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読みたい本だな

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2006年8月の38件の記事

2006年8月31日 (木)

ジンクス・ジンクス・ジンクス

 この世にジンクスというものがある。そして良いジンクスと悪いジンクスがある。良いジンクスは「これこれしてると、うまく行くんだ」というやつ。そして悪いジンクスは「これこれすると、うまく行かない」になるだろうか。
 気にしていると、そちらに流れるというのもジンクスの亜流か。ついてないと思ってると、つきは逃げると言うではないか。確固たる自信に裏打ちされた行動なら、ジンクスを信じることもないのだろうけど、やはり心の支えというか、裏づけみたいなものがほしいのだ。
 故意に悪いジンクスを選び、それを打ち負かそうとするのも、ジンクスにこだわっている証拠みたいなものだ。無心に行きたいね。って何も考えてないと、やっぱりきっぱり、うまく行かないんじゃないのかな。

 ところで、「菊陽町長選挙」で検索してくれる人が結構多いんだけど、何か新しい情報載せた方が親切かなと思ってます。別に今のところ何もありませんけど。すみません。

2006年8月30日 (水)

あの夢からさめて

 バラの花園を通り 甘い水を飲んで
 何の道しるべもなしに 歩いていた

 ふっと私は見た 苦しい夢を

 あの夢からさめて あの夢からさめて

 ハプニングス・フォーの「あの夢からさめて」のうろ覚えの歌詞です。今でも頭の中でよくかかります。発表当時、クニ河内さんが「サウンドはビートルズに負けない」と言ってたけど、確かにビートルズ・サウンドに近くて、どちらが先だったかわからなくなるくらい。
 アルバム『クラシカル・エレガンス』については、このブログのどこかに書いたことがあります。中学生のとき、鶴屋デパートにJunのコーナーがあって、ジャケットのデザインになったポスターもそこで見たのが先だったと思う。どうでもいい話題でしたが。
 自分で初めて買ったMicky's Marathon Runnerと書かれたミッキーマウスのTシャツは、そのとなりのVANの売り場にありました。確か980円だったような。

 上通に開店したDOMONのマリちゃん(という名前だったらしい)に惚れるのは、もう少しあと、高校生になってからです。

2006年8月28日 (月)

見つけました。

大津高校サッカー部の応援サイトはこちら
かなり真剣、気が入ってます。

安倍式教育再生

 安倍首相候補者が、なぜ「教育再生」を政権構想の柱に据えているのか知らない。
 8月26日付熊本日日新聞によると、教育再生に向けた具体策として、

①公立学校の学力水準や生徒の指導状況を国が評価する学校評価制度

②問題教師対策として教員免許の更新制

③生徒が学校を選択し、自治体などが配布する利用券を授業料として納める教育バウチャー制度 

以上3件の導入を検討するのだとのこと。教育が国の柱だということを強く認識しているからこそ、こだわりを見せているのだと思うが、安倍の考える国家というものが、どうもわからない。最近売れている著書もパラパラ立ち読みしただけなのだが、サッチャーの教育政策を崇拝しているようだ。私は安倍が嫌いなので、彼が目指す「美しい日本」にはあまり住みたくない。それは、どうにも美しくないように私には思える。

2006年8月27日 (日)

クールビズとの訣別

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 熊日の自民党北信越ブロック大会の記事の「エオエイオー」お写真を見て、クールビズはどこ行ったと思った人は、そう多くはないだろう。やはり大会となると、日常の業務とは違うハレの場であるから仕方ないか。
 それに小泉首相とともに、あの鼻持ちならない小池環境相もいなくなるから、もうクールビズだなんだと、だらけた格好を強制されることもない。所詮、環境に対する認識なんてその程度だったんだよ。ということになるかどうか、来年の夏のことを言うと、雷様も怒るかも。楽しみだ。

2006年8月26日 (土)

「今日のポプラ、あるいは変わってしまったテリトリーの影響」

※これは、わたしの友人が送ってくれている
週刊ネコ通信「Cradle」第16号のコピーです。
このブログへの転載は許可済みです。
10匹だから10号まで、と言ってたのがもう16号。
だんだん面白くなってくるんですよね、自分で。

ポプラの章③

Sekkinsouguupopula エルメスとポプラの親子はもうこの界隈で怖いものがない(ポプラは怖
いもの自体をまだ知らない)。ついにウチの庭も縄張りに併呑されてし
まったばかりでなくL藤さん方の庭から中心地を移転してきた観すらある。
ポプラももう一人でやってこれるようになって、朝から餌を待っている。
昨日の夜はついにウチの庭で初めてのお泊り。親は知っているのか?
ま、それはそれでいいのだが、他のネコがやって来なくなった。
タンゴなんかは様子を窺いながらやってくるけど、ボブとかワルツなんかの弱
虫系はここ1ヶ月ぐらい見ていないんじゃないだろうか。
他にトパーズも。チェックやバンチ、パパも見かける頻度が減ってるなぁ。
雨ばかり降ってるからだろうか? さぞ腹を空かしていることだろう。
タンゴはアタマいい。タンゴは餌(煮干し)を一匹だけくわえて安全な
場所に移動してから食べる昔の習慣に戻ったけど、この前見てたら、
さっ、さっと2匹くわえて走って行った。おお、素晴らしい!

