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2005年1月 9日 (日)

ナチュラリィ~1/1/2002・k269

 最近つくづく思うのは、川の本来の美しさと治水とは、相反するものではないかということです。

 白川の小磧橋から下流は、橋を渡るとき(明午橋、子飼橋なども含めて)、よく目にするのですが、通常流れる川の水の少なさに驚きます。

 大雨のときに、増水した川の水を、海まで一気に流すのが治水ですから、普段は水位が低いのが当り前。

 でも、もうそれは川と呼ぶのがむずかしいくらい、中洲部分とか草の生えた所の方が広い。

 堤防部分の高さが、いやに目立ってしまって、あれで川に親しむなんてのは、虚偽以外の何物でもないと思います。

 しかし、これはある意味、仕方がないことであるのも承知しています。河川改修というのは、手をつけたら、途中でやめることの出来ない事業だからです。

 弱いところ(未改修部分)を攻めるのは、川に意思があるからではない、それが自然だからです。

Then and Now : 「ハンド・トゥ・ランド」読者欄、不採用。同様投書を書いた記憶もあるのだが。ひょっとすると、「晴れ永遠」に以前載せたのかも。10年以上前だと思うが、白川のもっと上流の鳥子川橋(そんな名前だったような)の際で、法長5mほどの護岸のブロック積みが、未改修の部分から回り込んだと見られる濁流の水圧で、擁壁の形のまま、ものの見事に前方に倒れていたのを目撃して、実感したことが元になっています。

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