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読みたい本だな

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2004年7月の26件の記事

2004年7月31日 (土)

一般の部A「親として、地域の一員として、先輩として」 題「学校は好きですか」①~?/?/2000・k155

 私の祖父が、小学校に上がる前(おそらく100年と少し前)のことである。自分の兄が学校で勉強しているのがうらやましくて、毎日窓の外から授業をのぞいていたら、ある日先生が「そんなに勉強したいなら、お前も中に入れ」と教室に入れてもらったという話を幼いときに聞かされて育ったせいか、私は「学校」が好きだった。学校で「勉強する」ことも好きだった。

 私には現在、小学6年生と3年生の二人の息子がいる。「学校は好きか」とたずねたことが、何度かある。返事は「好き」だった。それ以上でも以下でもない。どこが、かを詳しく聞きたいのが親心なんだが、そんな質問にはあまり取り合ってくれない。

 40歳を過ぎて、学校に通っていた頃が特別なつかしくなったわけでもないが、当時の先生方の消息を聞くと、とても会いたくなって来て、訪ねてみた。先生の記憶に残っていただけで出かけた甲斐があったというものだ。

 自分が生徒だったときには、先生方は教師であり人生の先輩だった。今もそれは変わりなく感じられる。しかし、私自身、父親になったということの意味は大きく、先生との距離は幾分近づいたような気がする。

 私は教師という職業を選ばなかったけれど、「子育て」においては現役である。だから昔の話より、今の話をする方がうまく喋れる。昔の未完成品だった自分の、背伸びしていた頃のことなど、正直言ってあまり触れたくない気持も少しはある。

 ここから、小学校のPTAで広報委員をやった話。そう言えば、私も小学生のとき作文とか日記とか、好きだったわけではない。提出に迫られて、母の指導のもと、嫌々ながら書いた読書感想文が入賞したり、作文が学校の文集にのったりしたくらいだ。

 たとえば『猫とオルガン』なんていう本は、ちゃんと読んだ記憶すらないんだが、おそらく母と対話しながら私が書き取るという方法で仕上げられたんだと思う。大水が出て、池の金魚が逃げ出した事件は、はっきり覚えている。しかし、これも私の切れぎれの言葉を母がまとめてくれて、それを清書したものだった。縁側で寝っころがって書いたような気がする。  【②に続く】

一般の部A「親として、地域の一員として、先輩として」 題「学校は好きですか」②~?/?/2000・k154

 そういう幼時の思い出と多少関係があるかもしれないが、長男が1年生になって、しばらく交換日記をつけたことがある。身体があまり丈夫でなかった私と違って、息子は外遊びが好きでしようがないタイプなので、文章に綴ることが面倒になり(夜は疲れて早く寝てしまう)、私の仕事が忙しかったこともあって、これは自然消滅してしまった。

 彼が私と同じように物を書くのが苦痛でなくなるかどうか。あの日記のせいで嫌いになったかも。親の思いは熱すぎても伝導率まで変えられるものではない。

 そこで、PTA役員の中でも最も敬遠されると言われる広報委員に自ら進んでなった話。
 祖母が口ぐせのように言っていた言葉がある。
「義を見てせざるは勇なきなり」
役員決めのとき、いつまでたっても決まりそうもなかったから手をあげた。大学生のときミニコミ紙を作っていたから、そういうふうにできれば楽しいかも。

 結局、2年間広報委員を務め、2年目は委員長になった。新聞社主催のPTA新聞コンクルールで入賞するという目標を掲げたことと、どうしても組んでみたい特集が何本かあったからだ。今思い返しても、ひとりで突っ走った部分も多く、配慮が足りず編集し直し、刷り直した号もあった。あの情熱は、ただの「目立ちたがり屋」に過ぎなかったのかもしれないと思う。

 ともかく「教科書を読もう」という特集をやれたことはよかった。委員それぞれで学年と科目を分けて、いくつかのアプローチをした。でも実を言うと、自分では教科書をちゃんとは読まなかった。方針を決めたときには、もう次のことを考え始めていたからだ。

 結局実現しなかった「きみの友達」という企画は、学校に通っていた頃の友人のことを思い返して、自分の息子らにとって「友だち」ってどんな感じなんだろう、どこが違うんだろう、変わらないことって何だろうと考えたことがきっかけだった。 【③に続く】

一般の部A「親として、地域の一員として、先輩として」 題「学校は好きですか」③~?/?/2000・k153

 編集会議で、じっくり掘り下げてなんて言ってる内に、2年目が終わってしまったのだが、私以外の委員はひとりを除いて全員女性。「友だち」というテーマを選ぶということ自体が、私が個人的にセンティメンタルなのか、ジェンダーによるものみたいな気がしないでもない。

