2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

untitled

読みたい本だな

  • 読みたい本だな
無料ブログはココログ

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »

2004年9月の20件の記事

2004年9月30日 (木)

青春のうしろ姿~4/14/2002・k209

 ダドリー・ムーアが亡くなった。66歳は若い。最近は見かけなかったが、70年代後半から80年代にかけて、愛すべき小男の役は、この人をおいて他になかった。

『10テン』や『ミスター・アーサー』が有名だが、私はゴールディ・ホーン主演の『ファール・プレイ』での指揮者の役が忘れられない。そういえば、そんな俳優もいたなという形で思い出される男の、ひっそりとした死には、しみじみとした淋しさがわいてくる。青春のうしろ姿でもある。

Then and Now : 「シネマ・レビュー」平成14年6月号掲載。子どもの頃、父が新聞を読んでいて、誰々も死んだか、と聞いたこともないような名前の俳優か歌手の名前をつぶやいていたことがあった。「だれ、それ」と聞いても、「言うたっちゃ、わからんどが」と言われたような。そういうことは何度かあったと思う。
 そして私も次第に年を重ねると、同じようなつぶやきが出るようになった。
 そういうとき、息子に聞かれないようにしようと思う。言うたっちゃ、わからんことが、子どもにはある。それでいいのだと思う。

2004年9月29日 (水)

週刊クンタキンヤ~4/27/2002・k208

 二男のリョウも小学5年生になりました。
「小泉(首相)は、支持率下がったから、人気がなくなった」と言うから、
「おまえ、それは逆。人気がなくなったから、支持率が下がったの」と教えてやった。

 彼は、構造改革を進められない小泉(首相)が許せないらしいんだが、私が
「でも小泉さん以外に誰かいるか」と聞くと、
「選挙権がないから知らんべ」だと。
わが家の夕食の会話でした。

Then and Now : エディ・コクランが作って歌った「サマータイム・ブルース」には、選挙権がないから、子どもの相談には乗れないという州議会議員だかが出てくるが、遼はそれを知ってて、そういったわけではない。でも、「サマータイム・ブルース」の話をしたことがあったかのもしれない。
 私がこの曲を知ったのは、映画『ウッドストック』を見たときのこと。ザ・フーの演奏である。その後、コクランをアイドルと信奉していたというマーク・ボランが、カバーしているのも知った。ティラノザウルス・レックスって、まんまコクラン節だったのだ。
「くまにち・すぱいす」不採用。

週刊クンタキンヤ~4/23/2002・k207

 ちょっと前のことだけど、仕事で島崎2丁目公園のそばを通りかかったら、多分近くに住んでいると思われる若いお母さんたちが、何人かそれぞれに小さい子どもを連れて、何か楽しそうにお喋りしているところだった。

 私の子どもたちがあの年のころ、私たち夫婦は、戸島町に住んでいた。あの頃、テン・イヤーズ・アフターなんか考えもつかなかった。
 10年間は短いんだけど、もう戻れないあの頃を思うと、気の遠くなるような彼方のことになってしまったことに気づく。

Then and Now : 「くまにち・すぱいす」不採用。この文章からは伝わらないが、すごくセンチメンタルになると同時に、胸を爽やかな一陣の風が吹き抜けて、甘い記憶の午睡を楽しんだのだった。ような。

2004年9月26日 (日)

週刊クンタキンヤ~3/26/2002・k206

 報告が遅くなりましたが、先日行なわれた「詩のボクシング第1回熊本大会」にクンタ、出場しまして、予選をなんとかクリアしたものの、本線1回戦で、6:1の判定負けでした。

 予選のときは、タイトルを言い忘れたけど「ジューク・ボックス」、本選では「ぼくはセーラーマン」という詩を朗読しました。
 いずれも10代のときに書いたものをアレンジした作品で、いつまでもみずみずしい感性で居続けることのむずかしさよ。

