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2004年2月の25件の記事

2004年2月29日 (日)

テーマ「何様のつもり」

クルマのウィンドウにフィルムを貼っている奴。言ってみれば、サングラスみたいなものだろうけど、この寒い時期に太陽熱を遮断して、省エネご苦労さん。しかし、室内は外に熱が逃げなくて、やはり省エネか。
しかし、問題はそういうことではなくて、自分はいいかもしれないが、
ハタ迷惑なクルマであるということだ。
安全に運転するには、対向車や脇から入ってくるクルマが、どういう動きをしたいのか認めることが最重要課題である。
自分の表情(カオ)を隠すなんてのは、コソ泥かのぞき魔のやることであって、外界と自分の車内を隔てることによって、自分の身(内面的なものも)を守ろうとするあまり、他人はどうだっていいというスノビッシュな態度。ほんと「ナニサマのつもり」だ!(2/9/1999)

コメント:うんばば中尾氏が、当時FM中九州で「やるざんす」という
番組を持っていた。結構よく聞いていたのだが、その中に「何様のつもり」という短命のコーナーがあって、そこに投稿したもの。確か、読まれていない。

ぼくの人生はいつ始まった

ぼくの人生はいつ始まった
 
 朝が終わらないうちに
 昼はやってくる
 柱時計が12回打つことが
 お昼のしるしだろうか
 ぼくの人生はいつ始まった?
 母の胎内にいたときには違いないけど
 人生の始まりを
 正確に知っている人がいるだろうか

 秋が終わらないうちに
 冬はやってくる
 森が緑をなくしてしまうことが
 寒さのしるしだろうか
 ぼくの人生はいつ始まった?
 秋が深まると物思いに沈みがちだけど
 人生の終わりを
 正確に知っている人を尋ねはしない

コメント:多分、1971年秋頃(15歳)に書いたものだろう。エルトン・ジョンの音楽に出会い、作詞のバーニー・トーピンの影響をじかに受けている。というより、訳詞をしていた今野雄二氏のセンスに、というべきか。詩人ではなく、Lyric Writer(作詞家)を目指していたので、字数を合わせることに腐心している。

2004年2月28日 (土)

「環境と公共性」について考える②

「まちづくり」は「ひとづくり」とはよく言われることだが、「ひとづくり」とはいっても結局、本人の自覚がなければ始まらない。
 だが実際には、たとえばこの本が再び手に取られることすら向こう5年ぐらいないかもしれない。一生かかっても読みきれないくらいの本が図書館にはあるから、振り向かれない本だってあるのも不思議ではないとも思う。
 それでもなお、本を読んで考えるということは私達の義務である。楽しみで読むことも大いに結構だが、読まなくちゃいけないものだという意識も多くの人に持ってもらいたいものだ。

コメント:合志町図書館が平成9年度「第2回図書館まつり」を記念した読書感想文募集に応募して、作品集に掲載されたもの。持って回った言いまわしは、規定の字数をクリアするためという方便でもあるようだ。 実は、「人・緑きらめく合志町」というスローガンが、掛け声だけで終わらないように、という願いも込められている。町の指名業者である会社に勤務していたので、あからさまな批判が憚られたという事情もあった。平成9年11月3日発行。

「環境と公共性」について考える①

 小学生の頃は、本は買って読むものではなく図書室で借りて読むものだと思っていた。
 30年以上も前のことではあるが初めて図書室に連れていかれた日のことをほんの少しだけ覚えている。小学校にいる間に木造校舎は鉄筋コンクリートの3階建てに変わったが、その校舎も今はない。鉄筋コンクリートの建物は100年はもつと当時聞かされたものだが、その頃身のまわりに100年建っているコンクリートの建造物はなかったわけだし、一時が万事、未来は限りなく広がっていると考えられていたのだから、それを私達に得意げに語った校長先生に責任はない。
 もちろんその新校舎が30年も実際には使われなかったのは別問題であり、そこには「もったいない」という考えと生活環境の急激な変化に不変不朽と言われるものほど、ついていけなかったに違いない。
「まちづくり」とか「都市計画」を扱った本を何冊か借りて読んでいて、この本に行き当たったわけだが、「環境」と「公共性」の問題はとても一冊の本で語り尽くされるものではない。引用される文献の数多さは事の深刻さを物語るものかもしれない。
 しかし、これだけの書物があることを私だって知らなかったし、おそらく読んでいる人も少ないことだろう。
 というわけで、「規制緩和」は自分たちを幸せにしてくれると単純に思いこんでいる人はいないだろうが、経済政策・景気対策としての規制緩和の先には社会的損失が横たわっているかもしれないということは覚えておいていいだろう。
 自分の仕事に追われたり、生活にかまけたりして、読書する時間も持とうとしないことが「環境の悪化」に拍車をかけている、というのは私の意見です。本を読んだら議論もしたい、これは私の願いです。

