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読みたい本だな

  • 読みたい本だな

2012年5月28日 (月)

私たちの「未来」への志向、嗜好、思考そして試行

5月27日 日曜日

熊本学園大学にて、
NPO法人くまもと地域自治体研究所主催の講演会、
「『大阪維新改革』がなげかけるもの」に参加。
講師は、木村雅英さん(大阪自治体問題研究所事務局長)。

自治労系団体の総会での記念講演会であるということ、
講師もそういう立場にある方ではあったが、
それほどバイアスがかかった話ではなかった。
大阪市民として、橋下徹氏が現われた背景、
また日常で肌身で感じる印象と分析など、
日頃マスコミを通じてしか伝わらない姿の
多面的リアルをわかりやすく説いてくれたと思う。

橋下徹は大阪の改革を全国に広げたいと思っているらしい。
そこに手法や思想的な危うさがあることはよくわかる。
しかし、出来不出来は別にして、
停滞する国政を改革するには、自分しかいないと
本気で信じているに違いない。
憂国の士がいますぐには必要とされていなくても、
それが必要とされる状況が着々と準備されつつある。
怖い、とか危ないとかいう次元ではない。
すでにすぐ近くまで彼らはやって来ている。
国民の心に忍び寄っているのである。

ただ私はそれを一刀両断に
切り捨てることはできないような気もする。
人類の歴史がこんなところまで来ちゃってるんだから、
思いも寄らぬ(つまり想定外の)展開が招来されても
我われは受け入れるしかないのではないか。

今日の熊日夕刊のコラムでも取り上げられていたが、
高橋源一郎が『「あの日」からぼくが考えている
「正しさ」について』河出書房新社刊の中で、
東浩紀の『一般意思2・0』について触れている。

 「ぼくたちは、民主主義の理想を『熟議』に、
 公共的なコミュニケーションに置く。
 けれど、著者は、熟議への信奉こそが、
 ことばによるコミュニケーションを至上のものとする考えこそが、
 人々を政治から遠ざけたのだとする」

なんてことを書かれると、そしてそれを目の当たりにするとき、
私はわなわなと(比喩的にですが)震えるしかない。

そして私は今日、孫たちをあやしながら、
それでも前向きにやるぜ、爺ちゃんは。と、
100%勇気をもらったのである。



2012年5月27日 (日)

アート&クラフト

5月26日 土曜日

熊本県伝統工芸館で→
リンク
今日まで開催されていた
ミニチュアアート展を見に行った。→
リンク  

私もずっと前から、自分の生家を
住宅模型で再現してみたいなと思っていたので、
参考になった。
ミニチュアアートは、欧米で言うドルズハウスとも少し違う。
住宅模型との違いは、
スケールに忠実であるよりも、
生活雑貨などのリアルな可愛らしさが身上のようだ。


そのあと、美術館分館にそれとなく寄ってみた。
熊本県立美術館→
リンク
そしたら、これも今日まで(申し訳ありません。終わりました)の
九州コンテンポラリーアート2012展熊本
「地球の上に生きる」をやっていた。

玄関をくぐったところで、
以前大津高校の美術コース担当だった弘先生に会った。
高校生のワークショップの案内係である。
内田先生も会場にいるとのことなので、
全フロア―を回ることにした。

4Fに入ってすぐ内田勝弘氏の「そら2012」6枚組があった。
高校生が集まっているところでは、
作家が自分の作品のモチーフなどをしゃべっている。
解説などなくても、作品がすべてだろう。
と言いたい人もいるかもしれないが、
高校生たちはおそらく美術を専攻しているのだろう。
みんな何か得るところあったかな。

思えば、不遜だった高校時代の自分よ。
もっと素直だったら、大成したかもしれん(苦笑


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菊池電車で行ったので、
これは信愛女学院前の、横尾忠則ふうの三叉路。

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そして、こんなとこにも熊本城。














2012年5月26日 (土)

お誕生日はオムライスで

わははら君は久しぶりにゆっくりとした週末を過ごしているらしい。
かなり(無意味に)長目のメールと写真が送られて来た。

うん、オムライスだね。

長文のメールを所々抜粋すると、

・…ケチャップご飯でなくて、炒飯なんです。
チキンライスだと僕が作るとべちゃっとなっちゃうんですね。
ぼくはほら、ご承知のようにぱらぱら炒飯は得意なんで、
チャーハンにしたんですよ。
ぱらぱらのコツはですね、卵を…

(チャーハンの話は初めて聞くような)

・…オムレツなんか、もう50回くらい作って来たんで、
だんだん舟形にもうまくつくれるようになって来たんですよ。
中はもちろんトロトロで…

(卵2個使うとして100個か、コレステロールは…)