 でも朗読って、1回やると。くせになりそうなくらい楽しかったです。

Then and Now : 朗読って、照れくさいと思う。でも詩を書くということは、どこかで誰かに読まれることが前提なのだから、自分の気持を正直に表現することは、元々恥ずかしい行為のはずだ。
 かっこいい自分を見せようとするから、あるいは自分の感情が他人にとってはどうでもいいことだと予測がつくから。
 でも表現するということは、誰かに伝えたいことがあるからだろう。吐き出すことで、自分を制御できるからかもしれない。
 会場で、詩人の庄司祐子さんに会いました。
「くまにち・すぱいす」不採用。

BSE狂死曲~4/6/2002・k205

 農水省の生産局長が、BSE(狂牛病)発生による関連業界の被害総額が3650億円を超えるとする推計を発表したそうだ。これはつまり、農水省の責任はそれだけであると表明したようなものだ。

 本紙の記事からのみの情報なので、断定は出来ないが、売上減の被害は、食肉販売業や焼肉業界にとどまるものではない。牛丼やハンバーガーは輸入肉を使っているのかもしれないが、計算に入っているのだろうか。

 また風評では、牛乳の消費も落ち込んだというし、化粧品の原材料に使われているということで買い控えも起きているだろう。
 牛肉の消費が豚や鶏に流れて、総体的な売上が変わらなければいいという次元の問題ではなく、食材に対する不信感が買物や外食を一時的にせよ、思いとどまらせた可能性は大きく、お金のめぐりを悪くしたという意味で、影響は多方面に及んでいると思う。

 何よりも1千億円と言われる対策費は、税金である。最初から十分な対策が取られていたら使わずにすんだものを。
 今回の件で、責任の所在があいまいなまま、責任を取るということは、まず責任を認めることに始まるということを私は学びとった。
  
Then and Now : この頃は、原稿用紙に手書きだったので、書いてるときの興奮状態が伝わってくる。かなり乱れているところから、かなり激していたようだ。内容も、感情に突き動かされたという感じで、理路整然としてはいない。
 結局、BSEも過去の話になってしまった。たとえ、泗水町で、新たに発見されたにしても。

2004年9月23日 (木)

サクランボ~4?/?/2002・k204

 例年より早く咲いた桜は、散るのも早い。とはいえ、雨や風にさらされながらも結構長くもっているような気がする。

 一枚一枚は小さな花びらが、無数に集まって生まれる、集団としての美にこそ、桜の美しさはあるのではないかと、健軍の自衛隊通りを車で抜けながら、私は思った。

 花びらが風に舞うとき、光の粒子が声にならぬ声でさざめきながら散っていく様は、風を形あるものに見せてくれるようでもある。

 また、桜はその花ばかりが美しいわけではない。葉桜という言葉があるように、花の盛りと入れ替わりに、若葉が次々と芽吹いてくる。ある意味では、世代交替を思わせるこの生命力が、私たちの心を古来からとらえていたのかもしれない。

 そして熊本に住む身には、あまり縁のないものに、国産のサクランボがある。福岡出身の五木寛之さんが、若いころエッセイに、食べ始めたらやめられないサクランボの話を書かれていた。

 それを読んだときにはわからなかったのだが、東京で大学生活を始め、渋谷の駅頭で売られていた新鮮なそれを食べたときの感動は忘れることができない。カメラを持っていなかったので、その愛らしい姿を色鉛筆で何枚もスケッチしたものだ。

 阿蘇で作っていらっしゃる方のことを本紙で読み、そのことを思い出した。

Then and Now : なんと、エッセイストになりきって書いてましたが。熊本日日新聞「おとこの目」不採用。桜の花から、果実のサクランボへの展開は、少々不自然。書き出しから、次々に転調を繰り返して、仕舞にはどこまで行ってしまうのやら、というのが、近田春夫さんが「気分は歌謡曲」に書いていたザ・フーのピート・タウンジェントの曲作り。それに似たものがある。
別に誕生日が同じってわけでもないんですが。