●このメルマガは、三匹の子豚はオギクコおばさんじゃなくて
「さとみさん」かぁ、ちょっと納得がいかない男の自宅を中心に
2、 3軒のご近所を縄張り、通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由
猫とも、また最近ではTNR運動がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、
ポプラもかわいいけど他のネコも心配な男の一方的な交流を
綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

カフェ・ルモンド・ウィークリー

「週刊デーヤモンド」じゃなかった「週刊ダイヤモンド」8月26日号で『全国・市「倒産危険度」ランキング』という特集を組んでいる。数字は、うろ覚えだが平成16年度の統計から取っていたと思う(いい加減)。わが合志市はまだ含まれていない。
 気になる熊本県内では、最上位(悪いってこと)で宇土市、234.6点で堂々の85位。あと、上天草市87位、水俣市160位と続き、注目の熊本市216.7点で200位。栄えなきワースト1位の神戸市312.5点と比べると、全然健全じゃないかって感じがします。(点数は「倒産危険度」で、根拠となる計算式も出てます)
 興味ある方は、書店で購入または立読みしてください。

 合志市西合志図書館は、木曜日午後8時までの開館になっている。これは、おおづ図書館、菊陽町図書館も同じ。西合志図書館は、わが家まで車で5分ほどの距離にあるので、仕事帰りに立ち寄るには最高のロケーションだ。毎日8時まで開いてても良さそうなものだが、経費が気になるんでしょうか。
 全国的に目立つためには、24時間あいてますとか、いいと思うんだけどなあ。天文台も併設してるしね。
 因みに「週刊ダイヤモンド」を私は、西合志図書館で閲覧しました。

2006年8月25日 (金)

目をつぶってもあるものはある

 国際天文学連合の総会で(IAU)で、冥王星が太陽系の惑星から除外されたという話題。それほど大きく報じることでもあるまいに、と思うのは私だけだろうか。
 別に軽んじていいというのではないが、冥王星が姿をくらますというわけではないので、文部科学大臣がつい教科書の書き換えにしか言及しなかったという教養のなさには目をつぶろう。
 太陽系のメンバーから外されて、重要度は多少減るかもしれないが、冥王星の存在は存在だ。太陽系のあるべき姿は、会議によって決められるのだということを、子どもたちに教えるいい機会だと思う。
 そういう場面はどこそこにある。枠(規制)をかぶせることが必要なことも。そこには人間の都合が反映されることも多いが、それでもそうやって物事をわかりやすく整理することで、人類は技術や文明を発展させてきたのだ。そこいら辺を解説して、またあってはならない「差別」とも区別して教えてやってくださいね。

鈴木慶一さんの夢

 昨夜、夢の中にムーンライダーズの鈴木慶一さんが出てきた。
 私の生家が舞台で、私が庭から家の方を見ると中に鈴木さんがいるのだ。下にいたかと思うと、次のシーンでは2階の屋根の上にどてらかなんかを着て立っていた。それだけ。
 でもほとんど違和感なし。あの声としゃべり方で、なんか言ってくれたのだが覚えていない。
 現存しない私の生家だが、結構きれいにしていた。夢の世界でリフォームされたって感じ。庭の様子は見る暇がなかった。目が覚めて、この夢を忘れないようにするだけで精一杯って感じ。

2006年8月23日 (水)

熊本弁辞典です。

 掲示板「土曜の午後の校庭で」で、イェショウ氏に教えてもらいましたが、KmLink の辞書辞典のリンクにある熊本弁辞典(KmLinkからリンクしてくれと書いてあります)は労作です。その情熱に頭が下がります。
 辞書に収録されると、固定化が進みそうなものだが、方言は話し言葉がメインだし、普段使っているだけに辞書を引いたりしないから、やはり日々変化していくだろう。ただ、世代間で使う言葉が違うので、世代を超えたコミュニケーションには有用だと思う。なんて分析無用。

本から始まる 小泉今日子・角田光代対談

本よみうり堂の過去記事ですが、タイトルの対談も見つけました。
毎日更新のための埋め草じゃない、こともない。

少し前は、本上まなみのことを毎日考えていたんだけれど、
ここのところ、小泉のことばかり考えている。

四六時中じゃないよ。

2006年8月20日 (日)

小泉今日子の書評

 小泉が読売新聞の読書委員をしていることは、『半径100m』にも書いてあったが、YOMIURI ONLINEの「本よみうり堂」で読めます。素敵です。

華恵著 『本を読む私』

光原百合著 『銀の犬』

がんばれ。デリすぱ・ジャーナル

「デリすぱ」というフリーペーパーがある。その中に「デリすぱ・ジャーナル」というページがあって、新聞を読まない人たちに、熊日の記事をもとネタに、ニュースを紹介するというもの。
 8月18日号では、『長野県民、知事選で脱「田中」宣言』という見出しがキリリ。結びの言葉が「彼なら政治家でなくなっても、そのパフォーメンスや姿でタレントとしての再出発も可能だろう」とある。
 こういう言い回しは、私も以前よく使っていたように思うが、気をつけた方がいい。レトリックとして簡単なので、ついあまり考えずに多用してしまいがちだ。田中氏は、「笑っていいとも」の準レギュラーだったことからもわかるように、もともとタレントだったのだ。ということを踏まえるなら、もう一捻り欲しいね。
 また「社会の窓~出利的視線~」というコラムもくっ付いてるが、今回槍玉に挙げられているのが、2000円札であ~る。2000円札をお宝にしようと収集家が動いているから出回らないんじゃ、とたいした内容ではない。何を書くかはライターの勝手ではあるが。
 せっかく、銀行で両替してもらったんだから、行員さんに色々聞いたりすればいいものを。ま、新聞本紙じゃないですからね。興味本位でいいんですよね。

