2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック

untitled

読みたい本だな

  • 読みたい本だな
無料ブログはココログ

« 2003年12月 | トップページ | 2004年2月 »

2004年1月の13件の記事

2004年1月31日 (土)

厚生労働モニター「公務員も雇用保険に加入を」  

 公務員は、雇用保険に加入していない。それは、一度採用されれば生涯身分と収入が保障され、余程のことがない限り、解雇もされないし、特に今のように不況の世の中では、自分からせっかくの権利を放棄する人もそう多くはないだろうから、当然ではある。
 しかし、その境遇に甘えて、そこそこの仕事をこなしていれば安泰という考えの方も少なくないのではないか。私は、門外漢なので、内情はわからない。だが、勤務評定がきちんと行われるならば、年功序列ではなく、努力する人は早く上に行けるだろうし、そうでない人、なったはいいが、自分に向かないと思った人が、一刻も早く転職することが出来るように、公務員も雇用保険が受けられる制度があってもいいと思う。
 その場合、加入事業者として、国なり、地方公共団体なりの負担が発生するので、予算的にむずかしいという話になるだろう。私にも名案はないが、そこを工夫することが労働行政に携わるたたき上げの方々の腕の見せどころではないだろうか。
 これは、そう単純に済む話ではないかもしれない。しかし、被雇用者側の負担だけでも雇用保険の料率アップ以上の効果が期待されるかもしれない。当面、公務員の給与を物価下落に合わせてカットする分を雇用保険にまわせばいいかもしれない。
 公務員の方々に「リストラも有り」という緊張感を持った仕事をしてもらうためにも是非検討していただきたいものだ。これはまた、最終的には、その本人が自分の本当にやりたいことを見つけ、もしそれが公務員という仕事でなかったら、一つの選択肢として、別の職業につくために雇用保険の給付が受けられるという道が用意されていてもいいのではないかということでもある。
                   (1/12/2003)

コメント:平成13・14年度の厚生労働省行政モニターをやっていたときの意見のひとつである。これを読めば、少し専門的な話になると知識に欠け、ぼろが出るということがよくわかる。やっぱり、ヒラメキの人であると自分で思う。ただ、この件に関しては、県職員である友人の言葉がきっかけになっている。


2004年1月29日 (木)

バス利用者を増やすためには

 熊本市内を走るバスの初乗り百円運賃が、来年3月まで一年間延長になったとのこと。熊本市交通局の話では、30%の利用増で増収になるという。確かにワンコインといえば、時代に即した有効な対策のように聞こえるが、現状ではおそらく利用者を掘り起こすことは無理であろう。
 何故か。それは、バスをあまり使わない人に対しての働きかけがないからである。バスは不便だと感じて遠ざかっている人に常時利用者になってもらって初めて、利用増が見込めるのではないだろうか。
 バス停に立つと、行先表示も路線図もある。しかし、路線が重複している主要バス停では、時刻表の簡略化された案内と路線図を見比べながら、暗号を解読しているような気がしてくる。ある場所に行くために、初めてのバスに乗ろうとすると、公共交通機関を頻繁に利用する私でさえ途方に暮れてしまうくらいだ。
 バスの運転手さんに行き先を尋ねる人を私は毎日見かける。大方親切に教えてもらっているようだが、普段バスを使わない人はどの運転手さんに尋ねていいものかさえ、見当がつかないかもしれない。
 わかりやすい行先案内と料金表示はバス停の命である。たとえば通町筋のような大きなバス停には、案内係を置いたらどうだろう。観光やイベント、ショッピングにも詳しくて、道案内も親切とあれば、強力な生きた情報発信メディアにもなる。
 その上で、郵便葉書にあるようにバスカードに広告を載せることで、割引率を引き上げるなどのサービスも考えられる。
 利用者を増やすための工夫は、まだまだこれからである。
  (3/29/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」平成15年4月6日掲載。「バスカードに広告」のアイデアは、編集でカットされた。この文章に力が入っているのは、わかっていただけるであろう。わかってないのは、業界関係者だけである。私はこの後も同様投書を何度も書くことになる。

2004年1月27日 (火)

