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読みたい本だな

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2004年10月の15件の記事

2004年10月29日 (金)

地方自治、足腰を鍛えることから~11/?/2002・k224

 先日、町村合併の説明会に参加した。町内各所で行なわれているが、これが3度目である。
 今回行政側から出された資料は、最近策定された「新市将来ビジョン」で、前半はその説明であった。そのビジョンは、骨子とはいえ、文化、福祉、環境など多岐に渡り、読上げるだけでもかなり時間がかかった。

 過去2回と比べると、合併後の方向性がかなり具体的になってきたことと、各町で、合併の組合せに関して、いくつかの発議が出てきたことで、真剣さが増してきたようだ。

 質問は、現在、広域で行なわれているごみ処理問題や財政の見通しについてなど活発だったが、どうも回答とうまくかみ合って行かない。大都市出身の方が、町長や助役の顔が直接見れて、話も聞けるし、こんなにうれしいことはないと、言われたとき、やっと私は気づいた。
 これは確かに「町村合併」の説明会ではあるが、同時に自治についての意見を交換する場でもあるのだということに。

 行政側も私たちも、直接対話に慣れていないから、ぎくしゃくして当り前だったのだ。これを繰り返すうちに、わが町は合併の行方とは別に、足腰が鍛えられていくのかもしれない。

Then and Now : 平成14年11月22日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。これもまた、あ~ぁ、である。四町合併の枠組みが事実上破綻したいま、合併に対する熱が一気に冷め――いや冷めてしまうぐらいの必然性しかなかったということか。町は説明会を開催するというのだが、何をどう説明するというんだろう。

2004年10月26日 (火)

映画『ひばり・チエミのおしどり千両傘』を見て~10/26/2004・k223

 23日土曜日、自主上映会で見た。美空ひばり、江利チエミ主演の昭和38年東映作品。

 いくつか、気がついたことを書こうと思う。まず群集シーンでも、人物一人ひとりの動きが、すごく自然に感じられたこと。当時は、映画製作会社にも力があり、おそらく時代劇専門の大部屋俳優が、たくさん控えていたことだろう。だから、画面の隅々にまで、時代劇らしいリアルさの立居振舞があふれている。
 そのことのすごさは、今でこそよくわかる。

 では、その余裕を生み出すだけの資金が無尽蔵にあったのだろうか。もちろん売上自体も大きかったと思うが、映画産業がいつまでも成長を続け、金を産み続けると世間一般には信じられていたから、資金を集めることが出来たのではないか。

 しかし、興行は外れれば、その損失も大きい。テレビに押されながら、無難な作品を作るようになってしまったら、生き残れはしても、先細りは目に見えている。逆に時代の変化を読めず、映画の夢を追い続けて倒産してしまったのが大映だったのだろう。そして日活も。

 産業としての映画とはいえ、常に一発屋、ギャンブラー的性格を持つ業界だからこそ、面白い作品が生まれるのかもしれない。ということは、企業を防衛するために、コストのことばかり考えていると、次第につまらなくなるのが映画とも言えるだろう。

 湯水のように金を使ってこそ、金になる夢を作れる。惨敗することも多いけど。
 
Then and Now : 書き下ろし。 

2004年10月23日 (土)

路線バス追い越し禁止ルール~11/30/2002・k222

 公共交通の中でも本来バスの果たす役割は大きいと思うのだが、実際は利用者が減少して、事業者にとってはどうにかしてくれという状態ではないかと思う。

 バスを使いたくない理由のひとつに、渋滞にぶつかったりして、時刻表どおりに来ないし、乗ったらいつ目的地に着くかわからないという不安がある。

 車線が多くてバスレーンのある幹線道路では、その時間帯、その区間に限ってはかなり正確な所要時間で走れる。しかし、片側1車線や車線のない道路では、一旦バス停で止まると、後に続く車が追い越しをかけ始め、バスが発車の合図を出そうがお構いなしで、次々にバスを抜いて行くため、しばらく待たなくてはならない。