2004年2月25日 (水)

HP4的エレガンス①

 初期のハプニングス・フォーは、プロコル・ハルムとビートルズの申し子という感じでした。ファースト・アルバムは「マジカル・ハプニング・トゥアー」、聖徳太子の1万円札を模したジャケット・デザインが鮮烈でした。ということを私は知識としては知ってるんですが、正直言って、聞いたことはないんです。一生のうちには、聞く機会に恵まれると思いますが。(5/24/2003)

「クラシカル・エレガンス」は、セカンドLPだったと思うんですが、Junという男性向けブランドのポスターをジャケットに使った、当時としては当然最高のセンスでした。サブタイトルを「バロック・ン・ロール」といって、ポピュラー・ヒット曲を2曲ずつメドレーでつなげて、その上そのアレンジがバロック音楽風というんだから、よくそんなアルバムをレコード会社も制作させたものだと思う。
 東芝レコード(当時、東芝音楽工業)にはそういう前衛的な作品がたくさんあったのだが、何せ廃盤にするのがめっちゃ早いので有名である。(5/25/2003)

 クニ河内さんは、ハプニングス・フォーのリーダーで、レパートリーの大半を作詞作曲していた人です。そういえば、福岡出身だったような。「バロック・ン・ロール」の後、セールスが不振だったためか、ニューアルバムは、アポロンというミュージック・テープ・メーカーからリリースされます。タイトルは「アウトサイダーの世界」。全曲作詞は、元フォーク・クルセダーズの北山修氏(現九州大学医学部教授)。 私は、「恋人たちの願い/永田町への道」というシングル盤のみ持っています。(5/27/2003)

コメント:これらの文章は、熊本シティFMのホームページの掲示板に
書き込んだもの。内容に関しては、記憶に頼ったものなので、正確ではないかもしれません。

2004年2月24日 (火)

厚生労働行政モニター報告書「病院事業への株式会社参入について」

 今年は、インフルエンザが大流行して、病院はどこも院内感染の巣窟
みたいであったと、ある医師が新聞の投稿欄に書いていた。
 病院が、高齢者にとってのサロンと化してかなりの月日が流れたと思
われる。この病院サロンは、ある意味で社会福祉として容認されている
のかとも思う。
 お年寄りに限らず、誰でも出来るなら長生きしたいというのが本音だろう。ではなぜ、長生きしたいのか。それは死ぬのが怖いからだろうか。というよりも「生きているから生きるのだ」という理屈にならない理由が根底にあるような気がする。
 死なないための医療。死そのものより、不健康を恐れる心理が、健康
ブームを支えているのではないか。病院に通えることが、健康の証であると考える高齢者は、そういう時代に生き永らえて来たのだ。
 国民一丸となって、高齢社会を目指してきたというのが本音であって、結果として高齢社会が到来したのではないだろうか。
 病院経営への株式会社の参入を私は認めるべきだと思う。それが、医療に関連付けて、高齢者の個人資産を巻き上げることを目指すものであるなら、尚のことである。
 国立病院が独立行政法人化され、効率化を目指す時代に、なぜ究極の効率化を目指す企業があってはいけないのか。既得権益にしがみつくのは誰しも、どの業界でも同じであるが、自分の命を自分で守るための判断が出来るような情報開示を促すような制度を形成することは当然必要であり、少しずつではあるが、改善されてきていると思う。厚生労働省自体も亀の歩みとはいえ、良い方向に進んでいると言えないこともない。
 表向きはそう見えなくても、現実に病院を営利事業と割り切っているところもあろうから、何故失敗が予測できるのか、その失敗がどう取り返しのつかないものかをまずは説明してから、反対してほしい。(2/24/2003)

コメント:恥ずかしい。支離滅裂で、何を言いたいんだかわからない。
実は、病院の株式会社化は、弱者切捨てにつながる(お金のある人しか充分な治療を受けられない)と言われている。厚生労働省のモニターもこれで終わりだったので最後に言いたい放題だった。

2004年2月22日 (日)