「いいのかこれで 考えるヒット6」

 国産の若者向け音楽について語ることが、一時ブームになったことがあった。それはCDが空前の売上を記録した良き時代のこと。
 著者は、20年以上前から流行歌について鋭い分析をしてきた人だから年季の入り方が違う。取り上げられた音楽より、彼の文章の方が面白いと言う人もまた多い。売れるための音楽を、新しさという観点から常に考え続け、昨今の日本語ブームとは少し違った経路からではあるが、やはり歌詞=コトバの大切さに行き着いたようである。
 サウンド的には欧米の借り物から脱却できないが、技術的にクオリティの高いCDは多い。音楽だから、耳に心地よければいいのか。しかし、私たちが「日本語で考える」日本人であることを思えば、教科書よりも書物よりもストレートに伝わる音楽の、歌心がやせ細っていくのを見るのは忍びない。とはいえ、いいのかこれで、と嘆きながらも一筋の光明を著者は見出した。2002年版だ。
                            (5/25/2003)

     「いいのかこれで 考えるヒット6」
         近田春夫著 文藝春秋刊
              1200円

コメント:熊本日日新聞「私の三つ星」不採用。少々手を入れました。

2004年1月26日 (月)

「美しい地球と未来を子供たちに」

 この本を読み始めると誰でもすぐに説教臭い話だなと思うだろう。著者は宇土市にあるお寺の住職だから、別段不思議ではない。
 環境問題を説く坊さんといっても、話の本質からすれば、似合わないことを言っているわけではない。世の中答えはわかっているのにそこに至るまでの道筋をつけられない、説明できないことだらけだからである。
 それなのに藤井さんの言葉は、常に自信に満ちているように見える。職業柄明確な言い回しを求められるからか、一見迷いはなさそうだ。それは「真実は何か」といつも自分に問いかけ、また世事から学ぼうとしているからに違いない。普通だったら見過ごしてしまうか、見ぬふりをしてしまうような物事の方から、藤井さんに近づいて離れないのかもしれない。
 真っ当なことを、照れず臆せず書き綴って、一冊の本が出来た。心休まる挿画をふところに、思い一途なカバー画をまとって。
          (5/13/2003)

    「美しい地球と未来を子供たちに」
           藤井慶峰著 ぱんたか刊
               1300円  

コメント:熊本日日新聞「私の三つ星」不採用。

2004年1月25日 (日)

「フライ、ダディ、フライ」

図書館の本の紹介 番外編
「レヴォリューション№3」の著者 金城一紀氏の新作が2冊も同時に出た。その1冊について、あの重松清氏が、週刊現代今週号に紹介文を寄せている。
 この豪華な取り合わせに私は、個人的に感動してしまった。
それは、『フライ,ダディ,フライ』といって、往年のヒット曲「フライ・ロビン・フライ」か、ビートルズの「クライ・ベイビイ・クライ」をもじったものと思われるが、なんと主人公は、47歳の会社員なんですよ。笑っちゃいましたが、私はそれを読む前に福井晴敏の「終戦のローレライ」上下を読まなくてはいけないので、待っててくれ。
(2/6/2003)

 主人公は、47歳のサラリーマン。娘の受けた心の傷が癒されることを願い、復讐を誓う男。
 著者の前作「レボリューション№3」に登場した魅惑的な高校生たちが、今回は脇役に回り、中年男にケンカのやり方を教えるというお話。例のごとくひそかに周到な準備を整える、その気配りは心憎いばかり。
 なぜ、彼らが主人公に肩入れしたのか、彼らの動機は言うなら不純である。でも人間関係を壊したくないばかりに、本当に大切なものを逆に見失いがちな人たちには、その単純さがさわやかに感じられることだろう。
 「求道」という言葉が似合う修行の日々。本人が一所懸命な分、端から見れば痛々しいくらいに滑稽だ。だが損得抜きに打ち込むことによって、彼は人生を取り戻す。
 こんなマンガみたいな話、と打ち合わない人は多いと思う。寓話から何を引き出すかは、その人の想像力の問題だから致しかたない。
(3/9/2003)

       「フライ,ダディ,フライ」
         金城一紀著 講談社刊  1180円
              
コメント:前者は、合志町の公式サイトの掲示板に書き込んだもの。後者は熊本日日新聞平成15年3月23日付「私の三つ星」に掲載された。

2004年1月24日 (土)

