「一九七二」
人の記憶というのは、覚えているようでいて、結構自分勝手な思い込みであることが多い。その上、その思い込みを形作っている元の情報自体が、当時の噂だったり新聞の見出し程度なので、人の歴史認識はなかなか改まることがない。
逆に言えば、歴史は後世の人の解釈や分析が加えられて初めて出来上がるものであるとも言える。著者が、自分の生きてきた時代に体験したこと見聞きしたことをもとに、当時の雑誌に直接当たり、考察しながら書き記すとき、そこに歴史の真実の一断面が見えてくる。
共通の歴史意識を持たない若者たちと対話するための試みであると著者は書いているが、やはり私のような昭和30年代生まれの方が、懐かしさ以上のものを発見して得るものが多いと思う。「一九七二」という象徴的な年号は、人それぞれに、最も多感な年、14歳があったということなのだろう。それは日本という国にも。
「一九七二」
坪内祐三著
文藝春秋刊 1890円
(8/24/2003)
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