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2006年12月の40件の記事

2006年12月31日 (日)

「ぼこぼこして面白いね、シーツ」

除夜の鐘の前に急いでアップ。
この連載は、私の友人のメルマガです。
掲載に時差があります。

「ぼこぼこして面白いね、シーツ」

やーい、今日は休日出勤だ。昨日も出たぞ!…
--------------------------------------------------------------
先週はお休みしてしまいました。なんかクセになりそうなので気を付けないと。
とは言ってもほんとに書く事が無いのです。ここ2週間やって来たネコはボブ、ぎんが、パパ、マイキ(登場回数順、パパとマイキは1回ずつしか!)だけで、「おーい、タンゴどこ行ったぁ?」タンゴすら姿を現さなくなった。
(実は夢を見た。夢の中のタンゴは赤い首輪をしていたけど、やせていて「あ、脱走したな」とすぐわかった。弱っていてt簡単に捕まえることができた。体の紋様は無かった!で、 なぜタンゴだと思ったかとか、家につれて帰ったらウチにいっぱいお客さんが来ていて宴会をしていたかとか、タンゴがなぜかストローで水を飲んでむせたとか、分析してみると面白いというか、よくわからん夢じゃった。)
で、今回はどうしようか(ごめんにゃさい、今週も…、うーん、い、いかん!)。もう一度写真を見てみる。
で、今回はこのネコ。「一度だけ見た」のクチで、覚えてはいたのだけれども庭に来ていないので採上げなかったネコ。隣のU野さん宅は、今建替えの真最中だが、10月ごろか、基礎のコンクリートを打ってシートをかけて養生していたころ。ブルーのシートの上をつんのめりよろけながら歩いていた。
「歩けない、大変だ。早くここを出ないと」と思うか「へへへーっ、おもしれーなぁ、おっとと…」と思うかで、このネコの将来も大きく…、変わる訳ないか。
養生シートがポイントなので、シーツと名付けた。

Sheetw_1

ぎんがや、タンゴと同じ系統かな。尻尾は一緒だ。2枚しか撮れなかったのが残念。

●このメルマガは、ほんとにピンチな男の庭を中心に、
2、3軒のご近所を縄張り・通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、「おお、年賀状もまだだ」な男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

さあ、明日から2007年。

 フォーク・クルセダーズの『紀元弐阡年』を聞きながら、風呂掃除をした。歌詞なんて今でもほとんど覚えているので、一緒に歌うと、エコーが効いて気持ちよい。このアルバムでは、日本の歌謡曲の歴史の中に、健全に流れる批評性や寓話性が見事に作品となって結実しております。
 今聞いても古くないというのは、発表当時から聞き込んでいるから、自分の一部になっているせいだろうか。でも、若い人だって、こういう作品を聞いて研究するところから、新しい音楽も生まれるような気がする。

紀元貳阡年(紙ジャケット仕様)

2006年12月30日 (土)

スマイル・ノット・フォー・ミー

 日刊スポーツに安倍首相の奥さん(昭恵さん)がブログを開設したとの記事。試しに検索してみると、すぐに見つかりました。「スマイルトーク」と名づけられたこのブログ、すでに2ちゃんねるでは散々な評判らしいが、当然そういうリアクションは想定...してなかったなんて、そういう危機管理ではいけません。

 当「晴れ永遠」では、悪意を持って紹介するわけではありません。ただ、いつまで続くか、どれくらいの頻度で更新されるかに興味を持っています。一応ファーストレイディーという立場で、自分を表現したいのか、夫に親しみを持ってもらいたいのか、その辺があいまいなところは、意外と個人的な趣味みたいなもんかもしれん。

2006年12月29日 (金)

「国を愛する」とは何か

Dscf0064  これは、私のスクラップブック。au カタログの表紙はもちろん仲間由紀恵。ずらりと揃うと壮観です。もちろんもっとたくさんあります。当分契約打ち切らないでほしい。

 で、エントリーのネタに困ったら、スクラップの中から、植草甚一さんみたいに引用しようかなどと考えているが、実際には時間が足りなくて、とても手が回りませぬ。
 試しに今回は、平成15年1月20日の熊日の記事。劇作家 山崎正和さんの連載「こころの森」から「「国を愛する」とは何か」です。もうこの頃すでに教育基本法改正の論議が始まっていたのだが、国を愛する心について、懐の深い考えを示しておられる。
 一部引用で恐縮だが、現代の国家は正当な強制力を持つからこそ存在に値すると書かれたあと、
「現代の国家は法と制度の体系にすぎず、そのかぎりにおいて国民に愛される資格を持つのである。裏返せば国家は法と制度に明示されない、それ以上の価値への忠誠を国民に要求することはできない。暗黙の了解や習慣的な約束の強制は、家や村のなかでは許されても、国家と国民のあいだでは可能なかぎり排除されねばならない」
と続き、国の歴史伝統という概念のあいまいさについて書かれる。
 歴史の多様性はわが国においても自明のことであって、今の日本人はことさら愛国心を強制しなくても、「納税率は高く離婚率は低く、街は清潔で危険も少ない」など、なかなか良い国民ではなかろうかと結ばれるのだ。

 しかし、ここで問題になるのは「法と制度」によって強制されるものが出てくる危険性が無きにしも非ずというところか。前後の切抜きをいくつか読むと、前年サッカーのワールドカップが行われたことで、愛国心論議がちょっと盛んになったようだ。
 もう忘れてたよ。


			

帰って来たリサイクル野郎

 熊本市は「資源ごみ持ち去り禁止」のための条例改正案を3月議会に提出するらしい。くまにちコムの記事はこちら。今年3月、家庭ごみ収集の有料化が提案されたとき、共産党は否決に回ったのだが、27日の記事に市民団体と共に共産市議が「持ち去り禁止」条例改正を提案しないでという要望したという記事があったので、やはりそういうことだったのかと納得した。