アスペクタ・アスペクタ

 映画「黄泉がえり」は、もうご覧になりましたでしょうか。
あの映画のクライマックスで、アスペクタとおぼしきコンサート会場が出てくるのですが、おそらく、県外の人には(訪れたことがある人を除いて)「アスペクタ」であると、認知されないであろうことが、とても残念でした。

 今朝の熊日でグリーンピア南阿蘇のことを知り、アスペクタの存続に全力を尽くされることを知事にお願いしたいと思い、これを書いています。「カントリーゴールド」を始め、数々のコンサートが開催されていることはご承知のことと思います。コンサートは、その年その日、常に1回きりのものでありながら、それが感動的なものであれば尚のこと、観客の記憶の中に長く残っていくものです。

 アスペクタの場合、コンサートが阿蘇の風景と共に残ることは、まず間違いなく、これは単なる観光以上に、効果的なイメージ戦略に、それも長期的に貢献してくれることは疑いありません。
 これは、私の憶測ですが、たとえば、あの尾崎豊の最後のライブの舞台になったということだけで、アスペクタは、熱心なファンにとって巡礼の地になっているということもあるでしょう。私は、彼の信奉者ではありませんが、その場所が残ることで原体験のない人にとっても、文化として生き続けるものだと思います。

 福岡県が数年前に武田鉄也主演で「ちんちろまい」という映画を作りました。地元経済界も出資して結構がんばったけれど、あまり話題にはなりませんでした。しかし、私にはすごく面白い映画だったし、何より福岡県民の「元気」と「心意気」が胸を打ちました。そしてこれは、熊本県人に圧倒的に足りないものの一つであることを思い知りました。

 私は、自分の情に訴えるものにしか興味がわきませんので、少々冷静さを欠き、県政に対する積極的で、建設的な提言にはなりませんでしたが、ご容赦下さい。
 これからも伝説になり得るコンサートが、開催されることが期待できる、熊本にしかない「場所」として、アスペクタを存続すべきであると私は考えます。                (2/5/2003) 知事への提言

コメント:熊本県公式サイトの「県知事への提言」に寄せる。

2004年1月22日 (木)

一家揃って飯を食うこと

 私は昨年の暮れに失業して、ただいま求職中の身です。仕事を無くして良いことなどないはずなんですが、毎日、朝食夕食を家族四人で一緒に取れるようになったこと、これだけは何物にも替えがたく良かったと思えます。
 それまでも休日には、一緒だったのですが、これが毎日になると、学校であったことなど、とにかくその日のうちに話を聞けるし、私の方も時間だけは豊富にあるものですから、自分が学校に通っていた頃のことなど思い出して、口数が多くなっています。
 とはいえ、子供らもそれなりに成長しているので、私が言葉を選び損ねて無神経なことをつい言ってしまうと大変です。せっかくの楽しかった食事がぶち壊し、ということもありますが、ひるんではいられません。このどうしようもなさが、難しいところでもあるし、醍醐味でもあるかもしれません。押したり引いたり、おだてたり、うるさく言ったりしながら、ふと気づくと親の方が乗せられていたりもします。
 気持ちがうまく伝わらないもどかしさを、乱暴な言葉を吐き捨てることでしか表現できないのが、つらいところだよな、と内心同情してしまうものの、私も「理屈を言え」「納得できる言い訳をしろ」と育ててきた手前、あくまでしぶとくタフ・ネゴシエーター(ギリギリまで粘って自分に有利に交渉を持っていく人)として、それを楽しむ余裕は・・・残念ながら今のところありません。
                     (2/1/2003)

コメント:平成15年2月9日熊本日日新聞「おとこの目」に掲載された。これを読んだ友人、知人から「読者のひろば」で無職になっていたけれど、ほんとに失業してたんですねと、ずいぶん声をかけていただいた。その報告の意味もあって投稿したものだったので、本当にありがたいことだった。無職のくせに結構それを楽しんでいた時期でした。昨年の秋にある集まりでお会いした潮谷知事にも「心配していました」とお言葉を頂き、感激したことでした。

2004年1月21日 (水)

