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読みたい本だな

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2004年6月の26件の記事

2004年6月30日 (水)

「週刊クンタキンヤ」~4/20/2000・k129

 春のせいか、新学期だからか、自転車通学の高校生が増えたような気がする。2列3列は当り前。信号のある交差点では渡らず、その前後で道路を横断する、ルールは守らないことの方が、かっこいいと感じる年頃というものが確かにある。

 しかし、それはクルマを運転する側から言ってることであって、地球環境に対する悪影響度では、当然クルマを運転する方が立場は良くない。クルマのボディーを身にまとっているので、強くて偉いような気持になっているだけだ。

 ところで今度は夜のこと、部活帰りか、自転車の一団と遭遇してしまったのだが、何とライトを点けている生徒の数の多さにビックリした。全員ではなかったかもしれないが、中高生の自転車=無灯火という認識が頭の中に出来あがっていたせいだろう。
 生徒指導のたまものか。

Then and Now : 時間と共に古びてしまう文章がある。「くまにち・すぱいす」不採用。現状がどうかは別にして、2000年4月の時点では、確かに驚きだった。先入観で判断することの、危うさを気づかせてくれた出来事でもあったが、それは私の感じ方の問題だったのかもしれない。

2004年6月29日 (火)

「週刊クンタキンヤ」~5/20/2000・k128

 玄関先や庭先で、色とりどりの花が咲いているのが、よく見受けられるようになりました。季節のせいもあるでしょうが、ガーデニング・ブームが一役買っているのは間違いないことです。

 楽しませてもらって、心まで晴れやかになるし、長続きしてほしい流行です。いや、長続きしないのがブームですから、定着してほしいものです。

 ところで、わが家は、芝生です。庭の南側に家が並んでいるので、通りからは見えないのですが、目指すは「青い隣の芝生」となることです。

 完全無農薬なので、雑草取りのたいへんさは、ひとことでは言えません。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。芝生は、やっぱり適度な除草剤が必要なのではないでしょうか。毎年、春になると新顔の雑草がお目見えして、もうどちらが主役やらわかりません。今年は芝刈り機を買おうと、毎年願いながら、まだ実現していません。芝については、すでに興味を失っています。しかし、芝も雑草も伸びるからには、刈らなければならない。
 昭和天皇は、この世に雑草という名の植物はないとおっしゃったそうです。名言です。「世界に一つだけの花」よりずっといい。

2004年6月27日 (日)

「週刊クンタキンヤ」~5/15/2000・k127

 とある月曜日、上通を歩いていると、小学生が数人、お母さん方と、お店調べみたいなのをやっていた。
 お店のマップを作るのもいいけど、そこら辺に止めてあって、通行のジャマになる自転車、こんな所に止めていいのかなってことや、押して歩かなくちゃいけないアーケード内を自転車に乗ってるような人は、悪人であるというようなことを教えてやると、もっといいと思いました。

Then and Now : 平成12年6月10日付「すぱいす・ほっと」掲載。マナーとか、モラルとかについて、よく考えるが、エントロピーの増大と同じで、後戻りは効かないようだ。「読者のひろば」にも同様投書を送って掲載されたっけ。でもときどき思うんだけど、今自分が高校生くらいだったら、やっぱり同じようなもんかな、と。

映画『クッキー・フォーチュン』~?/?/2000?・k126

 ロバート・アルトマン監督は以前インタビューで「うまい物を食わせれば、スタッフもいい仕事をする」と語っていたが、確かにクレジットにシェフが5名ほど、調理担当者として名前を連ねる。また舞台がアメリカ南部ということもあって、食い物のネタも重要だ。たとえば、ナマズ(キャットフィッシュ)のシチューってどんな味なんだろう。

 で、お話はというと、全体的にこじんまりした雰囲気。劇中劇「サロメ」のせいか、どこかアカデミックですらある。しかし、リブ・タイラーが、はねっ返り娘の役で絡んでくるところがアルトマン・ワールド。

 キャリアも知名度もあるけど、独立プロという監督では、いわゆる大物女優は予算的に使えないのだろう、でも女性を生きいきと描くことにかけては超一流の腕前だ。まあ、今回のグレン・クロースに関しては演技派として、彼女自身張り切りすぎだって感じがしないでもなかったが。

Then and Now : 熊本日日新聞「私にも言わせて」不採用。アルトマンの映画だということで、張り切って書いたわりには、たいしたことがない。アルトマンの食に対するこだわりについて書きたいと思っていたので、そういう風に書き始めたものの、私自身が食べ物にあまりこだわらないので、それから先に進まない。しかし、自分がどうであれ、現場のケータリング・サービスは、その仕事を左右するほど重要だと思う。
 因みに、週刊文春の「文春図書館~今週の三冊」で、小泉今日子が、筒井ともみさんの『食べる女』について書いているが、小泉も「食べることにあまり関心がない。執着みたいなものもあまりない」とのこと。そして「スローフード、スローセックスですよね筒井さん。それならわかります!」と最大級の共感!!こんなレビューを小泉に書いてもらえるなんて、幸せの極みでしょう。
 5月何日号だか、和田誠さんのアコーディオン弾きの後姿が表紙の号です。文章全部が、本当に素晴らしい。どこかの図書館で、ぜひ読んでみてください。