殺し屋はバスに乗る

 終点でバスを降ろされ、途方に暮れているような東京でのくらし。巡りあったコールガールと青年。人口が密集する都会では、どんな仕事でも成り立つ。誰でも何とか食っていける。定年間際のうだつの上がらない刑事。女手ひとつで息子を育て上げ、今もホテルの受付の仕事を続ける老女。二つの暴力団の間をずる賢く立ち回り、金になることなら何でもする男たち。奇妙なサムライ言葉を使う青年は、女を守るために彼らを敵に回した。女は、彼のひたむきで献身的な愛に戸惑いながらも、その一途さにいつしか心を惹かれるようになる。新宿に埋もれ、まともな生活を望みながらも現実にひしがれながら、悪い方にばかり転がってしまう彼ら。それでも明日を夢見ることだけは許されている。都市の島々を繋ぐ路線バス。人工的な光の洪水から逃れ、安息の地へと走る長距離バス。青年と女の出会いの謎が解き明かされるエピローグは、信じることの力強さが胸を打ち、泣けます。(12/8/2003)

                 「殺し屋はバスに乗る」
                     山本音也著
                    講談社刊 1800円

コメント:熊本日日新聞「私の三つ星」不採用。これを読んだら、この小説、絶対読みたくなると思いませんか?ただ、小説として、芯の太さが足りないところが弱点。

記憶の森の油絵を尋ねて②

 そんな美術部と、程なく誕生するサッカー部には人的な結びつきがあった。中学のときから、美術クラブでお世話になった与縄さんが、美術部をやめてサッカーに行ってしまったこと、それから翌年の事だが、同じく大津中学校の美術の後輩、今は第二高校の美術の先生だが、松岡清博君、彼も高校ではサッカーに入ってしまった。
 で、私は生徒会の委員として、各部の意見を調整してサッカー部の誕生に少しは関わったと言えるだろう。そのことはすっかり忘れていたのだが、数年前、全国大会に出場するというとき、熊日の記事で、創部25年という記述を見かけ、指折り数えると、どうもその年から勘定してあるようで、一気に蘇った記憶である。以来、小額だが毎年寄付は欠かしません。
 高校2年の夏、私は、正門付近の木立と、その向こうの青空、透き通るような4羽の白い鳩を30号のキャンバスに描いた。銀光展には落選したけれど、ずいぶん長く、売店そばのトイレ入口の壁にかけてあったので、覚えておられる方もいらっしゃる事だろう。(8/17/2003)

コメント:この文章は、大津高校の80周年誌に寄せたもの。内容に異議のある方は、掲示板へどうぞ。堅苦しい文章ばかりが集まるだろうと思ったので、それなりにくだけてみたが、鼻持ちならない自慢話と言えないこともない。

記憶の森の油絵を尋ねて①

   上田欣也 (昭和49年 高校26回卒)

 高校に入学した勢いで、私は、NHKラジオのフランス語会話、ピアノ、油絵と、三つのことを同時に始めた。その中で一番長続きした、これは美術部の思い出である。
 私たちが入部したときには、伝説の美術室は解体前夜であり、まず最初に3年生から命じられたのは、旧美術室にカーテンレールを外しに行くことであった。次に鍛治村の建材屋さんにベニヤ板を買いに行くことになった。裏門の方からベニヤ板を抱えて歩いてくると、グラウンドからの風が強かった事を覚えている。校舎の方は、今の鉄筋の建物にほとんど変っていた。
 そのベニヤ板を好きな大きさに切って、仮縁といって木の枠を打ち付けるとキャンバスが出来上がった。そうやって、油絵を描き始めたのだが、上級生から絵に関してあまり口出しはされなかった。
 それより、美術室では卓球やったり、それに飽きると屋内野球をやったりといったことの方が日常的だったのだが、それが表面的なことだと分かったのは、県美展や文化祭前の彼らの真剣な表情と集中力を見てからだ。しかし、今考えると、普段描いてないから、そういうときぐらい作品を完成させないと、卒業して名を成している諸先輩方に、正直合わす顔がないというのが、真実だったかもしれない。歴史とか伝統にそんなに縁のあるクラブだとは知らなかったのだ。
 そうこうするうちに、2学期になり、縁あって生徒会の役員になっしまった私は、油絵も変らず描いていたが、生徒会活動の中で忘れられないのが、サッカー部の創設である。メキシコ五輪以降、日本でもサッカーの認知度は高まり、高校にも同好会が出来ていたが、メンバーも増えたので、部活動に昇格させたいという動きになったのだと思う。それを認めるか否かで、委員会は紛糾した。そりゃ、野球部にとっては、グラウンドは取られるし、他の部にとっても予算のパイは小さくなる大問題だったわけだ。昭和47年ごろ、オイルショック前の話である。

2004年2月20日 (金)