 幸山市長は、個人で収集している方たちを対象にしたものではないと、私の質問にはっきり答えたことがあるが、条例で「個人は別」と謳うことは難しい。市の指定業者はおそらく年間契約で、収集を請け負っているので、そちらの言い分もあるはずだし、当然のこと。
 とはいえ、資源ごみ回収を個人に開放して、許可制にするとしたら、回収漏れも出てくるだろう。共産党の市議の皆さん、議会できちんと話し合ってください。

 翻って、合志市では、資源ごみの所有権は市にあるという見解だけは公表していたが、ごみステーションに「持ち去り禁止」の標識がやっと立てられた。昨日の収集日、不法業者の見張り番(取締りを警戒する、業者の尖兵)はいなかったが、たまたまかな。

 資源ごみは基本的には、子ども会や、老人会の回収に出すのが一番です。うっかりしていたが、前回の子ども会の回収ではちらし、雑誌などの紙ごみも出していいことになっていた。

今年の芸能重大ニュース(個人的)

 今年の重大芸能ニュースは、やはり小泉今日子と亀梨との交際スクープだ。個人的には。戦略だろうと高をくくっていたら、最近は半同棲という写真記事も。しかし、不可解なのはジャニーズ事務所が、特に介入していると見受けられるところ。本人同士が本気だと、横槍は入れないのか。
 亀梨君は、今年主演した連ドラの視聴率が取れず、不運な年だったけど、それは運ではなく、本人も含めて企画から何から、読み違えが原因だということをスタッフは、分かっている...いるだろうな?
 
 これは、昨年書かれたものだが、小泉の揺れる女心が少々痛い。
 俵万智『プーさんの鼻』の書評

2006年12月28日 (木)

クライベイビー

 年の瀬は、どういうものか何かにつけて昔のことを思い出す。カセットで野沢享司の『白昼夢』を聞いている。検索すると、いまも現役らしく、ファンサイトもあったりするが、視聴もあるのでこちらがお薦めかな。写真を拝見すると体格もよくなっていらして、昔日の面影はない。
 あれは、マツフジレコードだったか、初めてURC盤のジャケットを見かけたとき、えっ、この人僕そっくりじゃん、と思ったのも昔のこと。ファンレターも書いたなあ。返事来なかったけど(笑
 久しぶりに聞いて思ったのは、アコースティック・ギターの感じと独特の節回しから、今風に言えば、山崎まさよしだなということ。それとシャウトする曲では、なんとミスチルの桜井君にそっくりではないか。クライベイビーなしゃがれ声は、母性本能をくすぐるような気がするのだが、いかんせん当時の音楽業界は成熟していなかったので、セールスに結びつくプロダクションが出来なかったのだ。

風をあつめて

 12月18日の熊日夕刊に「パリに70年ぶりに路面電車」という記事が掲載されていた。くまにちコムには写真も載っている。交通渋滞の緩和と大気汚染防止のために、LRTというところが、フランス人の考え方か。日本でやるためには、景気のけん引役である自動車産業の顔色を見なくちゃいけないしね。
 路面電車は街の景観とリンクする。乗客が減って、運賃収入が減少しているからと車体に全面広告をという発想は、一見合理的なようだが、間違っていると思う。「この世はすべてアドビジネス」と割り切るにしても、美観は必要だろう。
 安倍首相が「美しい国」なんてキャッチフレーズを使ったものだから、「美しい」の価値が、支持率並みに下落しているいまこそ、「美しさ」を考えるときだと私は思う。

2006年12月25日 (月)

Chakuwiki 噂のくまもと

「熊本電鉄」というワードから、逆引きで見つけたChakuwiki。ウィキペディアの体裁を取った悪意の噂の集大成。頭に来たら、通報するもよろしい。でも、反論に窮する指摘もあるばい。

2006年12月24日 (日)

く、く、く、

 クリスマス・ソングなんていらないと書いておきながら、イブ当日の朝、FMの特集を聞いたら、やっぱりいいものだった。それでも原理主義者の私は、この2日間しか認めたくないね。
 それで、なつかしのエントリーのリンクを貼っておこう。このブログ内の文章なんですが、読んだことがない人も多いでしょうから。「雪」にまつわるエピソードです。

「要」と「悪」は似ている漢字か

 今朝の熊日に「そのまんま東氏「談合は必要悪」」という記事が出ていた。宮崎県知事選に出馬表明している人だけに、口が滑ったでは済まないだろうに、ある意味勇気ある発言だ。
「一般談合まで厳しく取り締まるには人員もエネルギーも必要だ」と主張したところが重要である。すべての入札を一般競争入札にしてしまえば、談合を完全に排除できると言い切れるものではないのに、おそらく手間だけは、お金に換算してもかなりの予算超過になるだろう。
 おそらく問題は、入札制度自体にある。最低入札価格が、落札であるという原則がある限り、前にも書いたが予算設定の妥当性は常に問われるし、落札業者の手抜きに関しては、最初から性悪説でかからなければいけないという、信頼という言葉がこの世から消えかねない状況だ。
 ただ、東氏の発言にある「厳しく取り締まる」は、不適当は表現だと思う。氏は冒頭で「入札改革は必死」と言ってるのだが、それは取り締まるのではなく、出来ないように工夫することだと思うからである。
 

「ハリウッドカップル」

申し訳ありません。32号をとばしていました。
でも、誰も指摘しなかったな。
というわけで、これは友人が送ってくれる
メルマガのコピーです。
ある意味、メルマガの方が、
ブログのエントリーより根気勝負だと思う。

「ハリウッドカップル」

32号になったが、いよいよ書くことがない状態に落ち入ってきた。
の で、もう一度今まで撮った写真をチェックしてみる。
結局3度位見てみて今週のタイトルは「ハリウッドカップル」。
ブラピとアンジーなどに代表される文字通りのハリウッドスターのカップルの他に、
一般人(?)でも美男・美女の組み合わせを、祝福を込めてそう言う場合があるらしい。
例えばケネディとジャクリーン(一般人ではないか)などもそう言われていたような記憶があったので、グーグルで検索したのだけれど、見つからなかった。
やたら出て来たのが「映画好きへの100への質問」http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/6261/movie_100.htm)というアンケートの中の
「理想のハリウッドカップル」という項目で、どれどれ他の質問は?とついついそちらばかり見ていてネコ通信がおろそかになるとことじゃった。いつか時間がある時参加してみよう。

