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読みたい本だな

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2011年3月の36件の記事

2011年3月31日 (木)

てっぱんの重み

今日の熊日夕刊の「深よみTV」に、
NHK連続テレビ小説「てっぱん」について、
放送作家の山田美保子さんが書いている。

「あらためて『てっぱん』は、
朝ドラらしいドラマだったと思う。
普通の人たちの日常を描き、
そこにはお互いを思い合う心がたっぷり詰まっていた。
そんな人間関係の温かさは、
震災で不安を感じている視聴者を
癒してくれたのではないだろうか」

おばあちゃんが覚書を書いた日付は、
平成22年10月だった。
このことは偶然とはいえ重要である。
これが、平成23年3月11日以降の日付であったら、
いくらフィクションであるとはいえ、
まったく別の世界の話になったことだろう。
つまり、この阪神以後、東北以前という偶然が、
このドラマを不思議な均衡の上に成り立たせている。

半年で終わらなければならないので、
よく考えれば、ずいぶん荒っぽい省略もある。
あかりが、自分が両親の実の娘でないことを知って、
あんなにも簡単に納得するものか、とか、
実の父親が、あっさりアメリカに帰ってしまうのも、
なんだかなあ、と思わざるを得ない。
しかし、それらは数多ある仕掛けの一つひとつに過ぎない。

我われが確固としたものと考えている日常も
実は(「一瞬に」は大げさだが)、
およそ数時間で壊れてしまうこともある。
おとなになるまでには、また年を経るごとに
大なり小なりそういう経験を重ねるものなので、
こういうドラマの中でぐらいは、
善意の積み重ねであってほしいと願う。

この震災の前に
「タイガーマスク現象」と「てっぱん」があったことは、
ほんのわずかとはいえ、
救いだったと考えてもいいような気がする。



2011年3月30日 (水)

活動報告第4号 その2

平成23年第1回定例会 上田きんやの一般質問

1. 合志市が包括協定や連携協定を結んでいる相手と、
その目的について訊ねました。

 合志市は現在、崇城大学や九州東海大学、熊本高専、
 熊本県立大学などと協定を結んでいます。
 最近では、肥後銀行、県農業公社とも同様に提携しました。
 肥後銀行とは、人材や企業に関する情報交換を通じて、
 「健康都市こうし」に貢献させたいとのこと。
 せっかくだから、黒石原の肥後銀行グラウンドを
 子供たちのために借りたらどうだろうかと提案したのですが、
 協定の目的外であるとのことでした。

 ちなみに熊本県は、
 コンビニ大手のファミリーマートと連携協定を結んでおり、
 たとえば「災害時における徒歩帰宅者に対する支援。
 災害救助物資の供給等に関する支援」など
 具体的な項目が挙げられています。

2. 昨年10月の国勢調査について、
順調に終了したか聞きました。

 特に問題なく全戸調査ができたとの答弁。
 結果は、交付税算定の基礎になどに使われるとのことです。
 速報値は2月に発表されていますが、
 これから正式な集計結果が公表されるとき、
 東北地方ではその数値自体、
 意味をなさなくなっている市町村があるのではと思うと
 胸が痛みます。

3. 市の職員採用について訊ねました。

 監査委員による定期監査報告書の要望事項の中に
 「職員採用 に当たっては、
 できるだけ地元からの採用が望ましく、
 郷土愛に燃え市に大きく貢献する人材を育ててほしい」
 とありますが、
 採用に際しては、試験成績による客観的な評価なので、
 市内の受験者には良い成績を取ってもらうしかないとの答弁。
 ただ23年度採用予定者7名のうち6名が、
 合志市在住でしたとのことです。

4. 政務調査費について

 きちんと使われるなら、必要だと思うとの市長の答弁でした。

 ≪毎日のくらし かかわる政治≫

NPO法人ドットジェイピーという団体から、
議員の仕事について勉強したいという地元の学生がいるが、
春休みにインターンシップ(職場体験)として
受けてもらえないだろうかという相談があり、
二人の熊本県立大学生がやってきました。
そこでその期間の
終了を前にその感想を書いてもらいました。

○角田恭一(熊本県立大学総合管理学部1年生)

この活動の趣旨は、若者の政治的関心を高めることです。
私はこの活動を通じて「将来の私」のイメージを
膨らますことが出来るのではないかと考え、
春休みを使い参加しました。

今回の主な活動は議会や委員会の傍聴、
事務作業やポスティングでした。
またフィールドワークとして、
合志市のレターバスでの利用状況の調査、
市主催のバスツアーにも参加し、
自分たちの住む地域を見直すきっかけにもなりました。
特に印象に残ったのが活動の合間の会話で、
とても学ぶものが多かったと思います。
この活動では合志市と、何より自分自身を見つめ直す
絶好の機会となりました。
途中自分なりに悩みながら前進することも出来ました。
この機会を生かし、これから益々飛躍していきたいと思います。

