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読みたい本だな

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2004年5月の25件の記事

2004年5月30日 (日)

本を所有するということ~6/?/1997

 私は本を読むのが遅いので、経済的に許されたとして、欲しい本を全部買ったとしたら、読まない本がどんどん増えるだけではないかと思う。それでも書店で見かけて、パラパラっとながめるだけで、「いつか君は僕のモノ」だなんて心に誓う。本を所有するということは、世界の一部を所有することででもあるように。

 私の頭の中には理想の本棚があり、その架空のモデルをなぞるように本を集めたいと思っている節が私にはあった。しかし、最近は読んだ本を取っておくより、自分が面白かった本をピッタリの誰かにも読んでもらいたくて、その誰かに譲ってあげたくなる。書物に書かれていることは知識であり、ファンタジーであり、我々をつなぐ何かなのである。

 文章を読むことは作者との対話であり、また自己との会話でもある。そして一冊の本を通じて、また別の誰かとも共通の話題を持てるし、お喋りができるというのは素敵なことだ。

 我が家にはそれ程たくさんの本を置けなくても、よく立ち寄る本屋があり、図書館があれば、それらは自分の書斎のようなものである。まずは、いま買っておかないと、図書館でもお目にかかれなくなるような本か、飾っておいて自分のテリトリーであることを意識できるような本を買って、いつかそれらを自分の息子が読んでくれたらと思う。

Then and Now : 合志町の「図書館まつり」のために書いたのだろうか。よく憶えていないが、この頃から、「所有」にこだわらなくなったのは事実。架空のモデルには、リチャード・ブローティガンとカート・ヴォネガットがあった。学生時代の流行りだったからだ。
で、いま保存に入っているのは、小泉今日子と本上まなみのエッセイか。村上春樹はあんまり本を出すから追いつかなくなって久しい。成長してきた息子たちは、趣味嗜好がまったく違って育ったので、当時の思いは、今のところ世界の幻想文学てな趣き。そんなもんだ。ハイホー。

シューティング・スターを撃つな~9?/?/1999

 村上春樹は小説の中で「35歳=人生の折返し点」説を唱えたことがある。その説に共感しながらも、やはり直線的に人生を送ってしまっている私だが、いわゆる「若者」でないことの有難さもよくわかる年になった。

 しかし、どうしても世間的に少し遠慮してしまうのが中年たる所以である。そんなとき神足氏がシリコンバレーを眺めて、自分たちの世代はもっと闘うべきだったと書いているのを読むと、その言葉が正直胸に突き刺さり、取り返しのつかない10数年を思うのである。

 そして底無しの後悔から立ち直るために、まだそんなに年を食ってるわけではないんだ、今からでも同じ中年のあこがれの的くらいにはなれるかもしれないと思ってみる。

 私が心に漠然と思い描いていたことのいくつかが活字になって、そこにあった。遅くはない、それにあせらなくても有意義に中年を生き抜き、老年を迎えることはそれほどむずかしいことではなさそうだ。

       神足裕司著『輝く中年の星になれ』講談社刊

Then and Now : 平成11年9月12日付熊本日日新聞「私の三つ星」掲載。これは、載らないんじゃないかと思っていた。だけど、中年男性として、これだけは言っておきたい、という思いは熱かった。結果的に紙面を飾ることが出来て、本望です。

2004年5月28日 (金)

ローレンス・リー「ワールド・ビュー・トゥデー」~6/18/2000

 ラブFMは、はるばる博多からやってくるほとんどが英語の放送です。中でも私が好きなのは、月曜から金曜の毎朝10時までやっているローレンス・リーの「ワールド・ビュー・トゥデー」という番組。

 どうしてもドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」のアルバム・ジャケットが思い浮かんでしまう、早口の渋い声は、LAの渋滞したハイウェーで、カーラジオを聞いている気分にさせてくれます。

 それで選曲は、というと、いわゆるワールド・ミュージック。世界各地のエスニックなサウンドが多いんですが、やっぱり言葉がリズムを持っているだけに、英語の喋りのテンポとグルーヴ感が心地よく、一日の元気をつくり出してくれます。

 私は7時からNHKのニュース、そのあとシティFMを天気予報が終わるまで聞いて、そしてラブFM。ローレンスの締めくくりのあいさつは、いつも「アディオス・アミーゴス」です。