2006年8月19日 (土)

「12匹いる!--ハギオ」

※これは、わたしの友人が送ってくれている
週刊ネコ通信「Cradle」第15号のコピーです。
このブログへの転載は許可済みです。

ハギオの章

Hagio_1(いるはずのないもう一匹がいたら、萩尾望都だろう)
性別、年齢不詳。目は黄色。ぶつっときったような短尻尾。
トラ猫がまた1匹増えた。

写真の整理をしていたら、一匹確認されていないのが写っていた。
おおっ、日付も先週ではないか! 他のトラ猫と識別ポイントをチェック
して、ここに12匹目「ハギオ」と命名。
実在の人物からの命名は初めて。なんか格調高くね?
写真は夜間のストロボ撮影(これがまた大変!)なので、白いところは
とび加減だが、尻尾で決定。一抹、バンチに似ている所が不安だけど
(写真撮った時はバンチだと思ってた)、マタタビ入りの餌食べても
(写真わかるでしょうか? 3cmぐらいの細めのサラミソーセー
ジみたいなのが写っているのですが)ボブテイルは伸びないだろう!
あと、顔の正面から胸にかけて白い。前足もひじから下全部白。
ことほどさように個体識別は大変なのだ。わかりにくいけれど、顔が細めで
尖った感じがあるからタンゴとかと同い年かも。
ただの訪問者で終わんのかな?

3tora_1 左から、チェック、バンチ(また眉間にしわよせっちゃって)、
バンチとトパーズこんにちは、
モアイ顔のトパーズ(ケビン・コスナーに似てる?)

夜写真を撮る時は、真っ暗だからピントが合わせられません。懐中電灯
で被写体を照らしてマニュアルフォーカスで撮影。デカめのマグライト
と一眼レフのカメラを同時に持っての下向きの撮影は結構大変。…まだ
落としたことはありません。

●このメルマガは、そんなとこ近所の人に見られたらやばいなと思って
いる男の自宅を中心に2、3軒のご近所を縄張り、通り道にしているノラ猫
(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみで
地域ネコとも呼ばれている)達と、もう見られているかも
と心配になった男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

2006年8月18日 (金)

直径200mの端とはし

オレだったら、彼女を幸せに出来る。 20代のとき、ひとつ違う電車に乗っていたら、彼女と出会っていたかもしれない。もしも...でも、ふたりの女を幸せにする甲斐性は私には残念ながらありません。

小泉 今日子 / 宝島社(2006/02)
Amazonランキング:位
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カズオ・イシグロ・インタビュー

『わたしを離さないで』に興味を持たれた方、読んでからの方がいいと思いますが、
(おそらく)最新のインタビュー記事を見つけました。こちらを参照してください。
長いです。

2006年8月17日 (木)

『サディスティック・ミカ・バンド』

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大好きなサディスティック・ミカ・バンド。やっぱり今でも最高のジャケットのお写真。ひょっとして、もう発売30周年過ぎてるよ。でもコンセプトもプロダクトも、これを超えるものにはまだ出合っていない。アロハの柄も。
 私とミカ・バンドの出合いは、NHK‐FMの「若いこだま」だった。加藤和彦が、セカンドアルバム『スーパー・ガス』を引っさげて、ミカと一緒にゲスト出演。そのとき、プラスティック・オノ・バンドにあやかって「セルロイド・ミカ・バンド」というのを作ろうと思っていると語っていたのだ(命名にまつわるこの件については、いろいろ検索したけど、誰も触れてない。ヤマハが出していた「ライト・ミュージック」という雑誌にも加藤氏が書いていたことを覚えている)。中3だったかな。当時のNHKは、日本のロックの未来を背負っておった。はっぴいえんどを知ったのも、「若いこだま」だった。「ヤング・ミュージック・ショー」もあったし。
 中学、高校と弟浩也とは離れて暮らしていたのだけれど、このミカ・バンドのファースト・アルバムに感銘を受けたことを、弟がスケッチブックに書いていたのを読んだことがある。ものすごくうれしかったのだが、後日探したときは見つからなかった。
 検索した中で、資料的価値が高い記事を見つけた。最近更新されてないけど、新しくつけ加えることはないもんなあ。クールな氷男さんの「オレンジ・ラボ」 の「ジャパニーズ・フェイヴァリッツ」のページ。

2006年8月16日 (水)

アクセキ!!

「菊陽町長選挙」で検索すると、なんとグーグルでは、「晴れ永遠」がトップに出てくる。ヤフーでも4番目。これってすごくない?
 最近ココログで、アクセス解析が出来るようになったので、「検索ワード/フレーズ」を見るのが楽しみ。超常連の皆様も有難いのは同じながら、検索で引っかかった人(客引きみたいか)は別の意味で、得がたい友という感じ。小泉(今日子)の『半径100m』を読んでいるので、そういう文体になってるわよ。
 みなさん、ありがとう!