 バスの公共性を考えるなら、バスの定期路線ではバス優先を徹底し、乗降時のバスを追い越してはいけないというルールを決めるべきだと思う。
 熊本市中心部への乗り入れ規制や、バイパスの増車線化よりも現実的で、即効性が期待できる方法ではないだろうか。多くの自己中心の運転者にどう納得してもらうかは、公共交通への理解の原点でもある。

Then and Now : 熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。やけっぱちで書いてるという感じ。渋滞がひどくなりそうな気もするが、車からバスへのシフトが目的だから、いいんです。
 とはいえ、現在私は仕事の都合で、車で通勤してるんですが。

2004年10月19日 (火)

週刊クンタキンヤ~7/27/2002・k221

 すぱいす8周年、おめでとうございます。
 思い起こせば、初代読者レポーターのひとりとして「オヤジの行く店」の取材に行ったこともありました。いくつかの企画にちょこっとした文章を書いたことも。

 編集長も、KさんからMさんに替わり「ほっと」では「週刊クンタキンヤ」として、二人の息子をネタにずいぶん投稿したけれど、子どもたちは大きくなると、面白くなくなってきます。冗談ではすまされなくなる年齢があるのだと、初めての子育て、思春期篇でつくづく思います。

 すぱいすが出来たころ、2歳だった二男のリョウが、土曜日の朝から、すぱいすを読んでニヤニヤ笑っている。So it goes. マイ・ジェネレーションも年を取り、さて、腰をあげるとするか。

Then and Now : 「くまにち・すぱいす」不採用。すぱいすには、不採用ながら、ずいぶんハガキを送る続けたものである。これは、訣別宣言だったのだけど、諦めの悪い私は、この後も1,2通は書いたような気がする。すぱいすデイズ「週刊クンタキンヤ」の日々。そういうこともあったっけ、という美しい想い出のひとつでございます。

2004年10月17日 (日)

雑草のように~7/27/2002・k220

 庭の草取りをしながら考える。子どもたちには、雑草のようにたくましく生きろ、とか何とか言いながら、日々の暮らしの中ではこういうふうに、ちゃんと名前もあるだろうに、雑草と決めつけて、抜いたり刈ったりしている。
 生命力は見習うべきだけれど、たくましさも相手次第ということなのかもしれない。

Then and Now : 熊本日日新聞「ブランコ」欄不採用。このテーマでは、もっとうまい文章を書こうと思ってたんだけど、吐き出しました。ちょっとズレてるかもしれないけど、人生こんなふうにシンプルに生きていけたらいいのにな。

2004年10月16日 (土)

週刊クンタキンヤ~6/16/2002・k219

 父の日。
 私はいつもと変わりなく、皿を洗い、風呂そうじをした。わが家は息子2人。父の日、全然関係なし。私自身もすぐ近所に実の父が住んでいるんだが、改まって会いに行くわけでもない。
 ある種の人々にとっては父のことを思う日であり、私にとっては、父親とは何なのか、と少しばかり考える日となった。よかったかな。

Then and Now : 父が亡くなって1年。息子にとって、父親とは何なのだ。最近は、父親役を降りたくなって来た。以前だったら、子どもに無関心な父親と聞くと、許せない気がしていたものだが、その気持が少しわかるような気がする。まだ、言葉も本気も足りないのかもしれないが、親の気持が息子に通じることにも限界があるんじゃないかと思う。
「すぱいす・ほっと」不採用。

運転免許の「免許」の意味~11/25/2002・k218

 人が道路を歩くのに免許はいらない。右側通行とか、赤信号で止まるというのは、自分の身を守るための手段である。

 しかし、車を運転する人が交通法規を遵守するというのは、それとはまったく違う。なぜなら、ルールを覚えて、確かにそれを守りますという約束のもとに、公安委員会から交付されるのが、運転免許だからだ。

 譲り合う気持だとか、思いやりのある運転というマナー、あるいは気くばりは、交通を円滑に進めるために確かに必要だが、それ以前にドライバーは、運転免許の意味を思い出さなければいけない。

 道路交通法は完璧ではないかもしれない。しかし、その精神は、事故で器物に損害を与えたり、けがをしたりさせたり、命を落としたり奪ったりすることがあってはならないという原則の上に成り立っていると思う。