Then and Now : 熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」不採用。博多岩田屋のZサイド館にスタジオがあるローカルFM局。阪神大震災後、多国籍の住民が住まう博多で、様々な言語で番組を作り、緊急事態を始め、情報と連帯のために生まれた局だったと思う。確か、正式名称は九州国際FMと言ってた。 
 ところが、岩田屋もにしぎんも元気がなくなってくるのと期を一にして、全体的に面白くなくなっていった(前にも書いたような)。日本人のそれらしい英語トークは、自分が不得手なだけに、耳障りに感じられることが多く、だんだん聞かなくなっていったのよね。何にでもゆとりは、大切である。

 ところで、第22回新風舎出版賞、無念の選外通知が届きました。8265点の応募のなか、最終選考まで、ある意味よく残れたと思うことにしよう。ほんと、中途半端なまとめ方だったんですから。
 この「晴れた日には永遠が見える」の前半30篇ほどが中心になっているとご想像ください。

2004年5月27日 (木)

TVドラマ「危険な関係」11?/?/1999

 この秋のドラマはサスペンス物が多いですが、一番かっこいいのは「危険な関係」ではないでしょうか。タイトルはかっこ悪いけど、覚えてもらわなければいけないから仕方がありません。

 飯島直子の女性刑事もリアルでいいけど、少し世帯じみてませんかその点、藤原紀香には迫力があります。ミスター・ミステリアス豊川悦司に体格でも負けてません。
 とりたてて際立った個性の人がいるわけではないんですが、人間関係の糸の張りつめ方に緊張感があって、目が離せなくなるのです。

 そして、ホッとするエンド・ロール。風力発電所が見える風景の中を、藤原+稲垣のコンビが楽しそうにドライブしているシーンは、スタイリッシュです。稲垣吾郎がまた良いんです。トヨエツに対するライバル意識を静かに燃やしながらも、クールに演じています。

 ところで別のドラマで以前見たんですが、藤原紀香って走り方がすごくキマッているんですよ。日本の女優さんにしては。

Then and Now : 平成11年11月25日付熊本日日新聞夕刊「私にも言わせて」掲載。そんなものかもしれないが、このドラマについて、風力発電所以外に思い出すところがない。でも再度見ても、おそらく評価は変わらないであろう。自分が足が遅かったせいか、走りのかっこよさには、敏感です。
 ドイツ映画だったか「ラン・ローラ・ラン」という、女の子が走るだけの映画(と言ったら言い過ぎ)もかなり楽しみにしていて、見てみたら「走る」ことより、選ばれなかったもう一つの別の選択(人生)を描くという試みに優れていたので、感心しました。

2004年5月25日 (火)

「週刊クンタキンヤ」10/4/1999

 小学校の運動会も無事終わった夕食どき、話題が白組に負けてしまった赤組のことになると、2年生の二男リョウは突然こう言い放った。
「ボクは言いたい。なんで楽しい運動会なのに、戦争みたいに赤白に分かれて、戦わなくてはイカンとね」

 誰に言いたいのかはわからないが、赤組だった彼の気持がわからないでもない。白組で勝った5年生の長男ヨウヘイは、それを聞いてただニヤニヤしていた。

 なんでって言われても「勝てば官軍」だものなあ。司馬遼太郎さんと同じ「遼」だから、こんなふうなんですかね。

Then and Now : 2番目は、女の子の予定だったので、「遥(はるか)」と名づけるつもりだったが、男の子だったので、慌てて辞典を繰って、同じ意味の「遼」という漢字を見つけた。司馬遼太郎さんの「りょう」は本当は、しんにょうに点が2個ある。このパソコンでも出て来ないが、実は市民センターに届けるとき、確認を怠って、しんにょう2個の「遼」は受け付けてもらえないと思い込んでいたのだった。「すぱいす・ほっと」不採用。

2004年5月24日 (月)

「週刊クンタキンヤ」9/3/1999

・コトバ狩り [目線]
 「視線」という言葉に替わるものとして、いつからか一般的に使われるようになった「目線」という言い方。「視線」が、どうしてもあるひとつの点=視点と結びつくせいか、きつい表現だと感じられるようになったのが、「目線」進出の一因ではないかと思う。

 しかし、「目線」という言葉、何を見るのかという対象と、「見る」という行為につきものの、「奥を見抜く」という行為をあいまいにして、表面的なものをなぞるという程度に「見る」ことをおとしめてしまってはいないだろうか。