2004年6月26日 (土)

「週刊クンタキンヤ」~5/25/2000・k125

・カマキリの話
「コウビしてるときは、メスの方がオスより強くなって、
オスは食べられるんだって」
突然、二男のリョウ(8歳)が言った。続けてひとこと。
「虫だけじゃなくて、(生き物が)何でもそうだったら、
おとうさん生きとらんだったね」
もしそうだったら、二男のオマエが生まれてくることもなかったな、
と後で思ったことだった。

Then and Now : これ「すぱいす・ほっと」不採用。でもこれ、結構面白いですよね。二男のネタが多いのは、当時、丁度そういう年頃だったということです。

2004年6月24日 (木)

土に返る~5?/?/2000

 コーヒーをいれた後の豆の出がらしを、私は庭先で土に返します。ブラジルかどこかの土地で育ったコーヒーが、海を越えてはるばるやって来て、日本の土になる。考えてみれば、ちょっと不思議な気がしませんか。

 しかし、食料自給率の低いわが国のこと、食べられて排せつされ下水道へと流された後、処理され汚泥となった輸入食品も、いずれ私のコーヒー豆と同じように日本国内のどこかで土に返るのでしょう。

 そうやって世界各地の土と水と空気が食べ物の姿でやって来て、二度と故国の土を踏むことなく、この日本で再び土と水と空気に戻る、そして日本の国土は次第に変質し世界標準化されていくのです。

 それは輸入された原油で作られるプラスチックにしても同じことです。太古の昔の中東のどこかで生きていた動物の死がいが、簡単には土に返らない埋立ごみとしてしか、地球の一部に戻れないというのは、ちょっと切ない話ではないでしょか。

 それにしても、日本から出て行って、外国の土になるものって何があるでしょう。技術であったり文化であったり、お金であったり。それらのものは直接、土に返らなくても、何かしらその国で役に立つものとして吸収されていくのかもしれません。

 とはいえ、地面のずっと下の方では世界中つながっているので、こんなことを考えるのも島国根性というものですね、きっと。

Then and Now : 平成12年5月20日付熊本日日新聞「おとこの目」欄掲載。で、わが家のコーヒー豆は今もせっせと庭の土になっています。広く知らしめてしまったので、やめるわけにいかなくてね。
 長男が幼少の頃、私は土木用コンクリート製品の工場で働いていたので、まだうまく喋れないうちに「側溝蓋(そっこうぶた)」とか「下水道」という言葉を教えた。面白がっていたのだが、今思うとその教育方針は正しくなかったような気がする。

2004年6月22日 (火)

情報消費者物価指数は、乱高下~7/10/2000

 少年が何か犯罪を起すと、小学校や中学校の卒業文集の文章が新聞・テレビで公表され、情報消費者であるわれわれに素人判断の手がかりをくれる。

 岡山で下級生をバットで殴ったとされる高校生の場合は、ノートに書かれた小説のようなものが、犯行を予告していたとする向きもあった。ついには暴力に訴えてしまったというのは許されないことだろうが、それまでの彼がじっと怒りを抑えこみつつ、何とか生きてこれたのは、文章を書くことで怒りを発散、「昇華」させていたという側面も当然あったんじゃないかと思う。

 客観的な報道にとらわれるあまり羅列された事実の中から、われわれ情報消費者は偏った「決めつけ」を選び取らされている可能性もある。

 また、解説をつけ加えればつけ加えたで、選挙の開票速報でどれだけ早く当確を出すか競うのと同じような感覚で、プロファイリングしてくれるが、そういうのはドラマの中だけにとどめておいてほしいものだ。

 小学6年生のときには、それなりに夢を持って素直に表現した一文であるかもしれない、というふうに言ってしまっては、わかりやすいニュースにはならないのかもしれない。
 しかし、できることなら、事件の本質にあらゆる角度から迫り、もう少し別の見方を私たちに教えてくれて、今後の教訓となるような報道が欲しい。

Then and Now : 600字だから、熊本日日新聞「おとこの目」に送ったのかもしれない。不明。不採用。言いたいことは伝わったでしょうか。表現に凝りすぎて、読みにくいでしょう。少しは直しましたが、でも書き換えるのが惜しい文章だったもので。こんな重大な主張、伝えられなかったら意味ないじゃないか、とは思いますが、アマチュアですから。

2004年6月21日 (月)

「週刊クンタキンヤ」7/4/2000

・モノノネダン
 いまや、MDの時代。でも私の世代は、カセット・テープと共にあったので、カセットに対するこだわりは強い。
 で、店頭セールの1本100円は、安いと感じる。メーカーもタイプもバラバラでも、カセットは仮の姿なのだから、それでよいのだ。

