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読みたい本だな

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2012年12月の26件の記事

2012年12月30日 (日)

天文・宇宙コース

今年の合志市市民大学は、
「天文・宇宙」コースでした。
3日間行われたのですが、私は2回しか行けませんでした。
11月24日の第1回目は、熊本学園大准教授 
隈井泰樹さん(天体物理学)による
「宇宙の誕生と広がり~宇宙の構造について~」でした。

もう1ヶ月も前に受講したことなので、
抽象化された概念としての宇宙しか
頭に残っていません。
私は小学生のころ、とにかく宇宙に魅了されていて、
宇宙に果てはあるのか、ということが一大命題で
それを考えると夜眠れなくなったものだ。

それに答えがあるのかと言えば、
天体物理学的には確たる答えがあるような・・・
しまった。それを質問しておけばよかった。

宇宙規模では、ヒトが矛盾と考えるものが
普通に存在しているもののようである。
なぜそうかというと、そもそも
矛盾という考え方自体がヒトが持ちうる
限定的なものだからではないか。

3回目は12月22日、
東海大教授 森下光身さん(電波天文学)の
「宇宙開発が私たちにもたらすもの」。

宇宙開発、人工衛星や惑星探査には
どういう意味があるのかという話。

宇宙人が存在して文明があるならば、
なんらかの電波を発しているはずである。
ということで、それを探ることが、
宇宙人を探すということだそうだ。

どんなに近くても
1千億光年は離れているので、
実際にコンタクトを取ることは無理だろう、と。
ま、それでも宇宙に人類以外の知的生命体がいることがわかれば、
少なくとも孤独ではないな。

宇宙旅行とは
国策や研究を目的としたものではなく、
個人が興味関心のもとに自身で費用を支払って
宇宙に行くことだそうだ。
国策や研究で行く場合は、
宇宙派遣とか、出張とかそう呼ぶべき。

エルトン・ジョンの「ロケットマン」の元ネタは
レイ・ブラッドベリの小説らしい。
山下達郎がブラッドベリ追悼特集で話してた。
その前にパールズ・ビフォー・スワインにも
「ロケットマン」という曲があったので、
バーニー・トーピンの作詞傾向としては、
彼らの曲から発想したのではないかと私は思う。
そこにおいて描かれるのは、
「宇宙旅行」ではなく、
仕事jobとして火星に滞在する男のこと。



愛着あふれるエルトンのカバー演奏。

2012年12月29日 (土)

ニューキッズ・イン・オールドタウン

全国的に廃屋に近い状態になった
空き家が問題になっている。
いや、以前から問題にはなってはいたが、
もうどうにかしないといけないという段階に来た
ということがやっとに意識されたということだ。
今年はそういう年だった。

だがそれとは別に
十分住むことが出来る空き家。
中古住宅を資産としていかに流動化させるかという課題に
私たちはもっと前向きに立ち向かわなければならない。

ここ合志市に住んでいると
特に宅地造成、新築住宅の建設ラッシュを目の当たりにする。
それが元気なまちというイメージを生み、
また住みたいまちとなるのだろう。
そこはディベロッパーや住宅会社の
「夢を売る」姿勢に負うところが大きいのかもしれないが。

反面、確実に空き家も増えて行く傾向にある。
その流れを止めることはできないのか。
新築住宅取得に対する過度な減税や、
最近では消費税上げの悪影響を緩和するために
現金給付など馬鹿げた発想を恥ずかしげもなく
政策として持ち出す人もいるなかで、
過去のニュータウンは世帯数の自然減に任せていいのか。

成り行き任せが自然の、また歴史の習いなのかもしれない。
だが、将来を見越すことのできない地域は
その資産価値が減少するばかりか、
治安の悪化につながりかねない。

コミュニティとしてのまとまりは、
新たに入ってくる人にとってはバリアーになることもある。
さまざまな課題に取り組むことで
新しい住民を獲得する競争があってしかるべきだ。
少子高齢化が進む日本全体に言えることだから。







突然段ボールコンポスト

ダンボールコンポストは、
生ごみを減量するために使われる、
簡易たい肥製造装置である。

2

最初はこんなめんどくさいこと、
自分には無理と思ってました。
しかし早や2年目。
毎日せっせと手塩にかけて育てています。
(手塩は言葉のあやです)

マニュアルによると、
一日500グラム程度まで投入してよいとのことだが、
うちの場合、基本的にはバナナの皮2本分プラスαです。
それでも寒くなってこっち、なかなか分解しません。
移植ごてでかき混ぜるのに、その重たいこと。
たい肥としての効き目はまだ実証できていません。



こちらは、突然段ボール「開発の跡地」



2012年12月28日 (金)

マジカル・ミステリー・ツアー



昨夜、テレビでビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』を
やっていた。東京などでは10月にやっていたらしい。
しかし、12月に見ることに意味がある。

1967年のクリスマスにイギリスのBBCで流されて、
酷評を受けたことは歴史的事実である。
私が同じくテレビで見たのは、
小学生のときだったような気がする。
星加ルミ子さんと相手役は誰だったか、
二人が解説を入れながらの放映だった。
動くビートルズを見ることができたことが感激だった。
というか、それ以前だったような。

「フール・オン・ザ・ヒル」という美しい曲と
あの映像に受けた影響が後々尾を引くことになる。
改めて見ると、退屈だとおもっていた全編が
実に前衛であったということに気づく。

