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2013年4月25日 (木)

1300年(続き)

大宰府で発掘された木簡の中に、
「合志評(こうしこおり)」と読めるものが見つかっており、
これが「評」で間違いなければ、西暦600年代後半の郡制度の
前身である「評制度」の下での表記と考えられ、
「合志」の字は和銅6年の風土記編纂の官命より前に
使用されていたことになる。

註によると、「郡制度」は「評制度」を受け継ぎながら
大宝元(701)年に始まったとされるが、
『日本書紀』では一貫して「郡」の表記が用いられている。

以上のことから、「皮石」や「恰志」の表記は限定的で、
「合志」の表記は当初から用いられており、
風土記編纂の「好字」の命に際し、「合志」の表記に
定まったと考えるのが自然である。

「和銅6(713)年から約220年後の承平年間(931-938)に
和名類聚抄という辞書が編まれたが、その中では
合志郡の読みを万葉仮名で「加波志(かはし)」と表している。
『日本書紀』の「皮石」の表記と併せて考えてみると、
上古は現在のように「コウシ」とは発音せずに
「カワシ」としていたものが、やがて「合志」の表記に影響され、
「コウシ」と発音するようになったと考えられる」
と資料には書いてあるのだが、
「かきくけこ」を「くゎくぃくぅくぇくぉ」と発音していたというような
話を聞いたような気がするので、
というか私の知る昔の人たちは、
たとえば「参加」を「さんくゎ」とか発音していたような気がするので、
「くゎはし」が「こうし」に変化したということも考えられると思う。

「現存する九州の二つの風土記
『豊後国風土記』と『肥前国風土記』では
郡名の由来も記されていることから、
もし肥後国の風土記が残っていれば「合志」の名の由来も
記されていたと思われる」ということなので、
返す返すも、公文書保存の思想があったならばと
残念至極である。

1300年というのは実に長い。
だから、何年に「合志」と名づけられたかという
西暦的な正確さにそれほどこだわることはないのではないか。
いや、待てよ。そうすると、
1300年間に亘り「合志」が合志郡として
いかなる歴史をたどって来たのかということが大事なのであり、
「志を合わせる」などという意味付けは
後世のこじつけの類いに過ぎないと糾弾されるかもしれない。

1300年を記念することを
生涯学習課では最初渋ったはずである。
そしてそれが、いまのところこの「1300年」が
今一つ盛り上がりに欠けるところかもしれない。









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合志をめぐる冒険」カテゴリの記事

コメント

合志市の近隣に住んでいます。住民の「志」を「合わせる」で「合志」と解釈するのも面白いかも・・・。

当時は当時で、
現代は現代で、志が何を目指すのか。
それが重要なんですね。

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