったるい」と思う子どもたちにも利益誘導は無効である。彼らは学校に通う時間があったら、起業したり、ネットで株を売買したりして、若くして巨富を積む生き方を選ぶだろう。学校に通う目的が最終的に「金をたくさん手に入れるため」であるなら、自分の才覚で今すぐ金が手にできる子どもがどうして学校に通うだろう。  
「人参と鞭」で子どもたちを学校に誘導しようとする戦略はこうして破綻する。「欲望のない子ども」たちと「あまりにスマートな子どもたち」が学校から立ち去ることをそれはむしろ推進することになる。
引きこもりや不登校の子どもたちは別に「反社会的」なわけではない。むしろ「過剰に社会的」なのである。現在の教育イデオロギーをあまりに素直に内面化したために、学校教育の無意味さに耐えられなくなっているのである。
だから、ひどい言い方をすれば、今学校に通っている子どもたちは「なぜ学校に通うのか?」という問いを突き詰めたことのない子どもたちなのである。「みんなが行くから、私も行く」という程度の動機の子どもたちだけがぼんやり学校に通っているのである。

欧米の学校教育は、まだ日本の学校ほど激しく劣化していない。「何のために学校教育を受けるのか」について、とりあえずエリートたちには自分たちには「公共的な使命」が託されているという「ノブレス・オブリージュ」の感覚がまだ生きているからである。パブリックスクールからオックスフォードやケンブリッジに進学するエリートの少なくとも一部は、大英帝国を担うという公的義務の負荷を自分の肩に感じている。そういうエリートを育成するために学校が存在している。
だが、日本の場合、東大や京大の卒業者の中に「ノブレス・オブリージュ」を自覚している者はほとんどいない。
彼らは子どもの頃から、自分の学習努力の成果はすべて独占すべきであると教えられてきた人たちである。公益より私利を優先し、国富を私財に転移することに熱心で、私事のために公務員を利用しようとするものの方が出世するように制度設計されている社会で公共心の高いエリートが育つはずがない。
 
結論を述べる。
日本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。
唯一の救いは、同じ傾向は世界中で見られるということである。
学校教育が国民国家内部的な装置である以上、グローバル化の進行にともなって、遠からず欧米でもアジアでも、教育崩壊が始まる(もう始まっている)。だから、日本の学校教育の相対的な劣位がそれほど目立たなくはなるだろう。

もう一つだけ救いがある。それは崩壊しているのが「公教育」だということである。国民国家が解体する過程で、公教育は解体する。だが、「私塾」はそうではない。
もともと私塾は公教育以前から、つまり国民国家以前から存在した。懐徳堂や適塾や松下村塾が近代日本で最も成功した教育機関であることに異議を唱える人はいないだろうが、これらはいずれも篤志家が「身銭を切って」創建した教育機関である。
このような私塾はそれぞれ固有の教育目的を掲げていた。「国家須要の人材」というような生硬な言葉ではなく、もっと漠然と「世のため人のために生きる」ことのできる公共性の高い人士を育てようとしていた。
それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。

以上。

2013年4月 9日 (火)

タンポポ

午前中、合志南小学校の入学式。
新1年生は5クラス、153名。
名前の読み方はかなり困難。
名簿のふりがなと読み合わせると、
世相を読み取っている感じ。
校長先生はあいさつで「いのちをたいせつにしましょう」
とまず第一に言われたのだけれど、
気持はわかるものの、新1年生に、
「いのちをたいせつ
」が伝わっただろうか。
意味がわからなくても、何度も聞かせれば
じわっと心に沁みていくということもあるかもしれない。

午後は合志中学校。
こちらは7クラス、247名。

Photo

タンポポ以外もほとんどが雑草というウチの庭ですが、
一見ほわっとした夢のあるイメージですが、
これが風に舞って拡散し、
それこそ庭のあちこちで雑草化するのです。
ピント合ってませんね。


2013年4月 8日 (月)