Hollywoodcouple エルメスとチェックのカップル。2匹とも最近とんと見かけないが元気なんじゃろかい。チェックは創刊第2号でディカプリオに似てる…と書いたハンサムで紳士的な若いトラ猫。エルメスはもう説明の必要は無いね。
写真は、第20号で掲載した緑の中で肩を寄せ合う二人の同日撮影のカット。
まるでパーティ会場にリムジンで乗り付けたように堂々としているでしょ。カメラマンには目もくれない。
この撮影の日付は5月6日になっていて、ポプラの鳴き声を初めて聞いたのが5/20ごろだったから(ホークスの王監督が5/20生まれです)、そうかこの頃はご懐妊であったのだな。となるとポプラのパパはチェック!?
そうか、それに早く気が付いていたらポプラの名前は、シャイロ・ヌーベルになっていたかも!?----->そんなことはありません。
ポプラはいい名前です。

「シャイロ・ヌーベル」についてお知りになりたい方はこちらをご覧ください。http://abcdane.net/blog/archives/200606/snjp_kihu.html

●このメルマガは、ホントに書く事がなくなって泣きが入っている男の庭を中心に、2、3軒のご近所を縄張り・通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、またどっかに行くか?木更津を薦めてくれた人もいたなと思っている男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

2006年12月23日 (土)

クリスマス・ソング and No More

 前にも書いたと思うが、20世紀を代表するクリスマス・ソングは、山下達郎の「クリスマス・イブ」とジョン・レノン・ヨーコ・オノの「ハッピー・クリスマス」だと思う。今年も無事この2曲をFMで聞くことが出来た。家族と友人たちの健康を祝福したい。
 ところで、早いところでは11月から、クリスマス・ソングを耳にする。そういう季節とはいえ、たかだか2日間のことなのに、誰も彼もがクリスマスの歌をうたう。毎年新曲が生まれていることだろう。だけど、個人的な意見では、先の2曲を越える曲には出合わない。
 新曲を特別のものと認識する感性が衰えているのかもしれないし、そういう年代であり、時代だったのだろう。「クリスマス・イブ」は独身のときだし(23年前だそうだ。「サンデー・ソングブック」で山下本人が言っていた)、「ハッピー・クリスマス」のときは、ベトナム戦争終結を全世界が望んでいた(ように思う)。
 クリスマスが正月みたいに楽しみだった頃は私にもあった。それだけでいいのだろう。もうすぐクリスマス・ソングの季節は終わる。それぞれに大切な1曲があるからこそ、特集が成り立つということですね。私にとっては気恥ずかしくて、聞きたくない番組だけど。
 

電車に乗って街へ

 熊本電鉄は、明日「熊本電鉄線の利用促進・都心結節とまちづくりを考える交通社会実験」というイベントを開催する。例えば、私の住む泉が丘からは、電鉄黒石駅まで、無料バスが出て、それで藤崎宮前まで100円の運賃で行けるというものだ。
 藤崎宮前駅では、協賛60店舗での特典、新市街の映画館1000円均一、展望の湯割引ありのクリスマスパスポートを配るのだそうだ。
 趣旨には共感するが、多分私は行かないだろう。明日のところは、別に用がないからだ。
 実はおととい夕方、望年会に行くためにバス停で待っているとき、年末年始の特別ダイヤの下に、もう一枚時刻表が貼り付けてあることに気づいた。ビニール袋に入れて、厳重にカバーされているが下半分しか見えないので、かなり強引にめくってみたら、あらら、それは24日(日)の黒石駅までの無料バスの時刻表だった。 
 これを見て私はため息と同時に、怒りが湧き上がった。何のためのイベントか。末端まで意思が伝わらない組織とは。電鉄の熊本市電結節、乗入れを陰ながら応援している身としては、とても許されない。すぐに営業所に電話しよう。
 と思わないではなかったが、ブログに書こうと思ったところが、ちょっと自分でもどうかなと思う。しかし、今日こうして書いているわけだ。

2006年12月22日 (金)

わすれものは もう

 西合志図書館の新刊のラックに入っていたので、読み始めたら、活字が大きいのですぐに読んでしまった。 
 やっぱり昔話が面白い。細野さんや松本隆との出会いとか。とにかくエゴの強い人という話だったので、近寄りがたかったが、それが自分に対する自信のなさから来ていたことが、この本を読んでよくわかった。 
 クリスチャンになることは、自然な流れだったのだ。最後のページに自作「機関車」の自筆の歌詞が掲載されているが、変わらないものもあるのが人間なのか、自分が変わったことを示したのか、どちらだろう。


小坂 忠 / 河出書房新社
Amazonランキング:14993位
Amazonおすすめ度:

2006年12月21日 (木)

談合・大津キネマ倶楽部

 今夜は、大津キネマ倶楽部の望年会だった。場所は、オムライス亭こと、ハイカラ亭。映画の話を筆頭に色々しゃべったけど、あまり覚えていない。いつものこと。

 新潮文庫「yom yom」を買った。真っ赤な表紙は、実は資生堂TSUBAKIとのタイアップだったのだ。石田衣良の短編小説込みで。
 裏表紙の見返しにソフトバンクモバイルのキャメロン・ディアスのポートレート。これは得した気がする。

2006年12月20日 (水)

ほかに書くことないのか。

 今日の亀田は健闘していた。大人になったかな。ボクシングに興味があるとか、そういうわけではないが、「けんかまつり」という冠はいかんなあ、と思う。ボクシングは、ストイックなものじゃないと。喧嘩レベルに落としたらいけません。