 交通マナーというから、行儀のいい人、無作法な人ということになるが、法律に対する認識が欠けている人、ルールを忘れた人には、間違いを指摘しなくてはいけないだろう。

 取り締まりの強化は、確かに効果的だがそこには多大な費用がかかるし、そういう社会を望む人もいないだろう。運転免許の「免許」の意味をかみしめる良い機会が提供できないものだろうか。

Then and Now : 熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。同様投書を何回か書いた。最近は、他人の運転について、「この野郎!」と感じることはあっても、それで意見しようとまではなかなか行かない。
 投書の限界は、以前からわかっていたことだし、もはや、言いたいことは言ってしまったような気がする。この「晴れた日には永遠が見える」を立ち上げた目的のひとつには、そのとき読んでいなかった人に読んでもらうことで、前に書いた文章でも何か少しは役に立てるかもしれないという期待もあった。さて、どうでしょう。

2004年10月13日 (水)

私の好きな監督 神代辰巳~?/?/2002・k217

■佐賀県出身の、真の意味での女性映画の名手
 神代辰巳の名前を知ったのは『青春の蹉跌』(74年)を見たときだ。主演は萩原健一、桃井かおり。野心に燃える無名の青年が社会的に成功しかけるものの、自滅するパターンは、アラン・ドロンの映画にもよくあった。

 時代の雰囲気は映画に投影されるもので、今思うと同じく萩原と田中邦衛主演の『アフリカの光』にしても、行き場のなさ、救いようのなさが当時の状況(オイルショック後の不況)と、映画界の不振が表れていたのかもしれない。また、ベトナム戦争をやっていたアメリカのニューシネマの影響も大きいと思う。

『赫い髪の女』は石橋蓮司と宮下順子主演の日活ロマンポルノだが、すっかり日本映画の古典になってしまった。もともと名監督は、いかに女性を美しく、あるいは力強く描くかというところで評価されてきたが、男性の視点・立場を超えた人は少なかったように思う。

 そういう意味で、神代は女性に寄りそい、女性の側から女性を描いた初めての監督ではないか。それは、『悶絶どんでん返し』という作品で描かれるゲイが、コミカルではあっても、偏見は感じられないところにも通じる。

 私が残念に思うのは『宵待草』がヒットしなかったことである。大正ロマンとスケールの大きい冒険談が合わさった長谷川和彦の脚本だったが、配役が地味だったのか。そして邦画の流れは変わり損ねたのだ。

Then and Now : 守田さんの編集する「シネマレビュー」に掲載してもらったのだが、該当号が見つからない。どれも、遥かな昔に見た作品ばかりなので、記憶に残るイメージだけで書いた文章です。すみません。でも伝えたいことはわかってもらえると思います。
 ちなみに、『宵待草』の音楽は、細野晴臣さんが担当してます。

2004年10月11日 (月)

ごみの持ち込み、あとは野となれ~5/7/2002・k216

 5月の連休に家族で、旅行会社のバスツアーに参加したのですが、トイレ休憩のSA、PAはどこも混み合っていました。
 そこで出るごみも相当なもので、ごみ箱に収まりきらず、ごみ箱周辺は空き缶や弁当箱その他で、目を覆いたくなるような有様。

 そこの売店で買った品物の容器ならいざ知らず、ごみの持ち帰りなんて教育はなされていないんでしょうね。私の参加したツアーは添乗員さんが、弁当、お茶の容器を、食後全部回収していましたから、あとで業者に出したことでしょう。
 トイレの洗面台にタバコの吸いがらは置いてあるし、ポイ捨てよりマシと言えるかどうか。

「まちかど博物館」と市原悦子さんの「私の旅」楽しかったです。

Then and Now : 道路公団の情報誌「アーティリー」不採用。
 平成16年10月2日付熊本日日新聞「キッズぱーく」に「増えるごみの持ち込み」という記事があった。テロ対策でごみ箱が減ったこともあるが、「家電リサイクル法」で家電の処分が有料になったことも影響しているらしい。こうした外部から持ち込まれるごみは、総量の約6割を占め、処理にかかる年間36億円の費用のうち、20億円程度が持ち込まれごみのために使われるとのこと。
 SA、PAの運営が道路公団のファミリー企業に独占されているからといって、それに対する政治的意図という側面はないだろう、おそらく。