役割の認識から始まる公共交通再編

 昨年の7月31日付の本紙に、熊本行政評価事務所が九州運輸局熊本運輸支局に対して、バス停での路線表示の徹底などを求めたという記事があった。それに対してどういう回答がなされていたのか。あれから半年近く、都市圏交通網の再編の話題が、あまり熱を帯びることもなく報道され続けるだけで、相変わらずバス停では途方に暮れる。
 バス路線の統廃合による利便性の向上は確かに重要な課題であり、今はまたとない好機でもある。しかし、路線の見直しのみが目的とされ、公共交通機関の役割について本当に考えられているようには思えない。
 年々利用者が減少していき、経営環境は厳しくなっているのに、乗客を増やす一番の近道である「路線表示」を、手書きででも工夫しようという真剣さは事業者には見られない。公共の名を冠しているのに「公共サービス」という認識は薄いのではないか。
 行政の「広く市民の声を聞く」という建前こそ曲者である。普段使う路線以外は、わかりにくいので使えないという人は多いはずだ。意見を編集する能力こそ都市圏交通の担当者は問われている。そのためにはまず自分で手当たり次第に乗ってみて下さい。(1/4/2004)

コメント:平成16年1月8日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。正確には覚えていないが、その2、3日前の夕刊「こちら編集局」に、わかりにくい路線表示という同様の意見が載っていた。この原稿を送った直後だったので、正直「やばい。これじゃ、こっちが真似したみたいじゃないか」と思った。でも逆に、同じテーマを続けて載せるという相乗効果をねらった編集側の意向で、運良く採用された文章とも言える。

2004年2月19日 (木)

公共交通は公共サービス機関

 九州産業交通の再建に伴って、バス路線の再編が脚光を浴びている。
それについては、利用者へのサービスが低下するのでは、と危惧される
向きもある。
 利用促進のためのキャンペーンは毎年行われ、それなりの予算もつぎ
込まれてきたはずなのに、その根本である、乗客に対するサービス度合
い、つまり顧客満足度について考えられたことはこれまでほとんどなか
ったのではないだろうか。
 バスを運転するのは、運転士さんである。公共交通機関とはいえ、公
道上で邪魔者扱いされるバスを、安全に運行する技術者である運転士の
方々のストレスは並大抵のものではないと思う。しかし、バスがワンマ
ンである以上、乗客の一人ひとりに対する接客は運転士の業務の重要な
一部である。乗客が安心して気持ちよく目的地に着けるように、事故に
気をつけるのはもちろんのこと、急発進・急加速・急減速などは慎んで
もらいたいものだ。
 通勤や仕事で、毎日バスを使う私は、バスがノンステップであるかど
うか以前に、お客さんに対する配慮の方が大事なのではと思うようにな
った。特別なことをしなくても、バス事業に関わる人全員がサービスの
原点を見直せば利用者は自然と増えていくだろう。(12/3/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。この文章が、掲載されなかったのは、本当に残念である。「観光都市熊本、住民の心構え」の項とほぼ同時期に投稿したので、紙面の構成上、こちらが外れたと思いたい。

観光都市熊本、住民の心がまえ

 先日熊本市電の超低床電車に乗っていると、味噌天神前あたりで、県立劇場がどこにあるのかを乗務員に聞く人がいた。そういうとき、案内図をさっと手渡し、道順を教えてやれたらと思った。
 観光に強い街にして、経済効果を高めようという戦略を描くことは大いに結構だが、小さな心遣いが積み重なって、観光都市としての魅力が全開するのではないだろうか。
 逆に何気ない、心ない対応が評判を落とすという例は数え上げれば切りがない。再び電車内での話に戻るが、乗務員が道案内をするわずかな時間、他の乗客の中にはイライラして「何で待たされなければいけない」と考える人もいないとは限らない。
 しかし、観光都市の住民は、直接にしろ間接的にしろ、観光によってもたらされる利益の恩恵をこうむるのであるから、そういう場合、「ごゆっくり熊本をお楽しみください」という気持ちを抱いて当然である。その覚悟が、自然な「おもてなしの心」に昇華されるような、市民あるいは県民の合意が形成されなければ、どんな観光資源も仕掛けも実を結ぶことはない。観光に力を入れていない自治体はおそらくないだろうから。
(11/26/2003)

コメント:12月17日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。あまりに
当たり前のことで、取り立てて書くようなことでもないが、日銀熊本
支店長の佐藤毅氏が、観光熊本を力説するので、少し斜に構えてみました。
熊本東法人会の研修会で、氏に直接ごあいさつする機会に恵まれたので、
熊日掲載のコピーを送りたいと思いながら、そのままになっている。

