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2012年6月 9日 (土)

かわるがわるわかる



『「ゴミ」を知れば経済がわかる』
瀬戸義章著 PHP研究所刊

実は最初の方しか読んでません。
文章量はそれほど多くはないので軽く読めそうですが、
その中身は読む人によっては、かなり重たく感じられるかも。
そうは言っても、語り口は軽やかですね。

瀬戸さんのサイト「ゴミタビ~世界のいる/いらないを見まわる」も
ちょっと面白そうです。→リンク

アマゾンでは、「クリックなか見!検索」で
本文を立ち読みできます。


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意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).


英米人は、意思を比較して個人を選出して責任者とする。


意思は、表明できる。議論の対象になる。


議決により意思決定は可能になる。



意思は、未来時制の内容である。が、日本語には、時制がない。で、日本人には、意思がない。


意思がなくては、社会の意思決定にも難渋する。国政も先送りとなる。


日本人には、意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。


日本人は、序列を定めて裁量権を与え、恣意により運用させる。



恣意は、表明できない。が、腹の底にたまっている。

論旨がないから、議論は不毛である。談合により腹の探り合いをして、恣意を摺合せる。

隠ぺい体質者は談合により急場を打開する。日本人の頭の中には急場と場当たりの内容しかない。



意思を示せば、当事者となる。


意思を示さなければ、傍観者となる。


我が国は、世界にあって、世界に属さず。



自己の意思を表明すれば責任を感じざるをえない。


意思というものの存在を認めなければ、責任の所在の追求もない。


国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。


とかく、この世は無責任。



それでも日本人は原発再稼働を選んだ。


一億総懺悔への道、この道はいつか来た道。


安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しますから、、、、


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