 それでもコンクールで優秀賞をもらってしまったので、目標達成である。ただし、私の意地みたいなものにつき合わせてしまった他の委員の方々にとっては、長い一年だったかもしれないと申し訳なく思う。

 そして今年は、地域の子ども会の育成会会長をやっている。6年生の子をもつ親がその年の役員をやることになっているが、やってみるかなと漠然と考えていたら、ちゃんと声もかかった。だが私は本当はトップで引っぱっていくのが得意な方ではなく、だいたい優柔不断で結論をぎりぎりまで持ち越して、土壇場でエイッと決めるということの繰り返しで世渡りをしてきた、まさにひらめきの人である。

 だから、うまく行くときはいいが、思い通りに行かないことも結構多い。そして落ち込む。「男たちよ学校へ行こう」と個別の事情も顧みず、呼びかけたこともあった。だいたい私が、子どもの教育に関わらなくちゃいけないと思ったのは、自分の子どものせいで私自身の人生を台無しのされたくないという、自分勝手な思いが発端だったのだ。

 それがここまで我を忘れかけて、尽力できるようになったのも、子育てしつつ、自分も育てられてきたということなのかもしれない。

Then and Now : タイトルにあるテーマで公募されたのだが、主催は忘れました。メモもつけていない、ざっとした性格です。当然、選外。相変わらず、ひとりで世の中を背負って立つみたいな、偉そうな物言いでした。今だったら、とても書こうとは思いません。謙虚になったということでしょうか。
しかし、第三者的に読むと結構面白いです。

2004年7月30日 (金)

母と子と父の絆~7/6/2000・k152

 宇多田ヒカルの誕生日だというんで、FMで久しぶりに「Automatic」を聞いた。ちょっと媚びるような甘えた、すねたような歌い方を、わざとらしく感じていたものだったが、違う、これは10代の少女の切迫した思いが、ストレートに出ていただけなのだ。だから多くの若者がそれに共鳴し、共振したのではなかったか。母親の藤圭子とは違った形で、時代を映しとったのもおそらく、見た目ではわからない両親や自我との葛藤があったのだろう。

 コンサート・ツアーを始めたということで、マスコミに取り上げられることも多い彼女だが、彼女の孤独感やある種の諦観、またそれらを少しずつ克服しながら、健気に生きてきたことを私たちは、親の世代である私たちは密かに察してやろうと思う。

「Addicted to You」という曲は、依存症の歌と解釈できるので、それを乗り越えたかに見える彼女ら親子3人の絆は、「あんなに売れなきゃ」の同情を超えて、結構強いんじゃないかと思う。

Then and Now : 宇多田ヒカルが、デビューCDで新記録を樹立したとき、両親や家族について、いろんな憶測が飛び交ったのだったように記憶する。といっても、その内容は興味のないことだったので、記憶にない。騒がれてお気の毒、という部分を書いたものだが、こういう文章も彼女にとっては、余計なお世話というものだろう。
結婚したことで、内面的な成長(失礼かな)もあるだろうけど、今のところ私の研究対象外ですので、つけ加えて書くことはありません。

2004年7月25日 (日)

愛すべきいかがわしさ~ドラマ『合言葉は勇気』 9/15/2000・k151

 役所広司、品がなかったですね。興奮するとベランメエ調になったり、からだ全体がいい加減で出来ている役、見事でした。パロディは雑なようでいて細心の気配りがあってこそ、人前に出せるというものです。

 こんなドラマを作れたのは、今のTV業界にあって「勇気」の産廃、いや産物、「良心の呵責」というものでしょうか。

 共感というのは被害者意識からしか生まれないとも言われますが、敵役側にも同じ村出身者がいて、社会的な立場と、自分を育ててくれたふるさとに対する愛着や誇りみたいなものが、善悪の境目を行ったり来たりするという複雑さ、それが何と軽やかに描かれていたことでしょう。

 三谷幸喜氏の作り出すキャラクターの魅力は、「愛すべきいかがわしさ」にあります。分別ごみ論争もちゃんと仕掛になっているうまさ。
 また、このドラマに触発された村長さんも現実にいるそうで、本当に面白くてためになりました。