2004年2月16日 (月)

自転車に乗るための心構えの必要性

 金曜日の夕方、多くの人でごった返す上通りを歩いていて、通行禁止のはずの自転車に乗った若者たちとすれ違った。それも一台や二台ではない。私が広町方面を目指していたせいもあるが、皆並木坂から下りてくる。並木坂の両側の歩道は狭いが、自転車通行が禁止されているわけではないのだろう。そのままの乗りで上通りに進入してくる。
 彼らは、大勢の通行人の間を自転車に乗って器用に通り抜けることをゲームとして楽しんでいるのだろうか。上手に漕がないと人にぶつかってしまう。それをやることは、ある種のチャレンジなのかもしれない。
 あるいは想像力の欠如。彼らは他人の立場でものを考えることが必要だと思っていない。自分が世界でひとつだけの花だとは思っても、世界中がそんなたくさんのひとつだけの花でひしめきあっていることがわからない。
 人にはぶつからないから大丈夫だと思って自転車に乗っている人に、自分が他人の自転車にけがをさせられることを考えてみろと言っても、自分は他人にぶつけないから、という答えしか返ってこないだろう。それはルールやマナー以前の問題であり、何も若者に限ったことでもないのが現実である。
     (10/27/2003)

コメント:平成15年11月5日付、熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。ほんと、まだるっこしい表現だと自分でも思う。掲載されることを前提に自主規制をかけてるからだとご理解ください。

2004年2月15日 (日)

政治を教育に取り戻せ

 私は、高校のとき大学受験に関係ないということで、「政治・経済」という教科をおろそかにしたことを大変後悔している。どうも基本的な部分が、わかっていないので今でも非常識である。
「経済ってそういうことだったのか会議」という本も読んだが、全然記憶に残っていないし、新聞の政治記事もその場限り。「基本は、若いときに作る」は正しい。
 ところで、滋賀県豊郷町の小学校校舎の解体問題に始まった町長リコール。現場の教師は、子供たちに社会の仕組みを教える好機なのに、生きた総合学習になり得るのに、多分子供たちを遠ざけることしか考えていないのだろう。
 おそらく私みたいに受験を優先させた人たちが、教師になっているのだろうだから無理もない。しかし、それでは何にも変わらないどころか、悪くなる一方なのにね、とわが町内の小中学校に働く先生方にも、より一層の奮起を望むところだ。
 誰だって、出来るなら汚れ仕事に子供をつかせたくはない。しかし、政治をダーティーなものとして、子供たちから遠ざけるから、いっこうにいい人材が集まらない業界になってしまったのだと私は思う。
 ま、汚れ仕事の尊さというものもあるんですが。(2/19/2003)

コメント:前段「議員の世襲を問う前に」以前に合志町役場の掲示板に書き込んだもの。さすがにそのまま公開されたときには驚いた。特別、過激なことを書いているわけではないのだが、合志町に住んでいることを素直に喜んだ。

議員の世襲を問う前に

 二世、三世議員の是非が今回の衆院選でも話題になっている。しかし、それは議員という職業をあまりにも特別視しているように私には思える。子は親の背中を見て育ち、親と同じ職業を選ぶことで本来何も非難される筋合いではない。ところが、政治家は選挙で選ばれるためか、打算と見なされる傾向にあるようだ。
 先日、本紙「潮流」に木部尚志氏が「いま政治教育が必要」という文章を寄せられていたが、政治の世界で世襲が目立つのは、政治を学ぶことを教育から遠ざけてきたために、政治を志す若者が少なくなったためではないか。もちろん選挙で勝つには多額の資金と、洗練された戦術が必要だから、ぽっと出の新人が当選することは難しい。だがそれ以前に、一般的に政治はダーティーなものとして、我が子には出来れば就かせたくない職業と世の親が考えている節があるように思う。 
 汚い仕事はよその子に回して、自分たちは上澄みを掠め取ることだけを私達は考えてきたのではないか。そのための費用として、多額のお金が政治家に集まることを暗黙の内に許してきた。議員の世襲を問題視する前に、政治について、自分たちで責任を取る覚悟を決めることこそ必要だと思う。
                     (10/19/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」平成15年10月26日付に掲載された。 

2004年2月14日 (土)