○帆足佳菜(熊本県立大学総合管理学部1年生)

私が議員インターンシップに参加しようと思ったのは、
春休みの期間を活用して
自分を成長させたかったからです。
私は今まで政治に全く関心がありませんでしたが、
来年二十歳になり選挙権を得るのに、
政治のことを知らないまま誰かに投票するのは無責任だ
と思ったこともきっかけになりました。

実際の活動を通し、生まれ育った合志市の市政に触れることで、
以前より政治を身近に感じることができるようになりました。
また本会議や委員会の傍聴を経験し、
ニュースと生で見るのとでは全然違うと感じました。
ニュースでは結果しか知ることができないけれど、
議案が成立するまで時間をかけて議論される過程を知ることで、
議会の意義や大切さを知ることができました。
残りの活動も充実したものになるよう
取り組んでいきたいと思います。

2011年3月29日 (火)

活動報告第4号 その1

ただいま印刷中の活動報告第4号を
いち早く、ネットで公開いたします。
ご意見ご感想は要りません(ジョークです)。

 ―― * ―― * ―― * ―― 

みなさま、いつもお世話になっております。上田欣也です。
3月11日は合志中学校の卒業式に出席し、
わが子の時とはまた違った感動を覚えたところでした。
そしてこの新たな出発の日の午後、
東北地方では未曾有の大災害が起きました。

合志市議会は会期の真っ最中でしたが
甚大な被害状況を映像という形で目の当たりにして、
14日に予定されていた自分の一般質問の内容が
何の意味もないものに思われるほどの衝撃でした。

ですが、冷静に考えれば、
まずは開催中のこの議会をきちんと務め上げることこそ、
市民のみなさまに付託された私たち議員の、
議会としての役割であると思い直しました。
今後合志市として、被災された自治体や住民の方々に
できる限りの支援の手を差し伸べて行かなければならないでしょう。

荒木市長は市職員の知恵と力を結集して、
さまざまなご提案をなさることと思います。
私も議員としてまた一市民として、
みなさまの声を生かせますよう尽力いたします。

この大震災大津波でお亡くなりになられた方々の
御霊が安らかにありますことをお祈り申し上げます。
また被災されたみなさまの暮らしが
少しでも早く再建されることを切に望むところです。
私たち合志市民もこの災害を決して他人事と思わずに、
災害時の心構えをもう一度
見直す機会にすべきではないでしょうか。

 
この平成23年第1回定例会は
2月25日(金)から3月17日(木)まで、
21日間の会期で行われました。

審議された主なものは、

 合志市老人憩の家条例の一部を改正する条例
 合志市福祉センター「みどり館」条例の一部を改正する条例
 平成22年度合志市一般会計補正予算
 平成23年度合志市一般会計予算

などで、活発な討論もなされましたがすべて可決されました。

私がたびたび一般質問で取り上げた
副市長の選任についての人事案件もやっと提出されました。
今回のような突然の大災害が起きると、
万が一の場合の副市長の存在が危機管理上どれほど重要か、
またこの一年合志市に何も起こらなかったことが、
いかに稀なことであったのか思い知らされた定例会でした。

※詳しくは、5月に発行されます
「議会だより きずな」をぜひお読みください。

昨日の補足

昨日、エルトン・ジョンのインタビューについて、
昔読んだことがあると書いたのだが、
このローリングストーン日本版をよく見ると、
後ろのページにそれが再録してあった。
ときは、1973(昭和48)年8月号。
私が高校3年生のときで、
『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』は発表直前である。
その秋の文化祭のころには、
聞きまくっていたと思う。

インタビューを快く受けてもらったくせに、
肝心のレコード評では酷評していたRS誌。
いかにもって感じなのだが、
フランスの古城ストロベリースタジオで録音されたそのアルバム。
デイヴィ・ジョンストンのギターソロは、まるで
隣の部屋から電話線で送られたような音、
というふうに、けなされていたのだが、
意外とそういうテクノロジーを使っていたのかもしれない。
そしてそれは、かなり斬新な手法だったということだ。

のちに、ボブ・クリアマウンテンという
エンジニア・プロデューサーは、
デイヴィッド・ボウイーのレコーディングで、
ドラムスの音を、スピーカーで
エレベーターシャフトの中に鳴らして、
それをまた録音するという方法で、
えもいわれぬエコーを採ったと言われている。
(記憶違いであったら、ごめんなさい)

今回のインタビューでは、
バーニー・トーピンの歌詞を
エルトンが作曲時に編集していることも明かしている。
これはすごい発言だと思うと同時に、
トーピンが制約なく、かなり自由に書いているということもわかる。



2011年3月28日 (月)

ELTON REMEMBERS

3月25日は、エルトン・ジョンの誕生日だった。
昨年、レオン・ラッセルとの共作アルバムを出して、
まだまだクリエイターとして枯れていない、
というか、ほどよく枯れたというべきか、
実にパワフルなプレイを聞かせてくれたエルトン。
雑誌ローリングストーン日本版4月号のカバー・ストーリーに登場。