Then and Now : 熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」不採用。これでは、どんなドラマだったのか、まったくわかりませんよね。私もテキスト文書に直しながら、やっと少し思い出しました。産廃処理業者が、山あいののどかな村に工場を作ることになり、それに反対する住民が、著名な弁護士(役所広司)を雇って...という話だったような。
「共感とは被害者意識からしか生まれない」は、大阪の読売新聞の記者だった私の伯父が言った言葉。私が中学生のときだったと思う。正月特別号のテーマが「共感の時代」というのになったが、共感ということについて、よくよく考えてみると日本では...という話を聞かせてくれて、これはずっと心に残ったひとことでした。
「このドラマに触発された村長さん」は、少し大袈裟な表現です。

2004年7月24日 (土)

「週刊クンタキンヤ」~8/10/2000・k150

 昨日の朝、いつものように通勤途上、県営団地の前で若い女の子2人づれが、親指を立て、日に焼けた腕をつき出しているのを見つけた。

 一瞬何だかわからなかったのだが、それはヒッチハイクの合図だったようだ。通りすぎてブレーキを踏みかけ「あ、でもただのスケベ・オヤジと思われるのもイヤだし」とそのまま過ぎ去る、ほんの2~3秒の間に、私の鈍色(にびいろ)の脳細胞をいくつかの選択肢が、パルスとなって跳びかい、見た目より性格良さそうだったりして、などと、ちょっと残念だったり、心拍数が上がる思いをしたのだった。

 でも県営団地の前で、ヒッチハイクなんて、ホント思いも寄らないですよね。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」平成12年8月26日号掲載。最後にくっつく編集長のM氏のコメントが、うまくはまると、面白かった。これについては、そこを切り抜いてなかったので、不明。当時、私の投稿がよく採用されたのは、M氏とハガキを通じて意気投合する部分が多かったからだろう。
 それが、少しずつずれてくるのは、やはり時間の経過というものなのだ。私が面白いと思ったことも、「すぱいす」には合わなくなってくる。そういう時期は何処にも訪れる。

きれいに走る~10?/?/2000・k149

 中嶋悟さんのドライビング講座の中に「きれいに走る」という表現を見つけて、これなんだと得心しました。

 何につけても「マナー」「ルール」「モラル」とはよく言われることです。どれも当たっているけど、ピッタリ来ない言い回しでしたが、「きれいに走る」はそのすべてを含んでいる気がします。

 それにしても免許というのは、交通規則を守ることを約束した上で与えられているのに、何でみんなその規則を軽視するんでしょう。

Then and Now : 日本道路公団のPR誌「Altery」2001年1月号、読者からの便り欄に掲載。免許云々は字数の都合か、カットしてありました。中島悟さんは、元F1レーサー。毎回、ちょっとしたテクニック、ドライバーの心得などを題材に連載しておられました。「きれいに走る」、いい言葉ですね。ただ、「きれい」という概念が、通じない人たちも多いように思われます。
 共通認識を持つことのむずかしさ。私の方が、潔癖すぎるのかもしれませんが。

2004年7月21日 (水)

『川原亜矢子のデジカメ日誌』愛読者カード~11/23/2000・k148

■この本についての(または著者への)ご感想、ご意見をお聞かせください。
 一年以上前に買っていた。で、このハガキを出そうとずーっと思っていて埋もれていた。
 ずーっと前、TV「ファッション通信」(だったかな)で、パリ暮らしの川原さんのドキュメントを見て以来のファンです。今度のドラマの秘書役もすごく、かっこいい。
 本の感想がなくてごめんなさい。

Then and Now : こんなもんもコピーしていた。私は、小学生から中学生にかけて、マンガを描いていたので、それを何とか本にしたかった。当時、ガリ版刷りの同人誌もあったと聞くが、ゼロックスすなわち電子コピーは、憧れの的であった。いまでも、コンビニ=コピーが使える場所としての、聖地である。
川原亜矢子さん、最近マツダの新型車のCMに出ているが、あまりかっこよくない。

映画『ちんちろまい』Version Ⅲ~10/4/2000・k147

 いい詞、いい曲なんだけど、サウンドにちょっと色気がないなと感じてた。『ロッキー・ホラー・ショー』なんて、しょぼさの極致のガレージ・バンドみたいな音なのに、もうあれ以外に考えられないもんね。