 とはいうものの、「子どもと同じ目線で」というときには、おとながしゃがみ込んで、子どもと同じ目の高さで、話を聞くという感じはありますよね。

Then and Now : 「うんばば中尾のやるざんす」に投稿したハガキだと思う。確か、「コトバ狩り」という企画があったので、それに応じたもの。
 昨日の「ビューティフル・ライフ」と、こうやって並べてみると、当時は意識していなかったが、半年という月日を隔てて、ずっと頭に引っかかっていた事柄だということがよくわかる。実際は、そのず―――っと前から考えていたことであったわけですが。

TVドラマ「ビューティフル・ライフ」~3/28/2000

「ビューティフル・ライフ」最終回でやっと気づいたこと。
 美容師にとってお客さんは椅子に座っているもの。それで杏子の車椅子、地上100cmの視点に対しても柊二は、ごく自然に腰をかがめ、同じ目の高さで、一緒に物を見ることが出来たのだろう。バリアフリーの考え方から設定された職業だったのかもしれない。

 そして、杏子の死後、死化粧を施す場面や、火葬場のシーンでは、人の死を特別視せず、日常の延長上にあるものとして、さりげなく描いていて素晴らしかったと思う。
 やはりドラマは丹念に作るべきものだという当り前のことが、よくわかった。

Then and Now : 週刊「ザテレビジョン」「ボイス・ボックス」欄に投稿。不採用。この頃になると、ジャニーズ系とモー娘。のために存在する雑誌になっていたので、自分で評価するのも何だが、こういう硬い文章は、私に限らずほとんど載らなくなっていた。それにしても、この「気づき」は、我ながら本当にうれしかった。RKKでは、現在、深夜に再放送をやっているらしい。

2004年5月22日 (土)

「ロックの英詞を読む」1/18/2004

 20年以上前のことだが、レコード会社のPR紙で著者の言葉に出合い、勇気づけられたことがある。日本のラジオはどうしようもない音楽ばかり流しているけれど、あきらめてはいけない。リスナーがきちんと面白くないと声を上げ続けなければ何も変わらない。確かそんな意見だった。

 雑誌に連載された文章をまとめたこの本は、英語を学ぶためにロックを利用しようというだけのものではない。かといってロックを歴史的に捉えることが主たる目的でもない。

 それを歌ったアーティストについての基礎知識はもちろんのこと、英語の「うた」に託された思いを日本語に解釈することを通して、その背景にある欧米の文化、人種・階級の壁、発表された時代状況などを解説する。

 売れなくては意味がない歌の文句に過ぎないのに、私情や恋だけじゃなく、社会に対する憤りや正義を問う熱情がある。歌の力で世界を変えることが出来ると信じる心がある。

      「ロックの英詞を読む」
          ピーター・バラカン著
       集英社インターナショナル刊 1600円

Then and Now : 今日5月22日(土)、NHK-FMの音楽番組「ウィークエンド・サンシャイン」で、DJのバラカン氏が、私の文章について「ありがとう」と言ってくれた。平成16年4月25日付熊本日日新聞朝刊「私の三つ星」掲載。そのコピーを先週、番組宛に郵送した。多分ひとこと紹介してもらえると信じ、カセットも準備していた。
 この文章の冒頭に書いたように、私は氏の言葉に大いなる影響を受け、外に向けて自分の意思を表明することの大切さに目覚めた。レコード会社のPR紙というのは、私のホームタウンである大津町の商店街にあった「本田レコード店」(といっても電気屋の一角)でもらったもの。東京から戻ってきて、しばらくしてのことだったと思う。
 何でも大袈裟に書く傾向があることは自分でも承知の上で重ねて書くが、チラシみたいなフリーペーパーの、小さなコラムを読んだことで、人生変わることもあるのだ。事はラジオだけに終わらない。
 この本に出合えたのは、奥田英朗著「真夜中のマーチ」が痛快に面白いという書評を、週刊誌の立読みで読んだので、それを買ったら、新刊案内が挟み込んであり、多くのタイトルの中に本書を見つけたのだった。かようにして、本は発見(ディスカバー)される。

CMの女王~?/?/1999

「CMの女王」という言葉は、小泉今日子さんのために出来たのではなかったでしょうか。
 これまでも、切れることなくずっとCMに出ていた彼女ですが、この秋、日立の家電の統一キャラクターになってからは、まさに女王再臨ですね。
 それも1本1本の趣向が実に凝っていて、これまでサエなかった「サビない人」シリーズもこれまでで一番いいと思います。
 たとえて言うなら、ひとり「WiLLプロジェクト」。離婚のウワサが不発だっただけに長年のファンとしては、痛快きわまりないことです。