彼のインタビューは、
『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』が出たころ、
やはりローリングストーン日本版で読んだことがある。
まあ翻訳もひどかったが、
エルトンの言葉づかいもかなり乱暴だった。
4文字言葉を荒っぽく使うのが流行りだったといえば、
確かにアメリカン・ニューシネマの台頭で
fu*k や s*it が一般的になったころでもあったし、
アメリカ全土を制覇して、飛ぶ鳥がいなくなるくらいの勢いだった、
ああ!エルトン。

今回のエルトンは、子どもが生まれたこともあってか、
かなり上機嫌で昔話を語っている。
ただ40年近くフォロワーの私からすると、
彼の発言は、そのときどきで大逆転することが多い。
人間生きていれば考え方も変わるので、
昔の言質をとらえて、一貫性がないというのも
ちょっと大人げないと思う。
とまれ今回のエルトン、過去の自分を客観的に評価して、
あのころはそう思っていたけど、
今はこう思う、的な物言いが目立つ。

その他、マドンナについてや、
ミック・ジャガーに関してなど、
下世話な話もあるので、
ファンならずとも、否
やっぱりファンでないと楽しめないとは思うが、
なかなか良いインタビューだった。

2011年3月27日 (日)

最終報告会

3月26日 午後

途中からだけれど、
春の議員インターンシップの最終報告会に参加。
学生たちの発表を聞く。
もちろん、うちに来ていた二人も含む。

最後に議員としての講評までしてしまった。
まず第1歩としては、こんなものだろうというのが、
全体的な印象でした。
これからは新聞をきちんと読みたい、
と言ってた学生が数人いた。

この東北関東大震災では、
TwitterやSNSが役に立ったというけれど、
それは、その手段をもともと持っている人の話。
体育館で新聞を広げている人を
避難所の映像で見ると、
非常時にこそ価値のあるメディアだとわかる。
停電しても、バッテリーがあれば、という話ではない。
例えは悪いが、
人間が死ぬほどの放射線を仮に浴びても、
印刷物は平気かもしれないということだ。
ただそうなると、読む人もいなくなるけど・・・

合志をめぐるウォーキング2011

3月26日 土曜日

平成22年度合志市春のウォーキング大会に
参加しました。
午前9時出発、
ヴィーブルふれあい緑地から、三つの木の家、
飯高山、野付天満宮を回って帰ってくるコース。
約9キロ。
これは春の日和で、あったかくなるぞと思ってたら、
意外や途中曇ったり、冷たい風も吹いて、
それでも元気に総勢110名、全員完歩でした。

戻ってきた私たちを待っていたのは、
体育指導委員さんたちが作ってくれた
とっても旨い豚汁(材料はおそらく地元産)。
で、温もりました。
もちろんお椀と箸は持参です。

趣旨にあるように、合志市の自然や文化財に触れながら、
日頃見落としがちな、というか、車で過ぎ去ってしまう
さまざまな物を間近に見ながら感じながら
(それには不法投棄の現状やたい肥の臭いも)、
一期一会かもしれない人同士の親睦もできました。

さのばがん

3月20日の毎日新聞。
連載の「Dr.中川のがんから死生をみつめる」第99回。
福島原発事故を受けてということで、
特別な記事になっていたようです。
がんと放射線は、原因にもなるし、
治療にも使えるという密接な関係にあります。
ただこの記事では、それとは別に、
用語の説明がわかりやすかったので引用しましょう。

「放射線とは、ものを突き抜ける能力が高い光や粒子のことです。
そして、放射線を浴びる(=被ばくする)と、
遺伝子にダメージが生じ、
人体に悪影響を及ぼすことがあります。
放射線を出す能力を『放射能』、
放射能を持つ物質を『放射性物質』と呼びます」

これを読んだとき、相手の正体を見た、
とは言いませんが、なんともいい加減な
言葉のイメージを持っていたのかと、思ったことです。
放射能というのは、能力なんだから、
それ自体は概念に過ぎないなんて、
なんかわかったようで、わかんないけど、
幽霊だと思っていたものが、実は
柳の幹と枝葉だった。みたいなものか。

2011年3月26日 (土)

トラック協会の意見広告

トラック協会の意見広告

この新聞広告は、
2月22日の熊日に出ていました。
私は以前勤めていた会社では出荷担当で、
物流、それもトラックによる運送を直接、統括していました。
わかりやすく書くと、配車係です。

そのことにより、物流の重要性を肌で感じることとなったのですが、
コンビニを始め、いまの便利な暮らしを支えるのが、
トラック輸送であります。
事故があるたびに悪者にされるトラックやトレーラーですが、
諸般のコストダウンのしわ寄せが
ドライバーの労働条件や就労環境に悪影響を及ぼしていることまで、
誰も知ろうとしていません。
ときどきトラック協会が意見広告を
こういうふうに出しているのですが、
東北関東大震災後の混乱に際して、
物流もライフラインであることを改めて
認識したいものです。