・…え、デミグラスソースかですって?
あぁ、あれは買って来たり作ったりすると使いきれないんで、
トンカツソース+ケチャップ(等量)にちょこっと醤油をたした
ナンチャッテデミグラなんですよ。
ケチャップかけるだけより、より料理感が…

(質問はしてませんが)

・…トッピングは大葉を刻んだものです。
大葉も買ってくるとコップに水入れてさしとくんですが、
なかなか使い切れないですよね。
だから何にでもトッピングするんです。しその葉って、
初夏の感じしますよね。
割といろんなものに合い…

(そうね、そうめんにも使うしね)

・…だから、
小さいお子さんのお誕生会なんかにぴったりだと思うんですけどね
彩りも…

(お子さんより彼女が先だろ)

わははら君の写真を見てたら、お腹が減って来た。
お、こんな時間だ、何か食べに行こう。
オムライス? ん、いいね。




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2012年5月25日 (金)

穀雨

合志市議会議会活性化調査特別委員会の
第3小委員会で、御船町議会に調査に赴く。
あいにくの天気。とはいえ今年は春が遅かったので、
いま穀雨と呼ぶに相応しいお湿りだったと思う。

御船町議会は、議会基本条例で先行自治体である。
わが小委員会としては、所管の通年議会に関することが目的である。

鹿児島県垂水市議会と一緒の研修だったが、
誤解を恐れずに言えば、
町政と市政の差を実感したのも事実である。
言い方を変えれば、その地域性こそ、
私たちが尊重しなければいけないところである。











2012年5月24日 (木)

死について

死ぬのが怖いのは、
死ぬまでに目いっぱい痛くて苦しい思いを
しなくちゃいけないかもしれないからだろうか。
もちろん、いまこうして考えている自分が
この世からいなくなってしまうのだから、
自分が自分であることを意識できなくなる、
つまりアイデンティティの問題ということなのかね。

前夜眠りについて翌朝、
すっきりかどうかは別にして、誰でも生きていれば目覚める。
その間の夢を見ているかいないかの状態。
それがいわゆる死の時間間隔だと私は思う。
長いのか短いのか、
数値の上での時間の長さが、
熟睡度とまったく同じではないように、
また目覚めたら、まだ生きていたということだけが言える。

いつもいつもそんなことを考えていたら眠れなくなるので、
快い疲労感とと共に眠りにつければ、それが健康的だろう。

死を考えることは生について考えることでもある。
私の祖父が戦争で生き残ったことを
幼いころから、聞かされてきたことを思い出す。
砲弾の破片を受け(と聞いている)、
九死に一生を得たばかりか、
戦犯で処刑されることもなかったと。

だから、戦後は拾った命だから、
人のために使うと言っていたそうだけれど、
地元区長から、村議、議長、そして村長。
在任中に交通事故で亡くなることで、
その悲惨さをまた人々に知らしめたという
実に無駄のない生き方であったと言えよう。

私は幼いとき、大病を患い二の丸の病院に入院していた。
その私に輸血をするために通ってくれたが祖父だった。
その諸々のことを恩義に感じ、
自分も人のためになる大人になろうと思っていたのに、
こんな、ある意味遠回りばかりした挙句、
いまのところ大した人間になれていない。
しかしそれもまた、祖父が突然亡くなったことで、
小学4年生にして人の世の無常に気づいたせいである。

翌年、父方の、もう一人の祖父も病死したので、
まったく、死はいつもそこにあることを思い知ったわけだ。
というか、そのときそう自覚していたわけではなかったので、
それは後付けに過ぎないかもしれない。

その頃、すでに私は歌謡曲に魅せられていた。、
そしてグループサウンズやビートルズの次に私を吹っ飛ばしたのが、
「帰ってきたヨッパライ」だった。
深夜放送とトランジスタラジオは、
日本の高度成長とともに、必然的にそこに出現した。
8マンや鉄腕アトムが、原子力の明るい未来を
私たちに約束してくれる同時に
たとえサイボーグになろうとロボットだろうと
人としての根源的な苦しみからは逃れられないことも、
そこには描かれていたんだな。







2012年5月23日 (水)

理想の図書館 PERFECT LIBRARY


『理想の図書館とは何か~知の公共性をめぐって』
根本彰著  ミネルヴァ書房刊


西合志図書館は、図書館についての蔵書も比較的多い。
先日の佐賀県武雄市立図書館の件があり、
少し勉強してみなくちゃなと思って、この1冊を手にした。
これからしばらく私が図書館について書くこと、語ることは、
この本の影響を受けていると思ってもらって
結構です。










2012年5月22日 (火)

インタビュー術!