 さあ みんな立って踊ろう 懐かしい流行歌
 母さんが生まれる前の唄 でも わかるはず わかるはず

本編に続いて当時の関係者をはじめ、
ポールやリンゴのインタビューも。
当時の風俗なども見ることができた。
それらがすべてというには無理もあるだろうが、
ある確かな断面を伝えてはいる。

『マジカル・ミステリー・ツアー』から
個人的に受けた影響も大きい。
私がバスにこだわるようになったのも、
このバスツアーがいかに楽しそうに見えたかにある。
ただあのころは、バス酔いしていたんだけれど(苦笑)

※動画は削除されるかもしれませんが、
エンディングで、ステップを踏みながら階段を下りてくる
ファブ・フォーを見ていると、
この当時はまだまだ神格化されていなくて、
4人が本当に仲の良かったと思われる雰囲気がよく伝わってくる。
それがうれしいと同時に
過ぎ去った年月を思いちょっと寂しくなる。








2012年12月26日 (水)

本の気配

10月21日の熊日読書欄に
佐野衛さんの『書店の棚 本の気配』の紹介がある。

星の数ほどある本をどう配列し、どう見せるか。

「単なる紙の集積としての物体を、
自分の手で動かせるからといって
侮ってはいけない。
それらは人類の始まりからの記憶として
連綿と伝えられてきたものである」


新しい本のなかには過去の文脈が生きている。

「棚のコンテクスト(文脈)は自分でつくるんじゃなく、
本に教えてもらうんです。
そこから世界の『配線』を読み取る、と言うか」


配線はあってもそこに電流が流れなければ意味がない。

同じ日の「本はいま」という連載で
笈入建志さんが書いている。

ネット上を探せば誰でも、
ほぼすべての本の刊行情報をチェックすることは可能だ。
でも普通のお客さんはそんなことはしない。
その代わりに本屋の平台をざっと見て回る。
いままでに買った本とは関係ない本を新たに買う場合には
本屋というのはとてもよくできている。









2012年12月25日 (火)

ヒトの野生化を見据えて

10月20日の熊日にあった宗教学者 山折哲雄さんの現論。
「いじめ」あと絶たぬ近代教育というテーマである。

ヒトはほったらかしにしておかれると、
そのうち野生化する。いつでも野獣化するというのが、
そもそも大人の常識だったはずである。
それは子どもたちの場合でも変わることがない。

放っておけばいつでも野生化するヒトを、
いわば飼いならすために欠かせない文化的装置を
開発してきたのだと思う。


その文化的装置には、
スポーツ、軍隊的な組織、宗教、
そして学校である。

学校こそは、思春期に達する前から
子どもたちを家庭という温床から引き離し、
よりいっそう統合された価値観と人生観を
ビルトインする場だったからである。


異論もあるだろうが、
確かにそう言われれば・・・
しかし、野生化した野獣化したヒトが
必ずしも身内同士の殺し合いに走るかどうか。
そういう問題ではない?

「いじめ」がヒトの野生化野獣化の発露であるかどうか。
誰かを異端としてまつりあげるという意味では
魔女狩りみたいなもので、
いじめの対象となった者以外の連帯を
確認するための行為という側面もあるかもしれない。

山折氏はこう結ぶ。

われわれの「近代教育」はこれからさき、
人の野生化という問題を正面に見据え、
将来のあるべき姿を模索すべきときに
きているのではないだろうか。


いじめだけの問題ではないということだ。


2012年12月23日 (日)

ツーステップ・ビヨンド

今日は寒かったので一日家にいて、
新聞の整理が進んだ。
と言っても、5日分ぐらいだけれど。

10月17日の夕刊に北野武監督のインタビューがあった。
最新作『アウトレイジ ビヨンド』について。
途中は省略するが、最後に
「警察は日本最大の暴力組織だと思うし、
天下り先を見つけて、やくざの利権と同じようなことをする」
と語っている。
ここだけ取り出しても北野武らしい反権力の意思表示
みたいなものでしかないが、
天下り先云々は別にしても、
警察の暴力は「アウトレイジ(激しい怒り)」の向かう先が、
社会的正義であってもらわなくちゃ困るということだろう。

ただ、社会的正義の定義づけが
なかなか簡単に行かないのがこの世の中である。
警察が権力としてそこに存在できるのは、
法的に体制側にあるからだと言うこともできる。
体制がひっくり返れば、動乱の国に見られるように
どちらが真の正統なのか、よそ者には判断つきかねる。
この正しさというものに絶対があるのかどうか、
これは宇宙的尺度で考えても、
そこにあるものがそこにあるようにしかあり得ない、
としか言えません。

監督の話になったので、
最近、中山節夫さんに会ったときに出た話で、
第二高校に講演で呼ばれたことがあって、
何で行定勲じゃなくて自分なのか、と言ったら、
行定に喋らせると、勉強するなと言うからとの答えだったそうだ。
そのまま信じていいかどうかは、
各人の判断に任せるが、
映画監督というのは、こういうネタを持っていないと
務まらないということだけは言えるかもしれない。





集まって暮らす

熊日に野池政宏さんの「パッシブデザインでエコに暮らそう」
という連載があって、10月17日の回では、
1985年と2007年の家庭分野のエネルギー消費量を比べると、
何と約1.5倍、電力消費量は約2倍に増えていると。
原因は一つではないかもしれないが、