 それに比べて(比較するのが、そもそも間違いだが)、本が1500円以上すると高いと感じる。コスト・パフォーマンスの問題ではなく、「高い」と思う。
 新書の600~700円は、ページ数も体裁も落ちるが、安い、いや適当だという気がする。「モノノネダン」て、そういう気分のものなのかな。

Then and Now : 一食抜いて、この本を買え(読め、だったかもしれない)という帯の惹句が、目についた。書名は憶えていない。いいですね。心意気ってもんです。図書館を無料貸し本屋として、使うのもいいだろう。でも浮いたお金で、焼肉食べ放題にばかり行かないで、自分のために本を買おう、という呼びかけをしようと思ったことがある。
 もうひとつ。カロリー目いっぱいの食事をして、フィットネスに励むなどという「二酸化炭素増加による地球温暖化」はやめてほしい。

2004年6月20日 (日)

議員の世襲について~7/28/2000

 8歳の二男が、カレンダーの標語を見て私に聞いた。「おとうさん、『カラの容器ほど大きい音を立てる』ってどういう意味」
「それは、中身のない人ほど、大きい声を出したり、いばったりするってことだろ」と私が答えると「じゃ、森総理とかー」と彼は言う。首相をギャグのネタにすると、大人に受けることをわかっていて、質問したかのような息子。そこで、ふと二世議員のことを連想した。

 我々が政治をダーティ・ビジネスと見なし、自分の手を汚さずにすまそうとしているから、政治家か利権絡みの親以外、自分の子が政治の道に進むことを、快くは思わないのではないか。親と同じ職業を選んで、とやかく言われるのは政治家ぐらいだろう。それは自分の子を悪者にしたくないという有権者の集合意識の表れでもある。

 のん気に故・佐藤栄作元首相の悪口を言い合って、友達と連帯していた自分の小学生時代がなつかしい。

Then and Now : 議員の世襲について、同様のテーマで書いたのは、都合3回か、4回か。熊日「読者のひろば」に掲載されたときの文章は、前に載せた。これは、やはり「読者のひろば」に送ったものだったと思う。不採用。
 いつだったか、二男が政治家になるかもしれない、と私に言ったことがあって、うれしさのあまり、あちこちにふれまわっていたので、それを嫌気してか、前言撤回してしまった遼。
 妻の最初の妊娠を知ったとき、うれしさのあまり、あちこちにふれまわったあげく、流産したこともまた報告しまくらなければいけなかったことを思う。そういう主人公の映画を、自分で見ているような気がしてくる。滅入るときもあるが、やっぱり自分自身の一番のファンなのだろう。

2004年6月19日 (土)

「週刊クンタキンヤ」2/27/2000

 イチオシ!エンタテインメントのビデオで『天国から来たチャンピオン』を取り上げて頂いてありがとうございます。

 わたくし、ただのこの映画のファンに過ぎませんが、原題の“Heaven Can Wait”天国は待っていてくれる~については、小学校のPTA広報紙の6年生を送る言葉にも、引用させてもらったことがあります。

 でもウォーレン・ビューティーではなく(正確には、今野雄二氏いわく、ベイティだそう)、ビーティーだと思います。

 今度は、ゴールディー・ホーンとチェビイ・チェイスの『ファール・プレイ』を是非、お願いします。いずれ自主上映会をやろうと思っているんですが、上品なパロディここにありの佳品ですから。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。久々の「週刊クンタキンヤ」にしては、ちょっと冴えませんでしたか。この映画『天国から来たチャンピオン』は、デーヴ・グルーシンの音楽が、地味だけど素敵なんですが、サントラ盤は出てませんでした。主人公が、ヘタなクラリネットをたしなむという設定なので、そのもの哀しげな音色が忘れがたい。
 で、この映画のテーマ曲に不採用になった作品に、エリック・カルメンの同名曲があることを最近知りました。実は、エルトン・ジョンにも同名曲があって、ひょっとすると、制作も兼ねていたビーティーが、人気ミュージシャン共演の豪華サントラを企画して、オーダーは出したものの、やっぱり渋くまとめた方がいいということに、後で気づいて、やり直したのかも。
 結果、良い脚本と、深みのある演技、上品な笑いで、皮肉ではなく「善意のひと」の映画となったのでした。

村上春樹氏への初めての手紙・Ⅰ~6/25/2000

 初めまして。
 私は村上さんが『羊をめぐる冒険』を書き終えたとき、自分で涙が止まらなくなるくらい泣けたという話をどこかのエッセイで読んで以来のファンです。

 とはいえ、申しわけないことに、最近の作品は落ち着いてじっくり読もうと思いながら、全然読んでいなくて、しかし、ananの「村上ラジオ」はいつも立読みしています。

 という自慢できる状況ではないにもかかわらず、初めてのお手紙を差上げる気になったのは、もう、先々週号になりますか、ニール・ヤングとキンピラの話の中に出てきたアニマルズの「スカイ・パイロット」に鋭く反応してしまったからです。アニマルズといえば「スカイパイロット」と「朝日の当たる家」しか知らない当時の中学生だった私は、ついにそのEP盤を手に入れることはなかったのですが、A面B面がパートⅠ、パートⅡだったことはよく憶えています。【Ⅱへ続く】