『わたしを離さないで』

 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』をひそかに読む。翻訳された女性の語りで綴られるストーリー、作者が日本人であることはもうほとんど関係ないということを実感する。
 短命に終わることが、予めわかっている主人公たちは、映画『ブレードランナー』のレプリカントに近いものがある。しかし、きちんとした教育を与えられると、ちゃんと自分の役目を理解する大人に育つということを書きたかったわけではないでしょう。

 彼女らより長い人生が、一般的に与えられているとはいえ、限りある命という意味では、私たちの人生も変わりはない。ただ、彼女らは、自分たちの臓器を私たちに提供するよう運命づけられている。文字通りの「献身」である。
 彼女らの最高の望みが、わずか3年の延命と恋人との自由な生活だけというのが、泣ける。鮮明な記憶は彼女たち「生徒」の特性であるが、生きた証は何度でも繰り返し思い出されることの中にあるのだろう。

 架空の生命体(遺伝子的には人間だけど)の独自の世界観を表現して、静かで滑らかな、読み応えのある文学作品でした。「泣ける」かどうかは、その人によるでしょう。
 Never Let Me Go の原題のわりに、「行って」しまうことがどうしようもないこととして刷り込まれている「生徒」たちの悲しさは、幼いときから敵を倒すことを使命と教え育てられる、かの国の子どもたちを思わせる。


カズオ イシグロ / 早川書房(2006/04/22)
Amazonランキング:位
Amazonおすすめ度:

2006年8月15日 (火)

「おかあさんといっしょ」

※これは、わたしの友人が送ってくれている
週刊ネコ通信「Cradle」第14号のコピーです。
このブログへの転載は許可済みです。

新・ポプラの章

突然だが、ブー・フー・ウーとじゃじゃ丸・ピッコロ・ポロリの両方を
体験している世代というのがある。他ならぬ私の世代だ。
別の組み合わせでいうと鉄腕アトムとスラムダンクとかドラゴンボール。
自分が子供の時見てたやつと、自分の子供と見たやつで、
その後に大きな影響を与えているテレビ番組だ。
私の友人だが、彼なんかは「「おかあさんといっしょ」「ひょっこりひょうたん島」に出会わなかったら、おそらく奥行きの無い性格になっていただろう」とまで言っている。
子供のころに見たテレビは大きなチカラがあるのだなぁ、
それと子供と一緒に見たのもね。だから、このあといつか孫とどういうテレビ見るかこれも楽しみ。
で、おかあさんといっしょにポプラが、ついに塀を越えてやってきた!
 ははは、冒険だね。昨日エルメスのおっぱいを飲んでるとこを見たけ
ど、今日は煮干しにトライしている。そろそろ離乳食のころかしらねぇ。ブロック塀はこちら側からだと1mぐらい。向こう側からは石があって登りやすい。
帰りはどうかなと思っていたら、いっぺんにジャンプといいうわけには行かなかったけど、まぁ難なく登って帰っていった。がんばれ。

Popla0709_2 こないだの写真ではモルモットぐらいの大きさだったのに、一回り大き
くなっている。成長著しいね。

Mikeosuwari_1

第11号「ニャイヤンデー、マイキ」について
「もしかしたら、その行動からマイキはオス・・・
ということは無いですか?」というコメントをいただきましたが、左の写真のように端正な座りポーズは、若いころの藤村志保のよう。女性でしょう。

●このメルマガは、三匹の子豚ではオギクコおばさん(なんかそう呼ん
でいた)が時々現れて励ましたり、叱ったりしていたことを思い出した
男の自宅を中心に2、3軒のご近所を縄張り、通り道にしているノラ猫
(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動
がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、
メキシカンなオオカミはポンチョを着ていて舌が長かったということも思い出した
男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

情報発信、言うは易し...

 熊日で読んだんだけど、熊本駅前再開発ビルに郷土・観光情報を発信するセンターを設置するという案を熊本市が発表したらしい。 
 産業文化会館すら活用できないのに、かなり不安ですね。再開発が先にあって、施設の空間を埋めるために何を入れようか困っているというのが見え透いている。ほんに困りましたね。
 熊本が舞台の映画を常時上映するなんてのは、安易な考えでよろしいのではないでしょうか。昔の映画だったら当然、すでに映画の中の光景は過去のもの。そのギャップを、現在の魅力として売り込めるかどうか。それは、情報発信よりももっと前の課題でしょう。
 通町筋のバス停について書いたときに思いついたことですが、案内係の人と楽しくおしゃべりが出来る、それだけでかなり観光客満足度が高まると思います。
 
 

2006年8月14日 (月)

ドロシー、『おもいでの夏』

『いちご白書』のことを書こうと思ったが、その前に『おもいでの夏』かなと思い直した。夏だもんね。
 1971年製作、高校3年生のときに大劇の地下で見たと思う。色々検索していたら、レビューもあって、 ちょっと読んでみたら、やっぱり30年ひと昔、時代が違うことに気づきました。『グローイング・アップ』シリーズはまだ出てなかったし、純粋にあのノスタルジックな香りを楽しむことが出来たんだから、いいときに高校生だったなあ。
 しかし、今の目で見たら入り込めないというのは映画として普遍性がないってことか。ま、そういう偏向的なレビュー書くやつが集まっているページだということかもしれない。もともと、名作とか傑作とかそういう類いの映画ではないし。
 こちらは、感性的に近い。世代が近いからだろう。原作者の後日談も引用されているが、人生やっぱりあきらめずに、うじうじ思い続けることも無駄ではないということがわかります。

 ミッシェル・ルグランの主題曲のテーマをちゃっかり頂いたのは、ムーンライダーズの「スタジオ・ミュージシャン」。引用のあまりのうまさに、どちらが先だかわからなくなる。というよりも、ある感情は、ひとつのメロディを呼び覚ますということだろうか。

2006年8月13日 (日)

「さすがマタタビ科」

※これは、わたしの友人が送ってくれている
週刊ネコ通信「Cradle」第13号のコピーです。
このブログへの転載は許可済みです。

キウィの章?