最も影響が大きいといわれているのが、
世帯数の増加と世帯人数の減少です。


家庭で共有する冷暖房機器や家電が減っていくので、
世帯人数が少なくなるほど、
一人当たりのエネルギー消費量や電力消費量は増えるのだと。

そういう意味で「
集まって暮らす」というのは
これからの省エネルギー社会、節電社会における
重要な目標になります。


都会の不動産業者が売り文句にしているシェアハウスにも
エコに暮らすという大義があるのだ。
経費負担は家賃ばかりではない。

しかし家電業界などは、
世帯数の増加と個室需要によって
製品を買い支えられていたので、
というか、そういう広告ばかりをやってきた結果、
エネルギー消費、電力消費を増やし、
原子力による発電を正当化してきたということでもある。
いや、国民のほとんどが疑いもしなかったということだ。
京都議定書だって、原発の推進が前提で締結されたんだし。


話は全然関係ないが、
少年犯罪は何となく世間的に減ってはいないような
そういう印象を持たれていると思うが、
実際はかなり減少傾向にある。
その理由の大きなものは18歳未満人口が
減少しているからだそうだ。




阿蘇の土壌

10月14日の熊日「7・12豪雨3カ月 痕跡今も③」の記事。
見出しはこうなっている。
「杉を植えたのは間違い」
「流木が被害を拡大」

これだけ読むと、1990年に阿蘇を襲った「7・2水害」のとき、
どういう反省と対策をやっていたのだと思わざるを得ない。
それくらい無責任な見出しである。
もちろんまったくの間違いというわけではないが。

「7・2水害」の後は杉がずいぶんと悪者にされた。
そのことをみんな忘れたのだろうか。
戦後の植林政策が間違っていたという説と、
いや杉の保水能力を過小評価してはいけない、
という説があったと思う。
1990年を振り返った論評はあったのだろうか。
私もそれほど注目していたわけではなく、
あれから5か月、今年も終わろうとしている。

山本遼記者が書いた記事の中で、
後世に残すべき部分は、
県が設置した阿蘇地域土砂災害対策検討委員会の
委員長を務める熊本大の北園芳人教授(地盤防災)の言葉。

急斜面の植生は、いろんな種類があることが望ましいが、
阿蘇の土壌は柔らかい表層が1㍍ぐらいしかなく、
広葉樹でも針葉樹でも根が地下深くまで貼りにくい。

6月の雨量が前回は500㍉だったのに対して今回は800㍉。
山が水を吸った状態で、1時間90㍉以上の雨が降り続いた。

崩れた土砂が多く、
前回は土砂をせき止めた人工林でも
今回は押し流されたところがあった。


山は浸食され、崩落するものだということを
忘れてはいけないということか。
専門家にとっては常識なのだろうけれど。

2012年12月22日 (土)

健康づくりできます店


Photo_2

熊本市では、
「くまもと減塩美食メニュー」という冊子を作っている。
レシピ集はこちら→リンク   

また栄養成分表示や減塩メニューに協力する
飲食店や弁当店を「健康づくりできます店」に認定し、
ガイドブックも作っている。→リンク   

10月12日の熊日に
平成24年度熊本市民健康フェスティバルに向けての座談会
「慢性腎臓病(CKD)の対策と課題」の記事があり、
そこに出ていた。

慢性腎臓病(CKD)とは、肥満、高血圧、糖尿病などの
生活習慣病から腎臓の機能が低下してなる病気。
熊本市は2009年から医師会、県栄養士会などと連携して
「CKD対策推進事業」に力を入れている。

熊本市は人口が多い分、
CKD予備軍も多いことと思うが、
対策にも人や予算を思い切って使えるのだろう。
いや、職員の数や回せる予算の問題ではない。
アイデアと情熱と頭の使い方だと
言い切れますか。







2012年12月21日 (金)

ウォークオンバイ・トランジット

昨日はみずき台バス停で、合志市循環バス須屋線に乗った。
この路線、誰が使うんだろうと思ってると、
10人を超える高齢者がいくつかのバス停から乗ってこられた。
リサーチと思ってなるべく乗客ともおしゃべりする。
実は面識のない人と話すのは不得意なのだが。

老人憩いの家で降りる人が多く、ユーパレス弁天が2名。
温泉かと思ったら、そのまま物産館へ。
そうか買い物ってスーパーでとは限らないのだ。
私は西合志庁舎まで。そして西合志図書館にも寄る。
借りたのは・・・

『平成史』小熊英二著 河出書房新社刊



『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』
レイチェル・ハーツ著 綾部早穂監修 安納令奈訳
原書房刊




それから、重たくなったバッグを提げて御代志駅まで歩く。
菊池電車で藤崎宮前駅まで360円の旅。
それから保護司会の研修のために
熊本地方裁判所まで、また歩く。坂道だ。
裁判員制度についてのレクチャーを受け(半分は寝てた)、
法廷を見学。舞台装置みたいに安っぽい作りだ。

今度は坂を下りて家庭裁判所へ。
少年審判における家裁の役割などの話を聞き、
調停を行う部屋などを見る。
あまり広くない普通の事務室である。
離婚や子どもの親権のことなどを話し合う。

そしてまたまた水道町まで
今度は忘年会の会場まで歩いたのでした。







2012年12月19日 (水)

まちづくりと地域流通の再生

平成24年度第4回定例会、いわゆる12月議会が閉会した。
今日の採決では、議員提出議案第9号として、
「熊本県都市計画区域の見直し及び
市街化調整区域の規制緩和を求める意見書」が提出され、
全会一致で可決された。