2004年9月21日 (火)

菊池南部LRT構想~3/17/2002・k203

 路面電車の路線延伸が、にわかに現実味を帯びてきました。健軍終点から熊本空港までという路線が有力なようですが、私はあえてまったく別のルートを提案したいと思います。

 それは、熊本電鉄の御代志駅から大津方面へ電車を走らせるというものです。農業公園と恵楓園の間を抜け、合志町・菊陽町の畑作地帯を通る県道を利用したコース。第2テクノで止めるか、本田技研あたりまで伸ばすかは、議論の余地がありますが、渋滞対策のための道路整備という発想をちょっと転換させてみることも必要かと思われます。

 財政的に余裕がないことは百も承知で、それでも調査検討することに意義があります。二輪、四輪の販売に影響が出ると予想される電車利用に、関連産業が賛成するわけがないと考えることは短絡的でしょう。
 製造部品を運ぶのに電車が使えれば、安全性とコストダウンが期待できるかもしれません。

 西合志から大津を結ぶこの県道は、幸いにほぼ直線の素晴らしいアクセスです。この道路を利用する人たちが、それぞれに「もし電車があれば」ということに思いを馳せれば、菊池郡内に大きな夢が描けることでしょう。

Then and Now : 平成14年3月25日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。わずか2年前のことなのに、随分昔のことのような気がする。町村合併が、具体的になる前の文章なので、夢を描くことに重点を置いていたのだけど、実際協議が進んでくると、合併の意義自体が怪しくなってくる。
路面電車の話題では、熊本電鉄のLRT化と水道町乗り入れが具体性を帯びてきて、こちらも難問山積みなんだけど、応援しています。

2004年9月20日 (月)

リリー・フランキー賛江~2/26/2002・k202

 リリー・フランキーさんの「テレビが消えた後のレモン」は、写真もいいけど、文もいい。いや、文章もイメージ豊かだけど、写真も彼女たちの、テレビでは見られないサムシングを写しとっていると書くべきか。
 毎週見られないのは残念だけど、それは無理なネタ探しや、タイアップと無縁であることの証しでしょうか。

Then and Now : 深く敬愛するリリー・フランキーさん。最近目にしないけど。
宮藤官九郎も、年下だけど、尊敬するひとり。みうらじゅん氏も、うらやましい存在。エロでも、美女が寄ってくるという、不思議なキャラの人たち。
「ザテレビジョン」の「ボイスボックス」不採用。

2004年9月19日 (日)

キンモクセイ「二人のアカボシ」~2/23/2002・k201

 長年音楽を聞き続けていて、新曲なんかなくても、思い出の曲だけでも十分楽しんでいけると懐旧的な気分になっていた昨今、そこに突然、降ったようにキンモクセイの「二人のアカボシ」が流れて来た。

 軽やかなリズムと、中年男ですら時空を超えて、その風景にとけ込んでしまう素敵な歌詞、正直言って負けました。こんな曲を作りたかったな。

 そういえば、ちょっと前だと、ピクミンのCMを初めてテレビで見たとき。ずっと前だとスピッツの「ロビンソン」、山崎まさよしの「ワン・モア・タイム」、私は不覚にもフリーズしてしまったのだった。

 ピチカート・ファイブの「メッセージ・ソング」を、たまたまNHK「みんなのうた」で聞いたときもそうだ、そうだった。
 最初からそこにあったというわけではないだろうが、そこで運命的に出合うためにこれまで生きてきたって感じがする。

Then and Now : 熊本日日新聞「私にも言わせて」不採用。最近感心したのは、ケツメイシの「君にBUMP」。かっこいい。きょうは、買い物に行ったスーパーの有線で、ちょっと気をそそられる曲が流れていた。でも歌詞も聞きとれないし、タイトルもわからない。縁があれば、またどこかで出合うこともあるだろう。