突然だが、キウィという果物がある。
神奈川県が生産量第一位であるらしいと思っていたが、調べてみたら違った。
第三位にも入ってなくて、ちょっと残念。書き出しも狂ってしまった。
「…そういう訳でウチにもある。」と進めるはずだったのだ。
おまけに雌の樹が枯れてしまい男やもめ状態。
伐ってしまってもいいのだが(手入れが大変!)、
春になって裸の枝に芽吹く時の黄緑色の小さな葉っぱが、
まるで宝石のようにきれいでなかなか気に入っている
(まぁ、キウィに限らず芽吹く時の葉っぱは、どの植物でも心をウキウキさせますなぁ)。
…で、ネコ通信である。実は、このキウィはマタタビ科なのだ(リンク2つあります)。
手入れが大変と書いたが、夏は少なくとも2週間に1回は伸びる枝を剪定しないと収拾がつかなくなる(蔓性だから枝同士絡まるわ、雨樋に伝わって屋根までいくわ)。
で、脚立を出して枝を落とすのだが、その時のネコの様子ときたら…、写真を見てもらった方が早いか。完全に無防備なゴロニャン状態。そうかそうか、これじゃ伐る訳にはいかないね。

Matatabikettei_1 左:タンゴ 右:チェックとエルメス
(右は携帯のカメラで撮影、使えるね)

第10号で、ぎんが(ひらがなにしました)を大胆な行動に駆り立 てたのが、
このマタタビを入れたネコ用のジャーキーですな。
値段の割に量が少ないので餌の気分転換とか、ご褒美として与えることにしている。
「何の?」と聞かれると困るが。

●ネコ通信「Cradleも早や13号、ネコ紹介も11匹終えて正直ネタがないっ! 
ネコ通信も存続の危機か! うーん、困ったニャァ。

●このメルマガは、そろそろ行き詰まってきた男の自宅を中心に
2、3軒のご近所を縄張り、通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、打開策をみつけられない男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

ロズウェル?

Dscf0022
左手も
ポーズつければよかった。

百日紅、夏に映え。

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今年の夏は、サルスベリの花がやたら目につく。漢字で書けば「百日紅」真夏は、ほかに目立った花が咲く木がないので、そのせいかもしれない。白い花も珍しくはないが、花のつき方が紅色とちょっと違うんですね。

「常識的!」?

 8月4日付熊日に内田樹「常識的!」というコラムがあった。「おじさん」向け雑誌のおじさん的オピニオンの形成は、マニュアルによってなされるという内容だ。妙齢の女の子が、「フェイクおじさん」になって書いた記事を自分たちおじさんの意見の集約だと勘違いしていると言ったって、元々雑誌の記事を自分の考えみたいに思ってしまうことが間違いである。実際のおじさんが書いたって、マニュアル・ライクなことを書くに決まってるんだから。
 
 内田先生は結びに、スティービー・ワンダーが、ボブ・ディランに歌唱指導していたという話を書いている。おそらく、マイケル・ジャクソンが昔チャリティでやった「ウィ・アー・ザ・ワールド」のことだろうと思われる。ボブ・ディランの名誉のために書いておこう。
 他人の曲を、いくらチャリティとはいえ、いきなり与えて歌えというのは、オリジナルなアーティスト、ディラン氏にとっては酷ではないか。スティービーがこういう風に歌えというのは、「世の中が求めるディラン・スタイルに即していなければ、大衆が納得しないよ」ということを知り尽くしている、ワンダーのプロデューサー感覚である。
 それを「(ディランは)加齢とともに創造的エネルギーが枯渇してしまい」と、自分の文章のテーマに合うように、強引に引きつけてしまっている。ディランらしく歌えないことの方が、創造的と言えるかもしれない。

2006年8月12日 (土)

マスコミ矮小化対策について

 日本の人口が多少減っても、世界的には人口が爆発して、食糧不足、水不足が深刻化するのは間違いないので、地球規模では良いことなのかもしれません。
 問題は、社会保障や健康保険が制度的に破綻する可能性があることで、それでもそれは歴史的必然かもしれない。そういう世の中にしてしまったのは、自分たちなのだから、仕方がない。

 子どもの数を増やすことを目的にすることは、先ほども書たように、地球規模では間違っている。じゃ、年寄りを減らすか、というとそれも出来ない。私もその部類に近づいているので。
 いくつになっても働かなくちゃいけないのは嫌だという人もいるが、それならそれなりの経済的な裏づけを、若いうちから準備しなければならない。逆に、生きてる限りそこそこ食える程度、働けばいいじゃないかという人もいるだろう。仕事があるか、健康でいられるかという問題もあるが。
 
 話は変わるが、4月15日にお忍びで、靖国神社に参拝していた安倍晋三。最近そうだったと公表されたが、どうしてこれまで報道されなかったのか。マスコミ各社、どこも知らなかったということの方が不自然である。
 ということは、世間体を考えて、発表時期を選んでいたということになるが、誘拐事件の報道協定のように足並みを揃える意味があるのか。それが国益とするならば、そうと判断する新聞社やテレビ局に思い上がりはないのか。自民党の顔色を窺うことが、経営判断なのか。
 靖国云々より、ニュースとは何か、を考えるケーススタディだと思うが、誰もそれには触れてないよな。大変おかしいと思いませんか。