2011年3月24日 (木)

シダレザクラ

シダレザクラ

合志南小学校の体育館前の枝垂桜。
昨日の卒業式での構成詩というのか、
生徒たちが掛け合いで、
文章を読む趣向。
多分、東北の震災前から準備していたのであろう、
テーマは戦争反対だった。この時期にそれでいいのかという意見もあったと思う。
だが、天災を止める術を人類は持たなくても、
少なくとも戦争は人智を尽くせば、
起こさずにすむ。
だから、やっぱりそれでいいのだ。
そうなのだ。

2011年3月23日 (水)

卒業証書授与式

私は合志南小学校校区に住んでいる。
二人の息子たちも南小に通った。
今日、その32回目の卒業証書授与式が行われ、
招かれて出席した。

6年生2クラス、男子40名女子34名合計74名。
生徒数はピークを過ぎ、減少傾向にあったが、
ここ数年、再び宅地分譲ブームが起き、
また生徒数は増加傾向にある。
これが一過性であることはわかっているものの
合志市にとってはありがたいことである。

子育て支援日本一のまちづくり。
この標語は、5年前の2町合併時、
なんか目玉を作らなければいけないというので、
急ごしらえだったという噂も聞いた。
でも結果オーライでいいのではないか、これは。

自分自身、議員になるまでは
ほんとうに市のことについて、
表面的なことですら、よくわかっていなかったことに
気づかされたこの1年であった。
市民も知ろうとする努力が足りない、
なんて言うのは簡単だけれど、
どれだけ興味を引きつけるかという至難の業も
議会には求められる。
本来、自分たちが選んだ議会議員なので、
その活動をウォッチするのは、
市民の務めでもあるとは思うんだけれど。


2011年3月22日 (火)

ラストコンサート

3月20日 日曜日

合志市総合センター・ヴィーブルで行われた
西合志東小学校オーケストラ部の
第3回ラストコンサートを聞きに行った。

プログラムによると、総勢83名。
サウンドのまとまりと重厚さ、
なおかつメリハリも備えた演奏は圧巻であった。

第一部だけの感想と前置くが、
このイベントをコンサートと銘打つことには
少々違和感を覚えた。
お別れの会という意味合いだろうが、
小さい妹弟や、いとこたちも来ていると思われる。
赤ちゃんの世話に忙しいお母さんを見るにつけ、
せめて親子室の案内が事前にできなかったのかと思う。

演奏と余興を組み合わせることで、
より親しみがわくという効果も否定はしないけれど、
私はそうとは知らず、コンサートだと思っていた。
せっかくの盛り上がりに水を差すようだが、
いろいろ詰合せてしまったのはもったいなかったような。

もちろん、2回に分けてイベントをやるということは
現実には無理だろうということは承知の上で
これを書いているのですが。

そうはいうものの当の部員たちの、
緊張の中にも楽しんでいる様子が、
とっても頬笑ましかったです。




2011年3月21日 (月)

うそつきできづききずつき

今日は加藤和彦さんの誕生日だ。
25日はエルトン・ジョンさんの誕生日だ。
さん付けにするとよそよそしいアイドル。

昔、「だぶだぼ」という雑誌があって、
ある号で加藤和彦インタビューがあった。
その中で「信条は」という問いに
加藤氏は「嘘をつかない」と答えていた。
私の記憶ではそうだ。
中学生ぐらいだったと思うが、
それ以来、私の生きる指針となった「嘘をつかない」。

まったくつかないかと言えば、
「方便だ。許せ!」と内心で自分を言いくるめることもある。
仕方がない。
それも生きる術である。こともある。
でも、基本的にやはり嘘はつきたくない。

同じ頃、作家の片岡義男氏がエッセイで、
幼いころの英語体験について書いていた。
「ワンダーランド」か「宝島」の初期。
幼少の頃なついていた米兵に何かのはずみで
「うそつき」と言ったらしい。
そしたら、子ども相手だというのに、
手加減せずぶんなぐられた。
そこから、アメリカ人に対する「うそつき」という言葉は、
許されない侮辱になるということを
身を以って学んだのだと。
英語、あるいは多国語を学ぶというときには、
それくらいの身体性が伴わなくてはいけない。
そういう話だったか。

現在の感覚では、言葉がどうであろうと、
それは幼児への単純暴力の典型であり、
その米兵も幼児期に悲惨な経験をしている、
ということになるのかもしれないが、
言葉が文化を背負っているものである以上、
宗教的な背景も含め、
なかなか相互理解が難しいものであるのは事実。
ということはわかる。

さて、エイプリル・フールを前にして、
そういう話題でした。
加藤さんのことについては、また別の機会に。

2011年3月20日 (日)