トレードオフ

1月30日の熊日に掲載されていた
熊本県立大学環境共生学部教授の篠原亮太さんのECOコラム⑦、
トレードオフの最適化について書かれている。

トレードオフとは、
「一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ない状態や関係」のこと。
日常生活はトレードオフの積み重ねで成り立っています、とあるが、
まことにその通り。
ペットボトルのキャップを集めると、
途上国の子どもたちのワクチン代になると言うが、
ペットボトルを製造してそれに入れた飲料を
無制限に流通させていることで、
地球温暖化を許し、途上国に洪水を起こしたあげく、
衛生状態を悪いままにしているかもしれない。
というようなこと。

日本経済には多少は復興してほしいが、
それに乗じて憲法改正まで持ち込もうというのは、
やはりトレードオフの関係である。
憲法改正の議論は大いに結構だが、
自民党が出しているのは素案ならぬ粗案なだけに
かなり心配である。

もっと心配なのはトレードオンの人たちであるが。

篠原先生のコラムは次のように結ばれる。
「環境のトレードオフの最適化を考えていくには、
最新の正しい情報開示が必要です」







2013年4月 7日 (日)

合志吹奏楽団「響」第9回定期演奏会に行く。
去年も書いたと思うけど、
小学生や中学生とは違って(どちらがいいとかではなく)
やっぱり大人の音だなというのが第一印象。
当たり前と言えばそうなんですけれど、
そこが音楽の面白さというか奥深さというか、
人生と切り離せないところなんですね。

人前で演奏するために練習する。
自分や仲間たちの音楽であると同時に
この楽しさをたくさんの人たちに伝えたいとか、
いろんな思いがそれぞれにあることだと思う。
私は練習嫌いで続かなかったので、
ここまでやれる人たちを心から尊敬します。

菊陽吹奏楽団と熊本市民吹奏楽団の
定期演奏会のチラシが入っていたけれど、
それぞれ29回と30回。
音楽を楽しんでいらっしゃるとは思うけれど、
やはり継続するのは並大抵のことではない。

響では、特にチューバ奏者を求めているそうです。

来年の第10回はどのぐらいすごいことになっているか、
いまから楽しみです。


2013年4月 6日 (土)

地元高校がもともとなかった町として

1月27日の熊日、「高校再編計画 すれ違う事情<下>」。
多良木、球磨商、南陵の3校を2校に再編・統合するという
2007年決定の県立高校再編基本計画について。

結びにある関係者の言葉。
「再編が進めば熊本市内への生徒流出がさらに加速する。
高校進学で地元を離れてしまえば、もう将来は戻ってこない」

合志市にはもともと高校がないので、
中学を卒業したらみんな市外(合併前は町外)に出ていった。
ただ地勢的に熊本市のベッドタウンとして開発が進んだので、
戻ってくるというか、残った者も多いと思う。
私のようによそから移り住んだ者はさらに多い。

球磨地域とは事情が異なるが、
「高校進学で地元を離れてしまえば、もう将来は戻ってこない

ことの切実さはわかる。
それは熊本県内どこでも似たようなものだと思う。
熊本市でさえ、大学卒業生すべてを地元には残せない。

合志市に於いては
土地利用の規制を緩和して、働く場所を増やし、
そのことで財政を豊かにしようとしている。
起業化についてもいくつかの新しい試みがある。
しかし市民一人ひとりにそれらの施策は共有されていないだろう。
目先困っているのは、認可保育園に入れないというようなことだ。
勤め先があっても、安心して子どもを託せなければ、
働けないではないか。
人口が相対的に減少していく社会で、
女性の労働力を活用することや、
余裕のある教育機会を提供することが必要だ。
そのためには財源が必要だから、といくら説いても
それを伝えるのは至難のわざだろう。

それは財政に関するいまそこにある危機を
誰も具体的に説明しようとしていないからではないか。
それを突きつめて行くのも議員の仕事である。
合志市や熊本県どころか、
もちろん国そのものが危ないと言えば危ないのだけれど。