失業者のメンタルヘルス対策

 会社の都合により昨年末で解雇され、昨日、職業安定所の説明会に行ってきました。昨年9月20日から失業認定申告書の記述に求職活動の具体的内容が求められるようになったとのこと。ただ、熊本の菊池職安だけの特別措置もある等、柔軟な対応を考えられているようで地域性を考慮されている姿勢は、たいへん良いことだと思いました。
 一方雇用保険の基本手当の支給に対する国庫負担が大きいことも、早く就業できるように自助努力も必要だということも納得できるのですが、もっと、シンプルな考え方もあるのではないかと思います。
 また、失業あるいは雇用対策の一環として、失業者のメンタルヘルス(前向きな精神状態を保てる状態)にも気づかいがほしいと思います。
 まだ、ハローワーク窓口で実際の相談をしたことがないので具体的対応はわかりませんが、たとえば先行きが心配で夜もろくに眠れないという方がいらっしゃるとします。そのとき、同じ労働者として、親身になれるか。公務員の経験しかない方では、失業が統計数字でしか認識されていないのかもしれないと、ふと思いました。
 真実はそうではないかもしれません。我が事のように心配される方もあるでしょう。しかし逆に、あまり相手の事情ばかり考えこむような人は、多くの求職者を相手にする立場としては不向きでしょう。
 相談員として、できれば資格をもった人がいいですが、気軽に心の問題を聞いてやれる人がいれば、そして「そんなに悩まなくても住宅ローンのことならこういう相談窓口があるんですよ」というように具体的なアドバイスができるようになればと思います。
 せっかく厚生労働省なのですから、省内の横の連携で、誰もが積極的な求職活動に臨めるような体制を作っていただきたいと思います。
                      (1/23/2003)

コメント:これも厚生労働省のモニターレポート。当時失業中だったので、ちょっと雇用問題について考えてみました、という程度。

2004年2月12日 (木)

「小説 ザ・ゼネコン」

 主人公山本泰世が、都銀中位行大洋銀行から、中堅ゼネコン東和建設に出向を命じられるところからこの話は始まる。1987年、日本経済は、はじけるとは夢にも思わず、バブルを急速にふくらませつつあった。
 ゼネコンが舞台の小説である。だが、業界で台頭していくための政治家とのつながり、世界的なホテルチェーンを買収する過程での、銀行同士のさや当てや調整など、ゼネコンは本来、建設業という以上に「契約者」「請負者」の意味であったことを改めて思う。
 東京都庁舎や関西空港に絡む政官業の癒着と談合のエピソードは、意外なほどあっさり描かれる。それよりも社長の後継者問題、社内での覇権争いなど、どの業種においても共通する話がメインなので、暴露小説を期待してはいけない。ただ、バブル崩壊に至るまで、主人公を始め魅力的な登場人物のその後の去就、また東和建設がどう突き進むのかも気になる。続編が読みたくなる小説だ。
 
             「小説 ザ・ゼネコン」
                  高杉良著
               ダイヤモンド社刊 1700円

                      (11/22/2003)

コメント:熊本日日新聞平成15年12月7日付「私の三つ星」掲載。

2004年2月11日 (水)

バス停での路線図表示について

 熊本行政評価事務所が、バス停での路線図掲示について九州運輸局熊本運輸支局に提言したそうである。そうでもしなければ、自ら動こうとしないバス会社の営業努力の欠如はさておき、早急な改善に期待したい。
 この春発行された熊本市営バスの路線図を私は市役所の受付でもらったのだが、裏面にある停留所早見表は、50音で停留所名を探せば、ゾーン名により、バス停の場所とそれに関連して路線名、運行系統を見つけることが出来て、使い慣れればかなりわかりやすい。 
 しかし、広げれば新聞紙大のそれをいつも携行しなければならないのは、大変不便だ。たとえどんなにコンパクトでも、つい忘れてしまうことはあるし、普段利用しない人が不意にバスを使おうと思うときに、一目見て理解できる表示が、バス停にあることの方がが大事である。
 熊本市営のバス停には、その路線については、運行図が貼ってあり助かるのだが、なぜ福岡市の西鉄バスみたいに料金も一緒に明示しておかなかったのか。さらにバス停あるいは町名から、他の路線を探すための早見表を、時刻表と並べて掲示をすることもさほど難しいことではないと思う。
(8/6/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。これは、県バス協会にでも送ればよかった。

2004年2月 9日 (月)