 ところが、クレジットで音楽=加藤和彦というのを見て、私の評価はぐんと上がった。博多モンの映画に加藤和彦をかつぎ出すセンスと度量を私は買いたい。

 思えば海援隊は、「節子への手紙」という曲で、恐れ多くもサディスティック・ミカ・バンドをバックに使ったという、あまり知られていないが、すごい経歴を持っている。

 武田鉄矢の県庁職員という当り前すぎるキャスティングも、ハリソン・フォードがCIA職員をやるぐらい必然性があるところが、邦画にしては珍しいリアリティーだと思う。

 後藤理沙は、歯並びのせいか、今どきの喋り方のせいか、可愛いには可愛いが、セリフがよく聞きとれなくて、この映画の大きな欠点になった。

Then and Now : 多分これは、熊本日日新聞「私にも言わせて」に送った別ヴァージョンだったと思う。改めて、この映画に惚れ込んだ自分が懐かしい。1回しか見てなくても、一期一会。フォーク・クルセイダーズの北山修さんは、現在九州大学の医学部教授。加藤和彦さんの起用は、そういう縁もあったかもしれないと思っている。フォークルについては、ちょっと誰にも負けない文章が、いつか書けると思っています。その筋が好きな人は、期待してください。

2004年7月19日 (月)

アイドリング・ストップへの険しい道~8/11/2000・k146

 毎日暑い日が続いていますが、そんなある日私は、用事で県庁の北駐車場に車を止め、降りようとして、あまりの騒音にわが耳を疑いました。何のことはない、お昼どきだったので、この屋内駐車場でエアコンをかけっ放しで、つまりエンジンを切らずに休憩している車が、1台や2台ではなかったということです。

 排ガスに含まれる窒素酸化物のせいで嫌われもののディーゼル車。これは騒音の方でもワーストでしょう。以前私は「知事への直行便」という投書で、この件について申し上げたことがあったのですが、ほとんど顧みられませんでした。わずかに出口附近に「アイドリング・ストップ」という標識が置かれたことぐらいでしょうか。

 猛暑の中、仕事で走りまわり頭ももうろうとするとき、この短い休憩を取らなかったばっかりに、過労で交通事故を引き起こすこともあるかもしれません。しかし、それでは地球温暖化のために、二酸化炭素の排出量を減らしたり、われわれの経済活動による大気汚染をいかに小さく抑えるかという大問題に対して、私たち県民一人ひとりにまず出来ることには、いったい何があるのでしょうか。

Then and Now : 当時、私は偏執的にアイドリング・ストップにこだわっていた。しかし最近、あまりの暑さに、エンジンを止めないで停車していることがある。こんな文章を書いたことを忘れてはいないのだが、やはり人間、楽を選んでしまうということでした。あ、過去形ではいけませんね。
熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。

広報委員長を終えるにあたって①~?/?/1999?・k145

 PTAはボランティア活動の一つである。ということを小学校の役員の集まりで言ったことがある。そのときは、そのことについて、反応がほとんどなかったのだが、そのPTA活動の中で最も敬遠されると言われる広報委員をつとめて2年。2年目の今年は委員長だったので、責任がちょっと重たくもあったが、何とか無事に終わろうとしている。確かに広報紙を継続的に発行することはたいへんなことなのだが、経験された方は少なくとも苦労以上の楽しさを得られたことと思う。充実感はどんなボランティアにもつきものの得がたい感動である。

 ところで、私の参加した広報委員会もほとんどが女性であって、これはPTA役員、委員全般に言えることだと思うが、男女共同参画社会が唱えられる現在においても、ここでは女性優位(あくまで人数の上でという意味)の世界であると思う。

 では何故、女性が多いのかというと、私の小学校時代もそうであったが、少なくとも勤め人の男親は外で働いて、家庭のこと学校のことは母親にまかせっぱなしでよいという風潮が、PTA誕生のころからあるからだと思われる。ただ会長をはじめ、要職は昼間比較的に時間が自由になる、開業医、商店主、農業者などであったような気がする。それは共働きがごく普通になった今もあまり変わらないのではないか。もちろんこれは、私の経験と、私の現在の身の回りの狭い範囲でのことを参考にしての意見だが。     <②へ続く>

広報委員長を終えるにあたって②~?/?/1999?・k144

 ともかく、そうやってPTA活動に携わった多くの女性が、世の中の動きについて考えるようになり、社会性に目覚めたがために、時代状況が少しずつ変わってきたという一面もあるのではないか。そしてそれは、ごく自然なことである。

 俗に、実社会での主たる働き手である父親は視野が広いので、PTA活動に積極的に参加してもらえれば、母親中心の運営に深みが出るというようなことが、よく言われるのだが、女性ばかりの集団に入り込むには、男性としてちょっとした勇気がいるのは事実である。そしてまた、どうぞどうぞと言いながらも、そこにはどこか排他的な雰囲気があるのを男性の方でも、動物的感覚で嗅ぎとっているのかもしれない。