「ロング・ラブレター~漂流教室」~2/3/2002・k200

「ロング・ラブレター~漂流教室」を見て、多分おおくの人が、映画『バトル・ロワイヤル』を思い出したんではないかと思う。
 でもおそらくそれは、逆に『漂流教室』という漫画が、『バトル・ロワイヤル』の原作に影響を与えて、それがあの映画につながったのだろう。
 ともかく、山口雅俊Pのインタビューを読んで、いよいよ目が離せなくなりました。

Then and Now : 雑誌「ザテレビジョン」の「ボイスボックス」不採用。誰が主演していたかも覚えていません。テレビドラマって可哀想な存在。私の記憶力の問題か。

2004年9月18日 (土)

「イムジン河、水清く」~3/2/2002・k199

 フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が、34年ぶりに発売されるという。歴史的な意味合いのある出来事だが、私にはまた別の記憶が蘇った。

 3年前、小学校のPTAの広報委員をやっていたとき、障害を持った子どもさんたちの活動を記事に取り上げようとしたときのことである。あとで考えれば、理解を深める上で意義のあることだと勢い込んで、配慮が足りなかったところもあったのだが、その親御さんから意見があったため、文章を差しかえ、了解を頂いたあと印刷し、全校に配布する直前、今度は全面的に撤回を申し入れられた。

 そこで、もう一度話し合いを持ち、お互いに納得の行く形で発行することも考えたのだが、1学期の終業式というタイムリミットがあり、委員長であった私は、そのページを外すという決断で、解決を図った。

 そのとき思い出したのが、フォーク・クルセダーズの3人の記者会見のことであった。良かれと思って作ったものが、諸般の事情で発表できなくなったときの無力感を私はそのとき知った。

 私にとっては、その2週間前に亡くなった弟のことを思い、生きている今を大切にしたいという内容で書いた文章が、同時に消えざるを得なかったことの方が、本当はもっとつらかったのだったが。

Then and Now : そんなこともあったな。弟も今年の七月、7回忌だった。10ヶ月間入院して、息を引き取った病院も、やがて建て変わるはずだ。広報委員のときのことは、あちこちで広報しているので、以前にもこのページに掲載したことがあった。
熊本日日新聞「おとこの目」不採用。

2004年9月15日 (水)

「週刊クンタキンヤ」~3/2/2002・k198

◆物持ちのよさ Ⅰ

 いつものようにヘアブラシで、髪をセットしていて、このブラシは高校生のときに買ったんじゃなかったかなと、ふと思った。
 大学生の頃、肩まで伸ばした髪をとかしたブラシも、持ち主と同じように毛が薄くなってしまったが。
 良く言えば、物持ちがいいってことだが、言い方を変えれば、「想い出がおおすぎて」捨てきれないというだけのことでした。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。さらに、そのブラシを買ったのは、大津町の「紅屋」ではなかったか。資生堂ショップであり、中学3年のとき憧れていた女子高生が、卒業後勤めた店でもあった。
資生堂のポスターは、当時の商業デザインの最先端で、常に新しかった。日本の文化も、欧米追随と言われながらも独自性を充分発揮していたように思える。一つひとつを鮮明に覚えているわけではないけど、私たちの世代の血肉となったデザイン、一つの重要なカラーだ。

2004年9月13日 (月)

「週刊クンタキンヤ」~3/9/2002・k197

◆物持ちのよさ Ⅱ
 
 弁当箱を包むバンダナを妻に買ってもらったのは、結婚間もない頃だったと思う。
 かれこれ、15年も使い続けて、あちこち薄くなり、洗濯のたびごとにアイロンをかけてくれる妻もかけにくくなったと言っていたので、処分しようと思った。
 で、最後はお皿か、フライパンの油拭きにでも使おうかと考えていたが、ふと、子どもたちより長く、苦難を共に生きてきたバンダナを、ソルトレークの星条旗のように奉ろうかと、再考中だ。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。ソルトレークの星条旗の意味するところが、何だったのか。ちょっと浅はかな喩えでした。