その意見書の中で、
合志市は「熊本県の地域振興局の組織見直しでは、
県北広域本部の所管区域になりますが、
都市計画の圏域は熊本市を中心とする熊本都市計画区域に
位置づけるという、まちづくりと土地利用を別個に捉えた
県の体制も非常に整合性がない」という部分は、
改めてそういう見方ができることに気づかされた。

しかしその前段、「経済活動においても商業の振興が図れず、
統計資料を見るかぎり菊池地域ではもちろんのこと、
県内14市中、売場面積、従業者数、年間商品販売額とも
最低の数字を示すと共に、小売吸引力では50%そこそこの
数値でしかありません。
購買力500億円の半分が他市町に流れるという歪な産業構造は、
合志市のこれからの発展を阻害する何ものでもないと考えます」
については、かねて論理的なものかどうか
裏付けがほしいと考えていたところ、
熊本学園大商学部教授 宇野史郎さんが
こういう本を出していた。

私は人にものを訊ねるのが不得手なので、
自分自身で司書カンファレンスをやっているのだが、
こういう本が新着図書の棚にさりげなくある
合志市立図書館が私は大好きである。
いや、好きとかどうとかの問題ではない(笑)

ちょっと読んだぐらいでレポートをまとめられるぐらいなら、
一所懸命勉強している大学生に申し訳ないので、
帯の文章を引用すると、
「地域流通の変貌とその再生の方向とは。
大型店立地の波及効果(税収、雇用、買物利便性)を検証し、
まちづくりの視点で商業集積の適正配置の方向を検討した労作」
である。

本文はこういう感じである。
「都市流通システムは対外的取引活動をとおして
発生・獲得する所得の域内での循環によって規定され、
対内的取引活動をとおしてその所得循環の輪が
拡大・深耕していくという都市所得の発生・循環メカニズムと
相互に作用し合いながら、発展していくものと考えてきた。
それは、国民経済レベルでは所得の生産・分配・支出が
ほぼ等しい三面等価の原則が成り立つため、
そこでの流通システムは産業構造の特性および
その変化に規定されることになるが、
都市経済レベルでは必ずしもそうならないからである」

「都市経済レベルでは、国民経済レベルとは異なり
開放性が高いため、所得の域内流入および域外流出が著しく、
所得の生産・分配・支出の三面等価の原則が
成り立ちにくいことによる」と続く。

この場合の都市経済レベルはざっと言うと、
熊本市クラス(最低でも人口10万人以上)の都市のことである。
宇野先生には、それでは合志市の場合はどうなのかを
研究してもらいたいものだ。
というか、学生でそれをテーマとして取り上げようという
気概のあるものはいないのか。
もちろん原論的には援用できると思う。

なぜ理論的な裏付けが必要かはお分かりであろう。

2012年12月18日 (火)

弁天山

先週の一般質問で、
オルレだのフットパスだの言った手前、
ちょっと寒かったけれど、弁天山に行ってみた。
ユーパレス弁天までは、もちろんレターバス。

ユーパレスに着いたら、まずトイレを借りて小用を足す。
そしてきちんと歩道も整備されている市道を歩く。
この道路は、じきに高速道路九州縦貫道のスマートインターと
つながる予定である。

ここから少し急な階段を上れば頂上への近道。

Photo_3




1

     碑 文
 昭和三十七年三月、古庄義明氏は西合志村長に就任するや、
村勢の現状を省み、激動の社会情勢に順応し得る西合志の基
盤を培い、村勢の進展と住民福祉の増進を図るため緊急の事
案として、広域簡易水道事業の実施を發案、幾多の難問を超え
昭和三十九年九月着工 遂に仝四十一年二月十日、弁天山配
水池を圣て清浄な水が村内全域に供給されるに至つた。此の日
を目前に仝村長は急逝されたが、水道事業完工のこの日は、
又、実に農村西合志が近代化へ躍進の第一歩を踏み出した
記念すべき日であったといっても過言ではない。
 爾来十有余年、水道施設は益々整備拡充され、町民の生活
環境の著しい改善、中南部地区の急激な都市化、北部地帯の
声価髙き蔬菜類の出荷額の激増にみる農業の近代化など、
町勢の伸展は将に驚異的で、今、本町の現状を視、水道事業
がその基盤となつていることに想いを致す時、古庄村長の卓見、
実行力、熱意に敬慕の情を禁じ得ないものがある。
 古庄村長歿後十八年、往時を憶えば転々感慨の念に堪えず、
吾等委員一同相謀り広く町民の賛同を得て、氏の顕彰碑をゆか
りの此の地に建て、その偉業を偲ぶよすがとすると共に本町
将来の發展を祈念するものである。
   昭和五十八年三月吉日建立

2

3

胸像はあまりにも似てないので遠景にとどめる。

Photo_2

自分の祖父だから、身びいきだと思われるだろうが、
自分史のルーツみたいなものだから。
ただ偉業と言われても、前にも書いたが、あの時期
国の補助事業としての採択があったのかもしれないし、
そういうタイミングに村長としての信を得た
ということなのかもしれない。
しかし、一軒一軒同意書を取って回ったという話や、
掘削工事も手掘りであったことなど、
当時の苦労は並大抵のものではなかっただろう。

どういう困難があったか、あるいはうまく行った工夫など、
本来は行政文書として残しておくべきものである。
それが今の時代にも政策形成のお手本となるであろうことは
想像に難くない。