2006年12月18日 (月)

From 明林堂 To TSUTAYA

 明林堂竜田口店が閉店したのは、トイレを借りるにも少々不便なのだが、今日はトイレがなくて不便な明林堂長嶺店で、立ち読み。週刊文春を軽く流して、隣の列に行くと、ぱっと目に飛び込んできたサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』。
 そうです。雑誌「レコード・コレクターズ」の’07 1月号は、ミカ・バンド特集。知ってることばかりなので、どうってことないんだけど、やはりうれしい。でも購入は見送る。その棚の裏に真っ赤な表紙の「yom yom」というパンダデザインのムック。新潮文庫のヨンダ君だ。手にとって目次を見ると、カート・ヴォネガットの短編が。
 ヴォネガット氏は、日本風に言うと筆を折った人なので、いずれかの短編集に入ってる作品かと思ったら、未訳だったらしい。新潮社の本に掲載されるんだから、そりゃそうだ。

 それで、爆笑問題の太田光が紹介文を寄せていて、これがすごくいい。なかなかうまい。ま、その道もプロと言えば、プロだから失礼な書き方だが。読んでみてください。なかなかいいやつだとわかります。

 そして帰り道、TSUTAYA光の森店に初めて入る。ぬあんと驚きは、ジャックスの『からっぽの世界』がレンタルであったこと。おまけに早川義夫『かっこいいことはなんてかっこ悪いことなんだろう』もあった。こういうライブラリーとしての存在価値をレンタルショップに担えと言うのは酷な気もするが、少しうれしい。

2006年12月17日 (日)

少子化はなぜ問題か?

 熊日夕刊に東京大学名誉教授 平川祐弘氏の「書物と私」という連載がある。12月14日号は「(イスラム女性の)ベール着用は自由か強制か」というテーマであったが、日本でも早晩移民が問題になることを前提に「移民が集団として差別されたと感じ旧態然たるアイデンティティーにすがりつくことほど恐ろしいことはない」と結ばれる。
 はて、私はその「移民」という主語が、別の言葉に置き換わることを直感的に感じた。「自民」とは言わないが、憲法改正を金科玉条とする人たちのこと。

 かわって「デリすぱ」12月15日号の「デリすぱ・ジャーナル」に「少子化になるとなぜ困るのか?」という記事がある。確かに困ることをわかりやすく書いてあるのだが、それでは「みんなが困るから少子化は問題だ」になってしまうではないか。
 子どもを作るのは共同作業だけど、産むのは女性であって、最終的な判断は彼女たちに委ねられる。そのときには、まわりの人たちの要求なり意見も働くと思う。しかし、女性が子どもを産むことをためらうとしたら、それは女性が持つ本能的な直感、これから生まれてくる子どもたちにとって、この世界はためにならないという思いがあるのかもしれない。

「もう何度目かのボブ」

週間ネコ通信「Cradle」第33号をお届けします。
これは、私の友人が送ってくれるメルマガのコピーです。

「もう何度目かのボブ」

最近藤沢周平の「本所しぐれ町物語」というのを読んだ。
山田洋次がさかんに映画化している武家モノではなくて庶民の暮らしを描いた市井モ
ノと言われてるやつ。しぐれ町という町内に住むいろんな人々を主人公にした短編による連作シリーズ。
「ねこ」「再びねこ」「三たびねこ」「最後のねこ」というのが途中途中に入っている(今手元に無くて正確では無いかも知れない)。
巻末に藤沢周平と評論家の対談が載っていて、その中でプロットにつまった時にこれらをはさんだ、というようなことを言っていた(ような気がする)。
ので、あやかっても不敬にはあたるまい、なんちゃって、みたびボブ。
Mitabibob ここ1週間タンゴが来なくなって、朝来るのはボブ。カーテンを開け窓を開けるとその音を聞いてたたたと走って来る。そして子猫の鳴き方(コンラート・ローレンツの「ソロモンの指輪」にはハイイロガンの場合だけれど「わたしはここよ、あなたはどこ?」と訳してあった、そんな子猫が母ネコを呼ぶときのような)で鳴く。
そうすると私は、アタマをとって(!)煮干しを10匹ばかり投げてやるのだ。もうそんなになっていのだから慣れてていいはずなのに、投げた瞬間にはこいつ、逃げるね。で、すぐ戻って来て食べる、変なやつだ。

ネコばっかりではなく毛虫も来るし、小鳥も来る。
鳥の名前をよく知らないのが残念なのだが、これはメジロだ、間違いない。
仲のよいつがいでやって来る。ブナの木にも玄関側の駐車場の所の椎の木でも、巣立ったあとの巣を見つけたことが何回かある。こどもと一緒にかけた巣箱の中にも営巣していた。
たいてい枝を剪定する時見つけるのだが一度はまだうす緑色のたまごが2、3個入っているのを見た事もある。慌てて剪定は中止したけれど。
ホオジロかなと思ってサイトで調べたけど、やって来るのはもっと黒いなぁ、とか長目の尾のちょっと大型のとか、セキレイも来るな。スズメはもちろん来る。カラスは近くのボーリング場のネオンサインの上に群れでとまっている。
鳥の名前を知らないのは、本当に残念なことだ。

Mezirow 写真左:破線の丸の所に遠景だけど昔の巣が写っている。でんき虫退治の時見つけた。写真右:虫ばかりでなく蜜も吸うらしいね。105mmのレンズではこれが限界、少なくとも200mmくらいないと小鳥の写真はキビシいね。

●このメルマガは、こういう時投稿写真来ないかなと思っている男の庭を中心に、
2、3軒のご近所を縄張り・通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみ で地域ネコとも呼ばれている)達と、
木更津に行っては見たが1匹のネコも見つけられず、あそこはタヌキの町だって知ってたぁ?(映画観てたら常識だったのかしらん)、映画観てない男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