これは役に立つ。
老若男女、職業問わず。
もちろん、日本語を理解できないといけないが。

『インタビュー術!』
永江朗著 講談社現代新書刊

ほんとはこれ↓を読もうと思っていたんだけれど、

ヴィーブル図書館の見晴らしのいい南側の窓辺で
私と目が合ったのは永江朗さんだった。

どこを切り取っても面白いが、
これは辺見庸がアメリカのノーム・チョムスキーにインタビューした
雑誌「PLAYBOY日本版2002年6月号」の記事から。

  批判的な立場をとると、脅迫の手紙を受け取ったり、
  人から嫌われたり、新聞で悪く書かれたりはする。
  そういうことが起こりうる、という現実に不慣れな人は
  驚きはするでしょう。
  しかし、ここで起こっていることなど、どうということはないのですよ。
  それをとりたてて言うこと自体、「不面目」なことです。

「書き言葉とは違う言葉の流れ、リズム、時間のようなものがある。
インタビュアーという具体的な聞き手を前にして話すからだろうか。
だからテーマが深刻な話であっても、言葉には独特の軽やかさを感じる」

永江さんの書き言葉は、
インタビューとそれを文字に起こす仕事を生業(ナリワイ)
としているとはいえ、
実にまた潔く、颯爽としている。


私は、この「晴れ永遠」において、
インタビュアーである「ぼく」が、
インタビュイーである私の考えを聞き取るように
書いていたんだなということに、この本を読んで気づいた。
そしてまた私は一人の読者でもある。

このブログを訪問してくれる人に対して、
その表現でいいのか、言い換えは、
等など、常に「ぼく」は私のよき相談相手である。
そして私は、インタビュアーである「ぼく」に向かって
いつもこう言う。

「責任は君にはないよ。すべて私が取ることだから」


そうはいうものの、
その私も僕もつい表現が滑ってしまって、
読者である自分があとで赤面することもある。
でもまあ、生き恥を晒すことで、人は強くもなるし、
思考も鍛えられるというものだ。
だから、私は文字で残すことにこだわるんだな。


このインタビューを検索で見つけたので、
参考までに→リンク 








目病み女に風邪引き男

くろご式慣用句辞典→リンク によると、

目病み女に風邪引き男(めやみおんなにかぜひきおとこ)
1.目の病気に罹(かか)っている女は
涙目で目が潤(うる)んでいるように見えて色っぽい、
風邪を引いて喉(のど)を痛めている男は声がハスキーで
色っぽいということ。また、
目を紅絹(もみ=紅で染めた絹布)で押さえる女と、
白い布を首に巻いた男は小粋(こいき)である。
2.異性の一時的な魅力に惑(まど)わされるな
という戒(いまし)めとしても言う。

私の場合は、歯も目病みもあるのでパーフェクトか?
なんて笑いごとではない状態が1週間。
それに風邪ひき男でも、副鼻腔炎で鼻声では駄目だろう。

それはそうと、誰かがとっくに言ってることとは思うが、
男ことばと女ことばについての私の考えである。
平清盛の時代はいざ知らず、
私が50数年生きてきて、
自分が耳にし、使ってきた日本語における変化、
それは女ことばと男ことばの接近である。

世に三丁目の夕日文化が出回っているが、
真実に近いものは、当時の映画でも見るしかない。
フィクションなので、記憶と記録の違いはあるけれど、
いま見ると、女ことばがイキイキとしていたことに
私など新鮮な感動を覚えるのである。
それが、いまや、おネエ系の人しかそういう言葉を使わない、
一般には男女間で共通の言い回しになっていることが多い、
ような気がする。

高校時代に習ったことだが、
古語では、「食べる(食ぶ)」は女性語、
男は「食う」と言っていたという。だいたいそういうこと。
それが食べるが標準になって行く。
食うが乱暴に聞こえるのは、昔の男は肉食系だった、
というイメージであろう。

※この文章は学術的なものではありません。
私の個人的な感慨を述べているだけで、
特に理論的な裏付けはありません。

話が飛躍し過ぎることは承知の上で続ける。
私は男女共同参画社会に意義を唱えるものではないが、
それに無関心な人は本能的に
男性性の危機を感じ取っているのだろう。
男性の生殖能力の減退は環境ホルモンのせいにもされるが、
環境に適応して生き残るために
雌雄の別が生まれたと言われるものの、
生物というもの、進化すればするほど
再び一つの性に統合するようになっているのではないだろうか。

早い話がそのためにあるとき、環境の急激な変化に耐えられず
その種は絶滅する、と。
いや、再び二つの性を取り戻し生き延びる可能性も。
いまのヒトという種はそれを繰り返してきた結果なのかもな。