 言い方を変えれば、社会で男性優位で活動することの楽しさを味わっているがゆえに、女性に進出されてその旨みを知られることを、男性側が潜在的に恐れていたがために、なかなか男女共同参画社会になれなかったという歴史の裏返しであるということか。

 いずれの場合もそんな甘いことばかりがあるわけないのだが、苦労も背負って初めて人は、オトナと呼ばれるようになるのだから、PTA活動に限らず、自治会の活動でも、その他のボランティア活動でもかじってみるところにこそ意味があるのだ。   <③へ続く>

広報委員長を終えるにあたって③~?/?/1999?・k143

 たとえば、そこに柿の実があるとする。残念ながら甘柿か渋柿かを、外観から見分ける知識はない。それでちょっとかじってみる。そしたらこの柿、正真正銘の渋柿であった。そのときその実を捨てることも一つの選択。待てよ、時間はかかるが、つるし柿にしてみようという、もう一つの選択。後者は、甘柿を食べるというのとまた一味違った喜びを、人生において得ることができるということだ。

 売ってある干し柿を買うというのもまた一つの選択には違いないが、結果だけを求めることで、どれだけ多くの子どもたちが疎外されてきたのかを思うと、PTA活動というボランティアの重みというものが、おのずとおわかり頂けるだろう。

 とはいえ、委員選びのときにいつも最後まで決まらないと言われる広報委員。やってみてもいいけど、自分から手をあげるのはどうも―――という人もいるとは思うが、文章書いたりするのが苦手だからという理由がまかり通るとしたら、われわれの受けた、少なくとも義務教育は大筋で間違っていたということの証明でしょう。 

Then and Now : これは、何のために、誰のために書かれた文章だったか、忘れてしまった。幸福なことである。こんなスノビッシュな文章を読まされて、誰がPTA活動に参加したり、広報委員になろうなんて思うだろうか。当時は、自分の使命感に燃えていたので気づかなかったことも多い。
 いま思うと、人生にはそういう時期もあるのだ、ということで苦笑いして許せることでもあるが。
 合志南小学校は、この年、熊日PTA新聞コンクールで優秀賞をもらった。個人的には、これを最後にPTAの目立った活動から身を引く。

2004年7月17日 (土)

私の映画Srory『タイタニック』~6/11/1999・k142

在るところに映画好きの女と男がいた。

女『ローマの休日』に憧れる。髪もバッサリ、ヘプバーン・カットに。かと思うと『プリティ・ウーマン』にハマる。私の運命の男(ひと)は、どこにいるの?

男『燃えよドラゴン』に憑かれ、ヌンチャクに入れ込む。仕事につぶされそうになるも『ダイハード』に触発され、トレーニングに励む
―――こんな二人が豪華客船に乗り合わせた!

デッキを歩く男を見た瞬間「彼こそ私の理想のひと!!」と確信する女。その船が沈没する運命とも知らず。

しかし男は彼女に気づくことはなく「ローズ、ローズ!」と叫びながら、最後はジャックになりきって、海の藻屑と消えたのだった。

そして残された女は、ボートの上でしみじみと手鏡に見入り、深いため息をついた。

Then and Now : そこで、守田さんのアイデアに最大限譲歩して、書き直したものがこれです。こちらの方がわかりにくいような気もするんですが、確かこれで掲載。このときの筆名ナルホド・ディカフリ男。よくわかりませんが。

映画『失楽園』~6/6/1999・k141

女「6歳。入学式の桜の花を覚えている」
男「22歳。『明日に向って撃て』に共感した」
女「12歳。キティちゃんがデビュー」
男「28歳。『スターウォーズ』に驚嘆する」
女「17歳。『E.T』を見て泣いた」
男「34歳。長女と『ドラえもん』を見に行く」
女「25歳。『リーサル・ウェポン』メル・ギブソンに夢中」
男「40歳。『ダイ・ハード』仕事に追われて」
女「35歳。『タイタニック』あなたに出会い」
男「救命ボートにぼくらの席はない」

Then and Now : フリーペーパー「シネマ・レビュー」のために書いたもの。不採用。『失楽園』の最後のシークエンス、主人公ふたりで、交互に語るところがすごく良かったので、あれで行きたかったのだが、一般受けしないだろうという守田さんの判断。筆名フリン・ストーンです。

2004年7月15日 (木)

映画『ゴジラ2000』~2/?/2000・k140

 ゴジラは完成されたキャラクターである。喋らないし、性格にも深みがないから、シリーズ化は本来むずかしいはずだ。それが、これまで続けて来れたのは、敵役に毎回強力な怪獣を仕立ててきたからだろう。