浜田知明作品展 2011春

合志市の国立ハンセン病療養所
菊池恵楓園の社会交流会館(歴史資料館)で、
「浜田知明作品展 2011春」が、
一日だけ展示された。

一日だけ。

今日しかないとわかっていたので、
静かな雨の降るお昼前、私は出かけた。

恥ずかしながら、この社会交流会館は初めて。
隣の管理棟には以前、営業で頻繁に訪れていたのに。

《建物の由来と特徴》

この建物は、戦後熊本市にできた県庁舎の
建築様式をかたどってできました。
建物の坪数は509.5坪、塔の高さは75尺(22.5㍍)、
円形池の直径は50尺(15㍍)です。
建物の特徴は、中央にある塔と
現在では作られなくなった鉄枠の窓です。
建築当時は、昭和30年7月に開設された
国立らい研究所熊本分室が設置され、
書庫と共に西日本一の規模でした。
施工は竹中工務店が請け負いました。
その施工記念として同社より、鐘が贈られ、
その鐘は「希望の鐘」と言われ、
塔の最上部に吊り下げられていました。
また、病気が治って退所される際にも鳴らされていました。

   ― ・ ― ・ ― 

現在その鐘は「隔離の壁」と共に
多目的ホールに展示されている。
映写機もあった。

浜田知明氏の初期の作品を見ると、
多くの人に愛される理由がわかった。
作品に付けられているインタビューがまた
正直に語られていて、思わず頬緩む。

ギャラリー、展示室も回った。
充実しているとは言いがたいが、
私たちが学ばなければならない
歴史の一端はきちんと整理されている。






村上春樹と小泉今日子

よもやこういう日が来るとは、
いや、こういう記事が読めるとは、
本当にこれまで思いも寄らなかったことが不思議なくらい。

3月23日号のanan誌上、
「村上ラヂオ 第102回」のお題は
「ベネチアの小泉今日子」である。

まさに102回に、これほどふさわしいタイトルがあろうか。
※個人的な感想です。

それでは恐れ多くも引用します。

「人はときとして、
抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、
自分自身がその重みで
ばらばらになってしまうのを防ごうとする。
音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。
小説にもまた同じような機能が
そなわっている」

「僕の書く文章がこの世界のどこかで、
それと同じような役目を果たしてくれていると
いいんだけどと思います。
心からそう思う」

村上氏がどういうときに
小泉今日子の音楽と出会い、
今回の文章にまで発展することになったかは、
本誌をぜひお読みください。

特集がスピリチュアルであることには、
その表紙ともども目をつぶってやり過ごそう。
※個人的な感想です。


デイ・アフター・デイ

3月17日 木曜日

平成23年合志市議会第1回定例会閉会。

3月18日 金曜日

合志市議会一般選挙立候補予定者説明会。
定数21人に対して、21陣営の参加。

3月19日 土曜日

杉並台幼稚園卒園式隣席。

2011年3月18日 (金)

empty sky

empty sky

高校生の頃は、
いつも何とはなしに
胸に隙間を感じつつ、
抱えきれない空しさを
持て余していたものだ。

きょう偶然にも見つけた春の空は
すっかり満たされていた。
あれから39年。

2011年3月17日 (木)

夜伽(ヨトギ)

友人の母上が亡くなられ、今夜、夜伽が行われた。
友人の父上は前の住職であるが、
謝辞の言葉は、たいへんありがたいものだった。

昨今、通夜式が葬儀の前夜祭のようになっているので、
あえて「夜伽」と案内を出したとのこと。
もともとは、病床の人に元気を出しなさいと
周りの人が、食べ物を持って夜に集まってきた。
そのことに由来するのが夜伽である。
集まった人がなかなか立ち去り難く、
夜を明かしてしまうことがお通夜。
昔は昼間みんな働いているので、
どんな行事も夜に行われるのが普通だった。
夜伽飯とよく言うが、
米が貴重だった時代の一番のごちそうだったから。

もうひとつ。
生前と言うのは生まれる前の意で、
つまり往生楽土に生まれ変わる前の
この世でのことを指すのだということも。

2011年3月16日 (水)

コブシ・ストリート

コブシ・ストリート

咲き始めたコブシの花。
申し訳なく春が来る。

記念植樹式

記念植樹式

今日午後、合志市立合志小学校校庭で、
記念植樹が行われました。
合志義塾にゆかりのある「カタルパ」と
孔子ゆかりの学問の木である「楷」の2本です。
写真は、
謂れを語る高村教育長の話を聴く5、6年生。
後ろにあるのは、楷です。

2011年3月14日 (月)

一般質問

午前中、2番手の登壇。
事前に通告した事項しか認められていないので、
今日の質問内容については、
ずいぶん悩んだ。
あの被災地のことを思うと、
何を言っても空しい。