2013年4月 5日 (金)

小泉今日子

今朝のNHK総合「あさイチ」に
連続ドラマ「あまちゃん」に主人公の母親役で出演中の
小泉今日子が出ていた。
Kyon²ももう47歳である。ドラマでは42歳の役であるが。

途中可燃ごみを出しに行ったら、
カラスが来ていたので、つつかないように
収集車が来るまで見張っていたために、
10分以上見ることができなかった。
一応録画はしてあるのだが。

番組でもちょこっとこの回が出ていたが、
久方ぶりに本よみうり堂をあけてみた。

上野千鶴子/湯山玲子著の『快楽上等!3・11以降を生きる』である。

 生まれて初めて教科書や参考書以外の本に
 ラインマーカーを引きまくった。
 私の未来。新しい世界、
 新しい生き方への受験勉強をしているみたいで楽しかった。
 晴れて合格しますように。 
(本文→リンク

こういうところ、うまいなあと思う。
ただまだ慣れていなかった頃の初々しさはなくなっている。
それもあって、いつの間にか彼女の書評を心待ちにしなくなったのだ。

いや、ただこちらの気分が変わったのかもしれない。
あんなに好きだったアーティストの新作に
興味が持てなくなったとき人は、
彼(彼女・彼ら)が変わってしまったのだと思い込む。
しかしいちばん変わったのは自分自身の嗜好かもしれないのだ。

そういう分かれ道は、
こりゃしょうがない。
彼女は自分のやりたいようにやるのかもしれないし、
プロデュースされるかもしれない。
売れるばかりではなく、飽きさせない方向かもしれない。
そしてそれらはすべてのファンが認めるとは限らない。
誰もがそれぞれに「進化」するのだから。

それでも、ときどきこう思うのだ。
小泉今日子のファンで良かった。
彼女より10歳年上の私であるが、
彼女とともに歳を重ねられることは一つの幸運である。



2013年4月 4日 (木)

新型インフル特措法

平成25年第1回合志市議会定例会で
合志市新型インフルエンザ等対策本部条例を制定した。
これは国の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づく。

昨日の熊日夕刊に
中国国内で人への感染が確認された鳥インフルエンザウイルス
(H7N9型)についての記事があった。
文中、「H7N9型は本来、弱毒性で公衆衛生上のリスクは
低いとされている」が、「感染した人体内で見つかったウイルスは
強毒なことが分かった」とも書かれている。
この件はいまのところ、推移を見守るしかないが、
1月25日の熊日に「新型インフルエンザ特措法に意義」
という記事が出ていたことに気づいた。
諸般の事情で2カ月以上遅れで
新聞を整理しているからである。

この特措法のことすら忘れかけていたが、
上位法により、市議会で対策本部条例制定に賛成したものの、
そういえば、日弁連が「過剰な人権制限」を危惧していたことを
遅ればせながら思い出した。

いつリンク切れになるかわからないが元記事→リンク 

日本感染症学会の菅谷憲夫医師によると、
「インフルエンザの専門家から見ると
明らかに誤った内容が含まれている」法律だそうである。

その誤りとは、
「特措法は、鳥インフルエンザウイルスH5N1型が
人で世界的大流行(パンデミック)を起こすことを前提にしているが、
いくつもある可能性の一つに過ぎない。
今、世界の専門家が心配しているのは
ブタの間で流行しているH3N2変異型であり、
次のパンデミックの最有力候補はH2N2型(アジア風邪)の再来」
としている。続けて
「10年先、20年先の話だと思う」とまで言い切っている。

私は何も予測が甘かったな、というつもりではない。
専門家でさえもなかなか予測がつかないのに、
特措法は「ごく限られた医師や研究者の意見のみを
反映した法律であること」。それと
「H5N1型の出現が必至」とされている部分は
問題(誤り)ではないかということだ。