先達の苦労を記録、また記憶することでこそ、
本市の将来の発展に臨むことが出来るのである。


話が逸れてしまったが、
ユーパレス弁天から約1km。
ここを経由して次にどこへ行くかである。
弁天山の駐車場には立派なトイレと自販機がある。
ごみは持ち帰ってくださいね。
簡単なアスレチック施設やツゲの植栽による迷路
などがある。

本日の最大の収穫は、
散策ルートづくりはそう簡単なことではない、
ということを発見したことだ。
たーだ作ればいいのなら簡単だが、
歩いて楽しい、面白いコースとなると、
深く掘り下げた学習と数多くの市民の理解や協力が
必要になりそうだ。




2012年12月17日 (月)

知の地域づくり 2

天草市長 安田公寛(県市長会会長)さんは
開会のあいさつの中で、
2市8町の合併で4つの図書館が出来たこと。
またその4つの図書館のネットワークを作り、
学校図書館にも司書を置くことで
地域が「知的興奮の場」となるように務めたと述べた。

つまり首長がもともと図書館に理解ある人であれば、
話は早いということである。

慶應義塾大学法学部教授 片山善博さんは
 
そのもともと本好き、図書館好きであった。
また地域の読書環境には
本屋も欠かせないという考え。
そこは多少、書店組合に対するサービスもあるか。

老後は身近にちゃんとした図書館があるところに住みたいとも言ってた。

「知の地域づくり」は片山さんの造語。

県知事になった鳥取県は下請け経済。
それが悪いわけではないが甘んじてはいけないということで、
言うならば、知的財産に属するもの、
付加価値の高いものを作れる県にしようと考えた。

そのための人づくり、教育、知をつくることを目標に。
しかしまず第一の難関、教育委員会の中での図書館は
片隅に追いやられている状況だったので、
まず知事部局に図書室を作ることから始めた。
その後、教育委員の人選で図書館に理解ある人を選ぶ。

図書館の本来の役割(図書館のミッション)とは何か。
それが理解されていない。

物を考える人の集まるところには図書館が必要。
県で部下に指示を出しても自分で調べようとはせず、
上級官庁(霞が関)に聞くことに慣れてしまっている。

図書館の理想の姿は レファレンス。
そのためには優秀な司書を置く。
県庁内に図書室を置きたいと言うと、場所がない。
また県民が受ける印象は、暇な人がぶらぶらする場所と。
その図書室には本はなくてもかまわない。
それが必要なとき、膨大な資料へのつなぎをやってくれる人、
司書がいればいい。
情報へのアクセスポイントこそ司書の役目である。

まず、それがしっかりできる人を県立図書館から引き抜く。
しかし県の仕事自体がわからないので、
総務課付きにして
半年から9か月、重要な会議に出てもらった。
その後、職員たちもその図書室を使うようにあり、
その便利さにやっと気づくことになった。

議会図書室。
地方自治法100条で必置であるから、どの議会にもあるにはある。
この100条は調査権であり、100条委員会と並び定められている。
議会がいい仕事をするための知的情報拠点である。
司書がいなければいけない。
職員に頼らず、行政情報の裏を取るために。
議会の調査権を有効に活用するために。

司書とは知的な導きをする人。
司書がいなかったら、空間と本があるだけなんです、と。

まったくその通り。
しかし何とかこの状況を変えなければならない。
こんなこと、とっくにわかって行動に移していなければ
いけなかったのだ。







2012年12月16日 (日)

そこにいること

G・D グリーンバーグ著 彩流社刊
  『日本は、』

10月7日の熊日に
大道珠貴が書評を書いている。
そこに本文からの引用があった。

一番大事なことは「そこにいること」だ。
動いて、歩いて、走って、一番面白い現場にいることだ。
平凡な忠告に聞こえるかもしれない。
ただし年を取れば脚が悪くなる。
思うように動けない屈辱的なときが来る。
「そこ」は果てしなく遠くなる。
今すぐ「そこ」へ。



そうだ。今すぐそこへ。
うだうだ言っている場合ではない。

2012年12月15日 (土)

知の地域づくり

市民会館崇城大ホール大会議室で、
全国リレーシンポジウム「知の地域づくりを考えるin 熊本」が
今日開かれた。

主催 公益財団法人文字・活字文化推進機構、
    熊本県書店商業組合
共催 熊本日日新聞社、日本図書館協会、全国学校図書館協議会

基調講演

   片山 善博(元総務大臣、慶応大学教授)


シンポジウム

   片山 善博(元総務大臣、慶応大学教授)
   桑原 隆広(熊本県立大学教授)
   たつみや章(作家)
   肥田美代子(童話作家、文字・活字文化推進機構理事長)

  コーディネーター
   澤田 俊郎(熊日サービス開発株式会社取締役相談役)

書店商業組合の主催ということは、
本をもっと買ってもらいたいということなのかと
ちょっとだけ思わないではなかった。

ところが・・・(続く)



2012年12月13日 (木)

天草市と菊池市の話題

天草市の安田公寛市長が市議会の一般質問で
「天草エアライン」の機体変更に向けた検討を始めたことを
明らかにしたそうだ。
天草エアラインは天草市や熊本県が出資しているのだが、
新しい機体の購入費は約20億円。

11年度だけでも2億3900万円の整備費がかかっていて、
14年ごろには整備費が大幅に増加する時期を迎えるとはいえ、
「県と協議はするが、市単独でも購入する覚悟がある」と
市長が話しているとか。驚いた。
今朝の熊日に出ていた。