Then and Now : 「女王」という言葉。私はずっと「ジョウオウ」と発音してきた。国語辞典的には、「ジョオウ」が正しい。皆さんはどうですか。「ジョオウ」と聞いても、私の頭では「ジョウオウ」と理解してきた節がある。人の脳の「思い込み」の強さを示す好例と私は思います。因みにパソコンでは「ジョウオウ」でも「女王」に変換する。

 ところで女性週刊誌的には、いつの世にも「CMの女王」がいます。小泉の場合、結果的には、日立のCMは惨敗だったと思う。すべてを見たわけではなかったが、テンションは低いし、まず作品的に志が低かったように思う。反対に資生堂「エリクシール」で、年齢がひとつずつ上がっても変わらず、美しく、お茶目で、可愛いだけじゃなく、シャンとしている小泉の魅力が描かれ、何年にも渡ってシリーズが続いたことが評価され、『センセイの鞄』に到達することが出来たのだ。

 この文章は、週刊誌「ザテレビジョン」の「ボイス・ボックス」欄に投稿したのだと思う。不採用。構成上、日立CMを少し持ち上げて書いたことを認めます。

 永瀬正敏との離婚については、時間の問題と言われ、今年の冬まで延々と引っ張られた。ファンとしては、いずれにせよ影響なし。世間でも、悪意を持った受け止め方はなかったと思う。永瀬の影が薄いからか?彼女の好感度のなせる業だろう。話題性が低いという見方もあるが。

2004年5月19日 (水)

「週刊クンタキンヤ」11/16/1999

 二男の8歳リョウは、熊日夕刊のクロスワードパズルが大好きで、毎週、国語辞典を引きながら、自分で解いている。
 ちょっとむずかしいところは、さすがに読めない漢字があるのと、まだカタカナをスラスラ書けないことだ。
 でも子どもと一緒にクロスワードやるのって楽しいですよ。図書券当たればもっといいけど。

Then and Now : 平成11年12月18日付「すぱいす・ほっと」掲載。で、以来5年間応募し続けて今年の4月、やっとのことで5,000円分の図書券にたどりつきました。

「週刊クンタキンヤ」6/17/1999

 本日の放送で、D.J.=ディスク・ジョッキーについての言及がありましたが、いつだったか雑誌か何かで、今、DJというのは昔のラジオ放送のディスク・ジョッキーと違って、クラブでお皿をまわすと同時に、楽器のように鳴らす(というのかな)人のことをさすのだそうで、ただ単にDJなのですね。

 で、昔ながらのDJパーソナリティは、ナビゲーターというんだそうで、これはTOKYO FMあたりが使い始めたんだと思うのですが。
 ちなみにLove FMでは、AJ(エア・ジョッキー)と言ってますね。

 というわけで、DJという言葉の意味が変質してしまったのだから、これをどうこう言っても、若い人の認識とのズレだけは、どうしようもない、ということでしょう。どちらが正しい、でもないと思います。 

Then and Now : なんてことを書いた相手は、「やるざんす」のうんばば中尾氏。釈迦に説法だった。でも番組内で、本当に知らないように聞こえたから、わざわざ書いたのかもしれない。いずれにしても少々スノッブです。

2004年5月16日 (日)

「週刊クンタキンヤ」6/25/1999

 5月から、クルマのナンバーが原則自由に選べるようになったことは、ご存知でしょう。
 今日、銀座通りで強引に割り込んできた、黒塗りのベンツが1台ありました。
 日頃温厚な私もついクラクションを鳴らしてしまったのですが、ぶつかっても負けるので、仕方なく後ろに付いて、何気なくそのナンバーを読むと「・8-93」。
 自分のクルマに「893」なんてのを選ぶヤクザの人がいるということは、にわかに信じがたいので、竹内力みたいな「ヤクシャ」だったのかも、と思った雨の日でございました。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。こんなどうでもいいような話でも、車のナンバーを選ぶことが出来るようになったのは、99年の5月からだったのだということを思い出させてはくれる。少年期に深夜放送のパーソナリティに書いていたハガキと大差はない、とうことにも気づく。

2004年5月15日 (土)

「週刊クンタキンヤ」8/30/1999

 9月2日の8回目の誕生日を前にして、二男に7歳が終わって8歳になるのって、ちょっとさびしくないかと聞いたら(訊く方もきく方だが)、「人生これからだ」と答えやがった。

