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2004年2月22日 (日)

記憶の森の油絵を尋ねて①

   上田欣也 (昭和49年 高校26回卒)

 高校に入学した勢いで、私は、NHKラジオのフランス語会話、ピアノ、油絵と、三つのことを同時に始めた。その中で一番長続きした、これは美術部の思い出である。
 私たちが入部したときには、伝説の美術室は解体前夜であり、まず最初に3年生から命じられたのは、旧美術室にカーテンレールを外しに行くことであった。次に鍛治村の建材屋さんにベニヤ板を買いに行くことになった。裏門の方からベニヤ板を抱えて歩いてくると、グラウンドからの風が強かった事を覚えている。校舎の方は、今の鉄筋の建物にほとんど変っていた。
 そのベニヤ板を好きな大きさに切って、仮縁といって木の枠を打ち付けるとキャンバスが出来上がった。そうやって、油絵を描き始めたのだが、上級生から絵に関してあまり口出しはされなかった。
 それより、美術室では卓球やったり、それに飽きると屋内野球をやったりといったことの方が日常的だったのだが、それが表面的なことだと分かったのは、県美展や文化祭前の彼らの真剣な表情と集中力を見てからだ。しかし、今考えると、普段描いてないから、そういうときぐらい作品を完成させないと、卒業して名を成している諸先輩方に、正直合わす顔がないというのが、真実だったかもしれない。歴史とか伝統にそんなに縁のあるクラブだとは知らなかったのだ。
 そうこうするうちに、2学期になり、縁あって生徒会の役員になっしまった私は、油絵も変らず描いていたが、生徒会活動の中で忘れられないのが、サッカー部の創設である。メキシコ五輪以降、日本でもサッカーの認知度は高まり、高校にも同好会が出来ていたが、メンバーも増えたので、部活動に昇格させたいという動きになったのだと思う。それを認めるか否かで、委員会は紛糾した。そりゃ、野球部にとっては、グラウンドは取られるし、他の部にとっても予算のパイは小さくなる大問題だったわけだ。昭和47年ごろ、オイルショック前の話である。

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