20億円と言っても、飛行機には収入が伴うし、
観光客も運んで来てくれる。稼げる。
天草エアラインを止めるのではなければ、
まっとうな投資であろう。

ちなみに財源には合併特例債の基金を考えていると。


12月11日の熊日には、
菊池市議会の一般質問の記事。


新市庁舎建設が白紙になった花房台の取得予定地について、
市は「取得前には用途を決める」と答弁。
福村三男市長は「県北の人たちに広く利用されるような
施設の誘致も考えたい」と述べた。


同じ日の熊日に
10カ所の地域振興局を4ブロックで束ねる「広域本部」について、
県北は菊池に置くという考えを蒲島知事が明らかにした、
という記事があって、
菊池地域振興局の移転の話があるかどうか知らないが、
新しい広域本部を花房台に持ってくる、
ということを念頭に置いているのではないかと思った。

2012年12月12日 (水)

今そこにある危機

合志市議会第4回定例会の一般質問、
私の出番は本日でした。

今日は神田公司議員の教育行政について、
10年~15年後の児童生徒数の推移と大規模化、
つまりいまの小中学校の配置で児童生徒数の増加に
対応できるのかという、
まるでベビーブームのときのような合志市の南部地区の話が
大いに盛り上がった印象が強すぎて、
自分の分がしょぼく感じられた。

会期中なので、自分以外の議員の発言や
それに対する答弁に関して書くわけにはいかないので
神田公司議員自身がブログ→リンク 
にじきにアップされることと思います。
ご参照ください。

合志市では認可保育所保留児童(待機児童)が
一向に減らないという課題も抱えているし、
そのことは学校給食や学童保育施設にも直結するという
学校校舎の建築にとどまらない大問題である。

群地区に都市計画道路を通して、
合志庁舎南側への開発につなげるという構想があるが、
それこそ、現在でも問題になっている幹線道路の朝夕の渋滞、
また保育園や小中学校をどうするかということと
セットにして考えなければならないことである。
先日西合志庁舎の掲示板で
「合志市プロジェクトチーム設置規則」というのを見かけたが、
ぜひプロジェクトチームで議論してもらいたところだ。


2012年12月10日 (月)

ゴースト・トゥ・コースト

12月9日の熊日に熊本学園大経済学部教授の
細江守紀さんの文章が載っている。
民主党の前原誠司いわく「TPPのお化け」という
TPPについての誤解を解くような内容である。
大方は間違っていないように思えるが、
それは交渉参加前の大枠であって
実際に交渉に入ったとしたら、駆け引きや譲歩、
もちろん強く出る幕もあるだろうが、
必ずしも楽観的にはなれない。
つまりわからない。というのが唯一の正解である。

「本稿では十分な議論をする余裕がない」としながらも


農業再生のためには、
経営感覚を持った若い専業農家の育成と支援、
規模の拡大と集約化のための枠組みの構築、
企業などの積極的な農業経営への参加、
また、海外への農業輸出・投資を行うための
商社・メーカーとのコラボレーションの促進などを
一体的に図る新たな総合的農業政策の推進が必要であろう。


と書いている。

それも大筋では間違っていないとは思う。
農業における規模の拡大が進めば、
結局は被雇用農業労働者が増えるということになりはしないか。
小作人みたいな人たちが出てきて、
時代は二昔前に戻るのかもしれない。
もちろん労働条件は昔よりはいいだろうが、
格差は固定化されるだろう。

日本の商社が頑張っているから、
いまのような脆弱な経済でも
日本人が飢えるということはないのかもしれないが、
無駄にエネルギーを消費して
農産品・食料をグローバルにやり取りするのは、
CO²削減、地球温暖化防止という観点からだけではなく、
どうも、どこか違うような気がする。

「経営感覚を持った若い専業農家の育成と支援、
規模の拡大と集約化のための枠組みの構築

一概に反対するわけではないが、
「現在の兼業農家を維持する政策では
農業の再生は困難である」と言い切ってしまうのもどうか。

ただ兼業農家が高齢化すれば
耕作放棄地が増えることになるかもしれない。
一筋縄でいけばとっくに解決されているのが農業問題だ。
量産至上主義(つまり農業の工業化)に走ることは
コストダウンにはなるが、それでいいのか。
飢えることを恐れるあまり作り過ぎて
市場拡大を求めざるを得ない。

私は非現実的な原理主義者なのか。


2012年12月 9日 (日)

栄枯盛衰

Photo_2


Photo_3

12月1日撮影。

NHKドラマ「平清盛」もいよいよ最終章。
きちんと見てなかったし、
日本史もちゃんと勉強してなくて、
まったく歴史に暗い私です。
なぜ清盛たちは武士の世を目指したのか。




2012年12月 7日 (金)

地域ドラマ

高校生が部活で頑張って大会で優勝するという
映画やドラマは星(スター)の数ほどある。
だから、またかと思ってみる気もしないのだが、
ついつい見てしまったのが、これ→リンク 

福岡発地域ドラマ「スイーツ!嗚呼、甘き青春よ」である。
高校の製菓コースの多少落ちこぼれの生徒たちのお話。
飯塚市が舞台であり、東京や大阪以外のローカルで作られたことが
ちょっと親しみを呼ぶ。

最後まで見てしまって、
それなりではあったものの、
都会と対比する意味での地方で育つこと、
暮らすことを自分の身に引きつけて考える機会としよう。

まちづくりと声高に言わなくても
私たちはそれぞれに日常を送っている。
そのまちにとってゴールなどない。
山あり谷ありで、それぞれの人生が続いていく。
そういうことに気づかせてくれるところがありがたい。