しかし、災害というのはいつわが身
わがまちに起こらないとも限らない。
そのときに議員としてなすべきことを思えば、
平常時のいま、いつものようにふるまうことこそ、
市民の皆さんによって選ばれた者としての
役割ではないかと考えた。

今回質問した国勢調査は、
昨年の10月1日現在の数字である。
既に速報値は発表されているが、
確定の数字が出るころには、
被災したまちの多くはその面影すらなく、
多くの命が失われてしまっていて、
調査の数字自体が意味をなさなくなっている。
そういう現実がいま、そこにあることを思うと、
不覚にも言葉が喉につかえてしまった。


2011年3月13日 (日)

クレマチス

クレマチス

昨日、インターン生の二人に
カードと一緒に頂きました。
気を遣わせてしまったみたいです。
というのも、去年もそうだけど、時期的に
活動の際、結構ネタにしてたからね。

航海日誌は異常なし

朝、カーテン越しに
まぶしい光が射していた。
昨日までのことが夢だったら・・・
まずそう思った。

ネット上では、さまざまな情報が飛び交っている。
テレビでは、映像が文字通り洪水となっている。
ここ合志市では、放射冷却と思われる
朝の多少の冷え込みも、
このあふれるばかりの日光で、
じきに温まるだろう。

2日目の朝が来て、
私も少し冷静になれた。
昨日は、私の55回目の誕生日で、
九州新幹線全線開業と合わせて、
Go Go!と行こうと思っていたのだが、
とてもそんな気分になれなくて、
更新もしなかった。

ツイッターを見てると、
みんなずいぶん生な発言をしている。
即時性に意味があるとはいえ、
私は口をつぐむ方がいいような気がした。

でも、ウェブログは日誌なので、
やっぱり不遜だと思われることを恐れず、
自分の周りで起こったことを、
出来るだけ客観的に、
そしてその時点での自分の考えも記す。
そういうものだ。
そう思えるようになった。

2011年3月11日 (金)

天災と防災

東北地方太平洋沖地震。
名づけられることで、対策は一歩前に進む。

車を運転中、珍しくNHK-FMを聞いていた。
午後2時45分過ぎか、
緊急地震速報が流れた。
テスト放送は何度も聞いたことがあったが、
これは本番だ。
よどみなく、原稿を読み上げる(機械音?)
アナウンサーの声。
来ることは間違いないのだろう。
遠い町に住む人の不安な気持ちを思った。

合志市では、毎年総合防災訓練やっていて、
住民として一度、議員として一度参加した。
でも、実際の災害時、
議員は何をすればいいのだろう。

2011年3月10日 (木)

あれか、これか

平成23年第1回定例会の
一般質問初日。

通告者・質問事項・質問の要旨→リンク 

概略については、リンク先のPDFを参照してもらうとして、
本日の質問答弁ともに、みなさん力が入っておりました。
訊ねる方が選挙前ということを意識するのは
当然だと思われるかもしれませんが、
意外といつもと変わらず淡々としているのに対し、
答弁する方は、これまでになく具体的で、
プログレッシブ(前進的?)だった。
気のせいだろうか。

タイトルに掲げた「あれか、これか」は、
税収も上がらず、厳しい財政状況の中で、
市民から上がって来る「あれも、これも」の要求に応えるなんて、
とてもじゃないがやれないので、
「あれか、これか」の選択と、一部には受益者負担を
お願いしたいくらいだ、ということです。

その割には、老人憩いの家とみどり館の利用料を
100円に下げてまで、コミュニティバス定期券購入者に対する
ユーパレス弁天入浴料100円にこだわりを見せる。
もちろん、高齢者の外出と温泉利用を推進することで、
健康づくり、引いては国保負担の軽減につなげる。
という大義もないことはないが…

「あれと、これと」は別だん。

2011年3月 9日 (水)

地方議員の役割(ロールプレイ)

2月6日付の熊日に、
熊本市で行なわれた「平和と民主主義・
くらしを守る熊本市民連絡会」の学習会の記事。

弁護士で元熊本大教授の竹内重年さんが、
地方議員の役割と報酬について、
「議員に専門性を求めるのであれば、
報酬が高くて定数は少なくなる。
幅広い市民の意見をくみ取るのであれば
定数は多くて報酬は低くなる。
この二つの考えを対立させることなく
議論することが大事だ」と話したとある。
議員の報酬と定数に関して、
分かり切ったこととはいえ、
的確にまとめられたと思う(記者の技術か)。

現実的には、
議員になって市民のために活動しようと思っても、
選挙の洗礼を受けなければならない。
1回しか選挙を経験していない私が言うのもおこがましいが、
並みの決意で出来るものではない。
当選かどうか開票が終わるまでわからないのだから、
当然、生活の糧が保証されなければ出馬しにくい。

選挙によって、候補者として鍛えられる部分があるので、
結果的には市民の生の声を聞くことと同時に
本人の人間的成長も促されることにはなるが、
そんなにまでして立候補することの意義は
見出しにくいとも言える。