次、行かなくちゃね私たち。by 野ブタ

 公正取引委員会が、ソフトバンクモバイルの広告表示について警告した。ちょっとやりすぎだとは誰もが感じていただろうが、キャメロン・ディアスって、さすがにキュートだねと多くの人に再認識させた功績は大きい。近作では、ブラッド・ピットも出ていた。
 先週の「英語でしゃべらナイト」で、ちょうど世界のCM特集を見ていたからだが、日本の広告は説明しすぎだという指摘もよくわかる。
 つまり説明責任をテレビCMに求める風潮があるということだ。ディアス嬢をかっこよく登場させたまではよかったが、「無料」を派手に打ち出した時点で、紳士的な企業とは見なされなくなった。もともとソフトバンクを紳士的だと思ってる人は多くはないだろうが。

 そこで、新しいソフトバンクのCMは、女子高生にしてはちょっと落ち着きすぎの印象の女の子たちの放課後のひとコマ。親の都合で他社の家族割に入っている子が、友だちに通話料が高くてごめんね、と申し訳なくて小さくなるという、ある意味いじめにつながりかねない状況(そんな無体なあ)、こっちの方が性質が悪い。
 だが、料金プランについて文字による(音声も使っていたか覚えていない)細かい説明はある。そう来たか、とCMウォッチャーとしては興味津々だけど、だけど、ねえ。それでいいんか、テレビCMっ!!

 あ、あれは女子高生ではなくて、女子大生?
 

2006年12月16日 (土)

野ブタ。最終回。くーーっ、泣けるぜ。

「野ブタ。をプロデュース」の再放送が終わった。男2人に女が1人という設定に『明日に向って撃て』のことを思い出していた。エンディングで、男2人は、「生きる」方へ向うところが、このドラマの身上である。
 何で生きてるのかわからない、といった思春期の悩みから、いじめに合ってる苦しさ、それらが解決されるわけではないけれど、このドラマの描くテーマ、人物設定、よく練られたせりふの数々は、青春のただなかで立ち尽くす10代の君たちを勇気づけてくれるのではないだろうか。
 そう思えるのも、もう中年も後半に差しかかっているからこそ、かもしれないが、このドラマのメッセージを読み取るだけの読解力、あるいは感性、それを育てるのが教育の役目なのだ。まだ見たことがない少年少女がいたら、ぜひ見せてやってほしい。多分DVDにもなっているだろう。
 たかが、ジャニタレのTVドラマであるが、幸運にも並みの映画では到達不可能な地点へたどり着いた稀有な作品じゃ。ちと褒めすぎ?

 このドラマが放映されたのは去年のことなのに、教育現場が変わったという話は聞かないなあ。それでも、少しは悪化を食いとめることが出来たと信じよう。

2006年12月15日 (金)

やったぜ!教育基本法が「変わる」

 見てろよ。これから手加減はしないぞ。覚えとけっ!!

 とうとう改正教育基本法が成立してしまった。タウンミーティングのやらせ問題は、影響しなかったな。やはり多数決なのだ。手段を選んではいけない。
 昨日の読売新聞の解説に「タウンミーティングが政策をPRする「広報」の場なのか、国民の意見を聞く「公聴」の場なのか、政府が位置づけをはっきりさせなかったことが原因だという意見もある」と当を得たコメントがあった。読売には、やらせの調査報告書(抄)も載っていてよかった。

 私は原理主義者なので、つい「そもそも」論を振りかざしてしまうが、そもそも、この「タウンミーティング」は、前にも書いたけど、代理店に仕事をさせるためのイベントであったとする方が自然だと思うのだが、やはりマスコミ関係は電通と相身互いなので、誰もそういうこと言わないなあ。
 もちろん安倍首相の妻の昭恵が(呼び捨てにすると事件めく)、元電通の社員であることと関係があるなどと書くと、一挙に嘘くさくなってしまうのだが。

 総理大臣たるもの給与返上なんかせず、その分もっと働け、と書いてた人がいたが、数ある意見の中で、もっとも建設的かつ最重要課題だと私も思いました。

2006年12月13日 (水)

チャンス・ミーティング

 政府のタウンミーティング問題。「やらせ質問」と「代理店の言いなりの運営費」は別々に考えなくてはいけないだろう。「やらせ質問」は、それを以って、さも国民の一般的な意見とすることを目的としているので、確かに問題だが、そういう場所で意見が偏向するのは珍しくないので、例え公正にタウンミーティングで多数を占めた意見だとしても、それを根拠にして法改正に持っていこうとする態度自体が責められなくてはいけない。
 ということは、タウンミーティングを最初から悪用しようとしていたんだから、当時の官房長官は責任を取って、首相を辞めるべきだろう。

 この問題に関して、根本的な問題は、タウンミーティングは整然と開催されることが最重要課題だと信じて疑わない主催者の頭の中である。だから、なんでそれが問題なの、と今でも多くの関係者が思っていることだろう。これは、民間の討論会でも見られることなのだが、我々もそろそろ大人の議論が普通に出来るような「美しい国民」になるべきではないか。

 代理店の見積りをノーチェックで通した行為は、これは建設業法では丸投げと呼ばれ、禁止されている行為なので、罰則としては、指名停止、営業停止などの処分が考えられる。当時の担当者は、役所に出勤した上で、業務にはつかず、別室で研修を受けレポートを提出するという処分ではどうだろう。そのレポートをネットで公開して、みんなで評価するのだ。
 それって、いじめだろう。人間どうもネガティブなことを考えると、どんどん陰湿になるなあ。まあ、建設業ではないので、丸投げを処罰することは出来ないか。電通だって、知恵を出してやって、それで金をもらって何が悪い、だよな。日本人はソフト、アイデアって原則無料だと思ってやがる。プンプン。

「チャンス・ミーティング」って、ロキシー・ミュージックの曲名から採ったんですか、と誰か言ってくれないかな。 

 

2006年12月12日 (火)