そして私たちはそれぞれの地域ドラマを
自ら作っていかなくてはならない。





2012年12月 6日 (木)

政見放送

政見放送をたまたま見た。
どの党もそれぞれある程度説得力がある。
それで選択するのはむずかしいのではないか
と思える。
そのときいわゆるメディアによる評判を思い出す。
そんな判断でいいのだろうか。
メディアは公正だろうか。
五十歩百歩という言葉はこういうときのためにあった。
地縁で選択することを責められない。





2012年12月 4日 (火)

コンテンツ

「揺れる著作権~違法ダウンロード刑罰化」
という連載が熊日にあった。
10月2日の⑤回目最終回。


大量の無料コンテンツがネットで自由に流通し、
情報過剰が続く中で、有料コンテンツの価格破壊が進み、
コンテンツ産業自体が収縮する流れが止まっていないからだ。


え?そうだったのか。


福井さんは「10年20年後に、
今の著作権制度の意義はなくなっているかもしれない。
(収入がなくなり)プロのクリエーターが激減するとき、
社会がどう変わっていくかを考えたい」と話す。


福井さんとは、
「『ネットの自由』VS.著作権」の著作がある
弁護士の福井健策さん。

この場合のコンテンツとは
ネット上のそれのことだろう。
もちろん無料であっても違法だけではない。
無料とは言っても、そこには大量の広告が流れている。
というわけだ。
広告商品にお金を払うか、コンテンツに払うのか。
データ通信費にお金を使ってるとも言える。

くまモンって、
著作権制度の将来を先取りしていたということに
なるのかもしれない。
あ、これは冗談です。
プロのクリエーターが激減するとき、
心配しなくても社会もまた変容していることだろう。


2012年12月 3日 (月)

これから始まる

いよいよ明日は衆議院議員総選挙の公示である。
ここ1週間ほど、ある候補者の後援会活動を応援していた。
だから、とにかく気忙しかった。
徒歩で自転車でクルマで。
そして歩いて走って、ビラを配った。
天気がいまいちだったので、余計時間がかかった。
傘をさして、郵便受けの水滴をぬぐいながら。

本日より議会定例会も開会。
睡眠不足ぐらいでちょうどいいのかもしれない。
そんなに若くもないのに、
防寒着を来ていたのが汗をかき、
防寒着を脱ぎまたその汗が冷え。

選挙は戦(イクサ)であるが、
それで終わるのではなく、その後が大事なのだ。
そんな思いが何度も湧いてくる。
顔見知りとも、たまたまそこにいた人たちとも
挨拶を交わし、生の声を聞く。
しかし話し込んでいる時間は取れない。
それこそが大事なのに。
私は何をやっているのだろう。

しかしこれも政治の一つの側面なのだ。
もちろん変えなくてはいけないこともたくさんあるが。

責任を負うことから逃げてはいけない。
有権者は投票することで、
候補者の行く末に対して責任を取らなくてはならない。
そういうつもりではなかったと言っても構わないが、
次の選挙ではまた誰かを選ばなければならない。
そしてその誰かがすることをきちんと見守り続けなければならない。











2012年12月 2日 (日)

ハリー・ボッシュのチキンスペシャル (トマトシチュー)

…たまねぎをむき、グリーンペッパーと一いっしょに刻んだ。
まな板の上のものをフライパンにいれ、バターでソテーし、
ガーリックと他の調味料をまぶす。
そこに鶏の胸肉をふたつ加え、
肉がフォークで骨から簡単にはがれるようになるまで焼いた。
缶入りのイタリアン・トマトソースと、
缶入りのクラッシュド・トマトとさらに調味料をくわえる。
仕上げにエレノアの買った赤ワインを少し加えた。
それをとろ火で煮ながら、…(中略)
…ボッシュは、フライパンに最後の仕上げをくわえた。
冷凍豆をひとつかみ取りだし、
ぐつぐつ煮えているトマト・シチューにまぜた。

(マイケル・コナリー 古沢嘉通 訳
「トランク・ミュージック」扶桑社ミステリー より)

というのを作ったんだそうだ。
海外のミステリーで主人公が料理をする場面がよくあり、
ヒロインと一緒に食べているのを読んだりすると、
わははら君ならずともやってみようかと一瞬心をよぎることがある。
ほとんどは量とか時間、火の加減なんかは書いてないし、
我が家の台所には有りそうも無い食材とかが出て来て、
そこであきらめてしまうと思うのだけれど、
わははら君は実際にトライしてみたわけだ。

早速電話してみる。

「うまそうだね」

「うまいですよ。エレノア・ウイッシュに「とても気に入ったわ」

と言わせた「ボッシュ家独自」のレシピですからね。」

「作る上で問題は無かったの?」

「そうなんですよ、「他の調味料をまぶす」とか
「さらに調味料をくわえる」ってるでしょう。
最初の味は、調味料って何だ?てのがわからなくて、
ちょと間の抜けた味だったんですよ。
いつもの伝で大体5食分くらいできちゃうんですけど、
送った写真は4食目ですね。
温めながらその都度味を整えていって、
やっとこれかなというのになりました」