有権者のみなさんは、
議員や議会のことをとやかく言うときに、
「もし自分が選挙に出ることになったら」について、
ぜひ考えていただきたい。
その上で、議員として職責を果たしているか、
個別に、また議会全体について判断してください。

つい「職責」とか「働く」という言葉を使ってしまうので、
やはり議員の仕事は「労働」でもあり、
その対価としての議員報酬があることになるのではないか。
兼業に時間を割くことを認めるならば、
議会活動に集中していないと責めるべきではない。

「二つの考えを対立させることなく」ではなく、
対立させてもいいから、
どちらを住民が認めるのかだと思います。

地震報道について

ちょうどお昼頃、
三陸沖の津波のニュースが流れていたとき、
熊本地方で地震があった。
それも3回連続で。
震度2と発表されたが、体感的にはそれ以上。

ところで、先日のニュージーランド地震の報道を
テレビで見ていて、多少腹立たしさも感じた。
そのことについて、
@niftyニュースに、
私の思いを代弁してくれる記事がアップされたので、
リンクします。
質問も答えも、冷静になされている点が良い。

リンク: 【日本版コラム】NZ地震で考えた事件・事故被害者、実名報道の是非 - 速報:@niftyニュース.

2011年3月 8日 (火)

ふるさと探訪まちめぐりバス

第3回「ふるさと探訪まちめぐりバス」が、
明日走ります。
参加申し込みは、2月28日に締め切られ、
応募者多数のため、抽選になりました。

今回は合志市の産業にスポットを当てます。
見学予定先は、
・弁天山頂上(市内のビニールハウスや農地を眺めます)
・県立農業大学校寮食堂(昼食)
・同上各施設
・東京エレクトロン
となっています。

私は所用のため申し込みませんでした。
というか、抽選で漏れていたかもしれませんが。

私のもとでインターンシップをやっている学生二人が、
参加します。

2011年3月 7日 (月)

常任委員会

合志市議会常任委員会で、現地調査。
杉並台、六華、リズムの各幼稚園を回る。
短時間の視察だった。
子どもも小さいけれど、
園舎、園庭も広くはない。
先生方の目の届く範囲と言えば、
やっぱり限度があるだろう。
ただ長男が卒園した杉並台幼稚園の運動場を
久し振りに訪れて、
こんなに広かったっけと感じた。

幼保一元化、こども園設立は、
言葉で言うほど簡単ではないとよくわかるので、
議員として、難問を提示された気がする。

西合志南中学校の体育館改築は、
当初、体育館と武道場を一体化という案だったが、
いろいろ検討した結果、
別棟にする方向らしい。

2011年3月 6日 (日)

バッテリー

現在、合志市議会定例会開催中です。
明日は、常任委員会2日目。

今定例会には、副市長選任の同意案件が提出されています。
昨年3月に市長選挙が行なわれ、
その際同時に行なわれた市議会議員補欠選挙で、
私こと上田欣也は当選したのですが、
6月及び12月定例会で、
私は2度、市長に対して副市長の選任について、
一般質問において訊ねました。
明確に答えがあったのは12月のことで、
その答弁通り、今回提案がなされたのですが、
そういう経緯の中で、
私はふと、ある考えに思い至りました。

比べるべくもありませんが、
アメリカでは、大統領と副大統領が
コンビを組んで選挙戦に臨みます。
市長選挙も、そういう形で戦うことは出来ないのか。
選挙後の人事で、論功行賞という言い方が
非難する口調で、なされることはよくあります。
副市長選任は議会案件なので、
不必要に議会内の対立を煽る可能性もあります。
しかし、どの道、明らかにしなければならないことなのだから、
立候補の時点で、コンビで民意を問う。
その潔さもあっていいのではないのだろうか。

2011年3月 4日 (金)

ヤブツバキ

ヤブツバキ

雨が少なかったせいか、
精彩を欠く。
泉ヶ丘北公園のヤブツバキ。
多分、ヤブツバキ。
子どもの頃、堅石を拾った。
母の里、西合志黒石は、竹やぶも多かったが、
ヤブツバキもあちこちにあった。
祖父は自作の天日(ソーラー湯沸し器)を
五右衛門風呂の屋根の上に載せていた。
山羊も飼っていたし、
お茶も自前だった。
水は、井戸水を汲みに行ってたような。
幼い記憶は時系列通りではない。

2011年3月 3日 (木)

エニタイム・小泉の書評

久し振りの「小泉の書評」の諸評です。
今週は、2月20日付(オンラインでは21日付)→リンク

久世朋子著『テコちゃんの時間 久世光彦その日々』
平凡社刊 1600円

「誰かが自分のことを知ってくれている。
当たり前のようで、とても特別なことだと思う」

なんてったってアイドルだった小泉を
知らない人の方が数少ないとは思うが、
名前や顔を、ただ知っているということとは違うんです、
それは。
その人のことをよく知っているというにとどまらず、
それが行動に結びつくというか、
その人に尽くすということでもある。
ということらしい。