映画『エイリアン』のエイリアンは、
生物学的に進化の究極の姿であるということだ。
人類は男女差がなくなって中性になるのではなく、
女性に統合されるであろうと私は考える。
それは、いいとか悪いとかそういう問題ではないので、
あとはよしなに(山下達郎ふう)。

オマケ:エントロピーという例えを出そうと思って検索したら、
知ったかぶりがばれそうなのでやめたが、
検索していて見つけた「エントロピーとは何か」→リンク 
これは比較的わかりやすかったので
せっかくだから貼り付けておく。







2012年5月21日 (月)

「胸躍らない理由(わけ)」への追記

昨日のエントリー「胸躍らない理由(わけ)」について、
言葉が足りなかったようなので補足します。

「1メガワットだから、それほど大きくない」の部分。
大きさに関しては、敷地面積に関係することなので、
小さいから価値が低いという意味ではありません。
ごみ焼却場の跡地が有効に利用されることを強調したい。

また「企画書にあるような観光メリットはもはや望めないだろう」
については、観光客誘致ができるということを
全面的にに期待すべきではないという意味です。
宮崎シーガイアや長崎ハウステンボスではないので、
あくまで、発電事業としての採算性が優先されるべきだと思う。

私の個人的な考えではあるが、
季節要因があるので、メインにはできないとはいえ、
売電よりも、となりのカントリーエレベーターで使えば
効率よく現実的ではないか。
また送電コスト及びロスを考慮すれば、
熊本製粉の新しい工場を隣接地に作るという方法もあるだろう。
まずはともかく税収増を歓迎すべきである。

仕事柄、「ちょっと待てよ」という癖がついているので、
そういう思考回路になってしまっていますが、
言葉を尽くさないでは、議員としての資質が問われるので、
ここに追記しました。






2012年5月20日 (日)

胸躍らない理由(わけ)

※注意喚起情報

このエントリーには次の追記があります。→リンク 


 ――― ・ ――― ・ ――― ・ ―――


今朝の熊日に
三菱商事と三菱総合研究所が、熊本空港隣接地に
大規模太陽光発電所(メガソーラー)建設計画の記事。
記事によると、県が平成10年4月に
新エネルギーや環境関連の産業育成に向け、
三菱商事、三菱総研と結んだ連携協定に基づく事業とのこと。

大津町にはホンダソルテック、
南関町には富士電機システムズの工場があるが、
解説に「安価な海外製の太陽光パネルが採用されるなど
必ずしも県内関連産業の受注に結び付いていない実態もある」
と書かれているように、
県がいくら要請をかけたにしても、
やはり収益抜きには考えられない事業であるし、
ひょっとしたら、グループ会社の三菱重工業のセルを
使わないことだってあるかもしれない。

ヴァーチャルウォーターといって、
輸入農産物などが持っている水分を
水資源と捉える考え方もある。
前にも書いたけれど、電力を直接輸入することは
むずかしくても、太陽光発電のパネルとして輸入すれば、
パネル製造時の消費電力ごと買うようなものなので、
国内の電力事情と円高基調を考えれば、
地場産業育成よりも
長期的国益にかなうという気がしないでもない。

昨日の熊日には、合志市における
熊本製粉によるメガソーラー計画の記事が載った。
18日(金)の市議会全員協議会で報告があったばかりだ。
こちらは、1メガワットだから、それほど大きくないし、
企画書にあるような観光メリットはもはや望めないだろう。
環境教育という意味では、
合志市内の中学校にはすでに国の事業で
太陽光パネルが取り付けられているから、
その利用の方がよほど効果的だろう。

西部清掃工場の未利用跡地が有効に使われ、
わずかとはいえ、現在の管理費用の削減と
地代、固定資産税収入が見込まれることでよしとしよう。
熊本製粉と市の包括協定の成果であることは、
県の場合と同様である。


リンク:
2030年の電気料金を経産省試算 
原発ゼロだと最悪現在の2倍になる?? - 速報:@niftyニュース
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原発の厄介さは、一度手を付けてしまったら、
廃炉するにしても廃棄物の保管も含めて
多額の費用がかかることが大問題だ。
しかし、NHKの朝の連続ドラマ「梅ちゃん先生」を
見ていて思ったことだが、戦後頻発する停電を経験したら、
アメリカの野望もあったかもしれないが、
つい原発に手を出してしまったわが国の諸先輩方を
単純に責める気にはなれなくなる。

あと、国による電力買取制度といったって、
結局国民が支払う電気料金に反映されるということは
忘れずにおきたい。


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