村上春樹氏への初めての手紙・Ⅱ~6/25/2000【Ⅰの続き】

 あの頃(といっても何年かは前後するかもしれませんが)たとえば、ニーナとフレデリックの「エリザベスⅠ世とⅡ世」―――あ、これは別にA、B面ではないですが、フラワー・ポットメンの「花咲くサンフランシスコ」というのが、やはりA・B面、パートⅠ・Ⅱでした。

 話がそれましたが、ジェームズ・クィネンの『いちご白書』にも「スカイ・パイロット」に言及するくだり」があったことを、そのとき思い出したことをお伝えしたかったのでした。

 また『やがて哀しき外国語』の中で、だったでしょうか、エルトン・ジョンの『メイド・イン・イングランド』を聞きながら、ハイウェイをぶっとばす話があったことも連想しました。

 私は、やはりエルトン・ジョンのファンであり(初めて買ったLPは、サード・アルバム『タンブルウィード・コネクション』、タイトルが未だに素晴らしいと感じられる)、勝手ながら村上さんもエルトンのことを気にかけているひとりなのかなと、親近感を前にも増して抱いたということもあったことを、また思い出しました。
 それでは失礼いたします。読んで頂き、ありがとうございました。

Then and Now : anan編集部気付で送ったので、本人に届いたかどうか。でも丁度「スカイ・パイロット」について、書いておきたい気持があったので、手紙という形で書いたのだが、自分のことながら、まったく相手のことを念頭に置いていない、一方的な文章。ところで、ニール・ヤングの「ヘルプレス」には「大きな鳥が空を横切り 地上に影を落とす」という、ベトナム戦争当時のB52のことを思わせる歌詞があった。
 余談ながら、私が以前勤めていた会社の、マイケル・ダグラス似の社長は、若いとき航海士だったのだが、リバプールの酒場でライブで聞いたアニマルズの「朝日の当たる家」の印象が強く残っているとのことだった。

2004年6月18日 (金)

イエロー・モンキーは、ロックだ~?/?/1999or2000

 今どきロックなんて言葉は、死語にも近いのかもしれないが、イエロー・モンキーは、まぎれもなく「ロック」である。

 注目したのは「球根」という曲を聞いたときだった。悪の華が咲きそうな、おどろおどろしさもあったが、見かけによらず健全な精神が感じられた。また見た目の派手さと裏腹に武骨さがあって、その骨っぽさがロックなのだ。「ボーン・トゥ・ビ・ワイルド」、「ボーン・トゥ・ラン」である。ベスト盤を図書館(!)で借りたら、何と父親のことを歌った曲もあった。J-POPにそんな歌をうたう奴らはいない。

 伝えたい思いがあって、それを表現するのと、耳に心地良い言葉の羅列とでは全然違う。サウンドのかっこ良さと同時に言葉が力強く響くのは、今の時代、ありそうでなかなかない。

 それにボーカルの吉井和哉っていう人は、あがた森魚の世界にも共感できる人らしいことを最近知って、更に驚いた私である。

Then and Now : 近田春夫さんには、大学生のときから、雑誌「POPEYE」連載の「気分は歌謡曲」の影響を受けていたので、こういう文章になってしまう。略してイエモンは、マーク・ボランとT・レックスの影響を受けたバンドらしい。そっくりの曲もある。
 今月号の「ミュージック・マガジン」に写真家ノーマン・シーフの撮ったマーク・ボランとグロリア・ジョーンズ夫妻が接吻しているところのポートレイトが掲載されている。ボランの死の、それほど前ではないと思われる。その写真を見たとき、自分の少年時代が、ほんの少しだけ蘇えり、思わず買ってしまった。
 高2だったか、「週刊プレイボーイ」の投稿欄にボランの死を悼む文章を書き送り、採用された。前に書いたかもしれないが、それが私の投稿人生のスタートである。その文章が今、手元にないのは残念だけど、誰か望む人があれば、国会図書館で閲覧してください。
 熊本日日新聞「私の三つ星」不採用。

2004年6月16日 (水)

映画は小説の想像力を借り、小説は映画を模倣する~3/20/2000

 この小説には、自衛隊のミサイル護衛艦、日米防衛協力問題や究極の生物化学兵器、北朝鮮の工作員などなど、新鮮な素材が惜しみなく使われ料理されている。手に取っただけで、胃にもたれそう、という大長編である。

 でも何でも食べてみなくてはわからない。海上自衛隊の隊員に始まり、防衛庁のお役人や政府首脳まで数多くの登場人物が際立つ個性で描かれていて、むずかしい設定が消化されやすく作られている。

 テレビのニュースだけで、世界がわかったような気になっている怠惰な国民への警告という側面もないわけではないが、そこは娯楽作品、細かい仕掛も後でひとつにつながってくるし、物語の展開も次々に意表を突いてくる。