2004年10月 9日 (土)

『レヴォリューションNo.3』2~7?/?/2002・k215

 中学か高校生のときにこの本と出合っていたら、人生変わっていたろうか。今読んで、新しさと同時にちょっと懐かしくもあるということは、青春の普遍性の証しかもしれない。

 そんなことを言うと、著者の金城氏や彼の熱狂的な信徒にバトウされかねない。でも一見古くさい愛という言葉も、それが君の口の端にのぼるとき、常に新しいというではないか。

 主人公を始め、アギーもヒロシも舜臣(スンシン)も実に魅力的だ。彼らはザ・ゾンビーズとして47人徒党を組むんだけど、高校生のくせにそれぞれ自分自身に対して真剣に立向かっている。自分が何者かを知ることは、ときには挫折であり、勝利することはあまりなかったよな。

 ドロップアウトした彼らは、しまいには大河の一滴と飲まれるのかもしれない。だけど、へらへら笑いながら、踊り続けるしたたかさと若さが正直うらやましい。いつかどこかで会ったって、あまり声はかけてほしくないけど。

Then and Now : これも熊日に送ったのだったか。かなりしつこい。紹介文としては「ボーイズ・ビ・アンビシャス」と比べて、どちらが効果的でありましょうか。ご意見を伺いたい。私は3回読んだけど、ホントに一度是非読んでみてください。1180円という価格設定と軽装版だというところが、実に爽やかな本です。

ボーイズ・ビ・アンビシャス~少年よ、野望を抱け 7/31/2002・k214

 私が高校の教師だったなら、迷わずこの本を夏休みの課題図書にする。感想文は出さなくてもよい。しかし、読んだ(男子)高校生は確実に変わるだろう。一概に良い方向に、とは言い切れないところが難だが。

 本当にかっこいいことは、相当にかっこ悪いこともあるにはあるが、世の中変えられないことはないはずだ。生物の教師、通称ドクター・モローの言葉に突き動かされた彼ら。ともかく、友情に厚く、努力を怠らなければ、オチコボレ高校生にだって勝利はある。それは自分たちの子どもの世代のことになるのかもしれないが。

 仲間の死が第一話で語られる。死が身近にあることで、小説として力強さが増していると思う。死というのはこの世の理不尽さでも最大級のものだものなあ。

 第三話で、その友人が生きていた夏に戻る構成(それも回想ではなく)は心憎いばかりだ。

        『レヴォリューションNo.3』
          金城一紀著 講談社刊 1180円

Then and Now : 中年男性の感覚では、まったく別世界に住む若者しか面白さはわからないだろうと思わせるに十分なカバーであった。なんで読む気になったのか。しかし、こういう本に巡りあえるから、読書は楽しい。どこかに私を待っている書物があると、信じられる気がする。
 とあるインタビューで著者は、この作品については映画化の意図はないと語っていた。小説で完結して、あまりいじられたくないストーリーというのもあるんだろう。
 私の息子にも読ませたが、少年のころに読んでも、その重たさまではわからないようだ。ある程度、取り返しのつかない人生を送ってきて、失ってしまったものの大きさに、ぞっとしたことがある人たちの方が、より共感を覚えるだろう。
 熊本日日新聞「私の3つ星」不採用。

2004年10月 8日 (金)

「週刊クンタキンヤ」~5/23/2002・k213

 FM791の「はなばた友の会」という番組に出ました。
 クンタキンヤ命名の由来や、初めてひとりで見に行った映画『イージーライダー』のこと、熊本宝塚の話など、10分や20分では語り尽くせなかったのですが、昨年の5月にこの欄で紹介して頂いたCDの中から「アギーは恋人」をオン・エアしてもらって、感激(ひとりで)しました。
 聞いてたあなたはラッキーでした。

Then and Now : そういうこともありました。ところで、金城一紀の『フライ、ダディ、フライ』が映画化されるそう。美貌のアギー(男)は、誰がやるんだろう。
「くまにち・すぱいす」不採用。

2004年10月 7日 (木)