オノ・ヨーコさんの言葉

 今日の熊日夕刊に共同通信のインタビューが掲載されている。前後を省略してこの言葉だけを引用するのはよくないが、あとは本紙で読んでいただくとして、

 最後には(平和)が勝つと思います。

ちょっと楽天的に過ぎる?まあ、それが彼女のパーソナリティの一部ですから。

遼くんの冒険

 二男の遼(中2)は、DJ OZMAと、氣志團の綾小路翔が同一人物だと私が言うと、そんなことは絶対にあり得ないと、頑固に言い張っていた。しかし、彼の結婚発表の新聞記事を見て、仕方なく認めざるを得なかった。
 それで思い出したが、小学4年までサンタクロースの存在をマジ信じて疑わなかったのも、遼だった。そのとき、真実を告げたのは兄貴の洋平だったが、こういうのを家族の神話とでも呼ぶのだろうか。

2006年12月11日 (月)

フムフム、エフエム。

 車を運転中は、FMを聞いているが、どうもしゃべりが多くていかん。FMKの夕方のプログラムの相越久枝さんは、声はちょっと微炭酸系の可愛らしさがあっていいのだが、いかんせん夕刻の渋滞には似合わない。
 と感じているのは私だけかもしれないが、もっと曲中心にやってほしい。AMじゃあないんだから。って、いつもはLOVE FMを聞いているんで関係ないんだが。
 しゃべりが入っても大丈夫なのは、FM791の江越哲也さんと森永節子さんの番組。あ、それは世代が同じせいか。それと、NHK-FMの「ミュージックプラザ」だあね。

 あと、プロモーションで来るゲストのトーク。最近のミュージシャンのしゃべりを聞いてもちっとも面白くないので、やめてほしいと思っているのは、年老いた音楽ファンだけか。しかし今週朝から再放送をやってる、寺田恵子の「名盤コレクション」に出ている鈴木慶一には、思わず頬がゆるむ。ただの好みじゃん!?

 前にも書いたが、朝の渋滞には、LOVE FMのフジタ・ジュンコさんのパンチあるしゃべりがぴったりよ。雑音雑じりもなんのその、選曲も新にときおり混じる旧がグーーーッド。

2006年12月10日 (日)

「Returners」

これは、私の友人が送ってくれているメルマガの写しです。
すごく面白いので、広く全世界にリリースいたしたく、
本人の許可を得て、ここに転載しています。
今回は第31号です。

「Returners」

Cradleのネコ達、見かけなくなったのが多いと、最近何回も書いている。そんな中でボブが帰って来ていた。「…いた」というのは、しばらくワルツだと思い込んでいたから。
あわててバックナンバーを調べて、既刊のものに間違いはなかったことは確認した。撮影していた写真もチェックしたが、ワルツだと思い込んでいたので、撮影点数自体が極端に少なく、今回掲載のもいれて2枚しかなかった。
ので、いつごろから帰って来てたのかはわからない。ま、良かったよかった。気が付いてみると、用心深さは変わらず。

Brtnginga 写真はぎんがと。この2匹は仲好し。「第9号 逃げろ、ボブ!」で掲載した写真の別カットでも2匹一緒だ。ぎんがのほうがタンゴより穏やかな性格だからだろうね。
左:チップのお墓には花が供えてある。右:ほぼ半年前のボブとぎんが

Jessiereturnes_2 Returnerの2 ジェシー
リトルエルメスのジェシーです。こちらはYellow Eyesだけどね。その後日中に1度、夜中に1度確認。夜中の時は窓を開けたら庭にいて、昔から知っている仲みたいに、鳴いて餌を催促してきた。
また来るかな。その他にもマイキを、遠目だけどT木さんとこのブロック塀を移動しているところを確認。無事を知って嬉しいよ。

遠目にはエルメスかと。同じような曲がり尻尾だけどジェシーが少し長いし、体が一回りくらい小さい。

●このメルマガは、タンゴの写真の好反響に気を良くしている男の庭を中心に、
2、3軒のご近所を縄張り・通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、
「ええ、いい写真はなかなか撮れな いですよね、700枚近く撮っていいなあと思えるのは10枚も無いんですよ、えへへ」と聞かれてもいないのに一人で喋っている男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。 

プロパガンダ

 12月8日熊日に東京大学大学院情報学環アーカイブの「第一次大戦期プロパガンダ・ポスターコレクション」についてプロジェクトリーダーの吉見俊哉教授が書いた文章があった。

「この時代、大衆に最も影響力あるメディアは、新聞以外ではまだ映画でもラジオでもなく、実はポスターだった」

 実は、「プロパガンダ」というと、いまでもスパークスのあの曲を思い出す。

戦争は絶対にあってはならない

 「デリすぱ121号」に映画『硫黄島からの手紙』に出演した伊原剛志のインタビューが載っている。引用させてもらうと、
「「もし伊原さんが映画と同じ状況に置かれたらどうする?」という質問を受けることがあるんですが・・・。この映画の撮影を経験した今、僕の中では「もし」というのはありえない。つまり戦争は絶対にあってはならない!という気持ちになっています。」
 これを青いというのは簡単だけれど、ムーブメントというのは、こういうところから始まるものだと思う。世界を相手にするときには、かなりの困難があるだろうが、日本人同士ではむずかしいことではないと信じたい。

2006年12月 9日 (土)

だってしようがないじゃない。

 熊日の「PEAP」のページには、「peap smile」と振ってある。12月号peap smile 07の「Coozyのお気に召すまま」の「歳相応のサンタ」は深く考えさせられる内容だ。小学校の授業参観に参加する保護者の服装が、ストリート・ファッションであったりすることに対する小さな疑問が書かれている。
「僕らは歳相応に大人にならなければいけないんだと思います」
「僕らは、本当に人生を生き始めているのでしょうか」
 30代には、人生の折り返し点がある(村上春樹によると、35歳が、そう)。しかし、先ほど例に挙げた親たちは(それが悪いと言ってるわけではないが)、例えPEAPでも読まないんだろうな、とは思う。
 
 そして梅田千津子さんの「だってしようがないじゃない。」。毎回、よくぞここまで、悲惨な話を思いつけると感心する。主人公は、毎回違うのだが、どうも同じタイプのようだ。女性の気持はわからないが、共感するのだろうか、いい気味だと思うのだろうか。
 そういう大それた読み物ではないと言ったら、実もふたもない。その先にあるのは、救いだろうか、カタルシスであろうか。来月まで続くようなので、乞うご期待。

 それにしても熊日系の情報紙に集まる広告は並大抵じゃない。全部が成り立つってすごい。ペーパー系は比較的安価なのだろうか。同じ広告費を使うなら、もっと力になるメディアは他にないのか。クライアントの皆さんところの費用対効果のほどを知りたいものです。
 あ、熊日販売店が買わされてるの?
 