2006年8月11日 (金)

ブラジルの水彩画

『未来世紀ブラジル』という映画は有名なんだが、まだ見たことがない。自慢できない。『未来惑星ザルドス』はDVDを友人が貸してくれたので、改めて見てみよう。ま、どうでもいい話。

 NHK-FMのラテン番組で、この「ブラジルの水彩画」がかかっていたので思い出したこと。キリン・ラガーのCMで、ちょこっと話題のサディスティック・ミカ・バンド。アルバム『黒船』を制作する前に、『駅前旅館』という昭和歌謡のカヴァー・アルバムを計画していたらしい。 
 当時は著作権よりも、レコード会社の壁の方が厚かったのかもしれない。それとも、飽きっぽかったのかも。ライヴでは、後々まで演奏された「銀座カンカン娘」はその片鱗だし、「タイムマシンにおねがい」もそういうノスタルジーを現在に結びつける文脈で作られていたのかもしれないと推測する。結局この企画、陽の目を見ることはなかった。

「ブラジルの水彩画」は、ただ「ブラジル」と呼ばれていたので、つい最近まで正しいタイトルを知らなかった。ミカ・バンドでの演奏はついに聞くことが出来なかったが、本当に幸運にも大阪フェスティバル・ホールで、サディスティックスの演奏として聞くことが出来た。
 それも、もう30年前。ミカ・バンド解散後、ソロとなった加藤和彦が、西岡たかし、杉田二郎と3人でのコンサートをやったことがあった。京都に住んでいた友人のSと行った。二人とも極貧だったけど、行った甲斐はあったなんてものじゃない。何となく予感はしたものの、実際ステージ上に、ミカ抜きとはいえ、他のメンバーの雄姿を目の当たりにしたときは感動に震えたものだ。
 その少し前にアメリカで、リッチー・ファミリーというディスコ・オーケストラがカヴァーして、確か全米1位かなんかになっていたので、加藤氏がもう少し続けていればよかったとか、どこかでコメントしていたなあ。
 そのコンサートでは、彼のソロの名曲「九月はほうき星が流れる時」が、ディスコ・ヴァージョンで披露されるという、すごいプレゼントも用意されていて、今思い出してもファンとしては信じられない夜だった。他の曲は覚えていない。
 加藤さんは当時「オールナイト・ニッポン」のDJをやっていたので、そのコンサートの感動を葉書にしたためて送りましたよ、私は。で、ちゃーんと読まれました。これもうれしゅうございました。
 他人にとってはどうでもよくても、私という人間の一生の宝物なのでございます。

食べ方の提案

 8月8日付の熊本日日新聞に「県産スイカ1位陥落」の記事があった。05年収穫量で千葉県に抜かれたということなのだが、収穫量の順位を競うことにはあまり意味はない。
 ここで思い出していただきたいのが、拙文「スイカ・バー」である。要するに、地元での消費量を増やせば、輸送コストもセーヴ出来るということなのだが、巨大消費地にまとめて送った方が、売上も上がるという仕組みには勝てない。
 記事中にもあるが「消費者の需要にあったスイカづくり」とは、食べ方の提案でもあると私は思う。

とりあえず、LRT。

 合志市役所の政策推進室主催で、交通政策についての説明会が開かれている。市内各所で、全部で9回行われる。私は今夜、泉ヶ丘市民センターの回に参加した。
 熊本市への通勤通学者が、近隣市町村の中でも特に多い合志市としては、道路整備とともに公共交通の利便性向上も政策として重要課題であるという行政の認識を示すことで、熊本電鉄のLRT化による市電乗り入れ計画を支援しようというもの。

 市からの説明は簡潔でわかりやすい、電鉄の事業概要はすでに聞いたことがあるので、目新しいものはない。総事業費120億円のうち、電鉄としては10億ほどしか用意出来ない。大部分は国土交通省の補助事業他に該当するので、残りの30億ほど県や市で用立ててくれということ。
 参加者40名ほどか。積極的にどうなっているのか知りたいという人は、当然そう多くはない。熊本市電と結節すれば、全国的な話題性と、格段の使いやすさは約束されていると思うんだけどなあ。

 資料の中に熊日の記事のコピーがあって、LRTで先行する富山市長が「道路や橋は税金を投入して整備、そこを民間のバスが使っている。電車も全く一緒で...」と語っている。公設民営の考え方をうまく表現しているが、しかし、道路や橋は一般の車やトラックなども走るから、ちょっと利用者の幅は広い。

 熊本電鉄の斎藤常務に聞いたら、いま進捗状況としては5合目付近らしい。熊本市長選挙が近いので、それ如何の部分もあると。だったら、争点にすべきだ。

 ところで、幸山政史の後援会事務所に「I LOVE Kumamoto」というポスターが...もちろんLOVEのところは、ハートマークです。なんて言えばいいんだろう、と例のごとく私はボズ・スキャッグズになってしまった。もっとマシな文句が、多分きっとどこかで、見出されるのを待っていると思う。

2006年8月 9日 (水)