 二男リョウのもうひとつの話。
「ぼくは、おかあさんと同じB型だから、おかあさんの子どもってわかるけど、おとうさんとぼくは親子かどうか、わからんよね」
「なんで」
「だって、おとうさんO型でしょ」
 長男と妻が起きてくる前の早朝、私はメモ用紙にABO式の組合せを書いて、息子に血液型の講義をしたのだった。

Then and Now : 平成11年9月18日「すぱいす・ほっと」掲載。この「人生これからだ」ネタは、PTAの保護者会の締めの挨拶などに結構使わせてもらった。久々に原文を読むと、微妙に記憶とずれてきていることに気づく。直近では、遼の6年生最後の授業のとき、出席した一人ひとりが感想を言うことになり、これを久々に使ったら、ぐっと胸にこみあげ、声が震えてしまった。
 この「すぱいす・ほっと」の「ほっと」を私は“hot”と勘違いしていたのかもしれない。

2004年5月14日 (金)

「泉谷しげる イン・コンサート」大津文化ホール 8/22/1999

 高校3年生のときだったろうか、26、7年前、今の県立美術館が県立図書館だったころ、図書館ホールでフォーク・コンサートが開かれ、泉谷しげるも出演した。

「黒いカバン」の歌に合わせて皆が手拍子を打つものだから、リズムに乗れなくなって困ってしまっていた、シャイなシンガー・ソングライターだった彼はそのことを覚えているだろうか。そして大津町の町民ホールでの本当に久々の泉谷しげる。当夜は最初から、手拍子は自分の指示に従えと言い放った。

 月日が流れ、私達も年を取ったのだが、古い歌に込められたメッセージは、今も生の声で歌われると少しも古くさくない。当時、心をとらえた魂の叫びみたいなものを思い出し、自分の若さも蘇ったように感じるだけか、それとも未だに心を打つ真実が歌の中に生きているのか。

 よしだたくろうの「イメージの詩」も聞かせてくれたが、あの頃新しい海に出た水夫は、今の時代に再び新しい水夫として、古い船に乗りこもうとしているのかもしれない。

Then and Now : 結構、ハッタリかませた文章で、今読み返すと気恥ずかしい。それと、書いてることが「魂の叫び」(は、ジョー・コッカーのキャッチ・コピー)だとか、なんか「ウッドストック引きずってます」みたいですよね。平成11年9月2日付熊本日日新聞「私にも言わせて」掲載。因みに、この日は二男、『人生これからだ』遼の8歳の誕生日でした。

2004年5月12日 (水)

いつまでも絶えることなく、友達でいよう。

 トヨタのキャミのCMで有名になった、ダンシング・ベイビー。無表情なベイビーが可愛いと見えるか無気味かは世代によってまるで反応が違うという、リトマス試験紙みたいなもの。私は慣れてきたので平気になったが、よく見ると髪の薄さといい顔立ちといい、「アルマゲドン」のブルース・ウィリスそっくり。

 ところで同じCMも、FMになるとちょっと危なくて、監督みたいな男が「もっと腰ふれえ」とか叫んで、まるで幼児虐待である。が、そのあと「表情かてェーぞ(硬いぞ)」「生まれつきデチュ」というやりとりがあって大笑い。

 同じトヨタのラジオCM版キャバリエも、そういえばすごかった。所ジョージさんが、例によってギターを弾きながら歌うんだが、最後にどさくさまぎれに「あなたが死ねば世紀末が派手になる」とやっている。『あなた』が誰を指すにせよ、かなり危険なCMソング。その毒気と、表現の自由に乾杯しよう。
 
Then and Now : 熊本日日新聞「私にも言わせて」に送ったものだと思う。当時は知らなかったんだけど、ブルース・ウィリスに似てるはず。
彼をモデルにしていたらしい。ウィリスは「こちらブルームーン探偵社」というTVドラマで名を為しただけあって、TVドラマに出ることに抵抗がなかったのだろう。このころのトヨタのCMは、それなりに面白かった。

「動員」その積極的意義~7/?/1999

 先日、合志町総合センター「ヴィーブル」で岡本富士太氏の子育てについての講演会があった。NHK「中学生日記」の先生役で有名な岡本氏の話の中にあった、子どもとの会話以上に大事なこと、子どもたちがどこを見ているか、何を見ているかを知ることの重要性が心に残った。