「調味料って何だったの?」

「ブイヨンとかそんなものだと思うんですが、
僕は鶏ガラスープの素を使いました。あと醤油と」

「醤油ってのはジャパン・テイストだよね」

「やだなぁ、トマトソースが日本にあるんなら、
ソイソースがボッシュのキッチンにあってもおかしくはないでしょ」

「…。ま、小説の中の文章だけで実際に作るってのは、
直感調理ならではって言えるよね」

「えへへ、そんなんですよ。
舞茸入れたんですが、なかなか良かった。
あと、ひよこ豆とうずら豆と南瓜の何でも用の水煮の小袋が
スーパーにあったんでそれも入れました。
温めるときには野菜ジュースと赤ワイン足すんです。
どんどん加算方式でやっていくと元の味がわからなくなったり、
何が良くて何が悪かったのか分からなくなってしまうので、
試行錯誤するには、
最初にタッパーに1食分ずつ小分けしておいて良かったなと思いました。
次は、スペンサーシリーズも料理するシーンが多いんで
やってみようかと思っています」

「そうなんだ。いつかご馳走してよ」

「ええ、少しだけ、
少しだけですけどハリー・ボッシュの心の襞に、
哀しさに触れられたような気がします」

「…。(ちぇ、遠くを見てやがんな)」

Tomatostew


 ―― ・ ――― ・ ―― ・ ―――

毎度書きますが、このページは
私の友人のともだちであるわははら君が、
私の友人にその友情の証として、
自ら料理して自分一人で食べて、その結果だけを
メールで報告してくるらしいのだが、
そのことを、その私の友人がまたたまに私に知らせてくれる。

読んでもらえばわかるように、
なかなかに独身男性の悲哀があふれていて面白い。
いや、面白い。では悪いかな(笑)
あ!(笑)って書くとまたなんか言われそう。



2012年12月 1日 (土)

薬物依存症とそこからの回復

11月30日 金曜日

熊本県薬物乱用防止指導員研修会に参加。
保護司の中から、その指導員になる割り当てがあるらしく、
私にそれが回ってきた。
昨日の研修の講師は、
国立病院機構肥前精神医療センターの武藤岳夫さんで、
「薬物依存症とその回復について」というテーマだった。

日本での薬物対策は長年「ダメ。ゼッタイ。」という
乱用防止を主眼とした一次予防が中心だった。
また薬物乱用を「犯罪行為」という司法的な側面で
捉える傾向が強い、とも。

日本における薬物(有機溶剤除く)の生涯経験率は
なんと1.7%と、世界各国に比べて極端に低い。
参考までに覚せい剤系にしても
イギリスで11.9%に対して、日本は0.3%である。

確かにそれは効果を上げている。
他の先進諸国に比べると、薬物事犯が極めて少ないのは
薬物に対する厳しい社会規範認識や遵法意識が
高いからではないかと考えられる。

しかし、現実的には社会的なストレス、家庭の不和、
将来に対して希望が持てないための空虚感などから
逃れる手段として、さまざまな嗜癖(シヘキ)が問題となっている。
アディクション(依存症)と呼ばれるもので、
飲酒、ギャンブル、買い物、万引き、
リストカット、携帯、インターネットなど
こう並べると特に珍しいものではないような気がする。

しかし薬物乱用もその一つとして捉えられるというと、
いきなり身近な問題に感じられてくると思いませんか。
先生はそこでこうおっしゃる。

「わかっかっちゃいるけどやめられない」人に
「害」ばかりを伝えても伝わらないのではないか。

やめなくてはいけない、
このままではマズイと思ってはいるはず。

薬物依存症は病気として見られていないという現実。

学校では「非行」
司法では「犯罪」
地域では「厄介者」
本人・家族は「意志の弱いダメな奴」


病気として見るのは医療機関のはずだが、
依存症は専門性の高い分野と思われていて、
関わりたくないとする医師が多いそうだ。
わかるような気はするが、
今の世の中的に放っておいてよいはずがない。

依存症の「病気としての特徴」

・誰でもなりうる病気(意思・性格と無関係)
・慢性の病気
・進行性で、放っておくと死に至る病気
・姿を変えて続く病気
・周囲の人を巻き込んでいく病気

また自殺の原因として精神疾患(うつ等)があるが、
その裏にアルコールの問題が隠れていることもある。
またア薬物依存が直接引き金になることも。
怖い。

しかし、慢性疾患である依存症は
例えば糖尿病において血糖をコントロールできるように
依存症も治癒することはなくても
回復は可能である。
ただ再発を繰り返すため、継続的な治療、支援が必要になる。

薬物依存症という「病気」としての視点、
正しい知識を持ち、
早期発見、早期治療に向け、
適切な対処の方法や相談機関を知っておくこと。

これが二次予防。

回復の過程における支援、社会復帰、
再発予防に向けた取り組みを行っていくこと。

それが三次予防。

熊本県では、
精神保健福祉センターでKUMARPP(クマープ)という
「熊本県版依存症回復支援プログラム」が
昨年度の試行を経て、
本年度から本格的に実施されている。→リンク  


そして夜は、ヴィーブルで
合志市青少年教育特別講演会があり、
講師は作家で高野山真言宗僧侶の家田荘子さん。

タイトルは「子ども達のメッセージから学ぶ
“親育ち”に必要なこと」だったのだが、
昼間、薬物依存のことを勉強したばかりだったので、
家田さんが取材で会った少年の話が身に迫ってきた。
もちろん作家らしい誇張もあったとは思うが、
薬物教育の必要性を訴える彼女の思いは、
若い親御さんたちに伝わったであろうか。
特別なことではあるが、誰にでもあり得る。
そして慢性疾患である依存症にかかると
そこから抜け出すのは大変なことなのです。








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