FR柳井社長のポイント・オブ・ビュー

 ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が、日本経済新聞のインタビューで
「個人消費の先行きをどう見ているか」と問われて、
「日本の顧客は結構消費している。高齢化、少子化、低金利といった現状を考えれば、個人消費がいま以上に良くなることはあり得ない」と答えている。
 高齢化、少子化、低金利がすべてではないと思うが、ユニクロの社長の実感を伴った言葉には重みがある。こういう指摘を知りながら、無視して初めて政治家と言えるのだろう。

 個人よりも法人(大手企業)の減税を優先する政府自民党は、結局政治献金を増やしてほしいという、かなり次元の低い台所事情しかないような気がする。造反議員の復党問題も政党助成金目的とする見方があるところから、私まで下品な連想をしてしまったではないか。
 もちろん、お金は大事だけれどね。

 そこで、ムーンライダーズの新曲「ゆうがたフレンド(公園にて)」。「金がない 金がない」というフレーズが青春している、これを諧謔と呼ぶなかれ。人間、若いときはとんがっていても、年相応に先端が少しは丸くなるというもの。昨夜真夜中、NHKの「ポップジャム」で見た。だから、NHKにはがんばってもらわなくちゃ。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の「ゆうがたフレンド」応援ページはこちら

2006年12月 8日 (金)

イルミネーションOH!YEAH

061204_175101_1  4日月曜日夕方、下通から新市街を歩いた。まだ暮れ残っていたし、人通りも多くなかったので、特に新市街はアーケード内の道幅が広いだけに寂しさが目立った。 
 ちょっと暗くなってから、交通センターのセンターコート前から市民会館前を歩くと、それほど派手ではないが、イルミネーションが美しかった。なんとなく楽しくなる華やかさが感じられたので、さきほどの新市街の寂しさとの差は何なのだろうと考えたわけだ。
 アーケードも店舗も明るさによって自己主張しているのだが、それはあふれかえるような人出があってこそ引き立つ明るさである。人通りが少ないと、その少なさがかえって強調される。
 それに対して、闇の奥行きを背景に浮かび上がるイルミネーションは、明かりそのものが主役であり主張である。人通りがあろうがなかろうが無関係に。
 そこで、いっそのことアーケード自体の照明を落として、夜を演出することで、各店舗の特定のポイントだけを際立たせるということも方法も考えられるのではないだろうか。
 片や、環境問題を考えるための「ライトダウン」というイベントもある。それとは少し意味が違うが、明るさだけが客を呼ぶ手段ではないということも考えに入れるべきだろう。

 
 ココログのメンテナンスや、パソコンの不調で、更新の間が空いてしまった。すると、思考スタイルがブログ離れを起こしてしまうのだ。更新に対する希求が薄れるとでも言うか。そして、人生いろいろなことがあって、ちょっと落ち込むこともあるのだった。
 新しいカテゴリ名は、フィル・コリンズの「アナザーデイ・イン・パラダイス」のもじりのつもりです。
 

2006年12月 3日 (日)

ウォームビズ・ウォーズ

 12月2日の熊日に安倍晋三首相の「ウォームビズ」姿が載っていた。これは、政府インターネットテレビ「ライブ・トーク官邸」の収録でのことだが、「白のタートルネック、ベージュのカーディガンの上にジャケットというカジュアルな「厚着」」だそうで(写真でわかる)、前からバカだとは思っていたが、これほどの大馬鹿だとは、さすがの私も思わなかったということに気づかせてくれたことに深い絶望を感じているところだ。
 クールビズ=ノーネクタイ。これはわかりやすい。しかし、ウォームビズ=ノーネクタイ、これは勘違いを通り越して、馬鹿というにも馬鹿という言葉が可哀想なほどである。
 ただ、首相の名誉のために付け加えると、そういううわべの評価を見越した上で、令夫人がコーディネートした(おそらく東急デパートで)とすれば、エライやっちゃ(嘆息)

全面広告の力(チカラ)

Dscf0057 朝、まだちゃんと目覚めてもいないときに、視界に飛び込んできた広告。行ったことがなくても一目でそれがどこなのかわかる強烈なインパクト。今年の新聞広告大賞だと内心思った。しかし、ちょっと冷静に分析すると、いくつかのことが気になってくる。

1.コピーは適当か。
 メインは「飲酒運転。それはあなたを、突然「殺人者」に変える。」である。右上に「8月25日、福岡・海の中道大橋。 あの悲劇は「人ごと」ですか?」とある。その効果を考えると、これは逆だった方がよかったと思う。私は、海とガードレールと花束という絵でもって、それがどこなのか、何を言いたいのかを直ちに了解した。飲酒運転の文字を後ろに引いた方がより強力だと考えるのは、逆に素人っぽいのだろうか。 
 ガードレールに「あなたたちの無念さを忘れない」という小さな札がくくりつけられている。これがすべてを語っている。

2.スポンサー名の表記。
 これは、企業としての決意表明だと捉えると妥当な気もするが、意見広告としては、思い切ってもっと小さくするという扱いもあったのでは。どちらがいいというものではないが、みなさん、どうお考えでしょうか?