「二の腕縮小計画」~5/19/2002・k212

5/18号の「二の腕縮小計画」についてひとこと。

 私は、個人的には、二の腕は太くたくましい方が美しいと思います。
 たとえば、小泉今日子、深田恭子、水野美紀、そして藤原紀香。みんな二の腕がそれなりにたくましいですよね。

 映画『ターミネーター2』を例に引くまでもなく、女性といえど「力強さ」は、これからますます重要な要素になると思います。

Then and Now : 「リビング熊本」に送る。そういうコーナーがあったわけではありません。
ところで、もし、これらの文章を出版するならば、タイトルをこうしたい。
『リビング・イン・くまもと』。ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」に少し倣って、またドナ・サマーの曲に「リビング・イン・アメリカ」というのがあるし、何となく「熊本暮らし」っぽさを出せたら、それが今いちばんカッコイイような気がしてます。

2004年10月 6日 (水)

GOT TO GET YOU INTO MY LIFE~6/3/2002・k211

 本を読むときは、たいてい「この本は誰にピッタリか」を考えながら読んでいる。余計なお世話かもしれないが、あの人ならどう思うだろうと想像すると2倍楽しめるではないか。本上さんの3冊目のエッセイ集は、すぐに3人の顔が浮んだ。

 彼女が流行らせようとしている言葉「へもい」そのままに、その生活のつましさ、慎ましやかさが、逆にゴージャスに見えてくる充実の暮しっぷりだ。伊丹十三氏の『女たちよ!』が30年の時空を超えて、現在に見事によみがえったと言ったら大げさでしょうか。

 それにしても彼女の母上「オカン」のたくましさ、妹や14人のイトコたちなど、大家族の中のひとりであることの幸せが、しみじみ伝わってくる。

 友だちにはなりたいけど、一緒に暮したいという気持には少し距離がある。彼女の場合、自立してるということだけど、弱点でもある。

       『ほんじょの鉛筆日和』
         本上まなみ著 マガジンハウス刊 1500円

Then and Now : 彼女が私と同い年の編集者と結婚していたのが発覚したのは、この直後ではなかったか。逆立ちしても他人事なのに、ヘルプレスな無力感に打ちひしがれたことを思い出す。
そんな大袈裟な!
一緒に暮したいタイプではないと明言しているのに。彼女、最近絵本とか出版しているが、もう興味がなくなった。再び、私の気を引くことがあるとしたら、どういうときになるだろう。

2004年10月 5日 (火)

ファンタジーはおとぎ話のことではない~4/30/2002・k210

 ファンタジーというと、おとぎ話か絵空事とお考えのあなた。口当たりは発泡酒より辛く、ちょっと身につまされる父と子と家族のこんな話こそ、私たちに必要な魔法のひとふりであったということに、読後気づかれることは間違いありません。

 リストラに家庭崩壊、もう生きていることに疲れ果てた主人公一雄(かずお)は、ワインカラーのワゴン車に同乗することで不思議な体験をします。現実には病床で死にかけている父親が、自分と同い年で目の前に現れて、現実には打ち解けることがなかったのになかったのに、いつのまにか朋輩(ほうばい)の気安さで本音をぶつけ合うようになります。

 父親というのは確かに息子に対して無神経すぎるところがあると、わが身を降りかえっての実感です。しかし、交通事故で亡くなった幽霊の父子の切なさを思えば、人生をやり直せたらなんて、ぜいたくな話。生きてる限り遅すぎるということはないはずです。

         『流星ワゴン』
           重松清著 講談社刊 1700円

Then and Now : 平成14年5月19日付熊本日日新聞「私の3つ星」掲載。東野圭吾さんに『トキオ』という作品があり、先週までNHKの連続ドラマでやっていた。同じ講談社から出ているとはいえ、同時期によく似た設定の小説が出版されたのは、不思議な感じがする。
かたや、ジョン・コラピントの『著者略歴』という作品に酷似したような印象を受ける、スティーブン・キング原作の映画が、公開された。ジョニー・デップ主演『シークレット・ウィンドウ』がそれ。
『著者略歴』の方は、トム・クルーズが映画化権を買ったという話だったが、このジョニー・デップ、プレスで見る限り、クルーズの役作りって感じ濃厚。

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