「終戦のローレライ」~どんな映画になるのやら

 まさに活劇と呼ぶにふさわしい、一大長編。唱歌の「椰子の実」が象徴的に使われて、初めて読むのに懐かしい感じがしてくる。
 第二次大戦終戦にまつわるエピソードを、もっともらしい作り話に仕立て上げながら、国民の誰もがその責任を取らず、米ソの冷戦構造の狭間で経済繁栄を謳歌した日本人に、もう一度過去を振り返り、この現実に勇気を持って真っ直ぐに向き合うことが必要ではないかと問いかける。
 その時々には将来を睨んで最善を尽くしているようでいても、今にして思えば当然のことながら、予想をはるかに超えた展開になっているのが歴史というもの。
 大勢の人の死を一括りにせず、それぞれの死が集合する負のエネルギーとして描いたところが、常に新しい戦争と共にある現代をも射抜く力になっていると思う。軍歌ではないメロディーが、文章から浮び上がり救われた気持ちになる。

       「終戦のローレライ」
         福井晴敏著 講談社刊
         上1700円 下1900円 
                              (2/20/2003) 

コメント:熊本日日新聞「私の3つ星」不採用。日本書店業組合のサイトでも書評を募集しているので、手直しをして送ったが、またもや不採用。400字でまとめるのは至難の業の作品だもの。来年、東宝で映画化されるそうだが、ヒロインに(自分勝手に)押していた吹石一恵もちょっと少女の役はむずかしくなってしまった。でも上戸彩なんかは絶対に使わないでくれ。

2004年1月20日 (火)

(日本語を)声に出して読むために

 10年ほど前、町内の会社に勤めていたとき、「こうしまち」を「合志町」と書いてもらうために私は、事あるごとに電話で説明を繰り返したものだった。その頃、県の設置する標識もローマ字では「GOSHI」となっていることがあったので、役場から訂正を申し入れたこともあったそうだ。
 地名のような固有名詞の、本当の呼び名を知らないでいることは案外多いのではないか。出来るなら正しく読んでもらいたいと当事者の方は誰しも思っていることだろう。頭の中で発音することで、どこか遠くの町に住む人達が、自分たちと同じように現実に生き生きと暮らしていることが実感できる。
 それは、人名にしてもそうだ。せっかく、声に出して読む日本語の大切さが話題になるご時勢に、新聞記事を活用した教育を推奨する新聞が、フリガナをつけることをためらうのはおかしいと私は思う。
 漢字は表意文字なので、確かに形で意味がわかるという便利さもあるが、特にパソコン等を活用することが多くなると、カナからの変換がどうしても必要になる。そういう点からも読みの重要性が増しているということが言えるのではなかろうか。
             (2/25/2003)

コメント:熊本日日新聞「読者のひろば」不採用。

2004年1月18日 (日)

「50代以上の、主に高齢者をエルダーと呼びます」

 「50代以上の、主に高齢者をエルダーと呼びます」と帯に書かれた本書は、年長の人に対する尊敬の意味を込めて、エルダーという呼び名を採用したときに、老人を描いた小説・映画・テレビドラマ・コミックなどを紹介するという所期の目的をもう半分以上達成していたのかもしれません。
 私は、少年時代に父母や祖父母あるいは親戚や近所のおじさん、おばさん(今の自分より年下だったのかもしれませんが)の昔話を聞き、また世間話を耳にして育つことが出来て幸運だったと思います。ですから、私が経験したように、年かさの方々が人生の後輩に、たどたどしくても、同じ話の繰り返しでも構わないから、思い出話を生の声で語ってくれたらいいのになと常々思っています。
 この本を読むことで、執筆者の視点も交えながら、そこに取上げられた作品にもう一度触れてみてください。私の思いが伝わることでしょう。
  「描かれたエルダー」日本経済新聞社・編 
       集英社刊 1400円        (1/20/2003)
 
 コメント:熊本日日新聞「私の三ッ星」不採用

2004年1月17日 (土)