 しかし、それ以上に私にとって、うれしかったことは、会場で何人もの知人に出会えたということである。
 前の会社の同僚や保育園の保護者会で一緒だったお父さん、小学校のPTAやクラスでの顔見知りなど、よく会う人、久しぶりに会う人達と、ひとつの会場で同じ講演を聞くことができたということが、貴重な体験だったような気がした。

 合志町は熊本市近郊のベッドタウンとなって久しいが、仕事が終わって我が家に、寝に帰るというだけではもったいないと思う。ほとんどの子どもは中学を卒業するまで生活の大半をこの町で過ごす。
 その親が地域と関わることを避けて通れるだろうか。インターネットで世界と瞬時につながることが可能な時代だからこそ、日常生活でふれあう人達や身近な出来事が私にはとても大切に思えるのだが。

 実はこの会への参加は、いわゆる「動員」の電話連絡がきっかけだった。「動員」されて仕方なく行く人もいるかもしれないし、その受けとめ方も様々だろうが、何にでもちょっとした「きっかけ」は必要なのである。

Then and Now : 平成11年7月26日熊本日日新聞「親の目」欄に掲載された。改めて読むと、わずか5年の歳月とはいえ、今より確実に熱い。当時は息子たちも扱いやすかった。そんなことはないはずだが、世の中さえ、もっとシンプルだったような気がする。
 記憶って単純化されるのだろう。少なくとも、良き父親としての、理想のイメージは、頭の中にあったということだ。

2004年5月10日 (月)

「週刊クンタキンヤ」8/5/1999

 市電の花電車、見ましたか。世安方面はバスしか走ってないですから、まだですか。

 真っ赤なペコちゃんが登場したときは、もう時間の問題だとは思ってましたが、チキンラーメン号もある熊本市電。片や、白くて涼しげでスマートな超低床電車が走るというのに、収益性を高めるのに安易な道を選んでますよね。

 それにしても、走る広告より、花電車の方が数10倍、趣味が悪くて暑苦しいんだから、思わず「これがクマモトだ!」と叫びたくなってしまいました。
 ところで、世安の熊日からは、新しく走る豊肥線の電車は、毎日ながめられますね。

Then and Now : 「すぱいす・ほっと」不採用。このハガキと前後して、「すぱいす号」も登場してしまった熊本市電。今となっては、何でも許せてしまうほど、慣れっこになってしまった。それでもデザインの良し悪しは歴然とある。

 上通の入口にあった熊日が、再開発ビルを建てるため、世安町に完全移転したのと、豊肥線が一部電化されたのは、大体同じ時期だったと思う。

 ところで、今週の週刊文春「考えるヒット」の近田春夫氏によると、桑田佳祐の「Aja~彩」の歌詞は、かなりステロタイプらしい。私は一度しか聞いたことがないもので、すみません。
 また、どんな紋切り型の歌詞でも、それでひとつの世界を構築できていればいいのかも。それが多くの人に理解され、共感を呼ぶ世界であるかどうかは別の話。

2004年5月 9日 (日)

「週刊クンタキンヤ」7/27/1999

 久しぶりに聞きました(でも1週間ぶりぐらいですか)ところ、意味不明歌謡が盛りあがっていたので、うれしかったです。
 gray(grey)のファンの方の言い分もわからないではないですが、TVで以前見ていて、歌詞がテロップで流れるときに私は思いました。歌詞というのは意味をなさなくても、意味が通じなくてもいいのだ。サウンドに乗りきっていれば、と。

 ミック・ジャガーは、わざと聞きとれないように歌うのが、かっこいいんだというようなことを、かなり昔にのたまっていたそうですが、あれは照れかくしと、多分に呪術的要素があるのでは。

 確かにgrayのサウンドは、一時期、光り輝いていたと思う。しかし、歌詞にはほとんど意味がなく、ただそれでも尚且つある種のメッセージを伝えてはいたんだから、言葉なんてものの価値を見直す機会を与えてくれた、ひとつの現象なのかもしれない。

Then and Now : grayでもなく、greyでもなく、glayが正解。意味といえば、サザン・オールスターズの桑田佳祐の書く詞に「意味がない」という批判がありました。でも、それは「ナンセンス」と「センスがない」を道義と捉える誤りです。
「やるざんす」宛てのハガキでした。

2004年5月 8日 (土)