3.ガードレールの脆弱さ
 事故後問題になったが、ガードレールの脆弱さ。大地震でも起こったら、外に飛び落ちる車が続出してもおかしくないというのが、見た目での印象。この事故を機に強度の見直しが始まったらしい。

 飲酒運転は犯罪行為であるが、しらふであっても、一人の人間が自動車という機械を、完全に制御できるわけではないということに思いを至らす必要がある。車の便利さ、高度な安全性ばかりを強調する広告にこそ気をつけよう。

2006年12月 2日 (土)

道路特定財源の行方

 道路特定財源を一般財源化しようという動きが本格化している。このことについて、あまりきちんと考えたことがなかったのだが、いつもの単純な私の考え方で行けば、これはかなり問題がある。 

 というか、一般財源化するぐらいなら、減税せよ、だろう。その件について、どこかで聞いた話だと思っていたら、(社)全日本トラック協会が平成13年5月に要望書を出していました(道路特定財源の使途見直しについて)。
 この件について、自動車産業各社は、どう考えているのだろう。

 で、我田引水とも言えるが、国土交通省のホームページにある「道路特定財源とは何ですか?」というQ&Aも参考に。

12月の雨の日

「12月の雨の日」は、大瀧詠一さんの作曲なので、細野さんのことを書こうというのに適当ではないが、雨降りだったので。もう上がりそうだけど。

 この本は、北中正和さんのインタビューをもとに構成されたもので、今回平凡社ライブラリーに収められた。定価1400円は高い。高いけど、それだけの価値はある。といってもそれは細野さんに興味を抱く人にとってのことだけれど。

 いちばん驚いたのは、ドラッグにのめり込んでいた時期があったということ。「おっちゃんのリズム」という一拍子のリズムの話。いまや、目新しい概念ではないが、ここに新しい日本のポップスが始まったと言えるかもしれない。

 小原礼が抜けたあと、サディスティック・ミカ・バンドのベースをやったこと(私の誕生日に行われたライブだったことは覚えている)は一部では有名。細野さん、どこかのインタビューで、本気で加入を考えて、『泰安洋行』の「蝶々san」は、初代ミカをイメージして書いたと語っていた記憶がある。

 宗教的なものへのアプローチが随所に見られるのは、1991年という時代がそうさせたのだろうか。

 現在の細野さんはここいらにいらっしゃいます。

細野 晴臣, 北中 正和 / 平凡社
Amazonランキング:47546位
Amazonおすすめ度:
ホソノワールド

 

「新しいテンプレート」

これ、見にくいって言う人、多いだろうな(笑
ココログのセンスを疑うより、選ぶ人の良識の問題?

2006年12月 1日 (金)

熊本県庁東門前のいちょう並木

Dscf0053 熊本県発注の建設工事の平均落札率は、知事の汚職容疑にゆれている宮崎県に次いで、堂々の全国第2位の高さである。そして、潮谷熊本県知事は、きちんと見積もりを積み上げていけば、設計価格に近くなって当たり前、談合の事実があるという証拠にはならないといったコメントをしている。
 このコメントに対して、認識が甘いとか、すっとぼけていると言うのは簡単なのだが、設計価格の成り立ちを考えると、でたらめを言ってるわけでもない。

 公共工事は、もともと予算がついて初めてスタートするものだ。その予算の根拠は、設計価格と呼ばれるもので、これは国土交通省の基準を使ったりするのだろうが、一応県独自の単価表を元に、物価や相場価格を考慮に入れて積み上げられたもので、ここを否定しては公共事業の存在自体がまやかしとなる。
 発注は、工事ごとに入札が行われ、今のところ最低額で落札した業者が、その工事を請け負うことになるのだが、この入札において、談合が恒常化していたという事実がある。
 あったことは事実で、今も完全になくなってはいないだろうが、それでは談合がなくなったとして、たとえば予算が3割残りました。これは正しいことなのか。

 まず予算組みをした発注側の積算の甘さが問題になる。予算確保のために、オーバーな見積もりをしたと見なされる。官製談合は、元来発注者側の予算立ての正当さを証明するために、予算は使い切れという体質が生んだものなのだ。
 それで、話は戻るが、そうやって予算がいつまでも余り続けるかというと、それを許さないのが議会であり、オンブズマンの使命であるはずだ。翌年度に発注される工事は、前年の落札額を参考に、当然単価の見直しがなされるので、仮にまったく同様の工事であったら、予算は切り下げられることになるだろう。
 これが、どこまでも続けば、予算¥0で、工事が発注されることになるが、その前に入札不調、あるいは入札参加業者なしという異常事態が予想される。バブル期には、民間工事に比べて、公共工事の予算が低すぎて、入札が成り立たなかったということもあったのだ。そのときに、押さえつけて低価格で工事をやらされた業者も多いと聞く。これも官製談合なのだが、それをやらなければ、予算執行が出来なかった時代もあったことは事実である。

 コスト削減や、新工法の導入などで、応札額の下落の可能性も大いにあるが、公共工事というのは、その性格上、シビアな予算と落札額がほぼ均衡するのが理想のはずである。もうお分かりと思うが、談合がなくなったからといって、予算が浮き続けるというのは、あり得ないことなのだ。
 だからと言って、公正な取引と法律上認められていない「談合」を容認しているわけではない。ただ、談合がなくなれば、どこまでも価格が下がり続けるような誤解を与えてはいけないということである。無駄を省くといっても、限界値というものがある。
 もちろんその限界値が、固定されたものではないことは言うまでもないが。

イッツ・ア・解体ショー

 小さなホテルの解体現場の横を通りかかったのだが、こういうのは見ていて飽きない。落ちてくるコンクリートの破片が、どれもおんなじ速度であるかとか、そういうの。
 壁は意外と薄いな。もう部屋の作りも何もわからないが、ここに泊まった人たちそれぞれに、人生があったんだとか、そういうことは考えませんでしたが。

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