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2006年12月 1日 (金)

熊本県庁東門前のいちょう並木

Dscf0053 熊本県発注の建設工事の平均落札率は、知事の汚職容疑にゆれている宮崎県に次いで、堂々の全国第2位の高さである。そして、潮谷熊本県知事は、きちんと見積もりを積み上げていけば、設計価格に近くなって当たり前、談合の事実があるという証拠にはならないといったコメントをしている。
 このコメントに対して、認識が甘いとか、すっとぼけていると言うのは簡単なのだが、設計価格の成り立ちを考えると、でたらめを言ってるわけでもない。

 公共工事は、もともと予算がついて初めてスタートするものだ。その予算の根拠は、設計価格と呼ばれるもので、これは国土交通省の基準を使ったりするのだろうが、一応県独自の単価表を元に、物価や相場価格を考慮に入れて積み上げられたもので、ここを否定しては公共事業の存在自体がまやかしとなる。
 発注は、工事ごとに入札が行われ、今のところ最低額で落札した業者が、その工事を請け負うことになるのだが、この入札において、談合が恒常化していたという事実がある。
 あったことは事実で、今も完全になくなってはいないだろうが、それでは談合がなくなったとして、たとえば予算が3割残りました。これは正しいことなのか。

 まず予算組みをした発注側の積算の甘さが問題になる。予算確保のために、オーバーな見積もりをしたと見なされる。官製談合は、元来発注者側の予算立ての正当さを証明するために、予算は使い切れという体質が生んだものなのだ。
 それで、話は戻るが、そうやって予算がいつまでも余り続けるかというと、それを許さないのが議会であり、オンブズマンの使命であるはずだ。翌年度に発注される工事は、前年の落札額を参考に、当然単価の見直しがなされるので、仮にまったく同様の工事であったら、予算は切り下げられることになるだろう。
 これが、どこまでも続けば、予算¥0で、工事が発注されることになるが、その前に入札不調、あるいは入札参加業者なしという異常事態が予想される。バブル期には、民間工事に比べて、公共工事の予算が低すぎて、入札が成り立たなかったということもあったのだ。そのときに、押さえつけて低価格で工事をやらされた業者も多いと聞く。これも官製談合なのだが、それをやらなければ、予算執行が出来なかった時代もあったことは事実である。

 コスト削減や、新工法の導入などで、応札額の下落の可能性も大いにあるが、公共工事というのは、その性格上、シビアな予算と落札額がほぼ均衡するのが理想のはずである。もうお分かりと思うが、談合がなくなったからといって、予算が浮き続けるというのは、あり得ないことなのだ。
 だからと言って、公正な取引と法律上認められていない「談合」を容認しているわけではない。ただ、談合がなくなれば、どこまでも価格が下がり続けるような誤解を与えてはいけないということである。無駄を省くといっても、限界値というものがある。
 もちろんその限界値が、固定されたものではないことは言うまでもないが。

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