2004年9月11日 (土)

日本アカデミー賞の授賞式~3/9/2002・k196

 日本アカデミー賞の授賞式を見た。
小泉今日子を見たかったからだ。
 でもあの弛みきった演出は何だろう。『GO』が賞を独占するのは当然かもしれないが、『GO』の持つパワーをTV制作者は何にも理解してないんじゃないか。

 卒業式後の謝恩会だって、もう少しキレのある進行をすると思う。
 映画の話題に乗っかるだけのTVプログラム。TVって所詮そんなメディアだったんでしょうか。

 柴咲コウが、『ムーラン・ルージュ』風のファッションで出ていたのを見たあと、すぐに消した。あの場違いさが、面白いといえば、そうなんだけど。

Then and Now : 雑誌「ザテレビジョン」の「ボイスボックス」不採用。大学は、5年かかって卒業した。で、最初の4年の卒業式、謝恩会は当然出ていない。翌年、無事に卒業出来たが、卒業式には出なかった。仕事が忙しかったのだと思う。友達もいないし。だから、謝恩会の演出なんて知らないんだけど、だから比喩として成立しているんです。

免許更新についての提案~2/23/2002・k195

 先日、新しい免許センターに免許更新に行って来ました。日曜日だったせいか、あの広い駐車場が満杯になるほどの人出でした。そこで順番を待っているときに考えたことを書こうと思います。

 まず、平日に休みを取って免許更新に気楽に行けるような雰囲気づくりを企業に呼びかけるというのはいかがでしょう。優良講習の場合、5年に一度です。ゆったりとした気分で、交通安全やマナーについて、じっくりと考える一日に出来れば、より効果的な制度になるのではないでしょうか。

 もうひとつ、安全協会についてです。年に500円の会費で、その使途はチラシに簡単に書いてありましたが、入会者に前年度の決算報告ぐらいは渡すべきではないでしょうか。加入は任意ですが、もっと有効な活動はないかと常に検討を続けるべきだと思います。少なくともゴールドのビニル製免許証入れよりも大事なものがあると私には思えます。

 また、経験豊富な講師の具体的でわかりやすい話を聞きながら、これは免許取得者以外の人にもテレビなどを通じて知ってもらいたい、事故ゼロ実現への情報公開だと確信しました。

Then and Now : 平成14年3月5日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。安全協会について、鋭い批判を書きたかったのだが、あまり角を立てても、軽微な違反で仕返しをされかねないという危惧から、穏便な文章になりました。ルールを守るということが、「モラル」以上の意義を示せるか。まだ答えは出ません。

2004年9月 8日 (水)

青髭~2/23/2002・k194

 中1の長男の鼻の下にうっすらと黒いヒゲが伸びてきた。初めてヒゲをそるというのは勇気がいる。今思えば大したことではないのだが、友だちに冷やかされはしないかと、私も結構気にしたものだった。
 
 そこで息子に「ヒゲを剃れ」と言い続けていたら、先日そり方を教えてくれと言うので、私のやり方を伝授したつもりだったが、映画『リーサル・ウェポン4』のダニー・グローバー親父みたいにうまく行かず、ただの床屋のオヤジであった。

Then and Now : ヒゲに関しては、私が、自意識過剰だっただけかも。ヒゲを剃るということについては、他にも書いているので、今日のところは、これだけ。熊本日日新聞「ブランコ」不採用。

2004年9月 7日 (火)

愛称「と・も」~2/15/2002・k193

■命名の理由
 砥用の「とも」と「友だち」「共に」の「とも」に通じる言葉として「と・も」にしました。
 また、「最も」の「とも」でもあり、「何はなくとも」の「とも」でもあります。