また対策として想定されている
検疫や発熱外来も2009年のH1N1型の流行時には
全く機能しないことが証明されているとのこと。

専門家は誰でも自説が正しいと信じているので、
意に沿わない考えには猛反対するものであるが、
「ごく限られた医師や研究者の意見のみを反映した」
という箇所はこれまたありがちなことなので、
ここで取り上げた次第である。

日本では風疹の流行が毎日のようにニュースになっている。
情報が錯綜するときに、冷静に対処する術を
私たちは身に着けなければならない。
いずれにせよ、正しいというよりも
その時点で最善の方法しか選べないのだ。



2013年4月 3日 (水)

県道住吉熊本線

Photo_2

花も素早かったが、新緑に入れ替わるのも早かった。
左奥ではマンション新築中。
上の階はかなり見晴らしがいいだろう。
この県道の向かって右側は菊陽町である。

2013年4月 2日 (火)

小中学校のエアコン設置について

先日閉会した合志市議会第1回定例会で、
平成24年度一般会計補正予算として
小学校費交付金9千964万2千円、
中学校費交付金4千263万8千円

合併特例債事業費として4億8千180万円を歳入に、
小中学校空調設備整備事業に6億6千709万円の歳出を可決した。

これは平成23年12月定例会において、
子ども達の教育環境を考える有志の会が
合志市の小中学校の全教室に

エアコンを設置するための陳情を行なっており
議会ではそれを採択している。
それを受けてのものである。

陳情に際しての署名は4823筆。
子どもたちの教育環境を改善することに異論はないし、
委員会でも採択されていたものの、
なかなか悩ましい判断を迫られながら賛成した覚えがある。

1月18日の熊日きょうの発言で
県NIE推進協議会会長で熊本西原中学校長の
本田惠典さんが「教育環境は何にも勝る」で書いていた。
 各家庭をはじめ、保育園、幼稚園、高校、大学、役所などには、
 エアコンがほとんど設置され快適な学習・業務環境となっている。
 しかし、なぜか義務制公立小中学校の教室には
 エアコンが完備されていない。
 「子どもは鍛えて当然」「子どもは風の子」にも限界がある。
 35度の教室や0度の学校の中は、
 まさに灼熱と冷蔵庫の世界である。
 本当に住みやすい都市とは、
 未来を担う子どもたちの教育環境が何にも勝って
 整っている都市ではないだろうか。


しかし、それなら生徒数1千名を優に超える小学校や
生徒の9割が自転車通学の中学校は

教育環境としてどうだろうか。
児童数の増加に敷地が許す限り増築で対応することは。
もはや知恵で対処する範囲ではない。


2013年4月 1日 (月)

ボランティア募集

第9回ハンセン病市民学会in熊本が
5月11日(金)、5月12日(日)の両日、
熊本市の熊本県立劇場と合志市の菊池恵楓園で開催されます。

現在、そのボランティアを募集中です。
ボランティア説明会は
4月21日(日)午後1時30分から3時30分まで、
菊池恵楓園自治会ホールで開かれる。
まずは説明会に参加してみて申し込みを考えてみてはどうでしょう。
説明会はボランティアの参加条件ではないので、
いきなり申し込まれても結構です。

実行委員会ホームページは→リンク 

ホームページでは、参加申し込み締切日が3月29日、
熊本県内の参加者4月10日となっていますが、
ボランティア参加者の締め切りは4月21日(日)に変更になっています。

ボランティアとはいえ、参加者の一人ひとりとして
ハンセン病に対する理解を深めるとともに、
入所者や元患者さんとの交流を通じて
差別の歴史を身近なこととして考える機会にしてほしいと
私は考えます(主催者も考えていると思います)。

お申込み・お問合せ先 実行委員会(担当:齋藤さん)
わからないことは何でも気軽にお問い合わせください。

TEL.090‐1511‐8589 
Mail hdap.info@gmail.com FAX.096‐293‐2578


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