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読みたい本だな

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2005年3月の3件の記事

2005年3月31日 (木)

Voice Squad④~6/25/1995・k280

 マーク・ボランは、30歳を前にして、自動車事故でこの世とおさらばしてしまって、当時高校生だった僕は、「週刊プレイボーイ」の読者欄に、その死を悼んで投書した。そして、源泉徴収された残りの4,500円を、郵便為替で受け取ったのだった。

 マーク・ボランという人も、ヨーロッパのどこかの森で、魔法使いと暮らして修行したというふれこみで、新興宗教っぽく怪しげだったんで、オウム真理教に通じるところはあるかもしれない。

 ただ尊師は、当時、西城秀樹の物真似とかやっていたらしいので、多分、T・レックスもボラン・ブギーのこともご存知ないだろう。

 あれから、20年ぐらいは軽く経ってしまったので、今またメイクやファッションが多少グラム・ロックっぽくなったって、驚くことじゃないけど、音楽だけはすごい、まったく今どきの若いモンは、似て非なるモノを作り上げてしまった。

 何曲かしか、聞いたことがなかったけど、フリッパーズ・ギターはいいバンドだと思っていたら、小沢健二がソロになった途端に、自分が中年、いや老境にさしかかっていることを思い知らされた。
 本当に、リズムの乗りが違う。8ビートや16ビートと割り切れていたころが懐かしい。

 はっぴいえんどの「風をあつめて」を聞いて、大甲橋を渡って来る市電のことを思い浮かべ、通町筋の教会前で、バスを待ったころが懐かしい。

 あのころはまだ、人類は本当には、地面を離れたことなんてなかったのかもしれない。リズムの王者だったブラック・ミュージシャンだって、まだ足首から鎖が外れていなかったんではないか、と思わせるくらい、いまどきの若い人はのびやかに歌う。

 もう一度、本当に世の中がこのまま、そののびやかさを許容し続けてくれることを願う。と同時に、僕は嫉妬心から、彼らを取り巻く状況が、行きづまることをも、願ってしまう。

Then and Now:地下鉄サリン事件から、10年。当時の私の社会認識は、この程度だったってことです。今もたいして変わりませんけど。勤めてた会社が一つはつぶれ、もう一つは廃業した、10年。ディケードってもんは、10進法に慣れ親しんだ私たちの文化が、そう意味づけるだけのものだ。ついでに、10年前、宇多田ひかるは当然デビューしてません。

2005年3月21日 (月)

Voice Squad③~6/24/1995・k279

 ところで、最近耳につく言いまわしに「~じゃないですかァ」というのがあって、これ気になりだしたら、本当に気になるもので、自分で使ってしまっていることに気がつくと、なお一層、何かやばいみたいな気になってくるじゃない~?
 他人に同意を求める言いまわし、そこにはある種の共犯関係が存在していると思う。

 話は飛ぶが、熊本弁(あるいは九州域)では、「好き=好いとる、好きと」という言い方はあるが、面と向かって「嫌い」というのがなくて、どうしても「好かん」になってしまう。

 これも困ったもので、以前ずいぶん考えたが、「嫌い」というとどうも借りものっぽくて、「好かん」と言うときの実感が伴わなくて、そういうとき、私は心の中で、「デーッ嫌い」と、江戸っ子になってしまっているでござんす。

 で、この「ござんす」とか「ござす」とかいう言い方は、もともと熊本地方にもあった言いまわしで、私の祖母も「元気で御座ったか」とか「よござンした」とか言ってたみたいな記憶があるなー。

 さて、私は、小学生から中学生のころ、いや、高校生くらいまでか、「とてもすごい」という副詞を、「たいが」「とてんが」「きゃんぎゃ」「たいぎゃ」とか、色々使い分けていたのだが、今年小学校に入ったわが息子は、「チャーゴ」と言っている。

 その前は、多分そういった意味で、「マジ」とか「マシ」とか言っていたのだが、クラスにブラジルから来た少年がいるので、ポルトガル語の流れを汲んでいるのかもしれない。

Then and Now:早いもので、当時小1に上がったばかりだった長男も、高校生。まじ「ヤバイ」という言葉を、「すごい」という表現に用いる。「なってくるじゃない~」と表記しているのは、当時のままです。つまり、ギター侍のルーツは、やはり熊本にあったのだ。と力説はしません。言語学的に、偶然というのは多々あります。

2005年3月19日 (土)

Voice Squad②~6/23/1995・k278

 坑内カナリア理論という説があって、それは、カート・ヴォネガットというアメリカの作家が、少なくとも20年以上前に発表したもので、感受性の強い小説家や芸術家は、身に迫る危険を敏感に感じ取り、一般の人より先に、まるで炭鉱内におけるカナリアの役目のように、毒ガスに参って倒れてしまうというもので、例のサリン事件で、カナリアが出てきたときに、ぼくはこのヴォネガットのことと、もうひとつ、映画『未知との遭遇』のことを同時に思い出した。

 先日、ヴィデオで、久しぶりにこの『未知との遭遇』を見たら、デヴィルズ・タワーの下で、カナリアがカゴに入れて、売られていましたね。ヴォネガットとい人は、もともとSF出身だから、スピルバーグが象徴的な意味で、引用していたとしても不思議ではないと、当時のぼくは、この発見に狂喜したものだった。
 というようなことを、またまた思い出してしまったのも、例のハイジャック事件での「おい、またかよ」というスタッフのボヤキすら聞こえそうな、TVの特番を見たからだ。

 冗談じゃない、こっちだって「王様のレストラン」と「星の金貨」を見るために一週間、いろいろ嫌なこともあったけど、何とかがんばってきたのに、人の楽しみを奪いやがってと、まるで『スター・ウォーズ』に出てくる、R2D2とC3POが捕らえられていた、スクラップ運搬車の窓の灯りを連想させる、ジャンボ機の粒子の粗い映像を、自分のTVがおかしくなったのかと、チャンネルを変えたりしてみて、見るしかなかったんだぞ。

 53歳で、エリート・サラリーマンやってた人には、何か要求しようにも、自分の中に何もなかったことを発見して、さぞつらかったことだろうと思うと、泣けてくるよね。

Then and Now : こういう文章を書いて、ヤマックスの事務員なんかにFAXで送っていた。メルマガみたいなものか。これは、非常に恥ずかしい。でも、包み隠さず、アップします。多少編集しましたが。
このハイジャック事件は、札幌でJAL機が乗っ取られたものだったと思う。乗客に、ムーンライダースのメンバーがいたことで、『ムーンライダースの夜』というアルバムのテーマにもなった。

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