 アクション場面のたたみ込み方は、洋画の名場面を思い起こさせ、映像を見るリアルさが感じられる。そのとき、ふと思う。映画は小説の想像力を借り、小説は映画を模倣する、と。

           『亡国のイージス』
              福井晴敏著 講談社刊 2300円

Then and Now : 平成12年3月26日付熊本日日新聞「私の三つ星」掲載。最後の一行を思いついたとき、我ながら、身体が震えた。頭から書いて行って、料理を引き合いに出したのも成行き、最後まで突っ走ってから、推敲するという文章の書き方が基本パターンである。
 書き始めたときには思いも寄らなかった言葉が、ひらめいたりするから、やめられない。それにしても、この本はホントにヘビイで、400字にまとめるのに苦労した。うまく行ったとは、さすがに言えないけど、表現することの喜びに改めて目覚めたのでした。

2004年6月13日 (日)

『アメリカかぶれの日本コンビニ・グルメ論』~6/17/2000

 日本人は断言されることを好む国民だ。という言いまわしが、おそらく私が典型的な日本人のひとりであることを端的に表しているだろう。

 最初は、コンビニと日本人の食生活に関する考察だろうと思っていたのだったが、6年間をニューヨークで過ごした著者のアメリカ礼賛はすさまじく、確かに「アメリカかぶれ」の一言で片づけてしまえるほどである。

 でもポップな装丁と文体から受ける印象以上に中身は濃い。さすがに年季の入ったグルマンである。食のみならず、衣・住・ビジネス・文化文明論にまで、領域は広がっていく。日本に生まれ育ち、日本の本当の良さを(ノスタルジックにだが)わかっているからこそ、つい辛口の批評になってしまったのだろう。

 ハードカバーではなく新書判で出るべき本だったと思う。また、過剰なくらい漢字にフリガナがついているのも著者の心配りだと素直に受けとめたい。

  『アメリカかぶれの日本コンビニ・グルメ論』           
               横川潤著 講談社刊 1400円

Then and Now : 平成12年7月2日付熊本日日新聞「私の三つ星」掲載。この文章が、採用されたときは驚いた。こんなんで、いいの?って感じ。この本は、合志町図書館に寄贈したように思う。

『国の福祉にどこまで頼れるか』~6/12/1999

 この本の中で述べられる福祉は、社会保障を含む広義の意味であると最初に断り書きがあるが、年金・医療費・雇用問題など、本来ひとつずつを取り出して改革できるものではないのに、総合的に施策を進めるべき行政のネットワークはどうなっているのだろう。

 第2次世界大戦後、日本人を世界第一の長寿国民にした決定的要因は、医療や長生きのための食生活や運動ではなく、戦争のない安定した成長経済にあるという指摘。なるほど。

 将来私たちの世代は、国の福祉に期待しない方がいいとは言われていたが、想像以上に今の状況は悪い。このままで行くと、なんて悠長なことを言っていられないことを知るためにも、必要な基礎知識がわかりやすい事例で説明されているので、特に就職活動で絶望的な毎日を送っている大学生には読んでほしい。

 社会的責任をぐっと感じることができた諸君は、おそらく良い仕事に出合い、有意義な人生の一歩を踏み出すことができるだろう。

      『国の福祉にどこまで頼れるか』
         手塚和彰著 中央公論社刊 1800円

Then and Now : 熊本日日新聞「私の三つ星」不採用。掲載されたと思っていたので、スクラップを当たってみたが、なかった。安保と憲法で、日本は長寿大国になったのか、とすっかり忘れていた本書を思う。誤字、脱字がやたらと目立つ本であった。ともあれ、年金法改正のドタバタを目の当たりにして、あ~ぁ、この5年間、日本人は何を考えていたのかと嘆くと同時に、これから、5年間何を、どう為すべきか、真剣に、そして気楽に考えて行こうと思う。

2004年6月12日 (土)

本上まなみ参上~6/12/1999

 本上まなみを初めて認識したのは「GOAください」のコマーシャルだった。彼女の父親役は、日本のロック界のご隠居、ムーンライダーズの鈴木慶一。普通なんだけど、人目をはばかるには、さすがに美しすぎて、この春は1年ぶりにGOAもリバイバル。

 その後、CMではそれぞれにユニークな役回りを演じつつ(商品は違ってもキャラクターは同じ、の飯島直子や藤原紀香とは明らかに違う)、TVドラマ「眠れる森」の可哀想すぎる役を経て「蘇える金狼」でも圧倒的な気品を見せる。

 この週末本屋に行ったら、彼女が表紙の雑誌が3種類、特別編集が1冊、単行本も出てた。俳句もたしなみ、書評も書く彼女のファンは、ビジネスマンから自衛隊員まで幅広い。美人のデファクト・スタンダードには教養も含まれるのだろう。コスプレも自分で楽しんでいるみたいなのは、小泉今日子の流れをくむか。(敬称略)