「週刊クンタキンヤ」5/11/1999

シリーズ 責任の取り方
 私は、この3月で43歳になりました。これまでの人生では、数多くの失敗を犯し、主に仕事においてですが、ま、その都度何らかの責任を取って、帳尻を合わせたり、頭を下げたり、口先だけで謝ったりしてきました。
 しかし、この「責任を取る」ことの意味、行動が、私の中では標準化されていなくて、どうもよくわからない。
「どう責任を取ればいいんだ」と心の中で叫んだことの1回や2回、誰にでもあることと思います。

 前置きが長くなるので、ひとまず「今週の責任の取り方①」
   日本長期信用銀行 上原隆元副頭取の自殺が(長銀の粉飾決算に責任を感じてのことだとすれば)責任は、不良債権の発生と処理の先送りの実体を明らかにすることで取ってほしかった。紺谷典子日本証券経済研究所主任研究員の話(熊日新聞5/7朝刊より)~わかりやすいように一部文章を変えました。

Then and Now : 「やるざんす」に出したのだと思う。福田官房長官が辞任したことも一つの責任の取り方かもしれないけど、言われるように他閣僚への波及を自分ひとりの辞任で食い止めるためということであれば、他己責任か。元々投げやりな性格なのかもしれない。喋り方でわかる。
 ところで、このシリーズ、確かこれ1回きりで終わった。あまりに皆さん、頭を下げられるんで、責任の取り方を考えることが、無駄な営みに思えてきたのでした。

2004年5月 5日 (水)

「週刊クンタキンヤ」5/26/1999

「男性出張ホスト」というあやしげな立看板を最近見かけました。
 熊本もついにここまで来たかという感慨と同時に、男性ホスト募集という文字にも、誰が電話するんだろうな―と興味がわいたのも事実です。

 それが、2~3日したら、「募集」の部分にビニルテープで斜線が入っていたので、おう、もう定員になったかと思ったのですが、待てよ、これは男女雇用機会均等法のために、男性のみの求人が出来なくなったので、クレームがついたのかもしれないなと、妙に納得してしまいました。
 いかがなものでしょうか。

Then and Now : 「久々、週刊クンタキンヤ 街中の張り紙で考えた!」のフロントラインをつけてくれた当時の「すぱいす」編集長M氏。久々と言ったって、ほぼ毎週書いてたんだけど。
 でも編集者の目にとまり、その手を煩わすことで、文章は鍛えられるものだ。危ない中年ネタで、絶妙のコラボだったんだけど、時は流れ趣向は変わる。これは「熊日すぱいす」平成11年6月12日号「ほっと」欄掲載。

「週刊クンタキンヤ」7/5/1999

 今日(7/5)の放送で、官庁に勤める公務員の方にアンケートを取った結果の話をされましたよね。

 で、どの官庁でも約半分ぐらいの人が、公共事業の執行に疑問を持っているという内容だったと思うのですが、あれって多分、建設省の人は「農水省のやることはムダが多い」とか、通産省の人は「運輸省のヤツら、センスがないから」とか、自分の所属している省庁以外の部署の仕事を批判している人がほとんどなのでは。

 それが証拠に、環境庁の人にとっては、多省庁のやってること、ほとんど環境面からは褒められたものじゃないから、いちばん割合高かったでしょう。
 誰でも自分の仕事、既得権益は、ひとまず守ろうとしてるんではないでしょうか。

Then and Now : FM中九州「うんばば中尾のやるざんす」に送ったハガキ。読まれてないと思う。が、毎日欠かさず聞いていたわけではないので不明。
 この頃、営業車の中ではよくFMを聞いていた。博多のLOVE FMもよく聞いたものだ。スポンサーに元気がなくなると、プログラムもつまらなくなる。ということは、やっぱりムダとか遊びが、面白さそのものってことか。

2004年5月 4日 (火)

白川は生きているか~7?/?/1999?

 河川改修の工事というのは、大雨で川の水が最大の流量になったときのことを考えて、短時間に早いとこ海まで流してしまおうということを計算して、なされるものだと思うのですが、雨が少ないときの流量の少なさ(通勤途上、白川を毎日渡るので、白川のことです)を見るにつけ、いわゆる水害は防げても、川自体の日常は、もはや「川が生きている」状態とはとても思えず、全流域とは言いませんが、多くの場所で白川は健軍川化しているのではないでしょうか。
 河川改修は、一旦手をつけたら、やっていないところが弱くなるので、ぜ――んぶやらざるを得なくなる工事でしょう。白川を救うことは至難の技ではないでしょう。