環境運動のめざすもの

 伊藤比呂美さんが本紙に連載されているエッセイの中で、日本人はごみの分別とかは一所懸命にやるけれど、環境や自然に対しては、アメリカの方がちゃんとしているということを書いておられたことが気になった。
 日本でのごみ分別の前提には、国土が狭いので、真剣に向き合わなければ、埋立場所に限りがあるという切迫詰まった状況がある。しかし、これはシートベルト着用運動が、交通死亡事故の抑制に貢献することは否定出来ない事実であるものの、交通事故の発生そのものを抑えるという根本的解決には、直接関係ないというのと似ている。そこには見た目のわかりやすい運動には熱心であり、目標達成に一丸となるが、それから先の大義には向かわないという共通点が見られる。
 確かに初期段階で、わかりやすい作業なり、運動から入ることは大事なことだ。だが、例えばごみに関する問題ならば、ごみの排出そのものの抑制こそが重要なのだ。耳障りのいい「環境に対する優しさ」を超えて、私たちには何が出来るのだろう。物を基準に計られる豊かな暮しが、間違っていることはわかっているのだが。

                      (7/20/2003)

コメント:これは、結局投函しなかった。

2004年2月 8日 (日)

「一九七二」

 人の記憶というのは、覚えているようでいて、結構自分勝手な思い込みであることが多い。その上、その思い込みを形作っている元の情報自体が、当時の噂だったり新聞の見出し程度なので、人の歴史認識はなかなか改まることがない。
 逆に言えば、歴史は後世の人の解釈や分析が加えられて初めて出来上がるものであるとも言える。著者が、自分の生きてきた時代に体験したこと見聞きしたことをもとに、当時の雑誌に直接当たり、考察しながら書き記すとき、そこに歴史の真実の一断面が見えてくる。
 共通の歴史意識を持たない若者たちと対話するための試みであると著者は書いているが、やはり私のような昭和30年代生まれの方が、懐かしさ以上のものを発見して得るものが多いと思う。「一九七二」という象徴的な年号は、人それぞれに、最も多感な年、14歳があったということなのだろう。それは日本という国にも。
  
               「一九七二」
                  坪内祐三著
                 文藝春秋刊 1890円

                       (8/24/2003)

2004年2月 7日 (土)

「クンタキンヤは、キムラタクヤのアナグラムではない」書き下ろし

 フジテレビ月9「プライド」のことを特別買っているわけではありません。でも、さすが腐っても野島伸司の脚本だけあって、セリフの破格(それ言っていいのかという突っ込みの鋭さ)に面白みがあります。前々回は「世界で一つだけの花」批判を木村拓哉に言わせてたし。大体、彼は映画や音楽からの露骨なパクリで有名ですが、私はそれは大目に見れる範囲だと思います。今回、アイスホッケーがテーマと聞いて、ポール・ニューマンの映画「スラップショット」を思い出した人は多いでしょう。あの作品では、女性脚本家が、プロのホッケー選手のロッカールームで交わされるダーティー・ワーズ(口汚い言葉づかい)を実際取材したということだったけど、今回文化的背景も違うし、こちらはテレビであるというハンデはあるものの、プレッシャーをすかしながら健闘していると思います。
 さて、本題は今年の干支申年にちなんで、木村拓哉の猿まね演技についてです。先週は、女子大生美人局(つつもたせ)グループに殴り込みをかけるという話だったのですが、敵愾心、あるいは戦意を表現するとき、彼、ムキッと歯をむいたんですね。あれは、ちょっと野性的でわざとらしいぞと感じて、でも何か引っかかると考えていたら、あるとき「あ、猿同士がけんかするとき、あんな顔を見せるんじゃなかったか」と思いついたわけです。
 読んでないけど「ケータイを持ったサル」という本が話題になっているいま、さすがトレンディーな人たちだ。これがまた、流行にフィードバックされるかと思うと頭が痛くなります。

交通渋滞対策と教育環境充実~一挙両得

 交通渋滞について考えているとき、夏休みなど学校の長期休みの期間中、通勤時間帯の車の数が確実に減ることに思い当たった。
 そのことを友人に話すと、普段は子どもたちを車で学校まで送る親が多いからだと言う。雨の日の渋滞が特にひどいのはそのせいだと。家庭の事情もあるかもしれないし、いくら何でもそれは正しくないだろうと私は思う。しかし、学校の先生たちが通勤に使う車なら、かなりの数になるだろう。
 30年以上も前のことを持ち出すのは気が引けるが、私の生家には学校の先生が下宿していたし、学校のそばの宿舎に住んでいる先生も結構いたものだ。当時、車の所有がまだまだ一般的でなかったことや、道路事情の悪さもあったが、教育環境としては、子どもたちと生活圏が重なる地元に暮らすことの利点は多いと思う。職住近接で浮いた時間は、研究に使うも良し、家族と過ごすも良し、地域活動だって仕事を離れて出来る。より人間的ではないか。
 ただいま熊日夕刊連載中の「坊っちゃん」の主人公は、地元に住むことで人間関係にもまれながらも成長する。地域で子どもを育てるという理想への近道。恐らく交通渋滞も緩和されるであろう。