 しかし、ただそれだけではもうダメだということが『ゴジラ2000』を見て、つくづく思い知らされた。特撮はかなりよく出来ていて、見ごたえはあるし、ゴジラ・ウォッチャーというのも映画『ツイスター』の竜巻を追いかける科学者みたいで、面白い設定なのに、それらが全然生かされていない。やっぱり人間側のドラマがきっちり描かれていてほしい。

 ボンド映画がワン・パターンでありながらも見せ場を作れるのは、ボンドに頼りきらず、他の登場人物が(ボンド・ガールに限らず)魅力的だからだと思う。

Then and Now : 熊本日日新聞「私にも言わせて」不採用。そういえば、ゴジラ・ウォッチャーって、よかったよね。真似っこにしても。と、それを思い出しただけ。

2004年7月14日 (水)

NHKドラマ館「玩具の神様」~3/6/2000・k139

 NHKドラマ館「玩具の神様」は、映画『フェイス/オフ』の、キャラクターの逆転みたいな配役が面白かった。

 ニタニ役の中井貴一が、本物の二谷の書くドラマを見終わって、次の回の脚本を書いてみるというのが、とても印象に残った。ドラマニアの妻にやってみたらと言ったところ、「毎日毎日書かないといかんけん、忙しくてしょーがない」と返された。

 私の思いつきでは、週に一本というところだったのだが、彼女のドラマ好きからすれば、確かに納得。もちろん、私もつきあって、一緒に見てるんですが。

Then and Now : 雑誌「ザテレビジョン」の「ボイス・ボックス」。不採用。わずか4年前のことだが、当時、本当によくTVドラマを見ていた。面白いドラマが多かったのかもしれないし、そういう年頃だったのかもしれない。子どもも今より幼くて、早く寝かしつけていたことだし。
ネットやウェブとも縁がなかった。もう戻れない頃の、戻れない生活って感じかな。

夢の旅~8/16/2000・k138

高校の同級生とジャマイカのスタジオに、レゲエを録音しに行く。
ドラム・金田、ベース・斉藤、ギター・中村、そして私がヴォーカルである。
低予算の旅なので、浜辺でラジカセ(!)で、録ることになるかも。
楽器も生ギターと口(クチ)パーカッションてなことになるかもなー。

Then and Now : 日本航空か、全日空か、航空会社の100万円分のチケットか何かが、貰えるという懸賞だったと思う。誰とどこに何をしに行くかという問いであった。少し、夏らしい受狙いだったが、いま読み返すと、ちょっと胸がキュンとなる話。

2004年7月12日 (月)

「私ならこう使う――夢の100万円読書計画」~4/21/2000・k137

小泉今日子さんか、本上まなみさんに本を朗読してもらいたい。
個人相手というわけにはいかないだろうから、聴衆は10人ぐらいかな。
こじんまりしたレストランか、温泉旅館みたいなところがいいと思う。
お二人とも、本好きみたいだから、本の話で盛り上がれたら最高だ。
で、それをまた本にして出版するというのはどうだろう。

Then and Now : 講談社α新書の懸賞で公募されたもの。見事落選。入賞作はどんなもんだったか知らないが、これは今でも結構グッドじゃないですか。落選、不採用にひるむな。これ、投稿・公募の鉄則。
本上まなみの『本の虫干し』、新潮文庫に入りました。

2004年7月11日 (日)

優香~8/28/2000・k136

 文章はともかく、と言ったら悪いですが、ノニータさんの撮る優香のフォト、毎回本当に美しいと思います。いや、感じます。
 私、44歳、小学生の息子が二人います。
 しかし、彼女の、自然なんだけど「君にそこにいてほしい」という気持にさせてくれる、圧倒的な存在感の前で、私は「恋のとりこ」となりそうです。

Then and Now : 雑誌「ザテレビジョン」の「ボイス・ボックス」の投稿。不採用。いま思うと、なんと大袈裟な、と感じるが、恋とはそういうもの。しかし、彼女も売れて、忙しすぎれば、しぼんで来る。いま、オンエア中のほっかほっか亭のCMは、そういうコンセプトとはいえ、無残である。ネクスト篇で、弾けてほしい。

もう一つの別の、映画『ちんちろまい』~10?/?/2000・k135

 映画『未知との遭遇』で、フランソワ・トリュフォー扮する科学者が、リチャード・ドレイファスに「君がうらやましいよ」と言うシーンがある。ドレイファスが選ばれて、宇宙船に乗り込むシーンだ。うらやましがることは、みっともないと思われているが、そうでもないんじゃないか。

