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2004年7月 3日 (土)

教育としての運転マナー~6/6/2000・k130

 熊本の人は運転マナーが良くないという意見が「こちら編集局」によく出ます。私は県外で運転した経験があまりないので、比較はできませんが、おそらく悪い方だと思います。
 多くの人がそう感じているにもかかわらず、ちっとも向上しないのは、人の振り見てわが振り直す人が人が少ない、つまりそういう県民性だということです。

 また、小学生から大学生、はては生涯学習と、教育問題については話題に事欠かない毎日ですが、自動車学校もこの運転マナー問題に関しては、一翼を担っているものと思われます。

 教習所で学ぶ「ルールを守る」というお約束で与えられるのが「運転免許」であるということを、自信を持って教えるのも教習所の大切な役割であり、その中でいわゆる学校や家庭教育でおろそかにされてきたかもしれない、他者への思いやりとかあいさつを、復習の意味で、マナーとして指導してもらいたいものです。

 だいたい学校で習ったことは、世間に出たら何の役にも立たないなどということを、卒業していった者たちが、次からつぎに子どもに言い続けてきた結果がこれです。しかし、まあ、あきらめずわが振りから直して行きましょう。

Then and Now : しかし、マナーやルールといった考え方で、説明したり解決できないことがあるのではないかと、気づかされることでもあります。講談社選書メチエに、森真一著『自己コントロールの檻』という本があり、よくは憶えていないんですが、要するに、他者にきっちりとした規範を求めすぎると、その幻滅感から、ますます状況が悪く感じられてしまう。といった内容の文章がありました。
合志町図書館に多分今もあると思います。
当然、自分の行為で、気づかずに他人に不快感を与えているということも考えられるわけで、それを気にしすぎると身動き取れなくなるので、「気をつける」「過度に反応しない」くらいで暮らしていきましょう。広告をたくさん出している業界の責任について言及したせいか、熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。

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