アートポリスの裏側

 近くに立ち寄り先があったので、思いついて写真を撮った。
もう完工後13年も経つので、吹付の壁には苔も生えている。きれいに洗浄してお色直ししてやりたいものだが、財政難の熊本市は、400年前の熊本城の方が古いので、順位としては優先と考えているようだ。
 建設当時の熊本県知事は、後に首相にまでなった細川護熙氏。日本一づくり運動の一環で始めたくまもとアートポリス事業。バブルで一気に盛り上がっていたポストモダン建築を、公共事業に持ち込んだことで知られる。
 いまでも自慢できる建築群だと思うんだけど、どうも飽きっぽい県民性のために、もう忘れ去られている。
 ただ、当初の目論見からすれば、特別扱いされず、街並みにとけ込んでこそアートポリスの完成ということになるんだが。

Dscf0173 熊本市営住宅
 新地団地C
 

完結した物語

  閉じられた本のなかで 物語は完結している
  ページがめくられることで
  ストーリーが始まるが
  しかし結末はすでに書かれているのだ
  それを知らぬのは
  読み進まれると同時に動く登場人物たちと
  もちろん読者

  読み疲れて本を閉じれば
  彼らの人生も凍結される
  再び白日にさらされるときまで

  閉じられた本のなかで 物語は完結している
  ページが開かれるとき
  定められた運命の日々はまた始まる
  それを知らぬのは
  読み進まれると同時に動く登場人物たちと
  もちろん読者
  予備知識なしに初めて読む者

  何度でも同じ人生
  結末はすでに書かれているのだ
  なのに それを読む者は
  常に新しい発見をする
  完結した物語でも
  理解するには時間がかかる

2006年8月 7日 (月)

トーキング・オールド・ソルジャー

 年寄りの話を聞くのが好きだ。小さいときから、祖父母と同居していたし、親戚のおじさん、おばさんや年寄りがよく来る家に住んでいたせいかもしれない。
 そういう幼児体験は貴重だし、話を聞く態度というものや、目上の人を尊重するということも自然に身につく。と言いたいが、個人的にはそれほどでもない。まあ、苦痛でないという程度?
 
 昔あった学生運動の頃、既成のもの、体制・権威というものをスクエアだとか決めつけて、全面的に否定したことがあった。私も、その通りだと意気に感じたものだが、いま思うと、そういう十把ひとからげに何でも括ってしまうことこそが、スクエアな頭の悪さであって、団塊の世代の人たちは、いまだにそういうところがあるので、2007年大量失業、失礼、定年退職の年に、広告業界の餌食となることは明白である。
 と、決めつけてはいけないね、ポスト団塊君。

 昔、年寄りの話は面白かった。だが自分が年寄りの仲間に近づきつつあるいまどき、ゲームだ、DVDだと、一触即発に面白いエンターテインメントがあふれているので、やたらと時間がかかる、年寄りの話のその面白さを楽しんでいる暇など、子どもにも若いもんにもないのではないか。
 年寄りの話ってやつは、ランダムアクセスは出来ないし、早送りも出来ない。リピート機能だけは、しっかりというか、壊れたみたいに働くという、いわゆる口承の時代の遺物みたいなものなのだ。
 というわけで、子どもに嫌われたくないという過度の自己防衛反応が働くご老体が増えてしまうと、戦争体験の伝承も途絶えてしまう。もっと語らなければいけないです、と熊日の美人記者森さん(大津支局長)も書いていた。

 絵本の読み聞かせが、ずいぶん普及してきたので、口承の文化も復権してくるかもしれない。いや、それとこれとは違う。ウォークマンが作り上げた個独聴の習慣は手ごわいぞ、という意見もあろう。
 結局、何が言いたいのだったか、ちょっと言い回しに凝っているうちに、中身がなくなってしまったが、ライヴな感じは伝わったでしょうか?

「爺さん、ビールをもう一杯どうだい」

泉ヶ丘"シューティング"スターズ

 一昨日5日土曜日、私の住む合志市泉ヶ丘では、第23回夏祭りだった。司会をやるようになって、何回目か。もう5、6回にはなるだろう。初めてのときは、ビールを飲みながらやったので、なんか余計なおしゃべりが多かったような、でも覚えていない。
 それで、翌年からは依頼がないだろうと思っていたら、まあ誰がやっても大した差はないということか、自治会の準役員みたいなものだったこともあり、毎年司会の役が回ってくることになった。
 受ける司会を目指すと、話がすべったときが怖いので、なるべく進行役に徹するようにしている。つまり、空気みたいな司会である。自慢にならない。
 子どもの人数が毎年減っていく団地にあって、ステージから見てると、来ている子どもの数は毎年そんなに変わらないような気がする。

 今年は、新市になって初の子ども会対抗ソフトボール大会で、泉ヶ丘スターズが優勝。旧町時代から数えれば、通算7度目の優勝である。高校生の私の長男が、コーチをやったことでも、ちょっと思い出に残る夏だ。何かと、世話の焼ける息子だが、少しは人様のためになることもある。

 村上春樹の『アフターダーク』を読み終わる。その中から登場人物のセリフを引用。
「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。」
 現実に近い(具体的な店や物が出てくるせいか)虚構の中で、小説でしか味わえない感覚、快楽とも言えるかも、を楽しめるというのが、村上春樹の物語の面白さだと思う。スピーディーな展開が必要な人には、合わないだろうけど。

 夏祭りの準備は、土曜日の朝から行われ、祭りが終了した午後9時半過ぎ、椅子、テーブルなど粗方の片付け。翌日曜の朝から、テントをたたんだり、ごみを集めたりしてすべての後片づけを終え、会場は元の公園の姿に戻った。

2006年8月 6日 (日)

「こんにちは、ポプラ」

※これは、わたしの友人が送ってくれている
週刊ネコ通信「Cradle」第12号のコピーです。
このブログへの転載は許可済みです。

ポプラの章

健やかに大きく育てとポプラ。
赤ちゃん、1ヶ月! 