 前置きが長くなりましたが、この映画。垢抜けない、気恥ずかしさも何のその、博多の売り込み映画をミュージカル仕立てでやろうと企画し、実現してしまった心意気に酔いしれる、まったく、うらやましいの一言。

 もっとお金が使えたら、ハリウッド映画にも迫るぐらいのアイデアに満ちあふれている。武田鉄矢の博多弁は、絶好調期のエディ・マーフィよりもはじけてるし、千葉真一は寄る年波に勝てず、ちょっとキツイかなと思ったが、役どころとしてはすごい儲け役だ。

 好き嫌いはあるかもしれないが、これぞ「IT革命」だと私は断言します。

Then and Now : 熊本日日新聞「私にも言わせて」欄、不採用。梶尾真治さんの影響を受けた言い回しもある。「シネマレビュー」とあえて同じ映画で、別の文章というのを試してみました。

2004年7月 9日 (金)

交通マナーを高めよう~?/?/2000?

 以前、熊本のタクシーは、車体の後方部に「進路をゆずろう」というステッカーを貼っていた。丁度国民体育大会だったので、タクシー運転手のマナー・アップ作戦だったわけだ。そして今度は「交通マナーを高めよう」である。自動車学校の教習車であるところが少し違うが、主旨は似たようなものだ。

 本当に標語というのは美しい。反論の余地はあまりない。だが、自分の車の真ん前にタクシーが割り込んできて「進路をゆずろう」と貼ってあるのを見たら、怒りは倍になりませんか。

 気持はわかるが、交通マナー以前に、教習所では交通ルールをキチンと覚えさせてほしい。免許を取りさえすれば、あとはキップ切られなきゃ、何をやったっていいんだもん、と思い込むのは間違いだと教えてやってくれ。

 もっとあった。環境配慮の企業だと、あちこちでPRしている、さる飲料メーカーの「アイドリングストップ」と貼ったトラックや営業車が、エンジンを止めずに、しかも木陰で1時間も休憩しているのを見かけた。

Then and Now : 確か「週刊文春」だったと思うが、「立腹」というコーナーがあって、それに投稿したもの。当然不採用。怒りに任せて書いたもので、字数を合わせるために読みにくくなっていた。今回少しは読みやすく直した。話は違うが、話題性に乏しいコカ・コーラC2を飲んでみた。味は、オリジナルに限りなく違和感ないように研究してあるが、ひとことで言えば、コーラの発砲酒です。

2004年7月 8日 (木)

映画『キッド』~ブルースはお好き?  10/24/2000・k133

 ブルース・ウィリス。根は良いヤツなんだろう。もしくは、人に嫌われるのは役柄の上でも願い下げだというヤなヤツか。はたまた超過密スケジュールで真剣に役作りをする時間が十分に取れなかった、とか。最初から不向きだったが『アルマゲドン』と、セットで契約していたのかもしれないし、こんなおいしい役を、他人にさらわれたくなかったのかもしれない。

「クリスマス・キャロル」のスクルージじいさんを下敷きにしたような主人公を、いずれにしてもほとんど演技することなしに演じている。演出が凡庸だったのかな。

 でも子役の少年が、丸々と太っていて良かったと思う。憎ったらしさも程ほどにあって、この子を主人公として立てるために自分を平板なキャラクターにしたウィリス君は、やっぱり偉いのかも。

 リリィ・トムリン、老けちゃったけど、セクレタリー(秘書)役は最高!川原亜矢子も負けるな!!

Then and Now : わたくし、自慢できないけど、ウィリス君と同い年です。「こちらブルームーン探偵社」が好きだったんです。もちろん、にやけた皮肉屋のウィリス君の方じゃなく、シヴィル・シェパード嬢のファンだったのですが。『ラスト・ショー』や『タクシー・ドライバー』で人気のあった彼女。中野良子みたいに女を主張しすぎて、消えました。本人にとって、それでよかったのかも。
『キングコング』でデビューしたジェシカ・ラングは、顔立ち的には、同系等の人。

2004年7月 5日 (月)

映画『ちんちろまい』~10?/?/2000・k132

 いい歌詞、いい曲なんだけど、安っぽい音だなあ、やっぱり予算のせいかなと感じていたんだが、音楽担当が加藤和彦だということをクレジットで知り、私はすべてを許しました。

 よくぞ、こんな痛快だけど、まずヒットは望めないような映画を作ってくれました。景気低迷でサエない世の中といえど、博多にはまだ、ささやかだけどお金も人も勇気(というか、単にお調子者か)もあったようです。

 だいたい、映画で福岡県をアピールしようという発想が単純なら、それをIT革命(森首相より1年は早い)と、ミュージカルと、千葉真一に結びつけてしまう強引さには、奥ゆかしい熊本県民は拒否反応を示すでしょう。

 武田鉄矢の県庁職員という工夫のないキャスティングも、ハリスン・フォードがCIA局員をやるぐらいの必然性が感じられるところが、邦画には珍しいリアリティです。

 この映画は『オースティン・パワーズ』を博多湾に沈め去りました。それも「デラックス」ではなく、「スタンダード」によってだから、す・ご・い。
 食わず嫌いは、とんねるずにまかせて、君たちも見てみんしゃい。

Then and Now : 「シネマレビュー」2000年11月号掲載。「シネマレビュー」というのは、キネコムの守田さんが編集をやっていた、熊本の映画情報のフリーペーパー。光の森に東宝がシネコンを作ることになって、巻き添えを食った形であえなく廃刊しました。この文章、乗りにのってましたね、われながら。

2004年7月 4日 (日)

交通法規の存在意義~9/7/2000・k131

 人のいのちは地球より重いと考えておられるあなたは、車を運転するとき法定速度を守っていらっしゃいますか。

 車は短時間にここから、あそこへ移動するための乗り物です。そして事故は、車の駆動力を完全には制御できないから起きるのです。つまり、交通事故防止は車にとっての最大の武器であるスピードを、いかに人間の能力の支配下に置くことができるかにかかっていると言えるでしょう。

 シートベルトの着用が、万一のとき、相当な確立で死亡事故を回避することは統計的事実です。しかし、事故自体を起さないことが優先されるべきであることは当然です。

 お年寄や子どもたちは、自分で運転する機会が少ないから、加害者より被害者になりやすいだけです。ふいの跳びだしとか、素早く動けないという理由で、お年寄や子どもにだけ事故の責任を押しつけていいものでしょうか。

 また、車同士の関係も交通法規によって、円滑に働くようになっていたのではなかったでしょうか。いかに人を出し抜くかを車の運転で競い合うわれわれは、どんな良い車に乗ろうとも、お互いの品性の下劣さを自慢しているとしか思えない今日この頃です。

Then and Now : 平成12年9月14日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。こういう文章が載ると、熊日も捨てたものじゃないなと感激します。これでもかなり抽象化して、露骨な表現は避けているつもりです。そのために、肝心の部分がぼやけているのかもしれません。
おそらく、自動車メーカーの安全対策・技術革新が、運転者の危機回避能力を補完する方向にばかり行ってしまい、人間不在のメカになってしまうことに対して、ひとこと言いたかったのでしょう。

2004年7月 3日 (土)

教育としての運転マナー~6/6/2000・k130

 熊本の人は運転マナーが良くないという意見が「こちら編集局」によく出ます。私は県外で運転した経験があまりないので、比較はできませんが、おそらく悪い方だと思います。
 多くの人がそう感じているにもかかわらず、ちっとも向上しないのは、人の振り見てわが振り直す人が人が少ない、つまりそういう県民性だということです。

 また、小学生から大学生、はては生涯学習と、教育問題については話題に事欠かない毎日ですが、自動車学校もこの運転マナー問題に関しては、一翼を担っているものと思われます。

 教習所で学ぶ「ルールを守る」というお約束で与えられるのが「運転免許」であるということを、自信を持って教えるのも教習所の大切な役割であり、その中でいわゆる学校や家庭教育でおろそかにされてきたかもしれない、他者への思いやりとかあいさつを、復習の意味で、マナーとして指導してもらいたいものです。

 だいたい学校で習ったことは、世間に出たら何の役にも立たないなどということを、卒業していった者たちが、次からつぎに子どもに言い続けてきた結果がこれです。しかし、まあ、あきらめずわが振りから直して行きましょう。

Then and Now : しかし、マナーやルールといった考え方で、説明したり解決できないことがあるのではないかと、気づかされることでもあります。講談社選書メチエに、森真一著『自己コントロールの檻』という本があり、よくは憶えていないんですが、要するに、他者にきっちりとした規範を求めすぎると、その幻滅感から、ますます状況が悪く感じられてしまう。といった内容の文章がありました。
合志町図書館に多分今もあると思います。
当然、自分の行為で、気づかずに他人に不快感を与えているということも考えられるわけで、それを気にしすぎると身動き取れなくなるので、「気をつける」「過度に反応しない」くらいで暮らしていきましょう。広告をたくさん出している業界の責任について言及したせいか、熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。

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