いつも思うんだけれど、
小泉今日子という女性の孤独が、
彼女の書く文章にはにじんでいる。
しかし孤独感を不幸と決めつけたらだめよ。

いつでもハッピーなんてのも、
ないとは思いますが。

男女共同参画作家

雑誌ananで連載されている
ノーベル文学賞オッズ・ノミネート作家村上春樹氏の
エッセイ「村上ラヂオ」については何度も書いている。
図書館が好きなところは私たちの数少ない共通点で、
その図書館に通う楽しみの一つが、私の場合
その「村上ラヂオ」を読めることにある。

その記念すべき第100回(3月9日号)にもかかわらず、
その話題にも触れず淡々としたタイトルは、
「男性作家と女性作家」。
書店で、男性作家、女性作家の区別がある日本は
世界的に見て珍しい国であるそうな。
ただ、外国の大きな書店には、
「ゲイ・レズビアン作家」というコーナーがあるそうな。
そうな・・・

そこから、シシャモの雄雌区別売りについて言及。
というか、シシャモから作家の区別を連想したのかもしれない。

それで、村上氏の読者は、
昔から男女半々というところらしく(本人いわく)、
また女性読者にはきれいな方が多い、と結ぶ。
こういうのをリップサービスとも言うが、
そういう物言い自体が、すでにやきもちである。
熊本弁で言うと、そういうことを「しれ~っと」書けるのも
ベストセリング・オーサーにして、
ノーベル文学賞オッズ・ノミネート作家だから出来ることじゃ。

スティーブン・スピルバーグ監督の映画『未知との遭遇』で、
ラコーム博士役のフランソワ・トリュフォー(映画監督・故人)が、
謎の円盤に乗り込む主人公に、
「君がうらやましい。- I envy you.」と、
ほんとうにうらやましそうに言うシーンを
自分がうらやましい気持を抱くたびに思い出すのだけれど、
本当にそういうシーンがあったのかどうか、
まあそれすら、いまやどうでもよくなっています。

それはそうと、「女性読者にはきれいな方が多い」には、
多分に「セクシュアル・ハラスメント」要素が含まれていないか。
などと書いていると、
村上氏に「たまにそういうことを言う人がいる」などと
ネタにされるかもしれないな(苦笑

2011年3月 2日 (水)

西日の当たる場所

西日の当たる場所

コンビニのイートイン・コーナーで
夕日を浴びる。
何となく幸せを感じるひととき。

2011年3月 1日 (火)

おにぎり公園

おにぎり公園

合志市泉ヶ丘の、
ここは、中央公園の角。
左手の支柱はケーブルテレビのもの。
正面の看板は役目を終えて、
来年度には撤去予定です。
思えばこの協議会、ウルグアイラウンド対策だったかも。
旧町のあちこちに残っているが、
骨組みが腐蝕して危ないといえば危ない。
ただ、最近この中央公園のことを小学生が
「おにぎり公園」と呼びならわしているらしい。
そうやって伝説というか、
伝承は生まれるのだろう。

宿泊拒否事件を語る

2月26日 土曜日

菊池恵楓園ボランティアガイド
特別公開講座

前の熊本県知事 潮谷義子さんが、
平成15(2003)年に起きた宿泊拒否事件について
語ってくれました。

阿蘇郡南小国町黒川温泉のホテルが、
菊池恵楓園の患者であることを理由に、
一旦は予約を受け付けたにかかわらず、
宿泊を拒否するに至った事件。

この事件は、ハンセン病を理由に
ホテル側が宿泊を断ったことにとどまらず、
潮谷さんが、思い悩んだあげく、
記者会見でそのことを発表したことによって
2次被害とでも言うべき展開になった。

潮谷さんは、当時自治会長であった太田さんが
公表に対して理解してくれると考えていた。
しかし、それまでの長い拒絶の経験から、
太田さんは、そのあとの余波や反応を心配していた。
そして、残念ながらその通りになった。

とはいえ、結果的には、
熊本県の人権啓発のあり方を
もう一度考え直す契機になった。

ただ、潮谷さんは、
当時自分が断固とした態度を取った裏には、
ハンセン病患者にきちんと向き合ってきた自負から
実は思い上がりもあったかもしれないと
正直に認められた。

西日本新聞でたまたま読んだという
荒木合志市長の「健康都市」と「稼げる市」について
ちくりと一言。
市長の真意が伝わっていない可能性もあるが、
潮谷さんの言う「福祉のまちづくり」とは、
すべての人が暮らしやすく、社会参加することができる
そういうまちづくりのことだ。
入所者もまたそれぞれが市民であるという認識。
選挙のときは、みんなそれを意識するんですけどね。

共に生きるということは、
その命を見放さないこと。
月並みだが、心に突き刺さる一言であった。

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