Then and Now :建設省(現・国土交通省)のPR誌みたいな「ハンズ・トゥ・ランド」に出したハガキだと思うが定かではない。あまり科学的ではなく、コンクリート2次製品メーカーに勤務していたときの、仕事を通じた経験が元になっている。雨量が少なくなっているのか、集中豪雨型になっているのか、白川の水位は晴雨によって極端に違う。これ、小磧橋付近での話。

「週刊クンタキンヤ」6/4/2000

 6/3日号の70年代特集を見ていたら「流行年表」の78年に、「なーんちゃって」という意味不明な言葉が大流行、とありました。
 でも少なくとも、その2、3年前には私達の間では、熊本弁で「~て、言いよるど」という言いまわしが、ごく日常的に使われていました。
 
 先日の熊日に文化庁の世論調査の記事がのっていて、ぼかし表現が10代や20代の若者に広がっていて、例として「良かったかな、みたいな」という相手の反応をみる言い方をするというのが、上がってました。
 要約すれば、20数年前の若者も、今の若者と似たような言いまわしを使っていたということ。

 年輩の人が使う「私なんかに言わせれば」というのと「わたし的」「話とか、してた」というのと、どこがどう違うというのでしょう。

Then and Now :「すぱいす・ほっと」不採用。私は、元詩人なので、言葉に対するこだわりがあります。その割には無神経だと、ときどき反省もするのですが。手前味噌ですけど、こういう文章は、すぱいすに掲載されることはなくても、当時のスタッフにとっては「有難いお言葉」であったと思う。が、それを感じ取れる人は、おそらくいなかっただろう。村上春樹が書いていたら、すごいと思うんだろうね。
おいおい、なんかいじけてるぞ。

2004年5月 3日 (月)

「週刊クンタキンヤ」12/2/2000

 9歳のリョウが、お母さんのことで話したいことがあると言う。
「おカアさんて、キゲンのいいときと悪いときと、こ―――んなに、ちがうたい。ボクは本当のおカアさんが知りたい」

 シンプルだが、鋭い疑問である。しかし、リョウよ。人生 山あり谷あり、じゃないな、苦あれば楽あり、でもなく、こわいところもあるけど、可愛いところもあるから、ガマンできるんだよ。
(リョウが同じのるなら、熊日夕刊より、すぱいすの方がいいと言ってました)

Then and Now :「こ―――んなに」のところで、胸の前で左右の手を一杯に引き離した遼だった。「すぱいす・ほっと」不採用。この頃「すぱいす」のクンタキンヤは一部で有名になっていた。遼は、今でも「すぱいす」を開く土曜日の朝が楽しみのようだ。それだけではなく、新聞そのものを隅々まで読んでいる(隅々しか読まない、という気もするが)ので、親子の対話は結構はずむ。
 今思えば、私自身、少年期のいちばんいい時期を弟と離れて暮らしたので、遼とつきあっていると、息子というより、弟との生活を取り戻しているような気がして来る。

2004年5月 2日 (日)

「ひなんの家」のひ弱さについて~10/4/2000

 先日の本紙「読者のひろば」に「こどもひなんの家」についての意見がのった。コンビニの従業員がほとんどアルバイトの青年たちであること、彼らへの教育など鋭い指摘だったと思う。

 この「ひなんの家」というステッカーがあちこちに見られるようになって、もう2、3年たつだろうか。発想も意気込も素晴らしいことだと感じた人は多かったことだろう。だが、運動としては広がりを見せたものの、交通安全運動のスローガンと同様に「ただそこにあるだけのもの」になってしまっていることに、誰しも薄々気づいていると思う。

 「助けて」と、とび込んでくる子どもがいないことは幸いである。だが、見方を変えれば、ただ「ひなんの家」やそれに類する表示があるだけの家に本当に助けを求められるのだろうか。その家が、たまたま留守であったという不運を除いても、もともと運動自体に危機管理の考え方が抜け落ちたまま、実体の伴わない善意だけが広まったように思う。まるで不動産会社の、アパート管理を示す標章である。

 身に危険が迫ったら、どこの誰にでもいいから、そのことを知らせるということを子どもには教えたい。

Then and Now : 平成12年10月9日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。「不動産会社のアパート管理」の部分は、削られていた。当ってはいるが、一般の人にはなじみがないからだろう。「交通安全運動のスローガンと同様」という部分が、私の言いたいことのすべてです。「危機管理」という言葉が流行ったのもこの頃だったような気がする。

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