Then and Now : 熊本県砥用町(ともちまち)の交流センターの愛称募集に応募したものだったと思う。愛称募集も随分挑戦したが、見事連敗。センスがないんだろうな、選ぶ方に。
 あまり先鋭的ではいけない。「ちょいダサ」がいいのだと、どこかで読んだ。ま、この「ダサ」という感覚が、もうすでに「ちょいダサ」になっているという「ループ」状態。言葉というもの、ほんとうにどうやって生まれたものか、最初からそこにあったとしか思えないときもあります。

2004年9月 5日 (日)

『バリアフリーが街を変える』~5/29/2001・k192

「失われた10年」と言われることもある90年代。その呼び方が、自らは何も行動しなかった(もちろん頭も使わなかった)人たちの弁解に過ぎないことが、バリアフリーデザイン研究会の活動の集大成である、この本を読むとよくわかります。

 10年、着実に歩み、そのひとつの成果として超低床電車の早期導入にも影響を与えることが出来たのは、基本的に正しいこと、大切なことは何なのかを抑えるという「研究」の姿勢が常にあったからでしょう。

 今や、バリアフリーという言葉は、特別な説明がなくても通じるような世の中になりましたが、一律にこうすれば良いという便利なマニュアルはないようです。この本はボランティア活動についての考え方や、方向性の与え方の手引になることでしょう。

 また、情報は発信する人のもとへ、よく集まると言われますが、これもまた真実であることが、実例として書かれています。

      『バリアフリーが街を変える』
        バリアフリーデザイン研究会編
           学芸出版社 1800円

Then and Now : 平成13年6月3日付熊本日日新聞「私の3つ星」掲載。私もその会員である、通称「バリ研」の本について、これだけ持ち上げて書くというのは、アンフェアじゃないかとも思ったが、バリ研に印税収入をもたらして、活動の一助になればと願ったのでした。大体、熊日が本体の書評で取り上げてくれなかったから、私の出番だと思ったわけです。

2004年9月 4日 (土)

「週刊クンタキンヤ」~7/15/2001・k191

 ある日、二男のリョウが私に聞いた。
「お父さん、10さいのとき、何になりたかった?」
「マンガ家」
「20さいのときは?」
「ウーン、作曲家かな」
「じゃ、30さいのときは?」
「30さいのときは...
   リョウのお父さんになりたかった」
 ちなみに私、30歳で結婚して、リョウが生まれたのは、35のときです。彼は9月で10歳になります。

Then and Now : 「くまにち・すぱいす」不採用。遼も中学生になって、今月2日で13歳になった。今、そばで朝刊を読んでいるが、ロシア学校占拠事件について、論評を加えている。大国のエゴで犠牲になる子どもたちは、チェチェンにはもっと多いはずだと。私は息子のことを「アドルフ」とか「少年ヒトラー」とかふざけて呼ぶこともあるが、彼にとっては、ひとりひとりの命の重さより、大義の方が大事らしい。冷酷な子どもではないんだけどね。

2004年9月 2日 (木)

ガンバッテ・クダサイ~5/15/2001・k190

 大腸の内視鏡検査を受けたが、特に異常がなかったので、人生ちょっとバラ色って気分で、学校帰りの3人連れの小学1年生に「学校楽しいか」と声をかけてしまった。「うん」と返事してくれたので「車には気をつけなんよ」と言って、駐車場の方に曲がろうとした私の背中に「ガンバッテ・クダサイ」と声がする。振り向くと、さっきの子たち。意味なんてないんだろうけど、何か元気をもらった気がした。

Then and Now : 平成13年5月28日付熊本日日新聞「おしゃべり茶論」掲載。この投稿が掲載された直後に、大阪の池田小事件が起きた。あの事件前に、あの小学生たちと言葉を交わせたことは、人生の宝だ。事件後だったら、小学生に声をかけることは当然ためらわれただろうし、彼らは私に近寄ることもなかったかもしれない。ここでは、今年の「負の流行語大賞」次点間違いなしの「人生いろいろ」という言い回しを使わせていただくことにしよう。

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »