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2005年5月 5日 (木)

「感動」と村上春樹・上~10?/?/1996・k286

 私は村上春樹が大好きである。無論、男性として好きなのではなく、物の考え方、とらえ方の共感者なのである。

 もともと彼の書く小説よりエッセイを先に読んでファンになったもので、安西水丸氏との共作である「村上朝日堂」を読むためだけに、毎週県庁の地下売店で週刊朝日を買っているぐらいだ。

 ところで、「感動」というのは個人差があるのかもしれないが、私の場合、時の流れと共に何にどのように感動したかという具体的な事柄よりも「感動した自分に対する感動」という正に「感動」という言葉あるいは記憶だけが、胸の奥の方に積み重なって残っていくような気がする。年を経るごとに、この気持ちは強くなっていくようで、逆に「物事に感動しない自分」が次第に大きくなってることに気づく。

 話を村上春樹に戻すと、私が確かに彼を小説家として意識したのは、彼が自作『羊をめぐる冒険』について語っているのを雑誌か何かで読んでからだ。彼はこの小説を書きながら、おしまいの方で、自分で感極まって涙あふれてしまったらしい。そして私はその話に感動して、無性にその小説を読みたくなった。もちろん私も泣くためにである。

 後で知ったことだが、村上氏は現代アメリカの元超人気作家カート・ヴォネガットのファンであったらしい。私も流行物には目がない方なので、学生の頃には同様にヴォネガットに夢中だった。特に『チャンピオンたちの朝食』をペーパーバックで読み明かした早朝、降り積む雪の中で主人公がひとり寂しく、天に召されていく様を思い、涙したことは忘れ得ない。泣けてきた自分に私は感動していた。

 というような「感動」と「涙」のキャッチボールというか、フィードバックというか、つまりそういう時空を超えた応酬が、今なお見知らぬ二人であるところの村上氏と私にあったことは誰も知らないだろうから、ここに記す。

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