1週間、いや3日早まってしまった。貰われていった、
と書いたのが日曜日で見たのが水曜日の朝。
うーん、これからは諦めないであと3日は頑張ろう。
--------------------------------------------
かわいいんだ! 白地に茶と黒のブチ、三毛ネコだね。
背なかにパンジーが咲いているよう。
小さい! 写真わかるかなぁ。
まだ、小さいから、遠くには行けない。石の上で転んだりしている。
エルメスは強いお母さんだから、ポプラも見習うように! 
おねぇもふたり居るんだよ、仲良くね。
早く大きくなってブロック塀を越えておいで、餌あげるよ。

赤ん坊が泣いているのが聞こえる。
だんだん大きく成長していくのが見える。
私が知ったことよりも、ずっと多くのことを知るようになるだろう。
ああ、心から思う。なんて素晴らしい世界だろう。
(多分こんな意味だったと思う。)
「うーん、グレートサッチモ」(<---映画「グッドモーニング、
ベトナム」のロビン・ウイリアムズの台詞からお借りしました。)

Poplax4_1

うーん、エルメスにはなんか悪いこと言っちゃったなぁ(前号)。
しようがないよね、二人分だもんな。ごめんな、煮干したくさんあげるから。

●このメルマガは、早とちり男の自宅を中心に2、3軒のご近所を縄張り、通り道にしているノラ猫(ベネツィアでは自由猫とも、また最近ではTNR運動がらみで地域ネコとも呼ばれている)達と、ポプラを飼いたいなと思った男の一方的な交流を綴ったものです。
ご迷惑かもしれませんが、ま、見てやってください。

2006年8月 5日 (土)

マガジンズ~弾倉の静謐(せいひつ)

 菊陽町図書館では現在「少女雑誌にみる戦禍の傷あと」という企画展を開催中です。今年は、原爆に被爆した少女に焦点が当てられています(この焦点という言葉が、かなり生々しいです)。
 「少女の友」昭和19年4月1日発行 第4号の裏表紙にはこうあります。この頃は、まだ色刷りです。ゼロ戦に撃たれたアメリカ軍の戦闘機が火を噴きながら落ちていく口絵にかぶせて、
「敵を討たう 眞心をもって討たう 魂をもって討たう」そして、

 工場はある
 資材はある
 しかし人手が
 足りないのだ
 今更何を
 迷うことが
 あらう

 同じ「少女の友」も昭和20年6月・7月合併號になると、ガリ版刷りのような印刷になっています。それでも発行し続けていたというのが、ある意味怖い。
 表紙には、

 一滴の血地に落ちて潔くば百の花咲かむ.
 あゝ、今ぞ一億
 皇土に勝利の花を咲かせむ.

 戦争と平和について考えるというより、当時のメディアの置かれた立場とスタンスについて考えました。どんな状況下でも、真実を伝えようとすることも出来るし、権力に擦寄ることも出来る。ただ、現代に生きる私たちが、当時の日和見を一方的に責めることも出来ないと思う。

 会期は、10月23日(月)までとなっております。
ちなみに、菊陽町図書館 開館時間は、10時から18時(木曜日は20時)
休館日は、毎週火曜日、第3水曜日です。

2006年8月 2日 (水)

わかったふうな風をあつめて

 夏目房之介さんが、大同生命のPR誌「ONE HOUR」に「夏目房之介の書棚」という書評を連載している。前に予告したので、その素晴らしい指摘を引用します。
 今回は藤沢久美さんの『なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか』という本についての文章です。

「同じことを一見わかった風の抽象言語で難しく書くのは、じつは簡単だ。具体例の一枚上に抽象化されたリクツを平易に書くのが難しいのだ。具体例と抽象化したリクツがあれば応用がきくのである。本書の書き方には、女性が得意とするエッセイ的な平易さと応用できる程度のリクツがある」

 これは、本上まなみの場合にも当てはまるのではないか、と思った次第です。新潮文庫に入った『ほんじょの鉛筆日和。』の穂村弘さんの解説「「時間」がみえるひとを読むと、さらによくわかる彼女の文章の魅力。

 私は、その昔、彼女のエッセイを伊丹十三さんの著作に近いと評したことがある。『女たちよ!』への回答を、本上まなみは、期せずして書いているというのは、ちょっとひいきしていることになるかも。
 彼女、将来的には、映画監督になってもらいたいものだ。

2006年8月 1日 (火)

ゲンリシュギ原理主義

 朝夕の薄暮時のヘッドライト点灯は、自分の車の存在を、他の車や歩行者、自転車などに乗った人に知らせて、事故を未然に防ぐ効果がある。これは、周知の事実と思っていいんだろうな、とちょっと不安になることがある。

 それは、早めの点灯を実践していない県警のパトカーばかりだからだ。パトカーってのは何かい?目立っちゃいけないってのかい??一般の車に早めの点灯を促すためにも、薄暮時の点灯は率先してもらいたいものだ。ガソリン高騰してるんだから、緊急時以外は効果的な使い方をしてもらいたいね。

 また、こないだのような土砂降りのときなんかも、ヘッドライトをつけるようにしたいものです。

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