Then and Now : 平成11年7月1日付熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」掲載。でもその記事のコピーを読むと、半分くらいは入れ替えてある。担当の田野さんから電話があり、いくつかの質問に答えたら、それを取り入れて、すごく読みやすい文章になっていた。さすが、記者。ここにはオリジナルのマニアックで読みにくいものを載せました。
 彼女が、私と同い年の編集者と結婚したのは、おととしだったか。落胆しました。彼女に対して、というより自分が不甲斐なくて。そういうときは、息子たちを見て、この子らの父親になるのが運命だったのだ、と考えるようにしている。
 自衛隊員が、ファンというくだり、陸上自衛隊北熊本駐屯地の、とある部署で、パソコンの待ち受けになっている彼女を見つけたからです。

映画『アメリカン・ビューティー』~6/3/2000

 次第に壊れてゆくアメリカの中流家庭を取りまく日常という見方をする人が多かったこの映画。私は逆にバラバラだったものが、みんなが本音をぶちまけていく内に、ひとつにまとまり大団円となる、と見た。

 主人公の語りで、お話が進むので「彼の死」という形ですべてが収まる、というのも当り前だが、彼が10何年ぶりかでしみじみと幸福を感じたのが、死の直前だったという展開に私は涙をこらえきれなかった。泣いてしまったのは、ケヴィン・スペーシイの素晴らしい表情のせいだ。

 こんなにステレオ・タイプの人物ばっかり描かれていても、やはり最後には、人を感動させる何かがあるからこそ、アカデミー賞をもらったのだろう。

 タイトルは当初『アメリカ中流家庭生命保険(家族特約付)』とかになっていたのかも。人生に「ビューティー」を見出すことが出来るかどうかは、その長きにあらず、とは「死者の悟り」というものかな。

Then and Now : 監督のサム・メンデスは、「人生とは、風に翻弄されるポリ袋みたいなもの」ということを描きたかったのだそうだ。記憶違いだったら、ごめんなさい。これが、念の入ったことにイメージ映像として出てくる。その場面は、はっきり言って、しょぼい。
 熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」不採用。担当者との相性というのか、当時約2年間に渡り、ずっと不採用であった。これからも続々と、アップされますが、内容の濃さは自画自賛するだけのものがあると、自負致しております。
 ネット上のモラルとか、前にも増して、うるさく言われるようになってますが、やっぱり「こきおろし」が出来てこそ、の「メディア」だと私は思う。それを個人攻撃や感情の爆発で終わらせないための教養を身につけなくてはいけない。

恋愛小説、泣けるばかりではなく~5/2/2000

 たまには恋愛小説も良いと思った。読み終わってジーンと来るやつではなく、人生って色々あるけど、やっぱりいいもんだと感じさせてくれる、爽やかなストーリー。

 現在と回想を自由に行き来する自然な文書の流れは、お話としては映画やテレビドラマに出来そうでいても、活字で読むこと以上には楽しむことがむずかしいだろう。
 警句や気の利いた言いまわしの数々の中にときどき出てくる陳腐な表現は、おそらく作者の余裕か、お遊びか。

 主人公の夏美は35歳、既婚の純文学系編集者。夫は同業者、恋人は郵便局員。夫にも恋人がいて、仕事上では才能ある新人作家を奪い合う。

 言葉で表現することの可能性を信じている人の書くものには、言葉の力が宿るのだ。
 小道具のひとつひとつに手触りが感じられ、壊れるときの瞬間の音までも、文章の隙間から聞こえてくるっていうのもぜいたくの極み。

            『A2Z(エイ・トゥ・ズィ)』
              山田詠美著 講談社刊 1400円(税別)
        
Then and Now : 熊本日日新聞「私の三つ星」不採用。400字で、ブックレビューを書くというのには、すっかり慣れてしまった。本の紹介をするコーナーなのだが、やっぱり少しだけ、自分のことを書きたい。というパターンが出来てしまった。そのひとことを書かなければ、この欄に投稿する意味がない。
と気づいてからは、書くことがますます楽しくなって、その上ずいぶん掲載していただいている。本当にありがたいことだ。ところで、これってレビュー的にほとんど満点だと自分では思っていたんだけど。
久しぶりにこの文章を読んで、この本をもう一度読みたくなった。

交差点改良は、政策を映す鏡~1?/?/2000

 先日、市街地再開発事業に伴う水道町交差点の改良事業の記事が、本紙に載っていました。その目的は、交通事故の発生を減らすことにあるのでしょうか。

 事故の原因がどこにあるのか確かなことは私にはわかりませんが、交差点を通過中感じることは、信号が黄色から赤に変わっても、交差点に進入してくる車両が結構多いということです。

 信号軽視のドライバーは増えこそすれ、減ることはないようです。そのことで渋滞の車の列が何台分か短くなっているかもしれませんが、事故の危険性は増します。

 これは教育上も重大な問題で、子どもたちにとって最も簡単な交通ルールであるところの「赤は止まれ」を大人が守らないということが、どれだけ規則全般に対する不信感を、幼い心に植えつけていることでしょう。

