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読みたい本だな

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2005年12月の5件の記事

2005年12月30日 (金)

notebook 2005

 2003年12月23日、notebookに最初の記事を書いて、早2年の月日が流れた。

その間、コピーで保存していた原稿を中心に、少しずつアップを繰り返し、

大方の記事をこういう形でまとめることが出来た。

 Then and Now のように、自分に突っ込みを入れる手法は、

誰が最初に始めたのかは定かでないが、最近ではよく使われる。

これは、excuse(言い訳)とも、補遺とも言える。

 一部にネタ切れという指摘もあるが、実際結構手がかかるんです、これ。

大瀧詠一が、デジタル・リマスタリングにこだわる理由が、私にはよくわかります。

比較するなど、おこがましいですが。

 というわけで、年末の挨拶とさせて頂き、来年もひとつよろしくお願いいたします。

2005年12月29日 (木)

「流行語の向かう側」>12/10/2005・k303

 インターネットでの検索が普及した現在、印象的なキャッチフレーズを作ることが、重要視されているのではないでしょうか。広告業界では、昔から当たり前のことだったと思いますが、それに「あいのり」して、世の中をわかりやすく解説する傾向が、強まっているため、言葉の意味するものより、言葉そのものの流行を、メディアで繰り返し取り上げることで、さも「格差社会」が今到来しつつあるようなムードを作り上げているような気がします。

「総中流」といわれたころの日本にも、格差は歴然とあったにもかかわらず、「総中流」気分に流され、見た目の平等、大量消費社会を正当化していたという側面があると思います。

 言葉が、人間の生活を規定してしまうのは、致し方がないことです。「ちょっと待てよ。それは少し違うんじゃないのか」という批評性を、一人ひとりが持てるようになることが、大事なことだと思います。

Then and Now:平成17年12月25日付熊本日日新聞・くまにちコム 私の意見「テーマ“総中流”のゆくえ」欄に掲載。

http://kumanichi.com/watashi/ でも読めますが、本紙では編集されています。あまり時間をかけずに書いたので、ちょっと生硬である。本来のテーマと微妙にずれてしまうという、よく言えば「私らしさ」、通常減点あるいは評価外解答の見本だなあ。

2005年12月23日 (金)

人生の壁・孤独なクライマー~11/6/2005・k302

 現在の医学では進行を遅らせることすらむずかしい病気、アルツハイマーと診断された主人公は、広告代理店の営業部長、50歳。その瞬間、希望から最も遠い存在となった。しかし彼はそれを隠し、仕事を続けながら病気と闘うことを決意する。せめて娘が嫁ぐ日まではと。

 日に日に衰えゆく記憶を、あふれるメモでつなぎとめる彼の苦闘は、ともすれば暗く重たい話になるところ、学生時代に今は亡き友人の影響で始めた陶芸の趣味が救っている。ろくろを回したり、土をこねたりする身体感覚、いわゆるからだが覚えているということが、彼に生きていることを実感させる。

 記憶は、自分と関わりを持つ人と共有するものでもあるが、最終的には他者が覚えていてくれるかどうかということだ。結末はちょっと美しすぎる気もするが、老いや死、病に対する不安や恐れが、少しだけ和らぐように思えてきた。

        『明日の記憶』
           荻原浩著 光文社 1500円

Then and Now:熊本日日新聞「私の3つ星」不採用。お話を要約するにとどまったことが、敗因か。
意図的な誤植(変換ミス)が、アルツハイマーの進行を動かしがたく描写する。そのことだけで、小説として成功している。しかし、それを書いたら凡百の紹介文なので、あえて書かなかった。
渡辺謙主演で映画化されるとのこと。かなり痛い映画になりそうで、私は見たくないが、若年性アルツハイマーに対する理解が社会的に深まることはいいことだろう。
また、夫婦の麗しい愛の物語として読むことも出来るので、そういうところがクロースアップされるのかもしれない。

2005年12月18日 (日)

お断り。

検索されやすいように、カテゴリー設定をしていて、

間違って「育児」と「音楽」というのに

村上春樹を入れてしまった。

いまのところ、修正が効きません。

かっこわりー↓

2005年12月12日 (月)

ノン・カテ

 今日は、父の誕生日だった。といっても当人は、一昨年亡くなっているので、もはや歳は取らない。私はほぼ毎日、母の住む家の仏壇に線香をあげ、手を合わせる。「なまんだぶ」とは声にするものだと聞き及び、ぼそぼそとつぶやく。これが、このカテゴリー名になっている。というわけではないのだが。

 この手を合わせるという行為が、年とともに、本当に自然に出来るようになった。極端に言えば、右の手のひらと、左の手のひらが、吸い寄せられるように合わさるのだ。

 おお、このとき、手をすり合わせるようにするのが、正式なのか、今度友人に確かめようと思う。

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