                       (7/13/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。テーマの展開が強引で、ちょっと焦点がぼやけたという感じ。でもいいことを言ってると思うんだけど。

2004年2月 5日 (木)

犯罪者の親発言に思う

 鴻池防災担当相の「犯罪者の親」発言は、私には事件そのものより衝撃であった。記者会見で言えば問題にされるということがわからずに、ただ感情に押し流されてしまったのだとしたら、わかりやすい事案だが、先月から問題発言が話題になっていることを思うと、世間に論争を起させようという何らかの意図が彼らに働いているのではないかという気さえして来る。
 あるいは公的な場での発言の重大さを理解するだけの大人の常識と抑制の効かない幼稚な思考回路の人が、ただ馬脚をあらわしただけなのだろうか。
 そこで私が気にかかるのは、新聞報道などによる編集された情報でしか彼らの発言を知ることが出来ないということだ。余分なものをそぎおとすことで、真実のある断面が見えなくなり真意が汲みにくくなることもある。
 とはいえ、鴻池発言の根底にある「勧善懲悪」という発想。まず政治家が自らに突きつけるべきテーマだと重々わかっていながら、それには触れられないまま、青少年問題について言及しなければならない、氏はそういう立場にあるのか。事実、立脚点が変われば、善悪が逆転することもあるのが世の常だ。
                            (7/12/2003)

コメント:これって、何の事件での話だったのか...思い出せない。大臣や報道の問題ではなく、私みたいな一般大衆の問題かもしれない。あれ、私個人の記憶の衰え、あるいは表現力のなさ?熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。

「ゴールデン・エイジ~映画 それぞれの黄金時代」

 映画は作品と観客が揃って成り立つ。見終わった後に映画について語ることは、映画という共有の体験を確認することでもある。
 見たことがない映画について読むこと(知ること)は、たとえて言えば、両親や祖父母、近所の叔父さんや、兄貴に昔話を聞くようなものかもしれない。この本は、園村さんと梶尾さんが、それぞれの映画体験を語り合う対談だが、基本的に熊本での公開時の印象や様子が中心になっているので、評判やヒット作というと全国レベルの話になってしまいがちな現在、タイトルには、情報としてもローカル色が生き生きしていた黄金時代という意味合いが込められているような気がする。
 索引、年表(系統図)も充実している。また、脚注掲載のチラシは熊本独自のものだけに、劇場という言葉すら消えてしまいそうなこの時代、広告欄も懐かしく、熊本の大衆文化の貴重な資料とも言えそうだ。

          「ゴールデン・エイジ
             ~映画 それぞれの黄金時代」
               園村昌弘・梶尾真治著 博文舎刊
                      1333円  
           (6/15/2003)

コメント:熊本日日新聞平成15年6月29日付「私の三つ星」に掲載。本当言うと、もう少し編集に工夫がほしかったけれど、時間的制約もあったでしょうから。

2004年2月 2日 (月)

歩道は自転車優先か。

 自転車に乗っている人は、あまりわき目を振らないように見える。自転車の構造上、視界は前方に集中していた方が危なくないからだろう。歩道上を走る自転車は、歩行者にとっては凶器以外の何物でもないのだが、それを認識している人は少ないと思う。
 自転車は本来車道を走るべき乗り物である。それが歩道を走れるようになったのは、自動車の通行に支障があること、乗っている人が無防備に近く、危険であることなどの理由からであろうか。
 そして今や、車道を追い出された自転車が、熊本市内では歩行者を追い払おうとしている。上通り、下通りでは自転車に乗っての通行が禁止されている。それを知ってか知らずか、歩く人波の間を魚のように走る自転車は後を絶たないが、その危険度から言えば普通の歩道上を走る自転車通行の方が、道幅が狭い分もっと危ない。
 しかしほとんど歩行者のことは眼中にない自転車運転者に、歩く人たちの方が道を譲る状況が続いている現在、いっそのこと、いわゆる歩道は「自転車通行優先」と規定して、「歩行者は車道の路側帯を歩くこと」と、条例で決めてもらった方がかえって潔いのではないかと私は思う。
                     (5/16/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。そりゃ当然だろう。しかし、例えば水道町交差点近くの歩道を通勤時間帯に歩けば、誰だってこんな気持ちを抱くと思うのだが。

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