 また記事によると、市電の電停は移設されるだけで広くはならないようです。こういう好機に利用しやすい、使いやすい電停を、ということまで気がまわらなかったこの計画は、公共交通機関の利用促進という政策が単なる絵に描いた鏡もちに過ぎないということを物語っています。地球温暖化の原因であるCO2の発生を抑えようという緑の小旗が空しく風に吹かれています。

Then and Now : 平成12年1月17日熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。当時は、送る文章のほとんどが掲載されていたといっても過言ではない。内容が良かったというより、他の投稿とのバランスの都合だったのだと思うが。気持の上では、世の中を変えようと、力んでいた頃。しかし、前にも書いたが、投稿ぐらいで世の中変わるわけがない。これを読んで、皆さんにも実感していただけたことでしょう。

2004年6月11日 (金)

「アリーmyラブ」~2?/?/2000

 日曜の夜更けの番組は、翌日のことを考えると、ビデオに録画して後で見るようにした方が賢明だとは思うのだが、アリー・マクビルが恋に仕事に悩みつつも、生き生きと生活しているのを見ると、明日月曜日から、またがんばろうという気にさせてくれるのも事実だ。

 最近は和製ドラマのヒロインのキャラクターにも影響を与えているようだが、弁護士という職業柄か、職場や法廷の描き方がそれらしく見える(別に真実でなくてもよい)し、男優陣も美男ではないけど、見た目以上の個性を誰もが持っている。

 子どもっぽい仕草や行為が笑いを誘うことはあっても基本的には自立した大人たちが主人公のドラマであるというのが、わが国のドラマとの大きな違い。でも無理して真似せずに、身の程にあったものを作ればいいだろう、日本では。
 ブルース・ウィリスやダイアン・キャノンがゲストで出るなんていうお遊びは、ちょっとやろうと思ってもできないでしょう。

Then and Now : 平成12年2月24日熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」掲載。今なら、こんな文章はとても書けない。でも当時は、TVドラマを本当によく見ていたし、少し評論家っぽくなってしまっていたのだ。え?今もこんなもんだって?
 制作者であるデイヴィッド・E・ケリーのテイストが、もうほとんど私の好みと重なり合っていたのに驚く。ボズ・スキャッグズ、エルトン・ジョン...あとブライアン・フェリーが出ていてくれたら。ところで、日本テレビ系TVドラマ「光とともに…自閉症児を抱えて」では、高橋恵子と金沢碧が、主人公の祖母役で出ている。So it goes.

2004年6月 6日 (日)

交通アドバイザー会議~7?/?/1999?

 九州運輸局の交通アドバイザーに選ばれて、昨年の12月から3回の会議に出席した。座長の渡辺治千賀恵先生が専門家である以外は、公共交通機関を普段よく利用するという7名の集まりであった。会議では、私達が日頃感じている疑問や意見に対して、各交通事業者の代表の方がきちんと回答してくれたし、私達利用者の生の声も先方に届けることができたと思う。それから先は企業や行政のやる気の問題である。

 関係省庁や県・市では、それぞれの立場でCO2削減や交通渋滞の緩和のために、幾つもの検討がなされているようだが、私はあまり期待していない。車の利便性や快適さを多少犠牲にしても、公共の福祉を優先させるほど個人は成熟していないし、猫の首に鈴をつけるような交通政策を打ち出せる政治家も皆無だからである。

 微力ながら交通アドバイザー会議では、8月1日から14日まで「公共交通機関利用促進」キャンペーンを行なうということを一つの成果とした。街角で明るい絵柄のこのポスターを見かけたら、電車やバスの必要性について県民一人ひとりが考える機会にしてほしいと思う。

Then and Now : 熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。これは、掲載されると思っていたのだが、あまりにも狙いすぎだったか。

「人と環境に対する優しさとは」11?/?/1999

 閉まるときにゆっくり戻るドアがあります。これは後から来る人の目の前でバタンと閉まっては危険だからという理由で、そういう工夫がしてあるのだと思いますが、これが俗に言う「人に優しい」ということになるのでしょうか。本当は、ドアを開けた人が、後に続く人がいないかどうか、うしろを振り返りドアを支えてやれば済むことであり、そういう心配りが真の優しさだと言えると思います。

 同様のことは、車の運転中にもあります。横断歩道で道を渡ろうと待っている人を見かけたら、車を止める。これは道路交通法上も当然のことなのですが、なかなか実行されないことなので、結局いたるところに押ボタン信号が設置されることになります。

 ところが、この押ボタン信号が曲者で、一見歩行者に優しい仕掛のようですが、これによってますます、運転者の歩行者に対する配慮がおろそかにされることになるのです。

 また、2,3人の人達が道を渡るのに要する時間は、2車線の道路では10秒以下ですむところ、赤信号の場合はおそらく30秒くらいはかかるでしょう。この差が積み重なって渋滞の原因となり、ひいては車の燃費を悪くして、空気を汚すなど環境に負荷をかけることにつながるということも考えられると思います。

