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2013年4月21日 (日)

1300年

今年は、合志1300年として、いくつかのイベントの頭に
この1300年を載せて・・・何をするんだっけ。
私は最初に定例会の一般質問で
この1300年について取り上げたのだが、
あまり反応が芳しくなかった。
1300年に当るということが歴史的事実であるかどうか
これが釈然としないということだった。
歴史的事実が判然としないと言っても、
30年前の話ではなく、1千年以上前のこと、
数十年ぐらいのずれは些細なことではないか、
というのが私の趣旨であった。

そのとき生涯学習課で作った資料によると、
合志市の名の由来である「合志郡」が歴史上初めて現れるのは、
西暦720年に完成した『日本書紀』の中である。
持統天皇10(696)年夏4月の条「肥後国皮石郡壬生諸石」という
記事においてである。
当時は「皮石」という表記だったということがわかるところだ。
そしてここで「肥後国」という名称も初めて歴史に登場した。

また平城京から出土した養老7(723)年の銘がある木簡に
「肥後国恰志郡」の表記が見られる。
奈良国立博物館寄託の天平15(743)年書写の写経の奥書に
「合志郡」と書かれている。

「皮石」から「合志」への改字は、和銅6(713)年、
諸国に地誌(風土記)の編纂が命じられた際、
「郡・郷の名には好い字をつけよ」との条項があったため、
以後、志を合わせるという「合志」の字があてられたとされている。

だが、現在、肥後国の風土記が残っていないので、
このときから「合志」と表記されるようになったかどうか定かでない。

それで「1300年」かと突っ込みを入れられたくはない。
しかし、それを言うと、合併前の合志町の碑においては
そのときに「合志」となったと石に刻んでいる、
ということになってしまうので固いことは言わないでね。

公文書はきちんと保存しなくちゃという概念が当時あったなら、
これに限らず歴史上の謎の多くは謎ではなかった。
ということは言えそうだ。
昔だから、政権が変わると以前の歴史は
破壊するか塗りつぶすかが普通だったと思われるが。

さあ、物語は佳境だが、あとは後日。




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