プリーズ・プリーズ・ミスター・ポストマン

 私の生まれ育った家はJR肥後大津駅の近くだった。祖父は鉄道郵便の仕事をやっていたので、若いときのことが懐かしかったのだろう、連れられてよく汽車を見に行った。
 当時は、郵便も雑誌も貨物列車で町にやってきていた。駅舎の脇に投げ下ろされる郵袋と、くくられた雑誌。私と世界はそこでつながっていた。
 そういう幼児体験があるので、Eメールの便利さをどんなに感じても、どうしてもハガキを書いたり、封筒に切手を貼って出すことがやめられない。小学二年生のとき、懸賞で目覚し時計をもらったことが、そもそもの始まりだったかもしれない。五年生ころから、ラジオをよく聞くようになり、リクエスト・ハガキも出した。あの頃、ハガキは五円だっただろうか。
 祖母は、硯箱に便せん、封筒、切手、ハガキをいつも用意していた。その頃は家に電話もなかったし、叔父や叔母が県外にいたので、手紙のやりとりが普通だったのだろう。
 郵便は幼いときの記憶に結びついて甘美なものだ。センチメンタルな郷愁に過ぎないことはわかっている。またそれは郵便事業が民営化されることで、ひとつの時代が終わる、という大げさなことでもない。ごく個人的なことだ。
 固定電話が普及し、FAXが当たり前になったのも最早昔のこと。携帯やメールでこと足りて、誰も「プリーズ・ミスター・ポストマン」とは歌わなくなっただけのことかもしれない。
(1/13/2003)

 コメント:熊本日日新聞「おとこの目」不採用。

2004年1月14日 (水)

第55回陽美展に寄せて

 熊本の人は、挨拶代わりにすぐに相手の出身高校を聞きたがるが、あれは変ではないかという意見があります。私は、聞かれる前に自分から大津高校出身ですと言うこともあるので、熊本県人の典型かもしれません。
 たいていは、「あのサッカーで有名な」という反応があり、認知度が高くなって来た母校を誇りに思うものですが、地味ながらも今回55回目になる「陽美展」という美術展が長く続いていることを、私はもっと広く知って頂きたいと思います。
 何もかも物不足だったであろう昭和22年に、大津町の青年学校で第1回展を開かれた諸先輩方の情熱と努力を思うと、胸が熱くなります。先日、本紙のインタビューで熊本県立大学の米沢和彦教授がおっしゃっていた、「自分たちの地域の教育をどうするかという視点」が当時の地元を始め、先生方にもあったであろうことは容易に察せられます。
 好き勝手に油絵を描いていた私たちの時代はすっかり過去のものになってしまいましたが、学校に伝統というものが受け継がれて行くとするならば、高く掲げるばかりではなく、足元を照らし暖かく私たちを励まし見守っていてくれるものだと思います。
  (2/12/2003)

 コメント:これは、熊本日日新聞平成15年2月18日「読者のひろば」に掲載された。この記事について中学のときの数学の郷先生から、喜びの電話と封書を頂いた。先生が大津高OBだということを初めて知った。80周年だというのに何となく盛り上がりに欠く母校に発破をかけるつもりだったんだけど。

2004年1月11日 (日)

映画のユニバーサルデザイン「黄泉がえり」

 映画「黄泉がえり」を見た。熊日夕刊に連載されていたときに読んで、加筆訂正された単行本になって読んで、そしていよいよ、映像になった。本当はひとつ手前にラジオドラマとして聞きたかったのだが、それは映画を見てしまうとどうでもよくなってくる。
 原作を読んでずいぶん経つので、私の場合かえって好都合だった。かすかな予備知識は、隠し味みたいに作用する。私は早くから、個人的にこの映画を「熊本の映画」として、事あるごとに吹聴してきたのだが、見終わったときの感想は少し違うものになっていた。
 この作品は確かに阿蘇地域振興デザインセンターを始め、多くの熊本の人達の協力あって出来上がった映画に違いない。しかしこの映画のすごさは、そこにとどまらず、ある意味でローカル色を薄めたことで、かえって全国、いやユニバーサルに通じる作品になったというところだ。
 昨今人が殺されない映画を探すのはむずかしいが、まずここにはそれがない。塩田明彦監督は、自分が悪者になることを承知で、ファンタジーではなく、真の意味で、リアルな人生の映画を撮ってくれたと思う。                         (1/23/2003)
          
 後日談:映画「黄泉がえり」はその後全国的に大ヒット。正月興行のあとの、時期的には全く期待されていない時機に、快挙だと言える。私はこの脚本、アメリカでリメイクの話が出てくるのでは、と睨んでいたが今のところそんな話、聞かないなあ。これは、熊本日日新聞1月31日「読者のひろば」に掲載された。因みに「ユニバーサルに」という表現は、世界に通じる、の意。熊本県の潮谷知事の施策にも引っかけている。 

« 2003年12月 | トップページ | 2004年2月 »