Then and Now : 平成11年12月11日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。10秒とか30秒というのは、感覚的な時間のことです。長年投稿しながら、いつも「投稿に意義」について考えます。世の中、少しくらい良くならないか、こんな考えもあるということに気づいてほしい、と少々偏屈を意識した着眼で、文章を書きます。
 私の考えが常に正しく、それに従うことで、住みよい世界が到来するとは申しませんが、少しずつでもいい方向に(私の望むところ、それって危ないかも)進むかもしれないと思って、書いています。いや、いました。そのときどきで。
 でもたいして変わっていないんじゃないか、投稿ぐらいで世の中、変わるわけないよ、と実感することが多いです。そういうとき、先に載せたピーター・バラカン氏の言葉が、私をいつも、ほんの少しだけど支えてくれています。

2004年6月 3日 (木)

「夕刊ぶんか~ポップアート、について」6/18/2000

 6月14日のポップアートについての解説、「自己表現」に対する「作者個人の内面とは全く関係のない外在するイメージ群」というのはわかったのですが、広告と現代美術とは、どこで区別されるのか。単にキャッチ・コピーや商品名のあるなし、しか違わないのではないかと思います。

 言い方を変えれば、「大衆的で日常的なイメージ」を描く技法こそが、ポップアートそのものではないかという気がします。それで、私はポップアートのかっこよさを認めるものではありますが、やはり生活様式とか、生活環境が求めるものが、インテリアの一部としての美術品であったりするから評価されるのでしょうか。

 評価されるから高い値がつくのか、高値で取引されるものが評価されていると理解すべきなのでしょうか。

Then and Now : うーむ。自分でも何を言っているのかよくわかりません。元の記事がないから、類推するしかないが。熊本日日新聞夕刊の記事について、編集部宛に出したハガキ。ご苦労様。私自身に対する客観性を出すために、あえてここに掲載します。でもこれよりひどいのも、すでにアップしてるかも。

映画の小道具としてのタバコ~?/?/2000? 

 世間では喫煙者の肩身はますます狭くなっているが、映画の中ではまだまだ幅を利かせている。主人公がタバコをかっこよく吸うと、喫煙を助長するだの、青少年に悪影響を与えるだの批判されるところだ。

 ところで「スネーク・アイズ」でのニコラス・ケイジは不良刑事の役だったので、タバコを吸うことでワルを強調していたと言えるが、「アイズ・ワイド・シャット」のトム・クルーズは真面目な医者なので吸わない。しかし、ニコル・キッドマンは喫煙する妻という設定で、あまり知的に見えないところが活かされていたケース。

 シャロン・ストーンは、タバコをふかす悪女の役が似合うというイメージだった気がするが、「グロリア」では、刑務所で禁煙に成功していた。タバコを吸わないことが、映画でもなったしまったら、何か新しい小道具が必要になると思うけど、タバコほど使い勝手がいいものは、そう簡単には見つからないような気がする。

Then and Now : 熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」不採用。出色とは言えないが、まずまずの出来だと自分では思う。かく言う私も当時は、たばこを吸っていた。吸い始めたのは遅かったが、きっかけとなったのは、ひとりの美しい女性だった。
 ある夜、彼女とふたりで飲みに行き、彼女がくわえて火をつけたマイルドセブンをひょいと私に渡したので、一瞬迷ったものの、つい吸ってしまった。それが長い喫煙歴の始まりだった。
 話題のTVドラマ「冬のソナタ」で同じように、火をつけたたばこを渡す意味深なシーンがあった。昔を懐かしんで、少し胸が痛んだ。

2004年6月 2日 (水)

「週刊クンタキンヤ」1/17/2000

 その昔、ショーン・コネリーは、髪の薄さが原因で、OO7ジェームズ・ボンドを降板したということだった。

 今思うと、役者としてボンドで終わりたくなかったのだろう。その後はますます髪も薄くなったけど、男優として渋さは増すばかり、アメリカのセクシー番付では、まさに横綱である。

 何が言いたいのかというと、フサフサした髪の毛が男の魅力とは限らないということだ。
 テレビでは、養毛・育毛のCMがいやでも目につく。悩んでる人が多いんだろうな。私も次第に人ごとではなくなってきたのだが。

 ショーン・コネリーのかっこよさは、そのシワの刻まれ方にあるのでは、と、ふと思ったのは、ドラマでジョニー吉長を見たときだった。

Then and Now : 「くまにち・すぱいす」不採用。ジョニー吉長について書こうとしたのだった。ジョニー吉長と言えば、ジョニー・ルイス&チャー。Charは、先月熊本に来ていたらしい。ジョニーは、元イエローのドラマー、といったって、それすら25年は昔のこと。ヒッピーがそのまま年を取ったという感じで、タイトルは忘れたけど、TVのキャスティングの貪欲さを知る思いがする。
「アリーmyラブ」にジャクリーン・ビスイットが出たときは、老けたなとは感じてもやっぱり興奮してしまった。レーガンが大統領だった頃、ファースト・レディのナンシーさんが、セクシーな女性のNo.1だったように、アメリカは年寄りの意見が幅を利かす社会なのだろう。年金組合が、機関投資家として経済に影響を与えていることもあるのかもしれない。

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